87.演技には見えない逃げっぷり
主神との(作られた)出会いまでいこうと思っていけませんでした。
中々話が進まなくて申し訳ありません。
イソギンチャクが猛烈な勢いで追いかけて行った勇者様。
一瞬、妙な違和感がありました。
……なんだか、いつもとちょっと様子が違うような気がしたんです。
動きが少し、ぎこちないような。
いつもの鋭さが、少し鈍っているような。
単純に言うと、なんだか勇者様の逃走速度が常より心持ち落ちているような気がしました。
相手の運動性能や能力を正確に測る能力は私にはないので、気のせいかもしれませんが。
もしかしたら、ただ着慣れないドレスを着て逃げるという状況で、足に布が絡んだりとかして……逃げるに向かない衣装のせいで動きが鈍っているだけなのかもしれませんが。
でも、それでも常人と比べれば圧倒的に速い。
勇者様が常人ではないのだと、見せつけるような速度。
みるみる遠くなっていく彼の背中に、私達は健闘を祈ってハンカチを振ります。
せっちゃんが、きゃーっと大喜びの声を上げてはしゃいでいました。
「追いかけっこ楽しそうですのー!」
「あはははは、姫殿下は相変わらずだー。でも勇者君の味わってるアレはそんな『追いかけっこ』なんて平和な響きが似合う代物かなぁ」
「『鬼ごっこ』なら良いんじゃないですか? 何が鬼とは言いませんけれど」
「みゅーちゃん達も勇者さんと遊びたいってそわそわしていますのっ。勇者さん、みゅーちゃん達に大人気ですの」
「え? せっちゃんのお友達が?」
「はいですの! リャン姉様ぁ、みゅーちゃん達も参加させてあげても良い? みんな、勇者さんと遊びたいみたいですの」
「せっちゃん……っ」
せっちゃんも事態はちゃんと把握している筈ですが、それでもやっぱり「追いかけっこ=楽しそう」という印象が強いのでしょう。
それにもしかしたら、さっき……勇者様の精神世界に死んでしまったようにしか見えない正気をサルベージに行った時、お留守番で何もできなかったことが実は引っかかっていたのかもしれません。
いつも通り元気で可愛いせっちゃんでしたけど、時々困ったような、心配そうな八の字眉で勇者様をちらちら見ていましたし。
今こそ役に立ちたいとうっすら内心で燃え上がるやる気が、背後に薄く透けて見えました。
こんなにせっちゃんがやる気を出すのも珍しい事です。
でも、何より。
お願いお願い、と。
上目遣いの懸命な顔で見上げてくるせっちゃんが可愛すぎました。
両手の拳を無意識にぎゅっと握って、胸の前で小さく振りながらお願いしてくるんですよ?
せっちゃんへの甘さを自他ともに認める私が、その申し出を断る筈ないじゃないですか。
まさに即決。
ほぼ即答で、私はこう言っていました。
「そうですよね! 仲間外れはみゅーちゃん達も可哀想だよね!」
勇者様と遊んでお上げ、と。
気付いたら私はそう言っていました。
……勇者様には何の承諾も取ってないんですけど。
ちらりと考えつつも、イソギンチャクで充分そうだったのでせっちゃんには打診しなかったのに。
まさかのせっちゃんからのお願いで、決定してしまったのでした。
せっちゃんのお友達、参戦決定。
そして間髪おかず、『彼ら』は既に遠く離れた勇者様を追って……怒涛の勢いで、森を征服でもしに行くのかって勢いで、進軍していきました。
勇者様がんばれ。
なんかそうとしか思えない光景に、私達は暫く無言で『彼ら』の去った後を眺めていました。
瞬く間に、随分と存在感のある『獣道』が形成されていく様は、いっそ見事でした。
「――って、見送ってる場合じゃありませんよね!」
そうです、勇者様なら必ず成し遂げてくれる!
何に追いかけられようと、めげず、諦めず、必死に生き足掻いて目的を達してくれる筈!
だけどそうと信じるだけじゃ駄目なんです。
勇者様が窮地に陥った時、もしもの場合に備えて助けることが出来るよう観sy……監督しないと!
見えないところに潜んで見守る。
それが今、私達に求められている仕事です!
勇者様、例え見えなくっても……私達が側にいますからね!
「ロロイ、私を抱えて運んで!」
「当然、俺の仕事だ」
「主様も! 私が抱えますよ」
「大丈夫ですの。リリフ、せっちゃんなら自分で飛べますのよ」
「俺は!? 他の面々は飛べるだろうけど、俺は!?」
「何を言ってるんですか、サルファ。背中にそんな立派な羽生やしといて」
「確かに何か生えちゃってるけど! でもいきなり生えたばっかの羽で飛べないよ!? 飛ぶ練習すらしたことないし! そもそもどう動かせばいいのかわかんねーし!」
「鳥だっていきなり巣立つ訳じゃないしね。そりゃいきなりは無理だって。俺だって生まれてすぐ自力で飛べはしなかったんだし」
「鳥人間代表みたいな見た目のヨシュアンさんが言うと謎の説得力がありますね」
「あっはっはっはっは。リアンカちゃん、それ言うなら『鳥魔族』だから」
「仕方がありませんね。貴方は私達と一緒に草陰に潜むとしましょう」
「やだ☆ リーヴィルったら草叢で何する気!?」
「……ははははは、貴方の墓穴はどこの草陰に掘りましょうか、希望がありますか。ヨシュアン?」
「あ、やべ。目がマジだ」
「うっわー。俺、惨劇の目撃者とかなりたくないんだけど」
組分けの結果、私とせっちゃん、竜の二人とご先祖様は空から。
りっちゃんとヨシュアンさん、サルファは地上から勇者様を追跡することになりました。
当然ながら主神に気取られる訳にはいかないので、遠目に確認できる程度の充分な距離を置くことになりますけど。
私は空から追跡班ですけど、空は飛べないのでロロイのおんぶで高度を取ります。
ロロイもちみっちゃい頃から竜らしく体力や腕力といった基礎能力はべらぼうに高かったので、私の一人や二人程度だったらおんぶしようが抱っこしようが負担にはならないようです。
さて、勇者様が逃走を開始してから図らずも間が空いてしまいました。
そりゃあ気付かれないように追跡するなら、少し間を空けるのは当然ですけど。
その間、誰も勇者様の動向を確認していなかったのは少し問題かもしれません。
まだ無事だと良いんですけど……。
少し不安になりながら、私達は森の中で逃げ惑っている筈の勇者様を……
……あ、探すまでもありませんでしたね。
現在位置と思しき場所は、判り易い事になっていました。
だって変な爆音がしたり、派手な土煙が空に舞い上がっていたりするんですもの。
上空から見ると、一目瞭然。
何があったのか、めきめきって大木が次々に圧し折れていったりとか、遥か遠くにまで「ここに誰かいるぞ」という強い存在感をお届けする事態になっているようで。
森が死につつあります。
勇者様、一体何が起きているんですか。
この森を管理している神様に怒られないかな、と。
私達は思わず息を呑んで事態の把握に務めるべく現場に近付きました。
果たして一体どうなっているのでしょうか。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
青いドレスは、リアンカ達が用意してくれたもの。
絶対に面白がっていた。
絶対に遊ばれていたが……だけど、絶対に。
俺がそうと狙って破いたり汚したり出来ない物だった。
出来ないというか、したくないんだ。
だって俺は知ってしまっている。
……このドレスの裏地に使われている布には、複雑で精緻な刺繍文様が連なっていた。
人の目に触れない裏地なのに、気合入り過ぎだろうと。
そう思った後で、気付いたんだ。
古代の文献でしか見たことがなかったから、すぐには気付けなかった。
実物を見るのは初めてだったんだ。
人間の国々では制作に必要な知識と技術の高さ故に継承者が絶え、とうの昔に失われた技術。
布に直接魔法や魔術を付与し、身に纏った者に加護を与える。
『守護布』と呼ばれる、名前の通り誰かを守る為に生み出されたとされる魔法の品だ。
『布』という破壊の容易い物を下地とするからか、攻撃的・破滅的な魔力は籠められないのだと古文書で読んだ。攻撃的な魔力を込めようとすると、刺繍を施した布が自壊してしまうのだと。
魔境でも実物を見たことはなかった。
だから魔境には存在しない技術なのだと、無意識にそう考えていたんだが。
考えてみれば魔力に関わる品だ。
人間の国々より、明らかに魔境の方が扱いにも技術の継承にも条件に恵まれる。
というか魔境こそ向いているだろう。この技術は。
人間の国々にないからと、魔境にない筈がなかったな。
ただ実物を見て、思う。
手の込みようが、半端ではないと。
………………布全面に施された刺繍それぞれが意味を持ちつつも、全体に施された刺繍全てが揃って本当に籠めたい『意味』が完成する。
これは布に描かれた魔法陣だ。
……その性質上、完成後の裁断は許されない。
服という立体的な製品に仕上げられている関係上、魔法陣の構成も立体的なモノになる。
実際に目にして、俺には作ることは愚か設計図すら作れないと思った。
裁縫技術の有無は別にして、魔法陣の構成を考える段階でどうしても躓く。
こんなに難易度の高い代物が普段着として使われていたら目を疑う。
人間の国々では再現しようとしても、不可能だ。
魔境でも目にしたことがなかった。その事実に納得がいく。
これは確実に……特別な時でもないと仕立てられないだろう。
明らかに『特別な時』、『特別な誰か』の為の衣服だ。
本当に限られた機会に袖を通す、晴れ着なんじゃないかって。
そんな布を裏地に用いたドレスが、俺の目の前にある訳なんだが。
というか強引に着せられてしまった訳なんだが。
俺の目でも布に施された加護の全体は読み取れなかったが、魔法陣を構成する図案の幾つかから読み取れた意味は『精神安定』『脚力増強』『耐久力増加』『家内安全』『幸運祈願』『守りの光』……俺の目には解読出来ない他の図案も、多分同じ種類の魔力が籠められているから似たような感じだと思う。
本気だ。本気の守りだ。
ただその気迫が伝わってくる、布に隠された魔力構成。
それと気付くまで、布にどれだけの魔力が隠されているか全くわからなかった。
というかわかり難い!
わかり難い! 彼らの優しさも、気遣いも!
これ俺が気付かなかったら、男にドレスとかただの嫌がらせにしか見えないぞ!?
布に、魔法陣。
それを構成する夥しい刺繍。
気付いてみれば、ドレスを渡された意味もわかる。
……布地面積だ。
そんな単純な、と思う。
でも絶対に無関係じゃないだろう。
男の衣装よりも、女性の衣装の方が圧倒的に用いる布地の量は多くなる。
そして布地前面に刺繍を施して魔法陣とする……その構造的にも多分女性のドレスとして仕立てる方が完成度は高くなるんじゃないか?
女性の衣装……特にスカート部分は、余程変則的なデザインでなければ、上から見ると大きな二重円を描く。刺繍に繋がりを持たせて意味を作るなら、どこかでぶつ切りになることの無い構造は連鎖させ易い。
職人でも学者でもない俺には、ただの推測しかできない。
だからただの想像に過ぎないんだが……的を外れたとは思えなかった。
わかり難い。俺にわかってもらおうとは欠片も望んでいない。
だけど確実に俺を助けようと。
そこにはただ、純粋に。
俺に誤解されたとしても、俺の助けになりたいという健気な思いが透けて見えた。
このドレスを用意したのは……仕立てたのは、誰だ?
用意していたのは、ヨシュアン殿とリアンカ。
過去、俺の衣装は、いつもリアンカが縫っていた。
リアンカ、君達……っ
敢えてわざわざドレスにする必要は絶対になかったと思うが。
仕方がない。彼らはどんな時でも、遊びと余裕と悪戯を忘れない気性なんだから。
ドレスじゃなくってローブでも良かったんじゃないか?
そんな囁き声が頭のどこかで疑問を呈してきたが、今そこを深く考えたらいけない気がした。
ただただこの服に込められた守護……その気遣いと思いやりにだけ思いを馳せれば良い。
俺の為に、気の狂いそうな根気と計画性がなければ作れなさそうな『守護布』の衣装を用意してくれたんだ。
このドレスは……絶対に、破りたくなかった。汚したくなかった。←過去形
だというのに、俺を執拗に追い狙う『あの化け物』共は……っ
ちらり、背後を確認する。
そんな余裕は絶対になかったが、だけど確認せずにはいられなかった。
俺を驚異的な勢いで襲い掛かろうと迫り来る……悍ましい怪物の群れ。
……。
…………。
「なんっで、増えてるんだぁぁぁああああああああああああああっ!!」
なんでこうなったのか、わからない。
いや、わかる気がする。
わかる気は、するんだが……わかりたくなくて思考を投げた。
俺を追ってきているのは、六体の気持ち悪いイソギンチャク。……だけではなく。
なんだかどこかで見たような……可憐な美少女の影に潜む(言葉通りの意味で)、怖いナニかが大量に参戦していた。
もう何がなんだか。
「……俺を助けようとしてくれる、味方がっ味方の筈の彼らが! 一番俺を窮地に追いやってる気がするのは気のせいですかおいぃぃ!」
言っても意味のないことだが。
鬱憤晴らしもかねて叫ばないとやっていられなかった。
叫ばないことには冷静さを保っていられないくらい、精神は限界に来ていた。
また、このドレスのせいだと思うんだが。
普段と違う動き難い衣装のせいだ、きっと。
なんだか動き辛い気がして、普段通りの走りが出来ずにいた。
思っていた動きが出来ず、速度が中々上がらない。
そのことを、俺は衣装のせいにして……深く、考えていなかったんだ。
俺の左右の腕で、白銀の腕輪がギラリと光った。




