92.信者――信じるものは、地獄に落ちる
実は画伯の信奉者であることが発覚した主神。
というか自白しちまった主神。
物陰に潜んで見守る私達も、思わず手に汗握ります。
むしろ主神そのものよりも隣に無言で佇む奥方様が気になります。
なんかさっき、手に握っていた扇をへし折ってからずっと無言なんですよね……
主神、やっちまったなという空気が私達の間に漂っていました。
明らかに勇者様の誘惑は失敗していましたが、なんかもうそんなことも気になりません。
画伯のお陰ですね。
ええ、画伯のお陰で面白くなってきました。←他人事
嫁が潜んで聞いているとも知らず、彼は憧れの作家を前に高揚しているようでした。
というか画伯、一体どういうことですか。本当にどういうことですか。
本当に、もう……天界にまで手が伸びていたなんて、画伯の才能が恐ろし過ぎます。
主神は憧れの作家(笑)との出会いにとっても大はしゃぎですが……
果たして主神の命運や如何に? って感じですかねー。
ここはちょっと画伯に期待しましょう。
面白い方向に走るよう、上手に誘導してくれたら素敵なんですけど。
先行きを期待して、物陰からこっそり出した合図の手信号。
ちらりと横目で捉えた画伯は、確かにしっかりと頷いてくれました。
期待、大です。
私達からの期待、そしてそれに対する思惑を悟らせることなく。
素知らぬ顔で画伯は主神との会話を進めていました。
この真意を少しも漏らさない平常心っぷり……流石は情報の扱いにも長けた軍人さんです!
本職は軍人さんだってこと、今の今までつい忘れていましたけど!!
「私からの手紙に目を通してくださっただけでなく、名前も覚えていてくれたなんて……!」
「いやー……あはははは。忘れはしないさ。『雷神王』さんからの手紙はどれも印象的だったし。……特に要望とか、お便りに書いてくれたネタに関して、とか…………。過激でコアなの、多かったし?」
『過激』で、『コア』ですか……
野郎共の欲望の代弁者ともいえるカリスマ☆画伯が、そんな風に評するとは。
一体どんな際どい内容だったんですか。
……いえ、何が書いてあったのか、知りたくありませんけどね?
「ね、聞いて良いかな」
私の「えー……」という感情とは、裏腹に。
魔境を代表するエロ画伯はにっこりと完璧な笑みを浮かべました。
完璧すぎて、仮面じみた笑みで。
内面を綺麗に覆い隠した人懐っこい笑顔という、見る人によっては胡散臭く感じる笑顔で。
既に自分に相手が好意的だと知っているからこその出来る顔ですね。
不自然なのに含みを相手に気付かせない、そんな顔で画伯は目をキラキラさせる主神にこう言ったのです。
「『雷神王』さんの送ってくれたネタって、やけに具体的なのが多かったけどさ……もしかして、実体験、とか?」
そこは、不用意に踏み込むのはちょっと厳しい領域だと思いましたけど。
むしろ踏み込まれたことで嬉々とするヒトっているんですね……ええ、そうです。嬉々として。
嬉々として、主神は画伯の問いに肯定しました。
なんだか待ってましたとばかり、聞いてほしそうな空気が発生しています。
そして主神が肯定した瞬間、私のすぐ近くから……二本目の扇が、無残にも真っ二つにも圧し折れて真っ二つになる音が聞こえました。鈍い破壊音でした……。
これは……!
奥方様の戦意の高まりを感じます……!
主神様、主神様、良いんですか!? 肯定しちゃって良いんですか!
百mと離れていない後方に、聞いちゃっている方がいるんですけど!
恐らく主神にとって聞かれてはならなかった相手であろう、奥方様が鎮座しちゃっているんですけど!
主神の肯定を、奥方様の扇を圧し折る音を聞いた瞬間、私達は思いました。
主神、終わったな……って。
既に命運は決し、これからどんな流れで主神は地獄に行きつくのかと……今後の展開を思い、私達は息を呑みました。
緊張とか、焦燥とか、そういうものではなく。
対岸の火事を見守る、野次馬としての……目を離せない場面を前にした、好奇心からの反応です。
「……へ~? そっか、そっか、実体験かぁ……さっすが主神サマ! すっごい経験豊富なんですね! 実体験ってことは体験談いっぱい持ってるんじゃない? 聞かせてくれたらすっごく参考になるんだけど。ねえ、良ければ是非とも聞かせて……いいや、取材させてほしいね。今後の作品をより豊かにするために! 手紙じゃ書ききれなかったこと、紙面に収まらなかった細々としたことを……今後の作品の幅を充実させるためにも、教えてもらえる限り『雷神王』さんの経験談を語って聞かせてほしいとこだよ!」
憧れの作家に、そこまで言われたら読者冥利に尽きるんでしょうね……
主神の顔は、より一層ピカピカと輝き……尾を振る犬を髣髴とします。
画伯の今後の作品に影響できる、関われる。そう思ったんでしょうね。
あれは意思を確認するまでもありません。
画伯に求められたら、ほいほいと包み隠さず躊躇い無しで語り尽すつもりです!
むしろ自分から不必要なことまで全部暴露しちゃいそうな顔をしています!
ええ、本当に大喜び。
そこに水を差すのも申し訳ないのですが……私は、見逃しませんでした。
さりげなくりっちゃんが、筆と紙を待機させていることを。
あれ、自供の証拠……にはならなくとも、記録を残す気ですよ! 絶対に!
ここで奥方様が聞いている時点で、もう既に主神はアウトなのに!
りっちゃん、容赦ないね……
主神、成仏しろよ。
私はそう思わずにはいられませんでした。
そうして自分の破滅への片道切符を意気揚々と切り落とし。
主神が何かを語り始めたのですが……
ぱふ。
私の耳を、誰かが塞ぐ感触。
見上げてみると、そこにあるのはご先祖様のお顔です。
「ご先祖様?」
「耳が腐るぞ。リアンカちゃん、セトゥーラちゃんの耳を塞いでやんなさい」
異論はありません。
私も敢えて聞きたくはありませんし、せっちゃんに聞かせるのも以ての外です!
「せっちゃん、せっちゃん」
「はぁい、リャン姉様! それ、どういうお遊びですの?」
何かの遊びと思って、素直に身を摺り寄せて来るせっちゃん。
私はそんな可愛い従妹の両耳を、自分の両手でぱふっと塞ぎました。
ロロイとリリフの方も、聞きたくなかったんでしょうね。
互いに互いの耳を塞ぎ合って、主神の語りを遮断しています。
いま、ここで。
後方で身を潜めている私達の中で、主神の話に耳を傾けているのは奥方様と、伝令神のみとなりました。あ、あとご先祖様。
主神が何を言っているのか知りませんけど……意気揚々と身振り手振りを加えて熱弁を振るうのに合わせて、段々と奥方様の目が細められ、危険な目つきになっていきます。
気のせいでしょうか? なんか冷気が漂ってきたような。
後方の私達だけでなく、途中まで話を聞いていたらしい勇者様も今となっては自分で両耳を塞ぎ、端っこに蹲って主神の声を拒んでいます。
ぷるぷる小さく、勇者様の背中は震えていました。
……勇者様の許容量を超えるお話をしているんだろうなぁ。
話を聞いている画伯は、さっきと変わらないにこにことした仮面の笑みのままだし。
りっちゃんは……筆を走らせる手つきが乱暴になってきていますね。あ、良く見たら青筋。
気持ち良く語っている主神以外は、はっきり言って微妙な空気を纏っている気がするんですけどね?
憧れの作家に出会って、気が高ぶってるせいで気付いていないんだろうなぁ……。
やがて、一通り語りが終わったのか。
それとも語らせ続けたらキリがないと思って誰かが話を断ち切ったのか。
ともかく、主神の『体験談』が一応の終息を見せたようで。
ご先祖様が私の両耳を開放してくれたので、私達は再び彼らの会話を聞き取るべく耳を澄ませました。
画伯が、笑顔のままで主神に言います。
「さて、『雷神王』さんにはここまでに沢山語ってもらった訳だけど。今、語ってもらったのってさ。
――妻帯者だったら、お嫁さんに知られたら終わりじゃね?」
画伯がそう言った瞬間。
主神が固まりました。
目には誤魔化しようのない恐れが滲み、小さくカタカタと指先が震えているような。
遅い、遅いよその反応……!
今更としか言いようのない反応に、もっと危機意識を持てと言いたくなります。
だってもう既に、手遅れなのですから。
だけどそんなこっちの事情はおくびにも出さず、画伯はにぃっと口端を吊り上げて笑いました。
「この、リーヴィルが書き留めた記録だけでも奥さんの目に触れたらアウトだと思うんだけど……主神様? この記録と引き換えに、どんな対価を俺らに支払ってくれる?」
何度も重ねて言いますけれど、もう既に主神の自白した内容は奥方様の耳に入っちゃっている訳で。
今までのアレコレ、画伯が聞き出してりっちゃんが記録を取った内容は、記録を渡されるまでもなく奥方様が自分の耳で聞いて、把握済みなのですが。
そこを主神が知らないのを良いことに、画伯はとんでもないことを言いました。
既に回収する意味のない、手遅れなネタで主神を脅迫し始めるなんて……!
とんでもないやつですね、ヨシュアンさん流石です!
こんなに無意味なネタで利益を上げようなんて、『一枚上手』感が凄いです。
ヨシュアンさんのこういう面を見ると、ああ軍人さんだったなぁと改めて思います。出来る大人って感じがしますね。普段はただの美意識高いカリスマ☆画伯ですけど。
これが『効率的』というものなのでしょうか。素敵です。
さて、既に自分の首が締まっていることにまだ気付かぬ主神様は……画伯の質問に、なんと答えるのでしょう。
即ち、自分の浮気の証言記録を回収する為に、どんな対価なら支払えるのかを。
奥方様が浮気夫の前に降臨する前に、是非ともそこの答えを聞いておきたいところです。




