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15.迷子の心得・魔境式




 疲れ果てた顔で、やっとのことで身を起こした勇者様。

 その手足は、数時間ぶりの自由を満喫しようとしてしきれずにいる。 

 勇者様に解放をお願いされたせっちゃんは、即座にそのお願いに応じてくれた。

「せっちゃん頑張りますのー!」

「姫、手! 手元! 頼むからちゃんと見てくれ!?」


 せっちゃんの手には、断ち切り鋏が握られていた。


 どうやらそれで鎖を切るつもりらしい。

 勇者様は冷や冷やだ。

 そんな勇者様にお構いなく、せっちゃんが握ったやけに黒光りする鋏は易々と鎖を断ち切った。

「金属を切る鋏って、何なんだろう……」

「八条金星白夜叉黒鉄大クワガタの顎鋏で作った鋏ですのー」

「昆虫製!? 待て。なんだ、その虫! 名前長すぎないか?」

「せっちゃんの八歳のお誕生日に、あに様とリャン姉様が捕まえてきてくれた虫さんの忘れ形見ですの」

「やっぱり魔境の虫か……姫が所有している時点で大体そうだろうとは思ったけどな!」

 せっちゃんがしゃきーん★と動かすと、女神の力が込められている筈の鎖が葱のように良く切れる。

 お陰で全身を這っていた鎖は撤去されたのだが……

 勇者様の両の手を、手首で拘束する物体。


 その名は手錠。


 たった一つ、それだけが……解放されずに、未だ勇者様の手首を締め付けていた。

「勇者さん、お手てをちょうだい致しますの」

「やれない! これだけは、やれない……! 姫、その鋏を下げてくれないか!?」

「えー」

 理由は簡単。

 その手錠が、勇者様の手首に一部の隙間もなくジャストフィットしていたから……そう、鋏を差し込む隙間がなかったのだ。

 せっちゃんの手つきをずっと見ていた勇者様の額には、冷汗がだらっだらである。

 神の力による鎖さえも易々と切っちゃうのだ。

 うっかりせっちゃんの手元が狂えば……勇者様は、自分の手首が切り落とされる光景が目に浮かんだ。

 だからこその断固拒否体勢で、せっちゃんから手を遠ざける。

 いつまでも手を不自由なままにはしておけない。

 勇者様だってそれはわかっていた。

 わかっていても、踏ん切りがつかない。

 だが足は自由になるというのに。

 勇者様の手首は半端に不自由なままで……これで一体どうやって満足にツッコミを入れろというのか!

 文字通り枷をつけられ、勇者様のツッコミに制限がかかり。

 その状況に勇者様自身がいつまで耐えられたものか……

 出来ればリアンカちゃん達に合流する前に外れれば良いな、と。

 ささやかな希望を胸に抱きながら、勇者様は身支度を整えた。

 具体的に言うと、乱れた着衣をどうにかこうにか不自由な手で直していく。

 拘束される過程で乱れた衣服も、手が動けば何とか取り繕うことが出来る。

「どこかで武器を調達しないとな……最低限の自衛手段が手元にないと、心許なくて仕方ない」

 どうやら生まれて二十年で培った諸々の経験その他のお陰で、勇者様は武器がないとどうにも落ち着かない気分になるらしい。

 よれた袖の皺を引っ張りながら、難しい顔で武器の調達に頭を悩ませた。

 この天界で、女神の神殿で。

 武器を持っていたとしてもどこまでそれが通用するかはしれないが……やはり何はともあれ、棒の一本でも手元になければ何も始まらないのだ。

 自分の身を守るにも、此方から打って出るにしても。

 または後ろを振り返らず、心強い仲間達の元へ逃亡を図るとしても。

「本当は剣が欲しいところだが……贅沢は言えないな。まずはその辺で棒状の物体を探すか。火掻き棒でもあれば良いんだが」

 ぶつぶつと呟きながらも、勇者様の手は自身の見苦しい部分を整えていく。

 勇者様の身繕いは程無く完了し、ふと横を見れば……。

「………………姫、先程から何をしているんだ?」

 身嗜みが完了する間際、ふと見た先で。

 勇者様は不可解なものを見たと、難しい顔で眉を寄せる。

 勇者様が見たモノ。それは、寝台の上……先程の勇者様と似た境遇に陥った、ティボルトの姿。

 またせっちゃんに襲いかかっては大変と、勇者様を戒めていた鎖の残骸で逆に仰向け状態のまま捕らわれた半裸の美青年。

 そこまでは、良い。

 問題は、その半裸の美青年の腹の上にせっちゃんが座っていることで。

 より正確に言うのであれば、せっちゃんの右手に……筆が握られていた。

 よく見ると左手には携帯用のインク壺らしきものを持っている。

 何をしているのかという問いに、せっちゃんはにこにこしながらこう言った。

「せっちゃん、お手伝い中ですの」

「……何の?」

「このおにーさん、隠し芸をするにはちょっと見た目が地味なんですもの。よりお客さんの目を引けるように、せっちゃんお手伝いしていますの!」

「彼は別に隠し芸をするつもりも、人の目を引きたい訳でもないと思うが……うわ、無残な」

「う? でもおにーさん、半裸ですのよ。何もない時に脱いでる人がいたら、何かするものと決まってますの!」

「うん、それは魔境の……ハテノ村の常識だからな? 他の地域でまで適用されるものじゃないからな?」

 勇者様が、憐みの籠った目でティボルトを見下ろす。

 常であれば憐みの目を向けられる側の勇者様が、つい憐みの目で見てしまう……そのくらい、今のティボルトの姿は悲惨だ。

 せっちゃんが張り切って人目を引けるように……隠し芸を披露するのに相応しい様に、やらかしてしまったお陰で。


 せっちゃんの手に握られた筆には、たっぷりとショッキングピンク色の……苺の香が漂う、染料が吸わされている。

 それも染物用の、時間が経てば落ち辛くなる強力な染料が。


 いまティボルトの腹では、せっちゃんの力作が笑っていた。


 文字通り、大きな笑い顔が書かれている。

 五つの目を持つ、魔獣を思わせる大きな顔が。

 胸にはハート形のニップレスが張り付けられ、その周囲を天然石から削り出されたラインストーンが飾り立てている。

 ぐるぐるぐりぐりと渦を巻くように力強く描かれた五つの目玉の配置的に、ニップレスが丁度麿眉のような位置を取っている。

 腹のへそすぐ上には一際大きな目玉が他者を睥睨するように開眼しており、人の視線も釘付けだ。

 大きく裂けた口だけは何故か黒い染料で描かれており、見る人に与える禍々しい印象の向上に一役買っている。

 何とも独創的で、衝撃的な謎の顔面。

 こんなものを書き加えられて、一体ティボルトにどうしろというのだろうか。

 腹踊りでも踊れと?

 気でも狂ったかと疑われそうだ。

「とっても良く描けましたのー!」

「そうか……無邪気って凄いな。悪気がないとわかるから、余計に」

「勇者さん勇者さん、見て下さいですの。魔境のコキュートス地方に住む、イソギンチャクの幼体のお顔そっくりに描けましたの!」

「しかも実在するのかよ!! というか磯巾着!? 磯巾着の幼体!!?」

 ずきり、トラウマを刺激する単語だ。

 驚きに身を震わせる勇者様。

 深く追求してはいけない、と……彼の胸の内で囁く声が聞こえた。

「そっそれより、姫。何があったのかは詮索したくないが、リアンカ達とはぐれたって言っていたな? 君はわからないかもしれないが……『美の女神の神殿(ここ)』は危険だ。至急、場所を移動した方が良い」

「勇者さんも一緒ですの」

「俺は……正直、此処から何もせずに逃げられるか、わからない。あの女神は俺に執着しているし……今までの経験から言って、ああいう相手は大体逃げられない様に何らかの対策を取るなり仕掛けをするなりしているものと相場が決まっている。相手は神なんて、俺達には測りきれない相手だ……どんなトラップが潜んでいるか」

 勇者様は、悲しそうに自分は此処に留まるつもりだと意思を表明した。

 本音を言えば、逃げてしまいたい。

 凄く凄く、ものすっっっごく、逃げてしまいたい。

 だが勇者様は、根っからの紳士で。

 自分の逃走よりもせっちゃんの逃走確率を上げる方を優先するつもりだった。

 自分まで逃げてはきっと、女神の注意を引いてしまう。

 両手も手枷のせいで不自由だ。このまませっちゃんに便乗して逃げても、足手纏いになるのは必至。

 だったら自分が囮となって、留まる事になってでも先にせっちゃんを逃がそうと。

 ……それでせっちゃんがリアンカやまぁちゃんと合流出来れば、結果的には自分の生存確率が上がるのだから、と。

 そんな風に、考えていたのだが。

 しかしながらせっちゃんは、最初っから勇者様を置いて行く気などなかった。

 だって、

「リャン姉様が勇者様に会いたがっていましたの。だったらせっちゃん、せっちゃんが頑張ってお二人を遭わせて差し上げたいんですの。そうしたらきっと、リャン姉様、喜んでくれるから」

「姫……その気持ちは、とても健気で嬉しい。嬉しい、が………………今、君、『遭わせて』って言わなかったか?」

「せっちゃん失敗しちゃいましたの☆ 会わせて、ですの。会わせて」

「あ、あ……うん、そうだよな。ただの間違いだよな!」

 うっすら胸中を不安がよぎったのは何故だろう?

 勇者様は首を傾げながらも、せっちゃんの顔を正面から見つめた。

 いま、せっちゃんはとても真心の籠った言葉を口にした。

 彼女の思いが真摯なものであったから。

 だから自分も真面目に向かい合わねばと、勇者様は静かに諭すつもりで話しかける。

「気持は本当に嬉しいんだ。だけど今の俺には、一緒に逃げる為の手段と安全保障が欠けている……姫、君は先にまぁ殿達と合流して、そして出来れば……助っ人として、彼らをこの神殿まで導いてくれ」

「お導き役でしたら、御先祖様が一緒にいますの。羊飼いさんだから、御先祖様はその道の玄人ですのよ?」

「ご、御先祖…………あ、ああ、そっか。そうか……一緒にいるのか、フラン・アルディーク……」

 勇者様の脳裏に、昨年夏の武闘大会の記憶が鮮やかに蘇った。

 同時に一生使う気は微塵もなかった剣の隠し機能『ルーペ』を華々しくお披露目して勝利をもぎ取った自分を思い出し、一瞬海の底に沈む貝に生まれ変わりたくなった。

 勝利の決め手は、ルーペでした……そんな一夏の思い出。

 フラン・アルディークの顔を思い出すと、どうしてもその記憶が連動して頭に浮かぶ。

 勇者様は頭を振って、その思い出を振り払った。

 振り払いついでに、話を逸らす。

「ところで姫、リアンカ達との合流できる見込みは? 何かはぐれた時の決め事か何かないのか」

「ありますの」

「あっさり即答か。あるのか、合流する手段が」

「はいですの! せっちゃん、小さい頃からあに様達に言われてましたの」

「……ん? 小さい頃、から?」

 一瞬、嫌な予感がした。

 いま勇者様達がいる此処は天界。

 当然ながら諸々の条件は下界である魔境とは大きく違うと思われるのだが……

 今のせっちゃんの口ぶりでは、魔境で迷子になった場合と丸っきり同じ手段でまぁちゃん達との合流を図っているように聞こえる。

 いや、事実その通りなのだろうが。

 だが、天界で迂闊なことをやっては、逆に自分達の首を絞めるかもしれない。

 そう思い至った勇者様は、顔を引き攣らせてせっちゃんを引き止めようとしたが……

 せっちゃんが宣うことに曰く、

「迷子になって、あに様からはぐれちゃった時は!」

「待て。待ってくれ、姫。俺の心はまだ聞く準備が……!」

「――周辺でいっちばん高いところに登って、おっきなお声であに様を呼びますのー!」

 それで万事解決ですの、と。

 せっちゃんはそういう訳だが。

 勇者様は不自由な手に顔を沈め、頭を抱えていた。

「姫、それは……『女神の神殿(ここ)』でやったらマズイ気が……」

「こうしてはおれませんの! せっちゃんのこと、きっとみんな心配していますの……早速実行して、安心させてあげないと」

「俺の話を少しは聞こうかぁ!?」

「この辺で一番高いところ……うーんと、室内じゃわかりませんの。まずはお外に出ましょう、勇者さん」

「聞いて、頼むから!」

 しかし、勇者様の懇願虚しく。

 『これ』をやれば、兄や従姉のお姉さんと合流できる。

 そう思い至ったせっちゃんは、そのことで頭がいっぱいで。

 いっぱいで、それ以外の雑音(勇者様の声)は呆気なく耳を素通りした。

 素通りして、むしろ今はわくわくしている。

「るんるりんりらーん♪」

「楽しそうだな、姫……だけどまずは、この部屋から出られるかどうか。………………ああ、やっぱり鍵がかかっている。状況は絶望的な筈なのに、施錠がしっかりされていたことに少し安堵しているのは何故だろう。姫の身を思うなら、逃がすに不利な状況の筈なのに」

「勇者さん、ドア開きませんの?」

「ああ、開かないんだ。だから……そうだな、あの明り取りの窓から姫だけで逃げると良い。姫は空を飛べるし、大丈夫だろう。俺は……あの窓を潜り抜けるには、体が大きすぎるし無理だが」

「大丈夫ですの!」

「えっ? なんだこの不安な気持ち」

「勇者さんもちゃんと、お外に出られるようにせっちゃん頑張りますの」

「頑張らなくて良い! がんばr……ああぁっ!?」

 その時、勇者様は必然的に目撃してしまった。

 勇者様では絶対に通り抜けられなさそうな窓を眺めたせっちゃんが、次の瞬間。


「破……ッ」


 無造作に部屋の壁を拳で破壊する、その姿を。


 拳の一撃で、全ては終わった。

 ついでに勇者様のささやかな「自分が囮計画」も終わった。

 石造りの壁は、破片を外に向かって爆散させながら大穴を開ける。


 勇者様は再び、頭を抱えた。

 こんな目立つことを後先考えずやらかす少女を差し置いて、自分が敵の注意を引ける筈がない。

 むしろ自分が側で見て監督しないと、何をやらかすか知れたものではなかった。

 せっちゃんは勇者様の苦悩など気付きもせず、無邪気に壁の穴から外にぴょっこり頭を出して周囲を確認している。

 そして脳内で何かしらの算段をつけたのか。

 にっこり無邪気に微笑んで、喜んだ。

「勇者さん、勇者さん! あのてっぺんなんて良さそうですの! この建物のお屋根の上まで行って叫べば、きっときっとあに様に気付いてもらえますのー!」

 そう言ってせっちゃんが指差す先は、この神殿のてっぺん……一番高い位置にある屋根の上だ。

 この神殿自体が他の神々の神殿より少々高所にあるようで、そりゃあさぞかし見晴らしが良いことだろう。

 そんなところから大音声で叫びでもしようものなら、まぁちゃんも気付いてくれるかもしれないが……余計な相手にまで気付かれること必至である。

 具体的に言うのであれば、某女神とか。某女神とか。

 それを思えば、ここはせっちゃんを止めるところかもしれない。

 止めるところかもしれないのだが……先程から振り回され通しで、勇者様は。

 なんだかとっても虚ろな、死んだ魚の眼差しを体現していた。

「もうどうにでも好きにしてくれ……」

 勇者様の身に、この一年数か月で肌に馴染んだ感覚が迫って来る。

 人はその感覚を、『諦念』と呼んだ。






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