89.既定路線を外れたけれど、これはこれでまた既定路線
背後に迫り来る、恐ろしい気配。
物騒な空気と得体の知れない物音を周囲に撒き散らし、そいつらは俺を襲おうと歯牙を剥く。
……否、歯牙ではなく、触手を。
空気を介して気配を肌に感じる度、俺は急き立てられずにはいられなかった。
「捕まって、た、ま……っる、かぁぁあああああああああ!!」
今、自分の力は常の全力より出ている。
百二十%出ている。
そう、実感しているのに……現実は、自身の感覚を裏切っていた。
「くそ、なんで……っ」
確かに、限界ギリギリを超えて力は出ているはずなのに。
なのに何故か、体の動きが鈍い。
妙に体が重かった。
何かに、背に乗られているんじゃないかと疑ってしまうくらいに……あ、翼か!? 翼が重いのか!
天界に来てから、何故か俺の背中には三対六枚もの翼がばっさばっさと生えている。
特に役に立ちもしないのに、異様なこの存在感。
これが全身の動きを鈍らせる程、重いのかと……そう思っても不思議はないよな?
一瞬、納得した。
だがすぐに自分で頭を振る。
これは、そんな重さじゃない……全身にねっとりと纏わりつくような…………まるで、何かに呪われて乗り移られているような………………
「……止めよう! 考えると何か怖い!」
俺は思考を止めた。
それよりも、今は余計な事を考えるよりも。
背後から迫る、異形の鳴き声。
それがずぶずぶと背中に刺さる。
「今は他所事を考えている余裕なんてなかったな……!」
そう、今は何よりも逃げることに専念するべき時だった。
だが。
「おぎゃあああああああああああああっ!?」
「な、こども……!?」
巻き込み事故を起こしたとなれば、流石に話は別だ。
それもあんな……年端もいかない少年が相手となれば。
主神(風聞によると女性に対して誠実さと責任に欠けるロクデナシ)を巻き込むつもりで、無関係な巻き添えを出すなんて……!
必死に逃走しながらじゃ、子供を救う為に迅速に動くことすら出来はしない。
だけど巻き込んでしまった責任が俺にはある。
いや、責任云々じゃなく……子供は、助けるものだろう!
ここはこの少年を無事に逃がす為に動くことが最優先だ。
俺は逃走経路をずらし、少年へと手を伸ばそうとした……ん、だが。
結果的に言うと、俺が手を出す余地はなかった。
取り乱しながらも、その動作や判断には冷静さを失うことなく。
少年が、異形の大行進最先端を走るイソギンチャク共に、まっすぐとその指を向けた。
「何人……ひと???……何者であろうと我が前を阻むこと許さず! 我が鉄槌を喰らえ」
そう、存外静かな口調で少年が宣告すると同時。
少年の指先から電光が迸り、それに誘発されたかのように……天から雷が降り注いだ。
凄いな、初見であのイソギンチャクを前にしながら、それでも咄嗟に動けるなんて。
まさに雨の如く、無尽蔵に。
森を、更地にする勢いで降り注いだ。
他人に構っている余裕が消える。
俺も俺自身の身を守ることで……雷を回避することで精一杯だった。
「雷を生身で避け続けられるとか、一般的な人間の範疇超えてますよね」
「やっぱり人間辞めてるな」
「シッ……本人は無意識なんですよ。気付くまいと頑張ってるんですから、そっとしておいてあげましょう」
延々と雷を降らせ続ける少年は、どう考えても只者じゃない。
それは、ここは天界なんだから、この地にいることを考えても神であることは疑いようがないんだが……今まで、もう何柱も神々を見てきた。
その数は多くないけれど、何となく他の神々を見て、察するモノがある。
基準だ。
俺が見てきた神々は、下位から上位まで万遍ない。
だから、その力量でどの程度の位階にいるのか、何となくわかる。
……この少年、明らかに中位や下位じゃないだろう。
雷を無尽蔵に降らせ続ける、それもこの威力で。
こんな所業を可能にするのは……どう考えても上位の存在だ。
上位の神で、この時、この場に、タイミングよく居合わせた男。
そして、合わせて脳裏に浮かんだのは……肩書に見合わぬ若さの外見で俺達の前に現れた主神の正妻。
伝承によれば神々の姿は変幻自在、外見の若さや美醜に捕らわれることはない。
真の姿とされるものはあっても、その意思で神々は自由に姿を変えることが叶うのだと。
かつて古文書で詠んだ、その事実を合わせて考えれば自ずと答えは見えて来る。
「まさか……この少年が、主神か!?」
予想外の姿に、顔が引き攣った。
この幼いともいえる外見で、浮気三昧……。
いや、あの少女の姿をした奥方様と並び立てば見合う年頃だし、それこそお似合いだが。
だが、なあ……どうしても、顔が引き攣る。
俺は、女性のふりをしてこんな少年に化けた男を誑かさないといけないのか……?
百戦錬磨な(見た目)少年を、誑し込んで騙そうとする二十歳の女装男。
字面からして、なんかアウトな気がする。
なんだか酷く、その……倒錯的な真似に及ぼうとしているような気がして、物凄く気が滅入った。
悠長なことをしていられる状況でもないことはわかっているつもりだった。
それでもつい頭を抱えそうになり、慌てて自制する。
そんなことをしている場合でもない。
だけど周囲の状況は、そんな俺を嘲笑うように……頭を抱えるどころでなく現実から逃避したくなるくらい、無情にも走りだしていた。
……ななめ上方に。
魔境生物を舐めていたつもりはない。だけど予想を超えた。超えてきた。
あれらが俺の予想の範疇を軽々と飛び越えるブツであることは重々承知していたつもりだったが甘かったらしい。
どうなっているんだ、イソギンチャク。
怪物としか言い様のない生物でも、流石に『主神』と呼ばれる存在(推定)に思いっきり攻撃を喰らって、無事なはずがない。そう思った。
見通しが、甘かった……。どうやらそれは俺の思い込みだったらしい。
本当にどうなっているんだ、魔境生物。
主神の雷撃を喰らって、しびびびび☆とのたうつ様子を見せたイソギンチャク。
しかし雷の第一陣が駆け抜け去るや、六体のイソギンチャクは横一列に並ぶ。
並んで……揃った動きで、同時に動き始めた。
全く同じ動きを、同じ呼吸で。
あまりに動作が揃うので、バッバッバッと効果音まで聞こえてくる気がした。
六体並んだイソギンチャクは一斉に仁王立ちから……胸の前で二対の両手を揃えて合掌。そこから指先だけを合わせる形で菱形を象り……それから、何故か六体それぞれが思い思いに別の…………マッスルポーズに移行した。
まるでこちらに筋肉を見せつけようとするように、堂々たるポージング。
おい、イソギンチャク。どうした、イソギンチャク。
屈強を絵に描いたような筋肉が、動きに合わせて躍動する。
分厚い肉の鎧に包まれた、ライトブルーの異質な質感。
それが、なんか雷をはじいた。
それも一度や二度じゃなく、間断なく。連続で。
まるで肉体に塗された油分か何かで跳ね返すように。
しょうげきてきな こうけい だった。
そしてそれは、俺よりも余程……攻撃を放っていた主神(仮)にとってこそ、衝撃であったらしい。
つまり、なんだ、その…………主神(仮)が、錯乱した。
気持ちはわかる。
「ぴ、ぴやぁぁぁあああああ……!!」
可哀想に……きっと、免疫がなかったんだな。
後で聞いたことだが、度々魔王が魔族を率いて遠征に来ていた影響で、神々にはすっかり魔境を忌避してしまう風潮が完成していたらしい。当然だが、必要以上に魔境と関わりたがることもなく。魔境に不必要に近づくことは滅多にない。
そして魔境から天界に乗り込んでくる魔族といえば、強者との血沸き肉躍る楽しい戦闘を求める戦闘狂ばかり………………戦闘を楽しむ、という思考が発生するのはある程度知力と余裕のある証だ。
つまり原始的な本能に支配された知能の低い動物や魔物や魔獣や怪物の類が、天界に接触することはない。魔境生物と天界の神々が遭遇する確率は殆ど零に等しい。
主神は、魔境に足を運んだことがないそうだ。
……免疫がないのも当然だな。
同情を寄せる俺の眼差しは、見事に死んだ魚そっくりだったらしい。(リアンカ談)
錯乱した主神(仮)がなんだか滅茶苦茶に、全方位に向けて見境なく電撃をばら撒き始めた。
完全に視野が閉ざされて『敵』の正確な位置を見失っている……。
あんなに堂々と、目の前にいるのに。
……いや、見たくない余りに意識が視界を閉ざしているのか?
まるで全身に襲い掛かる恐怖を振り払おうとするみたいに、無尽蔵に振りまかれる雷。
それはまさに暴虐を体現するかのようだ。
思考を放棄した無差別攻撃。
なんかもう俺の方が……この場で危ないの俺だけなんだが。
だってイソギンチャクは相変わらず雷を弾いているし。無傷だし。
それがさらに主神(仮)の放つ雷の勢いを煽っているんじゃないか……?
終わりの見えない悪循環が、俺の被害を引きずり出しそうだ。
このままでは俺の身が保たない。この場で一番死にそうなのが、俺だ。
だから、俺は。
「く……っこれで、いけるか!?」
主神(仮)を、攻撃した。
この場で一番危険な相手だったのだから、仕方ない……。
俺は錯乱して周囲が見えていない主神(仮)の口に、リアンカに持たされていた……今回の作戦に当たって、護身用だと渡された『眠り薬EX』を突っ込んだ。
おやすみ三秒だった。
「神を相手にしてこの効果、即効性……おそろしい」
リアンカは、一体どこを目指しているんだろうな?
この効き目と威力は、例え魔境にしても普通に薬師をしている分には追及する必要のない境地だと思うんだ……。
変に物思いに耽りそうになる思考に、蓋をする。
今は何はともあれ……場を仕切りなおす余地を得られたんだ。そのことに納得しよう。
イソギンチャク共は、電撃の影響などなかったかのように見えて、その実ちゃんと喰らっていたらしい。
どうやら体が痺れて動けずにいるようだ。
セツ姫の友達達は、主神(仮)が電撃を撒き散らし始めた段階で距離を取っていたから遠ざかっている。
これは好機という奴だろうか。
俺は主神(仮)の小さな体を担ぎ、急いでその場を後にした。
急げ急げ……イソギンチャク共が、また動けるようになる前に!!
だが仕切りなおすのは良いとして。
……誑かすって、どうしたら良いんだ。
イソギンチャクの化け物度が登場する度に上限を突破していく……。




