第二話夢占い
囲炉裏を向かい合わせて利休は真新しい、い草の座蒲団に座った。
座布団から夏の薫りがする。
利休の場所からは、光のカーテンに遮られ、秀吉の顔は良く見えなかったが、その方が全体の雰囲気を壊すことなく穏やかに話が出来る。
利休は、そっと目を閉じて、足元からほのかに立ち上る、い草の香りを吸い込んだ。
しばらくの沈黙。
しかし、心地のよい沈黙だ。
利休は、秀吉が話し出すのを、山鳥の鳴き声でも待つように穏やかに座っていた。
いや、意識はしてなかったのかもしれない。
深い懐かしさと心地よさがそこにあり、一人の世界に沈みこみたい衝動に何度かかられたからだ。
「気に入られたかな。」
不意をつくように、深く響く低い声で、心の奥をつま開くように秀吉が語りかけてきた。
「はい。この度は、随分と趣の違うもてなし。利休、感服しております。しかし、茶の道具が見当たりませんが、これも趣向のうち、と、言うことなのでしょうか。」
利休は、一瞬顔に浮かんだの驚きを、涼やかで知的な視線で覆い隠してしまう。
それにして、どうしたのだろうか?
利休は、優しい笑顔のしたで、したたかな計算を始める。
秀吉は意味もなく、人を呼びつける人間ではない。
お互い忙しい身の上だし、我が儘に見えて、そういう気遣いは出来る人物なのだ。
「そうか、気に入ってくださいましたか。」
秀吉は一人で納得をし、話を続けた。
「実は、この趣向は利休殿の発案でしてな。」
「わたくしの、ですか?」
利休は、言葉の意味を理解できずに聞き返した。
秀吉は混乱する利休の顔を面白そうに観察しながら、得意気に謎の答えを話し出す。
「正確には、わしの夢の中の利休殿の考えを使わせてもらいました。本日、出国する南蛮人が、前世の夢を見られると言う酒を献上してきたので、試してみたら、利休殿がその夢に登場て来て、今からするような、もてなしで南蛮人…ローマとか言う所の貴族を驚かせていたのです。」
「ろーま…」
利休は、不思議な話について行けずにいたが、
「夢のお話ですか。それでは私は、生まれる前は南蛮人だったのですね。」
と、無難な返答をすかさず返した。
「そのようだった。その夢では、利休殿も、わしも、秀長も朝日も、みんな南蛮人で、暖かい港町に住んでおったわ。わしの小僧時代にいた、清洲の港のような、水青く、美しい場所でな。」
秀吉は楽しげに話す。それを聞いて、利休は、ふと、秀吉が小僧時代に住んでいたという、清洲の港を思い出す。
信長さまの父君の信秀様が統べるその町は、尾張で一番の港町で、各国の珍しい品々が何でも揃っていた。
広い川が流れ、伊勢詣での人が行き来し、活気のある町で、秀吉は様々な事柄を学んだのだろうか。
「わしは、シチリアと言う名の島の、四国の二倍くらいの王国の出身で、王と呼ばれる人物になったようだ。」
秀吉は、その前世の夢が気に入ってるらしい。
「それでは、秀吉様には小さすぎたのではありませんか?」
利休は、秀吉の虚栄心を軽く、くすぐった。
「いやいや、島の大きさは小さいなれど、温暖で豊かな大地と、様々な人種の行き交う活気のある島で、名高い王達が、みな欲しいと願う、玉のような美しい島であったぞ。」
秀吉は、満足そうに頷いて、夢の美しき島を思い出しているようだった。
「それは、さぞ、美しい光景なので御座いましょう。わたくしも、少し、見てみたくなりました。」
利休は、本心でそう言った。この世の贅沢を全て手にし、派手で無粋な趣向の秀吉を、このような物静かな時と場所を演出させたその島を、一度みたいと思ったのだ。
「ああ、青、藍、紺碧、青磁、花紺青、青の名前は数多あるが、それでも足りないと感じてしまうほど、美しい海が見えた気がした。」
秀吉は夢見る少年のように、顔をくしゃっと歪めて、光のカーテンに包まれて無邪気に笑った。
「夢の中では、同じく豪農の廃墟とはいえ、石造りの見事な白い邸宅で、利休殿の前世の男は、騎士で、屋根が無くなった廃墟の、白亜の宮殿で、ぶどう酒をそれは美しくふるまっていた。」
秀吉は、懐かしい物を見るような言葉遣いで話す。
「ぶどう酒、ですか。」
そこで、これから自分に振る舞われるものの正体を利休は察した。
「そう、ぶどう酒。なれど、これは特別な酒でなかなか手に入らない。『猿酒』と言うもの。」
秀吉は得意気に顔をあげて、甲高い声で興奮ぎみに話す。すると、それを合図にするように、引き戸を叩く音がした。
「太閤様、準備が整いました。」
知らない年配の男声が小屋を響かせた。
「よし、入れ。」
元来の秀吉の力強い声が戻り、男を動かす。
男は、引き戸を開けると、歴史上名高い二人の男のオーラに一瞬、怖じけ、それから、気を取り直して青みの入った純白の陶磁の壺を盆にのせて運んできた。
「おおっ。これだ。沢の水で良く冷えておる。」
秀吉はいとおしそうに壺を受け取り光のカーテンを破って利休の前にあらわれた。
「これが猿酒だ。」
秀吉は自慢げに陶磁の壺を利休の目の前の床に置いた。