94.「ただいま」が殺害予告に聞こえた日
少々間が空いてしまいました。
待っていてくださった方々には申し訳ありません。
今、私はなんだかとっても珍しく貴重な光景を目にしているような気がします。
『主神の土下座』っていう、滅多に見られなさそうな光景を。
もう字面だけで凄いですよね?
でもそれよりも凄いのは、さしたる抵抗を見せることもなく、粛々と土下座を披露してみせる主神だと思いますけど。これが主神……。
軽く腕を組み、冷厳な眼差しで主神を見下す奥方……ご自分の妻を前に潔い屈服姿勢です。
少なくともこの里では最も偉い神様の筈なのに、その土下座はとっても綺麗で堂に入っていて。
なんか詳細を聞かなくっても、土下座しなれている感じがひしひしと伝わってきます。
だって板についてるんですよ? 偉い神様としての矜持はどこにやったんですか。
神様ってだけでも誇り高そうなのに、その頂点。なのに人間の前で土下座とかしちゃうんですね。
主神ってなんでしたっけ。首を捻る私がいます。
なんでこんなことになったのか。
それはもう考えるまでもなく明らかだとは思います。
思います、けど……一応、こうなった経緯を思い返してみましょうか。
~十五分前~
いきなり茂みから身を躍らせて飛び出してきた私に、勇者様達はともかく主神は目をまん丸くして驚きを顕わにしていました。だけど驚きつつも、その反応は疑問を挟まないモノで……いえ、疑問を切り捨てた感じで。むしろ大歓迎でした。
……うん、大歓迎でした。
「おねえちゃん、どこから来たの? 人間? このお兄ちゃんたちのお友達かなぁ!?」
目の奥に好色そうな色を狡猾に隠しつつ、その顔はぱっと見だけなら無邪気な子供のもの。
少年らしさ、見た目の幼さ全開ですり寄って来ます。
……どうやら、私が少年にしか見えない主神の正体を把握していないものと踏んでの行動みたいです。
そう、自分が偉い神様だなんて……ましてや好色変態浮気野郎のレッテルがぴかぴかと輝く主神だとは気づかれていないものという前提で、偽りの姿を前面に押し出してここぞとばかりに甘えてみることにした模様。
主神は一目で私が人間だとわかっているのでしょう。
人間には神の正体を見抜くなんて不可能だと思っているのでしょうか。
本当にバレてないと思っているのか、邪気の無い少年みたいな顔をして……否! 装って私に媚び売って来るんですけど!
実際見抜いたんじゃありませんし、私は事前に情報を聞いて知っているだけですけど。
無垢な少年のふりをして、主神はあざとく子供の武器を再高威力で放ってきます。
その正体を知っている身としては、失笑ものですけど。
というか今まで、私はこんな風に誰かに接されたことがありません。
いつだって魔境では、私の背後に控えるまぁちゃんにみんな遠慮して、こんな扱いを受けたことがない訳で。
私にとっては新感覚。でも別に知りたくはなかった感覚です。
これが本物の子供のすることなら、可愛いと許容できたでしょう。
でも中身が変態好色浮気野郎なら話は別です。
私は今まで味わったことのない嫌悪感で全身を震わせました。
「あ、ちょ……太腿に頬擦りするのやめてくれませんか?」
こんな辱めを受けたのは初めてです!
特に今は、下にスパッツを穿いてはいますけど、普段と違ってこんなに短いスカートなのに!
スカートはまくれるし、大胆に接近接触されて悍ましいしで。
そんなにほっぺぐりぐり押し付けられても、全然可愛くないですから!
「ちょ、やっ……駄目! 太腿に頬擦りしないで―――っ!!」
私は思わず、助けを求める叫びを上げていました。
選択肢は限られます。
勇者様(女装)とりっちゃん(女装)とヨシュアンさん(女装)とサルファ。
それからせっちゃんとご先祖様ですが、せっちゃんは主神の標的がそっちに移っちゃったら大変なので論外です。
さあ、この中の誰に助けを求めてみちゃう?
私は即座に、心を決めていました。
「みぁぁあああ!? 助けて下さい、奥方さまー!!」
「!?」
選んだのは奥方様でした。
ここで確実に助けて下さるであろう、加えて相手への精神的打撃力の最も高い方を咄嗟に選んだ自分凄いと思いました。
そして私の呼びかけに答える様に、満を持して姿を現す奥方様。
そのお顔は静謐なものでした。
静謐、でしたが……その気迫は、何となく「ボス」とでもお呼びしたくなるものでした。
その顔を視認するなり、主神の体が自然と動きを見せます。
主神は嫁の姿を見るなり、全面降伏……見事な土下座をご披露くださいました。
まるで条件反射のような、無駄なく淀みない動き。
此処まで殊勝な態度が体に、骨身に刻まれるなんて今まで奥方様が何をしてきたのか……主神にとってどんな存在か、どれだけ大きな存在か否応なく推し量れるというものです。
「我が背の君、このような場所で、何をしているのか。この妻に教えてはくれまいか……?」
一つ一つ、音節を区切って。
いっそ優しく聞こえるくらいに、穏やかでゆっくりとした口調で。
なのにその響きはまるで凍てつく永久凍土からの使者を連想します。
感情を見せない奥方様のお声に、主神の背がぶるりと震えました。
「我が君?」
主神の怖いもの→己が嫁。
でも恐怖はしていても、懲りないというか。
……反省はしていないようです。
主神は、何故か。
蒼白な顔で、さり気無く勇者様を盾にするには最適な位置まで下がっていた私目がけて、唐突にダッシュしてきました。え、なんで私にむかってくるの!?
「ち、ちっくしょぉぉぉおおおおおおお……っ! どうせ怒られるの確定だっていうのなら、若い女体の柔らかさを堪能してやる! 堪能してからでもないと怒られるなんて割にあわーんっ!!」
なんてこと言うんですか、この(中身は)スケベ爺。なにその超理論。
凄い気迫でした。
凄い気迫、なんですけど……凄いけど尊敬は出来ない部類の凄さってありますよね。
率直に言ってドン引きです。
その決心を実行に移したが最後、己の末r……どうなっちゃうのか、どうして考えないのか。想像力の欠如がちょっと酷すぎません?
それとも考えて、これですか?
いやいや、流石にそれは有りませんよね?
………………ありませんよね?
私はずっと、奥方様が……ご自身の妻を目の前にすれば、観念するものと思っていました。
なのに叱られる空気を察して、なお、こんな暴虐に走るなんて……信じられません。
思いもある寄らなかった主神の行動に、私は驚いてしまいました。
驚いて、身がすくんでしまいました。
向かってくる主神を、避けれそうにない。
そもそもからして、そんなに身体能力が高い訳じゃないのに。
私に出来るのはぎゅぅっと目を瞑って、訪れる不快な現実に耐える準備をすること。
不本意極まりないですが、それしか出来ませんでした。
「な……っさせない!」
勇者様が私の眼前で、動く気配。
自発的に私の前に身を乗り出す気配がしました。
主神との間を遮るように、私の盾になろうとするかのように。
このままなら、私より先に勇者様(女装)が主神にお触りされちゃうことに。
「勇者様! 私の為に犠牲になろうだなんて――!」
予想した未来が現実となることを、私は恐れたのか。案じたのか。
それとも面白がって拝見したいと思ったのか。
自分でも、自分に発生した衝動がよくわからないまま。
私は目を見開き、勇者様の肩を押さえようと手を伸ばして。
そして。
……そして。
見慣れているけどちょっぴり懐かしい、相変わらずの美貌のその人を見つけました。
見つけた、というか……ほぼ眼前に迫りつつある主神の、その背後。
私みたいに目を瞑ったり、逸らしでもしないと目に入っちゃうような場所に、いつの間にかいたんですけど。
見慣れた顔。
私の見慣れない姿……装束を纏っているけれど。
だけどどんな服を着ていようと、私が間違えようもない……
「――てめぇ、俺の妹分に何しようとしてやがんだ。あ゛?」
私がその姿に気付くとほぼ、同時に。
その腕は素早く伸ばされ、背後から主神の首を鷲掴み。
速い速度で動いていた主神は、首を基点に急制動をかけられ、ぐえっとなっている様子。
それじゃ飽き足らないとばかりに、酷薄な笑みを浮かべるその人は……
「まぁちゃん!」
「よ! ただいま」
主神の首を絞めた鶏を持つみたいに掴んだまま、まぁちゃんは片手をあげて挨拶してくれました。
見慣れない衣装も素敵です、まぁちゃん。
状況が状況だけに、輝いて見えました。
まだ物事が全部片付いた訳でもないし、主神だって急に首を掴んで止められたことに目を白黒させて咳き込んでいるばっかりで、それほどのダメージはない様子なんだけど。
でも、何故でしょう?
私の大事な従兄弟のおにーさんで、幼馴染で、保護者様。
そんなまぁちゃんがそこにいるってだけで、私は無限の安心感を持ってしまっていました。
もう大丈夫だ。そう思ってしまうのです。
これで助かったと胸を撫で下ろす私の前で、勇者様が夕食の食卓に並んだお魚さんみたいな目をして言いました。
「終わったな、主神……」
なんだか万感籠っている感じのお言葉ですけど。
それ、どういう意味なんですカネー。
脈絡もなく、ついにまぁちゃん帰還!
さあ、どうなる主神。
a.吊るされる。サンドバックだ!
b.蹴り転がされる。ボールは友達!
c.アイアンクローで潰される。トマト!
d.去勢。
e.とびっきり可愛くされる。
f.嫁によるお説教。耐久42時間