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 鄴市内に白いのぼりが上がっている。通りの家々のいくつかの門戸には生花が飾られていた。

 常は、行き交う人々で騒々しい市内であるのに、憚るような静けさが横たわっている。


 旅装を身にまとったままの曹沖は、そんな鄴市内の中を歩く。

 顔面は蒼白で、今にも倒れそうな面持ちだが、何かに憑りつかれたように動く足だけは速かった。

 共に歩く者たちが何事かを話しかけても、曹沖は生返事を返すばかりである。


 曹沖はようやく目的地に着く。その邸の門戸の周りに屯っていた人々は、皆が皆白い服を着ていた。彼らは曹沖を認めて、悲し気な顔に微笑みを浮かべた。


「これは、倉舒様! ……その旅装は、急ぎ駆け付けて下さったのですね。ありがとうございます。奴も、倉舒様とお別れができて嬉しいでしょう。さ、中へ」


 曹沖は頷いて見せたが、彼は流されるような今の事態に、全く実感が湧いていなかった。

 まるで夢の中にいるような心地。踏み出す一歩、一歩が、雲を踏んでいるかのようだとさえ思う。


 邸の奥へ奥へと進む。そこには何人もの大人たちがいた。只の大人ではない。この鄴で最も重要な立場にいる者たちだ。

 彼らは新たに入室してきた者たちに気付かない。何故なら、彼らの目と耳は、彼らの主へと向けられていたから。


「諸君は皆、儂と同年代だ。郭嘉一人がとび抜けて若かった。天下泰平の暁には、後事を彼に託すつもりだったのに……」


 それを聞いた者たちは衝撃を受けた。まるで泣いているかのような声音だったからだ。あの偉大な英傑が! あの曹孟徳が!

 そうして、それだけ主の悲しみが深いこと、彼の男を喪ったのが如何に惜しいことであったのかを悟る。故に彼らも増々悲しんだ。


 誰もがそのように曹操の言葉を聞いていたのだが、唯一人、全く別の想いで聞く者があった。他ならぬ曹沖である。


「あ、ああ……」


 曹沖の心に、悲しみと、何より強烈な怖れが同時に去来する。その激しい衝撃に辛うじて保っていた気勢が挫かれた。その場でくずおれる様に、力なく座り込んだのだった。





 部屋の入口でしきりに声が上がる。

 曹操がそちらに視線を向けると、一人の童が尻もちをついたような体勢で座り込んでいるのが見える。

 今しがた上がった声は、その子を案じる声だったようだと曹操は悟る。


「倉舒様ですな……。奉孝が亡くなったことに酷く心を痛めておられるようです。後で、公自ら慰めの言葉を掛けて差し上げては如何でしょう?」


 曹操の傍に寄ってきた荀攸がそのように囁く。


「……それには及ばぬ」

「公?」


 曹操の意外な言葉に、荀攸は訝し気な声を上げた。曹沖を溺愛する曹操らしからぬ返事であったからだ。


「いや、恥ずかしい話だが、儂もまだ誰かを慰められるほど、奉孝の死を受け止められないでいるのだ」

「公……。公の御心に配慮もせず、軽率なことを申し上げました。どうかお許しください」

「よい。倉舒は、儂以外にも気を掛ける者が多数いることだろう」


 そう言って、この話題はもう終わりだとばかりに、曹操は軽く手を持ち上げる。


 曹操はじっと助け起こされようとしている曹沖を見た。曹沖もまた、曹操を見詰め返している。まるで、幽鬼でも見たかのような眼差しで。

 その眼差しの性質に、視線を向けられている曹操だけが気付けた。


 曹操は目を閉じる。彼の頭の中には、彼の軍師の今際の際の言葉が繰り返し響いた。


『公に、最期にお伝えしなければならないことが……』

 

 曹操の顔が苦悶の表情に歪んだが、それを見た者たちは皆、曹操が郭嘉の死を嘆き悲しんでいるのだと思った。


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