95.「おかえり」が死刑宣告に聞こえた日
「よぅ、ただいま」
そう言ったのは、私が誰より見慣れた従兄弟。
魔王のまぁちゃん、その人で。
私は救世主を見るような心持で、即座にこう言ったのでした。
「おかえりなさい、まぁちゃん!」
さあ、場が盛り上がって来ましたよ!
理由は明々白々、我らが最強魔王様! まぁちゃんが帰って来ました!
……すっかり見違えた姿になって。
あの、まぁちゃん?
私と画伯とサルファ渾身の力作、あの華麗に艶やかな女装はどうしたんですか……?
私達は、確かに。
まぁちゃんの麗しのご尊顔を、けばい化粧で彩って。
鮮やかな赤黒いドレスと、派手な尖ったヒールの靴と。
それから女郎蜘蛛を思わせる巨大なギミックを装備させて送り出したはずなのに。
なのに、現在のまぁちゃんは、何故か。
どこから調達したのか……見慣れない、やたらと豪奢な鎧を着ておいででした。
超絶美形のまぁちゃんなら、大概の衣装は何を着ても似合う感じに纏まるところなんですが……なんだか、まぁちゃんの印象と異なりますね? その鎧。
豪奢で繊細な飾りまで付いていて、技術の粋を凝らした感じで。
武装する時は大概魔法を込めた装飾品で済ませる、まぁちゃん。
鎧なんて着てるところは滅多に見ません。
その滅多に見ない機会でも、あんなごてごてした鎧は使ってなかったような。
……というか細かい傷とか、使い込んだ跡があるんですけど。
あれ? それ中古品ですか?
鎧がまぁちゃんに似合わないことはない、はずなんですけれど……。
……配色の問題ですかね?
赤い色を主軸に据え、金と黒で細部を仕上げた鎧は、なんかまぁちゃんのイメージと異なりました。ホント、なんというか……熱血? 血の気の多そうな、血気勘って感じの鎧です。
まあ、似合う似合わないはどうでも良いんですけど。
そう、どうでも良いんです。
本来はまぁちゃんが何を着ていたって文句何てありませんけど。
でも、でもね、まぁちゃん。
私達が着せたあの素敵なドレス(蜘蛛ギミック付)はどうしたの?
疑問に思いつつ、口を挟める感じじゃないので目で訴えます。
だけどまぁちゃんは私の目を中々見てくれません。
私よりも、今はセクハラ現行犯で捕獲した主神に夢中のご様子です。
……背後から掴んだ主神の首がギシギシ言ってるんだけど、それって首の骨が軋んでるんですかね?
主神はじたばた藻掻いて何とか首を掴む手を外そうとしますが……残念! 手足の長さが足りません!
藻掻いて暴れて自由を取り戻すには、子供の姿は不都合にしかならないようです。
だってまぁちゃん、がっちり主神の首を掴んでいるし。
本体を攻撃しようとしても、子供の手足じゃどっちも届かないみたいだし。
「ぐ……っく、うぅっ どういう、ことだ! 魔境の民、は、子ど……もに、弱い、ん、じゃなかったのか!」
「あ゛? 似非ガキが何言ってやがんだ。本当に子供だってんなら相応の扱いをするけどな、子供なのは姿だけな良い年したオッサンにまで優しくしてやる義理はねーんだよ!」
まぁちゃんのご意見はご尤も。
どうやら姿は子供でも、まぁちゃんには真実が明らかな様子。
外見だけ子供にして誤魔化そうとしても、まぁちゃんの目は節穴じゃないので無駄だったようです。
あざとさ全開で外見の利を押し通そうとする主神ですが、魔王様には上辺だけの幼さなんて意味はなかった模様。
今も、ほら。
微塵の情けも、容赦もなく。
とても活き活きと、まぁちゃんは主神の頭を踏みつけにしておいででした。
例え外見は美少年でも、地面に顔面めり込む勢いで踏みつけられてたら顔とか関係ないと思うの。
だけど、あんなに容赦なくぐりぐりやって良いのかなぁ……?
「ま、まぁ殿! 気持ちはわかるが抑えてくれ」
あ、やっぱりまずかったですかね?
勇者様が焦って止めようとするってことは、常識的な行為じゃないってことですよね。
だけど勇者様が慌てるのも、さもありなん。
チラチラとしきりに気にした様子で視線を送る先は……
あ、奥方様。
そういえば、奥方様が見ている前でした。
嫁の目の前で旦那さんをぐりぐりしちゃってますよ、まぁちゃん!
鎧を着こんだ超絶美青年が(外見だけは)美少年を踏みつける図!
とても奥様には見せられない光景な気がするのは私だけですかねー?
「く……っ陛下が女装のままでいてくれれば! 女装男に美少年が踏みにじられる、倒錯的で笑える光景だったのに!」
「ヨシュアン、不謹慎ですよ!?」
まぁちゃんを諫めるべき立場の部下ふたりは、なんか違うところに注目してましたけど。
仕方ありませんね。
ここは従妹の私が、まぁちゃんを止めて差し上げるべきでしょう!
「まぁちゃん、まぁちゃん!」
「ん? なんだ? ちょっと待ってろ、リアンカ。まぁちゃんは今、この不埒な若作り爺の制裁をどうすっか考えるのに忙しいから」
「いやいや駄目だよ、まぁちゃん! ダメダメ、やめて」
「は?」
私がまぁちゃんの腕をくいくい引っぱってお願いすると、まぁちゃんは何だか奇妙な顔で。
奇妙と言うか……怪訝気? なんか思い掛けないことを聞いたって顔で見てきます。
あれですね、鳩が豆バズーカ喰らったような顔ともいえます。
「まぁちゃん、その神様をぐりぐりしちゃ駄目」
「はあ? なんで? 痴漢は完膚なきまでに潰しておかないと、また湧くんだぞ」
「だってまぁちゃん、ここにはその痴漢の奥方様がいるんです! お嫁さんの前ですよ!?
奥方様の制裁分がなくなっちゃうから、それ以上はやっちゃ駄目!」
「って、そっちかよ! 止める理由、そこ!?」
なんだか後ろの方で勇者様が何か言っている気がしますが、今は構っている場合じゃありませんね。
とにかく、一刻も早く、まぁちゃんに主神を踏みつける行為をやめてもらわないと。
だって約束じゃ、奥方様が締めあげることになってるんですから。
約束は破っちゃダメですよね?
私が奥方様の存在を訴えてやめるようにお願いすると、まぁちゃんは訝しげだった表情を一気に晴らしました。納得した、と顔が既に告げているほどです。
「んだよ、嫁がいたのかよ。先に行ってくれりゃ良かったのに」
言いながら、殊更にぐりぃっと捻りが加えられる足元。
あれー? 主神の呻き声が止みませんねー?
「嫁が側にいるってわかっていれば、俺だって……」
「気遣いは無用。お前がこの娘の身内であるというのであれば、無体に対する制裁は当然の行いだ」
言いながら、何故か主神を踏みつける行為を辞めないまぁちゃん。
その眼前にすすすっと歩み寄るのは、奥方様。
……奥方様も、何故か主神への暴力行為を止めようとはしませんねー。何故か。本当、何故か。
むしろ鷹揚に構える感じで、まぁちゃんに深く頷きかけます。
「ただ、正妻の取り分を残してくれれば構わない」
そう言って、何故か奥方様はすすっと足の爪先も見えない丈のスカートを摘まんで。
その小さなおみ足を、そっと主神の頭に乗せました。
「……なんだ、この光景」
勇者様がなんとも言い難い、微妙な顔をしています。
だけどもう、まぁちゃんを止めようとはしません。
何故なら、いま、まぁちゃんは奥方様ととっても仲良さそうに。
「俺、右側やるから。あんた左な」
「左様か。では、早速」
ふたり並んで、主神の頭を踏み躙っているから。
主神の呻き声が止まりません。
「背の君……婚姻の申し込みの時、妻とするはわたくしだけと。あの言葉の空々しさ、この胸の虚しさを理解していただけるのは、いつになったら叶うのであろうな」
淡々と、無表情で。
恨み言を一定の音程で感情籠めずに語り続ける奥方様が怖いですね!
まぁちゃんも何か思うものがあったのか、奥方様から目線を逸らしてぐりぐりしています。
でもふたりとも、一向に踏むのを止める気配がありませんね。
このままずっと踏み続けるつもりなんでしょうか……?
流石にそれは、人外への道を踏み出しつつある勇者様に残された猶予的に、ずっとは付き合っていられないんですけど。
「あに様、あに様、それなんの遊びですの? せっちゃんも参加いたしますのー!」
「いや待て、せっちゃん。残念ながらこの野郎の頭のでかさ的に定員は二名なんだ」
「せっちゃん、一緒に遊んじゃ駄目なんですの……? 残念ですの……」
「………………俺の代わりに踏むか?」
「いや、待て。なんでそうなるんだ、まぁ殿。しょんぼりした妹君が可哀想だからって早まるのは止せ! 確実に情操教育に響く行為だから!」
「は……っ俺は今、なにを!」
「そういえば、まぁちゃん。どうしてここに?」
「んー? いやな、せっちゃん探しに飛び出したは良いが、出先で美の女神の所在を掴んでな。まんまと遭遇したは良いが、あの女、逃げ足が滅茶苦茶速ぇんだよ」
「なんと。え、まぁちゃんから逃げ切ったの?」
「勿論、逃がす気はねえ。だから追いかけたんだがな、途中であの女が男に助けを求めやがった。どうもあの女の情夫っぽい感じの、うぜぇ野郎にな」
「――それは、その鎧の持ち主のことであろう。何故、お前がその鎧を纏っているのかと不思議に思うたが、成程な」
「ん? 奥さん、あの野郎のこと知ってんのか」
「無論のこと。お前が纏う鎧は、我が息子の物。お前の言う美女神の情夫とは我が息子のことであろう。あの愚息は、以前より美のと関係があったからな」
「へー……あれ、アンタらの息子だったのか」
「なあ、まぁ殿? 何故か和やかに話しているが……その神の鎧を、まぁ殿が着用しているということは………………女神を守ろうとした、その神はどうなったんだ?」
「…………俺が着てた服、ボロボロになっちまってな」
「は?」
「ちと交換してもらってな。今に至る」
「「「………………」」」
勇者様も、難しい顔をしていましたけど。
まぁちゃんがどんな服を着ていたのか知る、私達の目線はそれぞれ彷徨いました。
駄目です、奥方様を直視できません……!
どうやら私達の知らないところで、筋肉の女装が一体増えていた模様。
でも流石に、『女装』だなんて……親御さんの目の前で言えませんよ!?
運悪くまぁちゃんに『衣装の取り換えっこ』をさせられてしまった、哀れな被害者。
だけどまぁちゃんに着せられたドレスが、その……度重なる激しい戦闘行為やら何やらで、ボロボロになっていて、見るも無残な有様だったとか。
そのことを私達が知ったのは、少し後の事でした。
「取敢えず、まぁちゃん。美の女神を追跡してたんだよね?」
「ん? ああ。まあ、途中でせっちゃんの魔力の波長拾ったから、この近くまで来たんだがな。そうしたらなんかリアンカに助けを求められてるような予感がしてよ……」
「そうしてここに来た、と」
「偶然にしてはいやに測ったような登場だと思ったら。まぁ殿、野生の勘にしても鋭すぎやしないか」
「何にしても、私は助かったので文句ありませんけど」
「せっちゃんは大喜びですのー! あに様が来てくれて」
にこにこと笑って自分の胴に抱き着いてくる妹の頭を、ぽんぽんと撫で叩き。
まぁちゃんは魔王と己の嫁に頭をぐりぐりされている主神を見下ろした。
「でも、そうだった。美の女神が近くにいる筈なんだよ。つまり、このエロ爺にいつまでもかまけている暇はねぇんだが……けど放置も癪だな。どうすっか」
「こちらとしては引き渡してもらいたいのだが」
「んー……」
力を入れて夫の頭をぐりぐりする奥方様を見て、まぁちゃんは何かを暫し考えているようでしたけど……何か思いついたのでしょう。
ふと納得したような顔をして、どこからともなく小さな水晶玉を取り出しました。
水晶玉っていうか……アレ、確か魔道具でしたよね。
「リアンカー、竜共、あとヨシュアン。ちょっとその辺の土地整えろ。五m四方くらい」
「整えるって、どんな感じで?」
「リアンカの お 好 み で」
「……まぁちゃん、それってちょっとしたフリーダム宣言だよね? 好きにしていいなんて言われたら、私本当に好きにするけど」
「だから好きにして良いって。畑作ろうが毒草園作ろうが、マンドラゴラやらマンイーターやら魔境植物植えようが好きにしろ」
「あ、本当に好きにして良いんだ」
まぁちゃんが何をするつもりか……なんとなく察したので。
私達は本当に、言われた通りに。
私好みに、場を整えました。
森の中で見つけた、打ち捨てられた東屋を北東にして。
その南側に切り倒した木を使ってベンチを作り。
それ以外の場所は、良い感じに素敵な庭園となりました。
ただし可憐な花と思いきや、植わっているのはほぼマンドラゴラの改良種です。
花だけは綺麗なんですよね。花だけは。
花壇の真ん中には石を積んで、ロロイと画伯協力の下、即席にしては良い感じの噴水が設置されました。だけど噴水周辺の植物だけマンイーターにしてみました。
普段は綺麗な花に擬態していますが、人と認識した生物が接近するや否や本性を現して襲い掛かって来る魔境お馴染みの魔植物です。
他にも面白そうな植物を何点か、植えてみましたけど。
全部、端から見る分には綺麗なんですよねー。
「まぁちゃん、整え終わったよ」
ここまでの製作時間、わずか三十分。
子竜達の力技と魔力と、ヨシュアンさんの器用さと謎の知識を総動員して強引に見栄えだけは素敵に整えました。
「おー、思ったより小綺麗に纏まったな。んじゃ、この場の真ん中に主神を設置して……」
私達がお庭造りをしている間、ずっとまぁちゃんと奥方様に踏まれ続けていた主神はなんだかぐったりしています。大丈夫ですか、それ。生きてます?
一応、生きてはいるのでしょう。
まぁちゃんは主神をお庭の真ん中に置くと、その場をさっさと離れました。
全員が、五m範囲の中から離れたのを確認して。
まぁちゃんが水晶玉を掲げます。
「まぁ殿は何をするつもりなんだ……?」
「なんとなく、わかりますけど。あの水晶……私の記憶が確かなら」
あれ、スノードーム作るヤツじゃありませんっけ。
「え?」
「それ、本来の使用用途じゃねーからな? 正確には、自然に近い環境で何らかの動物や魔獣を捕獲、あるいは罪人なんかを隔離する為の道具だから」
「えっ?」
「え、そうだったの?」
「これに閉じ込められるような罪人も、近頃はいなかったしな。つうか、いてもリアンカに見せやしねーし」
本来の使用目的は、なんらかの生物の隔離?
つまり、今回の場合は……
まぁちゃんが魔道具を発動させると、鋭い光が大地に走って。
眩しい光が止んだ時、私達が整えた小さなお庭は消失していました。
主神ごと。
そうしてまぁちゃんが手に持つ小さな水晶玉の中に、それらは全部移動していたのです。
まぁちゃんは水晶玉が問題なく主神を取り込んだことを確認すると、躊躇いなく奥方様に引き渡しました。
主神は何が起きたのかわかっているのか、いないのか……
美少年姿のまま、きょとんとした顔で。
上体を起こし、きょろきょろと周囲を見回しています。
わあ、滑稽。
「おや、可愛らしいこと」
水晶玉を両手の中に納め、奥方様がうっすらと微笑みを浮かべます。
なんだかちょっと寒気がするのは気のせいでしょうか。
「水晶玉を割らない限りは、このままだ。けど持ち主として登録しとけば、一時的に中のモノを取り出したりもできるぜ。水晶玉を割らない限りは一時的、に限るがな。あ、あと水晶玉を全力で振ったら簡単にお仕置き出来っから」
「なるほど。これは良い物をもらってしまったな」
なんとなくご満悦と言うか、満足そうな奥方様。
その掌の中でまだ自分に何が起きたのか把握できていない主神。
……なんだか、先々の主神の運命が見えてしまったような気がしました。