57.その名はキャロライナ・リーバー 再び
ロロイが殺……貫…………倒した勇者様(乱心)の胸の傷は、三十分くらいすると目に見えて回復しはじめました。
回復というか、修復……?
何と言えば良いのかわかりませんが、みるみる傷口が塞がっていきます。
消え始めたといった方が妥当かも知れません。
目に見える変化に、本当に復活できるのかと経過を観察していた私もほっと胸を撫で下ろしました。
流石は勇者様! 打たれ弱くてすぐへこむ癖に回復が異常に早い!
どうやら勇者様の内部に潜む勇者様の消滅は案じずに済みそうです。
「ところで、なあリアンカ……」
うんうん頷いて気絶したまんまな乱心勇者様を観察していた私に、真心勇者様の物言いたげな声がかかります。
どうしたんでしょうか?
「その、目で確かめるのは大事な事かも知れないが……身包みを剥ぐ必要はあったのか? 追い剥ぎに遭ったみたいになっているんだが」
「勿論、とっても必要ですとも! 服を剥がなきゃ、患部がどうなってるかわからないじゃないですか」
「ズボンまで剥ぎ取る必要あったのかなぁ! 下着一枚は流石に男の俺でも恥ずかしいんだけどな!?」
「いや、服を剥いだのはロロイなんで。私に言われても」
「竜の二人の監督責任は君にあるんじゃないのか……?」
ご本人から指摘があったとおり、現在、ロロイが倒した乱心勇者様は限りなく全裸に近い半裸になっておいでです。
ロロイとリリフの二人が、目を覚ました時に抵抗しないよう拘束する必要があるっていうから……。
私も縄を出そうと思ったんですけど、手持ちの道具はなるべく温存した方が良いという意見が出まして。
結果、乱心勇者様と、そのセット状態にあるアスパラを拘束するのに乱心勇者様の衣服を使って現在に至ります。
……布地の量的に、アスパラの着ていたドレスを剥いで裂いた方が手っ取り早かったような気がするんですけど。
そこを指摘しようとした時には、既にロロイがさっさか勇者様の衣服を剥いでいたので。
なんとなく「別に良っか」と放置した結果、負傷した跡も生々しく乱心勇者様は下着一という無残なお姿に成り果てました。
え? ズボン? アスパラをドレスごと纏めて縛り上げていますが?
「ロロイ……ここまで徹底的に剥ぐ必要があったのか?」
「は? 勇者達が持ってる鍵を集めろって言ったの、あんただろ。持ち物検査を兼ねた身体チェックの何が問題だよ」
「……いや、そう言われると反論し難いんだが」
「ま、まあまあ二人とも。実際、この勇者さんも肌着の下に何かよくわからない物を隠し持っていたようですし。全裸一歩手前まで剥いた意味はあったということで」
「え? 何か出てきてたんだ?」
何か発見したとはまだ聞いていませんでした。
よくわからないものとは何かと、私も好奇心たっぷりにリリフの手元を覗き込みます。
そこには、直径二十センチくらいのアスパラが……
「アスパラはもう良い!」
「あ、間違えた」
期待を裏切られたと頭を抱える勇者様。
でも、ほら、よく見て? これ本物のアスパラ(?)じゃなくってぬいぐるみ(ver.アスパラ遣唐使)だよ、勇者様。
……誰が作ったんでしょう、こんな気味の悪いぬいぐるみ。
「間違えました。こちらです」
「っこれは……」
間違えたと言って、無表情にどこで入手したのかも謎なぬいぐるみを窓から放り投げ捨てて。
リリフが代わりに取り出したのは、直径三cm程の球体でした。
……どうやって球体とぬいぐるみを間違えたんでしょう?
微妙な気分になりながら、真剣な顔で検分する勇者様を見守ります。
横から覗き込むと、玉の中に『孝』という文字が浮かんで見えました。
「勇者様、これは?」
「……間違いない。『扉の鍵』の一つだ」
「なんと。ではこちらのご乱心勇者様は勇者様の良識の一体だったんですね」
そうとは知らず、無体な真似をさせてしまいました。
でも良識であろうとなかろうと、どっちでもやっぱり無体な目に遭わせていたでしょうから知ってたかどうかは肝心じゃありませんね。
「これが、勇者様の良識……」
「下着一丁の情けない姿だな」
「そんな姿にしたのは君達だろう!?」
しかし思ったよりもあっさり鍵が手に入りましたね。
この調子なら、残り七つも案外簡単に手に入ってしまうかも?
ロロイが良識勇者様のお顔に烏賊墨で何か落書きし、それを真心勇者様が咎めて止めようとする。
そんな光景を見ながら、私はそう気楽に考えていました。
それが楽観視に過ぎないと思い知ることもないままに。
次なる良識勇者様を探して、私達はアスパラ城の中を彷徨い歩きます。
既に倒した良識勇者様は、心が汚染されていく原因をどうにかしない限りはまともに戻そうにも手の施しようがないというので置いてきました。
念の為、アスパラの手の届かないところに放置です。
具体的に言うと、窓の外に。
ふふふふふ……アスパラさん達のあの短い手足では届きますまい。
窓からそっと外に視線をやれば、勇者様(乱心)が蓑虫のように風にふらふら揺られていました。
ちなみに吊り下げるのに使用した布地は、勇者様(乱心)の衣服を裂いて作成しました。
今度こそアスパラのドレスを剥いでやれって助言するつもりだったんですが、気付いた時にはもう準備されていたんですよね。勇者様の衣服を材料に。
お陰でアスパラの方は今でも一分の隙もないドレス姿です。……この格好、誰が喜ぶんだろう。
計らずしも初っ端から良識一号を制しましたからね。
四階より上にはもう良識もいないだろうということで、次の階層へ向かいます。
下り立った三階。ここにはどんな『勇者様』がいるんだろう……?
「はははははっ 待て~」
「ふんだばー」
「あ、いた」
私が発見するのと、ほぼ同時に。
なんか私の右横あたりで、重々しくも鈍い音が響きました。
視線をやると、勇者様(真心)が壁に頭を突っ込んでいます。
……多分、思わず頭を打ち付けたのでしょう。
でも力が入りすぎたのか、勇者様(真心)の頭部は見事に壁を貫通してしまっているみたいです。
「そんなに衝撃だったんでしょうか……」
「リャン姉さん、常人なら絶叫して飛び退いてもおかしくない光景ですよ」
リリフもそっと視線を逸らして直視を避ける、その光景。
三階の廊下では、勇者様っぽい人物とドレス姿のアスパラが絶賛追いかけっこ中でした。
わあ、楽しそうですね……良い空気を吸っていらっしゃる模様。
げんなりした顔を隠そうともせず、ロロイが新手の乱心勇者様に向けて右手を振り上げ……
「そうはさせない!」
慌てて、私が前にしゃしゃり出ました。
ロロイに任せたら、またショッキング映像を見てしまう! 勇者(真心)様が!
その一念で、私の体は半ば勝手に動いていました。
多分、動転していたんだと思います。
私がやらなければ。
何故か、本当に何故かそう思ってしまったのです。
だけど私が何をしようとしても、ロロイの身体能力に先んじてやれることは限られる訳で。
具体的に何ができるかって、「ものをなげる」くらいしか出来なくても仕方ないですよね?
咄嗟に手を突っ込んだ先は、困った時に超頼りになるあれやこれやのいっぱい詰まった非常時用の薬袋(むぅちゃんお薦め版)。
そうして取り出したるは、『むぅちゃん特製唐辛子スプレー(※魔法で薬効を高めた物)』……の、原液ボトル!!
注意書きに大きくはっきりと「三十倍に希釈して下さい」と書かれていようと何のその!
私は大急ぎで、ロロイが勇者(真心)様の繊細なお心を削りまくる前に何とかしないと、と。
「リアンカ、何を……っ!?」
「いきますよー! 皆は乱心勇者様の周囲五m以内から退避ー!!」
「ちょっと待って何を投げつけるつもりだ、何をー!」
…………正直に言うと、この時の私はとっても焦っていたらしく。
深く考えることもせず、勢いで「えいやっ」と。
希釈用の唐辛子液は、いってしまえば劇物です。
しかもこれは、魔境妖精郷の趣味人が冗談半分洒落半分で弄り回した凶悪にも程がある唐辛子を用いた超危険物。
そんな原液そのまま思いっきりよく乱心勇者様に向かってぶっかけてしまったのです。
勇者様(乱心中)は、真夏の炎天下三時間放置されたかき氷に浮かぶ白玉並みにひたひたになりました。
勿論、魔境の植物研究者と薬師がタッグを組んで完成しちゃった唐辛子液、それも魔境で『護身用』として通用しちゃうような代物を頭から浴びて無事でいられる筈もなく。
乱心勇者様は、えらいことになりました。
「あ、あ゛あ゛ぁ゛ぁぁぁあああああああっ!? 目が、目がぁぁ!!」
悲鳴を上げながらのた打ち回る、勇者様(乱心)。
目が痛いんですか。目に入っちゃったんですね、ごめんなさい。
途中で口内に液が侵入したのか、その叫びも悲痛なモノになっていきます。
そんな可哀想にのた打ち回る勇者様(乱心)を見て、私の隣で勇者様(真心)が、ぐっと拳を握りました。
「よし! よくやった!」
「あっれー!? ここで最初に出て来る言葉が「よし」ですか!?」
なんとも勇者様らしくないお言葉だな、と驚きました。
でも真心様はどうやら先程の狂気に満ちた光景にまだ強い影響を受けていたようです。
はっきり言うと、アスパラに洗脳されて戯れる乱心勇者様にお怒りだった模様。
ですが私としては、自分でやっておいてなんですが投擲物を間違えたな、と思ってしまいます。
だって床で釣り上げられたばかりの海産物並みにじたばたしている勇者様(乱心)、めっちゃ辛そう。
両手で力強く自分の顔面掴んで藻掻きに藻掻いていらっしゃいます。
勇者様に悪いことしちゃいましたー……でも乱心してるから、構わないのかな?
少なくとも無力化できたことは確かなんですが。
あとそれと、視覚の暴力にも程のある狂気の光景も消えましたし。
私は盛大に顔を引き攣らせる勇者(真心)様から顔を逸らしながら、がさごそと鞄を漁ります。
え、ええっと、洗浄液どこにしまいましたかね……?
ここは現実ではないとはいえ、相手は乱心していてこちらの精神力を削って来るとはいえ。
罪もない勇者様(乱心)をあのまま放置は胸が痛みます。
というかヤバいことこの上ない唐辛子液が繊細な器官に入っちゃった人をそのまま放置という状況が、薬師的に我慢できません。やったの私ですけど。
相手が敵だというのなら兎も角、洗脳されただけで勇者様であることは確かなんですから。
「あっれ、洗浄液……?」
「リャン姉さん、探しているのはこれですか?」
「そうそうこれこれー」
「って違うだろ!? その瓶、思いっきり『辛子味噌』って書いてあるじゃないか! あんな目に遭わせておいて、その上追い打ちかける気か! よし、もっとやれ!」
「ハッ……本当だ、辛子味噌って書いてある!? って、追い打ち歓迎ですか勇者様! ご自分相手に手厳しいですね! いえ、ご自分だからこそですか……?」
「私も瓶がそっくりなので間違えてしまいましたわ!」
「なんでその二つ、似た瓶に入れた……? 相手はアスパラなんかに心奪われた未熟者だったからまだ良いが、事故が起きたらどうするんだ」
「治します」
「え?」
「その時は、治します」
「そういう問題なのか……?」
訝しげな顔で、何かを考えこむ勇者様(真心)。
何か問題があったのでしょうか?
私としては、治すとしか言えないんですけど。
「あ、そうだ応急処置。ロロイー、藻掻き苦しむ乱心勇者様に水ぶっかけて!」
私としたことが、うっかりしていました!
まず最初に乱心勇者様を苦しめる唐辛子液を綺麗さっぱり洗い流しておくべきでしたね!
私の合図を受けて、ロロイが指を鳴らすと。
ざぱっと。
まるで小規模な滝がいきなりそこに出現したみたいに、乱心勇者様の頭上から一度に大量の水が降り注ぎました。
「あばばばばっ」
あれだけの勢いで洗い流されれば、本当に唐辛子液なんて綺麗さっぱりでしょう!
まあ水で流すだけでは患部の被害は治まらないので、相応の効果を持つ薬液が必要ですけど。
「わー。指パッチンで水が出るとか恰好良いー?」
「リャン姉さん、こんなの捕まえました」
あの水はいつ止まるんだろう。
そんなことをぼんやり考えつつ、小さな滝を見守っていると横合いからリリフの声。
何か捕まえたというので目をやってみれば。
そこに、アスパラがいました。
なんだかもう見飽きてきた感がありますが、ドレスを着こんでいるところを見るに、先程まで乱心中の勇者様と戯れていた個体でしょう。
でもアスパラがどうしたというのでしょうか?
今の勇者様の心の中では、ありふれ過ぎて飽和しそうなくらいに珍しくもなんともない物体ですけど。
首を傾げる私に、緊張を滲ませた顔でそっとリリが指示します。
アスパラの、背中の縫い目を。
「縫い目!? 縫い目って……これ、着ぐるみか!? 着ぐるみなのか!? な、中身があるのか……っ」
「さっきはオーレリアスさんも中に入ってましたよ」
「!?」
私達にとっては、今更な驚きです。
でもずっと眠っていた真心勇者様にとっては初めて目にする縫い目だったのでしょう。
アスパラの背中に縫い目がある。
そのことにたいそう驚いた様子で、目を白黒させておいでです。
森をふらっとあちこちうろついていた個体と、ドレスなんて着ちゃって勇者様(狂)といちゃついていた個体は同じものなのでしょうか?
なんとなく、その行動の違いからこっちのアスパラは被り物ではなく正真正銘のアスパラ(?)だとばかり思っていたのですけど……。
これにも中身があるというのか。
私達は固唾を飲んで、アスパラの背中にある縫い目を切り開きました。
皆で一斉に、縫い目の間……アスパラの中身を覗き込み。
そして一斉に縫い目を閉じていました。
「あ、アスパラの中に……アスパラの中にも、アスパラが!」
「これは果たして、アスパラ被っている意味があるんでしょうか……」
アスパラinアスパラ。
アスパラ(外側)の中には、同程度の大きさのアスパラ(内側)がみっしりと詰まっているみたいでした。
アスパラにわざわざアスパラの皮を被せるって、どんな凶気に駆られたらそんな意味不明なことが出来るんでしょうか。
あまりに意味不明の物体に、謎を感じつつ。
より深い狂気を感じ取ってしまったような気がして、私達は暫し身を震わせました。
私は、ここが『勇者様の心の中』だからと少し楽観視していたのかもしれません。
あの勇者様の内面が、おかしなことになっている筈はないと。
多分、心のどこかでそう思っていたんです。
まさか勇者様の心の中が、こんなにシュールでカオスなことになっていようとは……
私は勇者様のことを見縊っていたのでしょうか?
湧き上がる疑惑に、僅かな間、立ち止まって思い悩みました。
十五秒間くらい。
キャロライナ・リーバー
ブート・ジョロキアの1.5倍以上辛い唐辛子。
だけどそれがどれ程のものか小林も確かめたことはありません。




