16.綺麗なオネエサンはスキですか?
ついに、とうとう、小林が待ちかねた機がやって来ました……。
二度ネタはどうかと思いつつも、再臨を待ち侘びた、あのネタが……!
半ばこれの為だけに、サルファの同行に踏み切ったようなものです。
美の女神の神殿の、壁に開いちまった大穴。
最早これを見てはせっちゃんの存在を隠すことなど不可能と悟り、勇者様は遠い目をしている。
勇者様の頭痛に気付くこともなく、せっちゃんは勇者様に無茶ぶりだ。
「それじゃあ、てっぺんまで登りましょうですの」
「姫、よく見よう? 俺の手首を」
「お洒落な腕輪がついてますのー……でも、不便そうな腕輪ですのね?」
「セツ姫、これは腕輪じゃなくて手枷だ」
「どうしてそんな物を付けていますの? 趣味は人それぞれだってあに様も言ってましたけど、不思議ですのー」
「待て、その誤解は待て。これは決して俺の趣味なんかじゃないから!」
「じゃあ、勇者さんの趣味ってどんな感じですの?」
「また返答に困る質問を……! とにかく、これは俺の趣味じゃない! 強要されたんだ……」
「人の嫌がることをしちゃ、めっ。リーヴィルもそう言っていましたの」
「姫? 姫? 俺がされた側だからな?」
「はいですの。勇者さんは、手枷は趣味じゃない、と」
「わかってくれたか……」
危うくとんでもない誤解をされそうになった勇者様は、その段階でほっと息を吐く。
しかし息を吐いて、気付いた。
まだ何の問題も片付いていないと。
「……それで、姫? 俺の手に枷があることを見て、思うことは?」
「薔薇模様の彫金細工がお洒落ですのー。腕輪にしても手枷にしても、これじゃ『別の腕輪』を付けるのは無理そう。勇者さん、残念ですの~!」
「そこじゃない! 注目すべきは、そこじゃないから! ――良いか、姫。良く聞いてくれ。空を飛べる君には、思いつかないのかもしれないが……俺は今、両手が不自由だ。これではとても外壁を攀じ登ることなんて」
「空を飛べば万事解決ですの!」
「人の話はちゃんと聞こうな!? だから、君と違って俺は空なんて飛べやしないんだ!」
「え?」
「……そこでなんで、そんな思いがけないことを聞いたって顔をするんだ」
「だって、だって、勇者さん、お空を飛んでいましたの! せっちゃん、この目でしっかり見ましたの!」
「その時、俺の背には?」
「真っ黒な翼が生えていましたの!」
「それは神獣の翼だ! 俺が自力で飛んでいた訳じゃないからな!?」
ヤタガラスのカンちゃんと合体することで勇者様は短時間ながら空を飛ぶ手段を持っていた。
しかし今ここに、カンちゃんはいない。
女神に拉致された時、はぐれてしまった……。
せっちゃんはどうやら勇者様のカンちゃん融合ver.を自前の翼だと思っていたようだが……流石に勇者様も、未だ自前の翼は持っていない。何しろまだ人間なので。まだ。
「――つまり、カンがいない今、俺に自力で空を飛ぶ手段はない」
だから壁登りには付き合えそうにない。
じゃあ登れないならいっそ壁の穴から飛び降りて逃走は……と穴から外を見るまでは勇者様も考えないではなかったが、穴から見下ろす地面は遙か遠く……というか、断崖絶壁にも等しくて。
ここから飛び降りたら挽肉になるな、と勇者様はさも自分がただの人間のように考えて判断し、自分はこの穴からは何処にも行けないと結論付けた。
足手纏いの自分を置いて、せっちゃんだけ逃げ伸びる様に勇者様が言うが。
せっちゃんはきょとんとして言うのだ。
「じゃあ、壁を歩いて登れば万事解決ですの!」
「俺はイモリか何かか! 姫、俺は壁を垂直登りなんて器用な真似できないからな!?」
「あに様は出来ますのよ?」
「流石だ、まぁ殿。だけど、姫、基準を君の兄に置いちゃいけない。まぁ殿に出来ることの何割かは確実に人間には無理な領域だ。出来れば……そうだな、リアンカに基準を置いて判断してくれると助かる」
「リャン姉様に……? 勇者さん、リャン姉様に出来ないことは勇者さんも出来ませんの?」
「そう、その調子で判断してほしい」
「リャン姉様と同じですの……――わかりましたですの! だったらせっちゃんが抱っこして運びますのー!」
「は、はぁああああっ!?」
止めて! 抱っこは、抱っこだけは!
そんな勇者様の抵抗の声も、虚しく。
数分後、小柄なせっちゃんにお姫様抱っこで空を運ばれる勇者様の姿が見えた。
せっちゃんに抱っこで運ばれるか、せっちゃんの影から延びた触手に絡まれ持ち上げられて運ぶか……そんな二択を迫られたのだが、選ぶまでもなく。
影を出口にした腕に身体を支えさせても、外に出れば影は地に落ちる。当然、お空まではお付き合いできず……勇者様は、自分より四歳も年下の女の子に抱っこされた。
せっちゃんのほっそりと小柄な体に抱えられ、長身な勇者様の身体は肩身が狭そうだ。物理的に。
背後から見ると、勇者様の足やら肩やらがはみ出ている。
居た堪れない思いで、勇者様は自身の顔面を覆った。
見下ろす位置に、黒髪を飾るツヤツヤ天使の輪が見える。
抱えられる側の身長が高い為、思ったほど顔の位置は近くない。
だけど思ったほど、というだけで近いものは近かった。
勇者様の顎は、せっちゃんの頭に乗ってしまいそうだ。
互いの体臭まで感じ取れる距離。
少女の髪に触れてしまいそうな鼻先は、花のような香り……ではなく、香ばしく特徴的なニオイを嗅ぎ取った。
煎 餅 臭 だった。
髪に、煎餅の香が焼きついている。
濃厚な醤油の残り香が芳ばしい。
それはせっちゃんから自然と香っていたジャスミンの様な甘い花の香を掻き消す程。
ニオイを嗅ぎ取った者の胃袋に、痛烈に直撃する。ストライクだ。
――きゅぅ
勇者様のお腹が、小さく鳴った。
勇者様は顔から火が出るかと思った。
そう言えば、ティボルトと揉めていたせいで昼食を食べていない。
ますます強く両手で顔を覆い、勇者様は時が早く過ぎ去ることを祈った。
だけど無情にも、せっちゃんは勇者様の微妙な心境を慮って流してくれはしなかった。そりゃこれだけ密着していたらお腹の音も聞こえるというものだ。性格的にもせっちゃんが無視できる筈がない。
「勇者さん、お腹空いてますの?」
「……忘れてくれ」
「駄目ですのー……。お腹が空いたら、悲しくなっちゃいますの。勇者さん、せっちゃん今、これしか持ってなくて……ごめんなさいですの」
「謝らないでくれ。お願いだ、頼むから謝らないでくれ……! 俺がますます居た堪れなくなるだけだから!」
そっとせっちゃんが差し出してきたのは、一つの飴玉。
包み紙には『煮凝りマグロ』と書かれていたが、勇者様は気付かなかった。
彼は知らない。
その飴玉が、せっちゃんがサルファに貰った物だと……。
大元の出所は、シャイターンさんの懐である。
いつ女神が来るかと、冷や冷やしながら。
びゅんびゅん空気を切り裂いて、神殿のてっぺんまであっという間に上昇していく。
一番高い所に突き立っていた装飾の柱に、身を寄せて。
遙々と見渡す、その世界。
「ああ……なんという」
女神に攫われてきた勇者様が天界の景色をまともに見るのは、これが初めてだった。
下界では想像もつかないような、美しい景色。
エメラルドを砕いてまぶしたような、碧の森。
光を弾いてダイヤモンドの様な輝きを見せる湖。
空には浮島が浮遊し、そこから流れ落ちる滝に虹がかかる。
淡く色合いを変えながら、真昼だというのにオーロラのような光に彩られる空。
人の歌の様な声で鳴く真珠色の鳥が、花を降らしながら空を飛んでいく。
この光景を前にして、人の持つ語彙では正確な表現も出来ない。
まさに天の国。
そんな世界の、見渡せる場所で。
勇者様は神殿の屋根の上、顔を覆って打ちひしがれた。
「こんな状況じゃない時に見たかった……!」
ごもっとも。
どうせこんな絶景を見るなら、違う状況下で見たかったと彼は言う。
せめてもの慰めは、一緒に見ている相手があの美の女神ではなくせっちゃんであることくらいだろうか。
しかしせっちゃんの方は、景色など眼中にない様だった。
それよりももっと大事なことが、今の彼女にはある。
そう、兄に教え込まれた、迷子の心得その一!
「迷子になった時はー、うんと高い所に登ってー……あに様に聞こえるよーに、叫っびまっすのー!!」
「はっ……いや、ちょ、待て姫! いまそれやると女神に……っ」
「いざ、いきますの! あに様に届け、この声!
……はっっひ、ふ、へ……ほぉ――――っ!!」
「はひふへほ!?」
何故に!? と目を白黒させる勇者様。
彼は恐らく、せっちゃんの叫びに自身の懸念を一瞬忘れた。
思い出したのは取り返しがつかないと思ったからだ。
こんなに豪快に叫ばれては……もう誤魔化しようがない。
後はいつ美の女神が現場に駆け付けるのか――その時間が、一分一秒速いか遅いかの違いしかない。
もう、この場で姫と女神が対峙することは避けられない。
それがわかるからこそ、勇者様は神殿の屋根に膝をついて項垂れた。
彼には結構前から、既にどうしようもないことになっている。
そんな彼の心労に、やはり気付かず。
せっちゃんは勇者様の手をくいくいっと引っ張って促すのだ。
「さあさあ勇者さんも叫びましょう、ですの! あに様のお耳にならきっと届きますの。絶対ですの!」
「そうか、そうだな……この際、まぁ殿に言いたい俺の思いの内はただ一つだ……」
そして、勇者様は叫んだ。
「まぁ殿……どうしてセツ姫を野放しにしてるんだぁぁあああああっ!!」
万感の思いが込められた、魂を揺さぶる叫びだった。
まぁちゃんだって野放しにしたくてせっちゃんを野に放った訳じゃないんだよ、勇者様。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
――その頃、私達は幸運の女神の神殿で。
幸運の女神様が水盤に映し出した現地のそんな光景を、一同黙して見守っていました。
せっちゃんの安否を気にする私達の為に、幸運の女神様が見せてくれる彼方の状況。
私もまぁちゃんも、食い入るように水に映る光景を見つめます。
少しでも変なところはないか、怪我でもしていないかと心配で。
水の向こうに移る光景は、どこかの……白亜の神殿の、屋根の上で。
何故か求めた姿と一緒に、勇者様がいます。
……せっちゃんと、勇者様が一緒にいます。
あれぇ? どうやって合流したんですかね?
『あーたーらしぃ朝が来た♪ 野望の朝ーが♪』
『希望じゃないのか!?』
『よろこーびに胸をたーたき、大空あーおーげー♪』
『ドラミング!? 姫、それじゃあマウンテンゴリラだ……!』
折よく丁度、水鏡の中では勇者様とせっちゃんが元気に叫んでいます。
多分、昔まぁちゃんがせっちゃんに教えた迷子の心得を実践しているんだと思う。せっちゃんは、良い子だから。
うん、だけど迷子になって心細いとかは思っていなさそう。
既に当初の趣旨は忘れているんじゃないかと思わせるくらい、元気に明るく、軽やかに歌うせっちゃん。
その歌詞に律儀にツッコミ、一風変わった合いの手と化している勇者様。
元気そうです。
とてもとても、元気そうです。
勇者様なんか、その悲惨な運命に憔悴しているんじゃないかと思っていたんですが……
ちょっと、ほっとしました。
もしかしたら、せっちゃんの明るさが勇者様も元気にしてくれたのかもしれません。
明るさと元気って、周囲も良い方向に引きずってくれるそうですし。
ああ、せっちゃんが迷子になって不安にならずに済んでいるのも、もしかしたら……せっちゃんも良く知る勇者様が一緒にいてくれるおかげ、かもしれませんね?
何にしても、元気そうなのは良いことです。
お陰で大魔じn……まぁちゃんも、切羽詰まって暴走する必要はなさそうだから。
ここで形振り構わず暴走されたら、どうやって沈静化したものか悩ましいことになってしまいます。
今回は側に抑止力がいるので、懸念する程のことにはなりそうにありませんが。
まあ、でも。
急を要する事態になっていることは……確かですかね?
「――リアンカ、予定変更だ」
「うん、まあそうなるかなって思ってはいたよ。まぁちゃん」
「他の煩わしいもん全部片付けてから勇者んとこ迎えに行くかって思ってたんだがな……せっちゃんがこうなっちまったら話は別だ。先にせっちゃん回収だ。ついでに、勇者もな」
せっちゃんと勇者様を回収して――煩わしい、勇者様奪還を阻む妨害はそれから改めて全部ボコす。
まぁちゃんはそう言って、半眼で水鏡の向こうを見つめています。
『いざ♪ 地獄の釜ひらーけよ! そーれいち、に、さん、たーたたん♪』
『それ絶対に開いちゃ駄目なヤツだろ!!』
せっちゃん、勇者様……地獄の釜は、下手したら本当に開いちゃうかもしれないよ。
それも、まぁちゃんが開くことは目に見えている訳ですが。
「俺が先に行く。リアンカ達は急がなくても良いが……御先祖から離れるなよ? 合流するまでにやっとく必要のあることがあったら、そっちもお前らに頼むぜ」
「わかった。まぁちゃん……気を付けてね。相手は神様だし、何があるかわからないし」
もしかしたら『魔王』が単独で天界の空を突っ切っていくことに、危機感を抱いたどこかの神が喧嘩を吹っ掛けてくることもあるかもしれません。
どんな足止めも問答無用で突っ切っていくとは思いますが。
それでも一人で先に行くというまぁちゃんに、今までとは違う環境で単独行動をするまぁちゃんに、今まで感じた事のない心配をしました。
これが魔境だったら、笑顔で何の憂いもなく「いってらっしゃい」って手を振るんですけど。
今までまぁちゃんをこんなに心配したことって、なくて。
何となく空に飛び出そうとするまぁちゃんの、マントの端を握って引きとめてしまいます。
せめて、せめて何か……まぁちゃんの安全性を高められるような、ナニかは。
秘蔵の薬でも持たせようかとおろおろする私の、その背後から。
まぁちゃんに向けて……その時、思いがけない声がかかりました。
知っている声ではあったけれど。
まさか、こんな時に口を挟んでくるとは思いもしていなかったんです。
それは、常と変らない軽~い口調で。
奴は、言いました。
「ナンパも喧嘩も、対人関係は初めが肝☆心!! ファーストインパクトに勝る牽制って早々ないよ、リアンカちゃん!」
「サルファ! え、その心は?」
何が言いたいのか、この軽業師は。
そんな胡乱な気持ちを込めて、サルファを見ると。
奴はうっきうきの顔で、ぱちりと片目を瞑って来ました。
どん引きしようかと、思ったんですけどね?
その片手に持っているアレコレを見て、踏み留まります。
アレは……!
「出会い頭の第一印象って、重要だよね☆ 思わず遭遇した誰も彼もが道を譲っちゃうような迫力と威厳が際立つ姿……そんなまぁの旦那の姿を、俺は知っている♪」
普段は、あまりサルファの発言を取り合わずにいるんですけど。
こういう時は、話が別です。
奴の有用性が、その技術が! 一際輝くこんな時は……!
サルファの片手には、どこかで見たナニかに印象の良く似た……
真っ赤なドレスが、抱えられていました。
「誰もが道を譲る異よu……迫力の美貌を前にして、本当に誰もが敵対を避けて道を譲れば! まぁの旦那の道行だってタイムロス零でぐんぐん真っ直ぐ前に進めちゃうでしょ☆」
ぐっと親指を立てて論ずるサルファ。
そんなサルファの言葉に、私とまぁちゃんは。
「「一理ある」」
ほとんど同時に、こっくりと頷いていたのでした。
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