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 燦々と日差しが降り注ぐ晴天の下、洗濯場に幾人もの女たちが集まっている。

 彼女らは、曹家の身の回りの世話をする侍女たちだ。しきりに何事かを話し合っている。


 洗濯にかこつけて、彼女らが井戸畑会議をするのは毎度のことであるが、今日は常の様な華やいだ空気はなく、どこか沈鬱な空気が漂っていた。


「あれからもう六日が経つのに、倉舒様は未だ塞ぎ込まれたまま……」

「御労しいこと」

「奉孝殿によく懐いていらしたから」

「それに、親しい方が亡くなられるという経験も、これまで然程なかったはずですし。それもあるのでしょうね」

「あら、ご長兄の子脩様の折は?」

「あの時は、倉舒様はまだ一歳でいらしたから」

「そうでしたわね」


 はあ、と侍女たちの誰かが溜息を吐く。

 侍女たちが愛でてやまない曹沖が塞ぎ込んでいるとあっては、彼女らの心も曇るというもの。このような空気が流れるのも仕方のないことであった。


「何とか元気づけて差し上げたいけれど、どうしたものかしら? ねえ、鈴玉、何か名案は……。鈴玉?」

「え? あっ、す、すみません。何でしょうか?」


 侍女たちの輪の端で、一人黙りこくりながら洗濯をしていた鈴玉が慌てたように顔を持ち上げる。

 彼女は己の主である曹沖のことで物思いに耽り、他の侍女たちの話をよく聞いていなかったのだ。


「もう、しっかりおし! 心配なのは分かるが、倉舒様傍付の侍女であるお前がそのように沈んだ顔をしていたら、倉舒様は自分のせいで鈴玉に暗い顔をさせていると、自責の念を覚えてしまうでしょうが!」


 年嵩の侍女である璃璃が鈴玉を叱咤する。そうして、周囲の侍女たちの顔も見回した。


「お前たちもだよ。くれぐれも、倉舒様の前では常と変らぬ振る舞いを心掛けること。いいね!」


 彼女らは一斉に首をすくめた。




 曹沖は戸を閉め切って、私室の中に籠っていた。

 部屋に籠る一応の名目は、勉学のため、としているので、竹簡を広げた机の前に座してはいたが、そこに書かれた文字を目で追うようなことはしていなかった。

 ずっと煩悶とした想いで物思いに耽っている。


 彼の頭からは『恐怖』と『後悔』が一時も離れず、まとわりついていた。


 恐怖は、かねてよりの悩みの種であった、己の身に稀に起こる『不思議』についてである。

 どこで覚えたかも定かではないこと、あるいは、知るはずもないことを、ふとした拍子に『思い出す』という不思議。


 郭嘉との最期の別れ、あの場面でも感じた、『彼を行かせてはならない』という強い衝動。これだけなら、まだ虫の知らせというものかもしれない。


 だが、夢で父曹操が語ることになる言葉を見たのは、真っ当な理屈からは説明のしようのない不可思議な体験である。

 自分は、自分だけが、どうして斯様な不思議に度々見舞われるのか? 余りに不気味で恐ろしいと、曹沖は身を震わせる。


 そんな恐れと同時に覚えるのは強い後悔だ。


 曹沖は、小さな頃から自らの身に起きる不思議を忌避していた。――気のせいだ。きっと何かの思い違いだと、自らを誤魔化してきた。

 それが為に、あの時、郭嘉を引き留めなかったのではないか? 曹沖はそのように自責する。


 この不思議はなるほど不気味だ。避けたくなるのも仕方ないことだと、曹沖自身思う。

 だが、そのような恐れなど、郭嘉を喪うことに比べれば、一体どれほどのものだというのか!

 故に曹沖は激しい自責と後悔を覚えた。


「ぼくが引き留めなかったから、奉孝殿は……」


 つーっと、曹沖の眦から頬にかけて一滴の涙が伝い落ちる。丁度その時、彼の部屋の外から女人の声が響いた。


「倉舒様、鈴玉です。今、よろしいでしょうか?」


 曹沖は慌てて服の袖で涙を拭う。


「り、鈴玉? どうしたの?」

「長い間お勉強に励まれておいでなので、漿こんず(※重湯のようなもの。当時茶を飲む習慣はほとんどなく、主に漿などが愛飲された)をお持ちしました。一服されては如何でしょう?」

「そう……だね。そうしよう、かな」


 正直、一人きりで部屋に籠って、誰にも構われたくないと曹沖は思っていたが、折角気遣いで漿を持ってきた鈴玉を追い払うのは戸惑われて、そのように返事をする。


「失礼します」


 鈴玉が室内に入って来る。


「倉舒様、どうぞ」

「……ありがとう」


 鈴玉から漿を受け取ると、ちびちびと口を付ける。その間、視線は落ち着かなげに揺れる。

 郭嘉の葬儀からずっと塞ぎ込んで、侍女たちに心配をかけていることを彼は理解していたので、きまりが悪かったのだ。


「倉舒様、今日は良いお天気ですよ。勉学もとても立派なことですけど、過ぎれば体に良くありません。少し、鈴玉とお散歩に出ませんか?」

「…………」

「倉舒様?」


 常と変わらぬ微笑みを浮かべて言い募る鈴玉に、本当に気を遣わせてしまっているのだなあ、とバツの悪い思いをした曹沖は、仕方なく頷くこととする。

 瞬間、鈴玉が本当に嬉しそうに笑んだので、曹沖の気持ちは幾分か晴れた。


「では、参りましょう」

「うん」


 よいしょと、曹沖は立ち上がって、鈴玉と二人部屋の外に出る。

 出迎えたのは、眩しい日差しだ。

 鈴玉の言う通り、今日は本当に良い天気だったのだと、昼過ぎにもなってようやく曹沖は知る。


 抜ける様に澄んだ青空の下、あてどもなく二人散歩する。


 葬儀以来の気鬱が、それだけのことで全て晴れやしないが、それでも部屋の中に籠っているよりはいくらか気が休まるのも事実であった。

 曹沖は内心で、連れ出してくれた鈴玉に感謝する。


 そうこうして歩いていると、ふと、曹沖の視線が何やら話し合っている二人組に留まる。

 特段、気になるわけでもなかったが、何となく漏れ聞こえる声を聞いた。


「華佗老師が一旦鄴を離れて故郷に戻られるというのは本当かい?」

「らしいな」

「また急にどうして?」

「何でも、故郷に置いたままの医学書を取りに行かれるのだ、と聞いたぞ」


 ドクン! 曹沖の心臓が騒ぎ出す。そうして、郭嘉との別れの時に感じた、『あの感覚』に近いものを覚える。


 ――また……! でも……。この身に降りかかる『不思議』は恐ろしいけれど、奉孝殿の時のような後悔をする方がもっと恐ろしい!


 曹沖はそう思った。なので、一度大きく深呼吸すると、意を決して二人組の方に足を向ける。


「ねえ、その話、ぼくに詳しく教えてくれないかしら?」


 そのように曹沖は尋ねたのだった。


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