41.雑巾を絞る感覚で
治療という名の実験的なナニか
――さあ、治療の時間です。
愛の神捕獲先遣隊を見送り、私達はのどかな湖の畔に残されました。
麗らかな日差しも柔らかく、平和で自然の美しさに満ちた光景の中。
……依然として、手に乗せたアスパラにうっとりと優しくも親密な眼差しを注ぐ勇者様。
林の際、木陰では見慣れぬ勇者様の蕩ける笑みの背後で盛大に幻の花が舞い飛び散っておりました。
く……っ可哀想な勇者様! なんて惨い光景でしょう。
この運命を彼に強いた神がいるとするのなら、なんと残酷で冷酷無慈悲な。
まあ、愛の神にはそのツケを存分に払っていただくとして。
私達は私達で、この場に残された使命を……勇者様の診察と治療を開始したいと思います。
とはいっても今の勇者様はある意味でほぼ無抵抗状態。
でも最大の治療場所は顔面ですからね……。
流石に抵抗を予想してかかるべきでしょう。
理性と正気のぶっ飛んでいる今の勇者様なら、常の遠慮と配慮を忘れて手加減無用に抵抗しかねません。
「だったら最初っから意識飛ばしておいてもらった方が穏便に事も済ませられるってものですよね」
「『穏便』ってなんだったっけ」
あらあらロロイったら。
あどけなさの残る仕草で首を傾げていますけど、ど忘れですか? 仕方のない子ですねー。
「勇者様の抵抗って言う不安要素があるから。だったら最初っから抵抗の余地を奪っておけば万事解決ですよね! こっちも余計な怪我する心配なくなりますし!ってことです」
本当は若竜二人やせっちゃんに勇者様を拘束してもらおうかな、とか最初は思っていたんですけどね?
なんだかよくわかりませんが、愛に狂った人間は時として追い詰められると『愛の力』っていう得体の知れないナニかを分泌して謎の万能状態に陥ることがある……とか何とか聞きますし。
今の勇者様がそんなもの発揮したら、下手をすると手が付けられなくなります。いえ、勇者様の安全とか健康状態とか破損状況とか全く気にせず度外視すれば無力化も出来なくはないでしょうけど。
でも全力で抵抗する勇者様に対して、本気のせっちゃんとかご先祖様とかぶつけたら、勇者様が社会復帰は不可能な域で半殺し……いえ、虫の息にされかねませんし。
回復不可能な生涯でも残ったらと思うと、やっぱり勇者様の身の為にも、勇者様が抵抗できる余地を残しちゃ駄目だと思います。
「勇者様……いま、私が楽にしてあげますからね」
「リャン姉、勇者の息の根止めんの?」
「なんでそうなったの、ロロ!?」
張り切って協力したがるロロイの言葉に驚愕です。
私はただ、身体面での不具合を思っての言葉だったんですが……こう、不自由そうだから治してあげるね♪っていう。
普段は敏い子なんですが……ロロイってば勘違いでしょうか。
なんとなく悪意を感じるのは、私の気のせいですよね。
「それでリアンカちゃん? どうやってあの可哀想な奴の意識を刈り取る? 俺がやんだったら手加減の保証はしないが……」
「ご先祖様も張り切っておいでのようですが、そこまでお手間は取らせませんよ!? 勇者様を意識不明にさせるくらい、私でもやれますから!」
「意識不明にしちゃ駄目ですよ、リャン姉さん……」
今の勇者様は普段ほど周囲に向けて警戒も注意もしてません。
もう意識も五感も全部アスパラに釘付け☆ですから……。
だったら私でも不意を突くのは難しくないと思うんですよね。
そしてこの面子の中で一番平和に、相手の負担なく意識を奪えるのは私だと思います。
「『平和』ってなんでしたっけ……」
「え? リリまでど忘れですか?」
最近、殺伐とした精神状態でしたしねー……?
もしかしたら心が殺伐として渇いているせいで、穏便とか平和って言葉が縁遠く感じてしまうのかもしれません。
それに竜の二人もまだ成長したばっかりです。
心が体の成長に追いつけずに、私達の予想以上に疲弊しているのかもしれません。
これじゃ駄目ですね。
可愛い妹分や弟分達の精神状態を考慮するのも、姉代わりの役目です。
心がすり切れているらしい若竜達に配慮して、私が『穏便』ってものの意味を示してあげないと……! わかりやすく、見える形で。
「それじゃあ今から私が『平和に相手の意識を刈り取る方法』のお手本を見せますからね!」
そう言って私は、懐から一本の『針』を取り出しました。
魔境の錬金術師さん達が最近開発した『注射器』も急を要する時には便利ではあるんですけどねー。
便利と言えば、便利ですが。
事前準備と手入れの手間を思うと、さっと拭き取って後始末もお手軽簡単な『針』は重宝するに足ります。
それに注射器って、錬金術師さん曰く「まだ試作段階」だからか、薬物によっては相性悪いのあるんですよね。
筒に入れると薬が劣化しちゃったりとか、逆に注射器が劣化しちゃったりとか。まあ、色々。
劣化したついでに注射器の内部がちょっと溶けちゃって、注射器に使われた金属の成分が薬に溶け込んじゃった時なんか使った後で気付いて顔面青くなりましたよ。
使う薬が強すぎると、注射器の耐久性が負けちゃうんですよねー。
過去のちょっとした失敗を思ってしみじみした気分になりながら、私は腰のポーチから取り出した薬を慎重に針へと塗布していきました。
今回は単純に勇者様の意識を奪うことだけが目的です。だから麻痺か昏睡に陥ってもらえば目的に充分適うでしょう。
「じゃ、ちょっと行ってきますね~」
針に塗ったのは、魔王にも効く超即効性睡眠薬。
以前にもまぁちゃんの意識を刈り取って行動を封じた実績を持つ自慢の逸品です。
「ゆーうしゃっさまー!」
気配を殺して近づいて、逆に警戒されては意味がありません。
だから堂々と、隠す気もなく勇者様に駆け寄って。
私はにっこり笑って、
ぷすっ
ぼんやりと顔を上げて呼びかけた私を、勇者様が見て。
目線が私の顔に向かった機を見計らい、視線の逸れた手元を素早く動かしました。
なるべく太い動脈を狙って、一突きです。
「ぐ……っ!?」
「おやすみなさい、勇者様」
良い夢見て下さいね?
意識を急速に失い、勇者様の体がふらりと揺らぎます。
力を無くして前のめりに倒れ込む勇者様の体を、私は抱きしめる形で受け止めました。
ついでに手に乗せていたアスパラも潰れないように回収します。
本来は食材だし、食べちゃうものなんですが……今の勇者様は危ういですからね。その精神の均衡を図る為にも、安定剤代わりにアスパラは保護しておくべきでしょう。
鞄にしまって他のアスパラと混ざられても困るので、どうしようかちょっと迷います。
勇者様を抱き止めているので、ちょっと動きにくいんですよね。どこに仕舞おうか思案していると、アスパラは勝手に私の体をよじ登り、頭の上に定位置を見いだしたようでした。
それを確認してから、私は勇者様が倒れるを見て近寄ってきた仲間達に笑みを向けます。
「と、まあ、こんな具合で勇者様を眠らせてみましたが。私の手腕はどうでした?」
率直な感想を求める私に、ロロイとリリフが頷いて。
真面目な顔で、リリフが言いました。
「針を刺す時の手際の何気なさ、相手の意識の隙を突く絶妙の間の読み方と良い、熟練暗殺者みたいでした。リャン姉さん」
「…………あれぇ?」
「なんで不思議そうに首傾げるんだ」
「なんか……予想外に物騒な評価ですね?」
私に寄りかかる勇者様の体を受け取りながら。
何故か私より背が高くなってしまった弟分は、私の顔を見てふっと小さく笑ったのでした。
うん、なんですか? その何とも言い難い笑いは。
なんだかちょっと釈然としない気持ちになりましたが。
今は細かく追及できる程、悠長に過ごせる訳でもなく。
私達は早速勇者様が無意識に暴れないよう、縄できつく縛って転がしながら治療の準備を進めます。
「リアンカちゃんは医術の心得があるのか?」
「あはは、御先祖さまったら☆ 私の職業、何だと思ってるんですか。薬師ですよ? ――当然、医術の心得なんぞありません」
「おい」
医者でも治療術師でもないんですから、医術の心得なんぞある訳ないじゃありませんか。薬師なので、薬の扱いと調合に長けているだけです。後、相手の症状別に何の薬が必要なのか見極められるってくらいでしょうか。
まあ、薬を用いた医療に限定すれば専門的に特化してますけど。
でも私の本領は素材の栽培や採集、薬物の調合にあります。
「私に出来るのは患者の症状を見て、症例に適したお薬を処方することだけです。直接的な医療の心得はありませんよ。まあ、応急処置くらいは出来ますけどね?」
ただハテノ村の薬師が代々研鑽を積んできたお陰か、処方する薬の効き目が半端ないんですけどね。
「リャン姉、勇者の縛り上げが完了したぞ」
「あ、有難う。ロロ。それじゃあそろそろ勇者様には覚悟を決めてもらいましょうか。意識ありませんけど」
さてさて、勇者様の全身を改めて見分します。
ざっと見て、特に変わったところは……むしろ変わってない場所を探した方が早かったりしますかね?
細かい傷の類は、後で全身に消毒液をぶっかければ済むとして。
主に見るべきところは……額の目と、背中の翼が異質過ぎて目につきますね。
あと改めてなんですけど、どうして勇者様の両目が封じられてるんでしょうか。
「せっちゃん、勇者様のこの翼はいつ生えてきたの?」
「えーっと……勇者さんとお会いした後、そんなに経たずに生えてきたような?」
「それって、美の女神の神殿にいた時? それとも抜け出した後?」
「あ、神殿にバイバイした後ですの! 歩き始めて、三十分くらいでにょきにょきって。でも勇者さんは気付いていないみたいでしたの」
「勇者様、無自覚ですか……」
しかしせっちゃんの口ぶりでは、これこそ天界に適応して生えてきた変化っぽいですね。
それぞれ趣も色も異なる、三対の翼。
白い翼は大きな水鳥の翼に似ています。金色は、速度に特化した猛禽っぽいでしょうか? 朱鷺色のヤツは長距離を移動する渡り鳥の翼に似ています。
総じて、すごく、まとまりがないです。
「自然な変化なら、私に出来ることは何もないですね。見なかったことにしましょう。えっとそれじゃ額の目と、両目を覆うこの結晶をどうにか……」
どうして勇者様の両目が塞がれるなんて、不自由を被っているのかわかりませんけど。
取敢えず外した方が良い気がするんですよね。
目に異変があるならそれなりの処置をするとして、やっぱり結晶が邪魔で状態が見えません。
もしかしたら目を封じているちゃんとした理由があるのかもしれませんけど、今の勇者様にはどんな理由があったとしても殆ど無意味な気がしますし。
なんか駄目な理由があったら、後で挽回しましょう。
「せっちゃん、どうして勇者様のおめめがこんなことになってるのかわかる?」
「んっと、んーっと、確か矢に射られて……? 勇者さんのお友達が、射って、当たったから??? だった気がしますの」
「うん、あまり把握してないんだってことは伝わったかな!」
誰かに射られて、目隠しをするようになった???
心眼でも会得しようと思ったんでしょうか、勇者様は。
「あ、そういえば勇者さんが、誰かと目が合うと勇者さんに一目惚れしてしまうからと言っていたような気が……しますの?」
「え。それ本当に勇者様が言ったの?」
勇者様、なんて自惚れ屋さんな!?
まあ、勇者様の顔面偏差値と魅了体質は自惚れでもなんでもなく、一目惚れされちゃう☆っていうのも洒落や冗談じゃなく本当にあり得ることではあるんですけど。
……誰か厄介な美女に絡まれでも…………ああ、美の女神。
なんとなく理由が分かったような気がしました。
理由がわかったところで、やることは変わらない訳ですが。
「仕方ありませんよね。額の目の治療に邪魔ですしねー」
皮膚にべったりくっついて、謎の結晶体は簡単には外せそうにありません。
だったら砕くか、溶かして割るか。
……そう言えばさっき、丁度イソギンチャクを増やしたばっかりなんですよね。
強酸性の体液を持つ、イソギンチャクを。
私は鞄から、大きめの白い防水布を取り出しました。
風に乗せる様にふぁさっと広げて、勇者様の全身を覆うように被せます。
それから両目に被さる位置に、綺麗に目のところだけ露出するよう布を切ってほしいとロロイとリリフにお願いしました。
「リャン姉さん、この布ナイフの刃が立たないんですが」
「あ、それ耐久力に富んだ布なので……竜の爪でなら裂けると思いますよ★」
「ナニ製だ、この布」
訝しむような顔で、それでも言われた通り素直に作業する二人の傍らで。
私は薬師仕事をする時に愛用している、作業用の手袋をしっかりとつけて。
増やしたばっかりで鞄から溢れそうになっていたイソギンチャクの幼体を、一匹掴み上げました。
この手袋越しなら、どんな濃硫酸を浴びてもへっちゃらです。
「リャン姉さん……? あの、そのイソギンチャクをどう……」
「まさか」
戸惑った様子ながら、目が離せないようで私の手元をロロイ達が凝視します。
いつの間にか、勇者様の目の位置で防水布に開けられた穴は完成していました。
物問いた気な視線を受けながら。
私は鼻歌交じりにイソギンチャクの端と端を両手で握り、力を込めて……
ぶぎゅるっ
――意識がない筈の勇者様の口から、悲痛な声が聞こえました。
勇者様の顔面強度
→ 美の女神の加護の影響で、勇者様の肉体の中で一番の耐久力と防御力と回復力を誇る。




