101.偽の手紙にご用心
赤と黒で斑に彩られた竜が、飛ぶ。
全身をぼろぼろに傷つけられ、どこか痛むのか……よろよろと、常の速度に比べれば牛歩の遅さで。
その目指す先には――愛の神の神殿があった。
若竜達と邪炎竜との決着は、誰もが予想していた通りに早々着きました。
主(軍神さん)への忠義からか、邪炎竜さんも頑張って粘っていましたけどね。
邪炎竜さんが邪炎竜さんな時点で、そもそも最初から万に一つも勝ち目なんて存在しなかったんです。だってどう考えても、邪炎竜なんて名前なら、「=炎属性」ですよね。それで真竜の中でも水属性に特化したロロイが負けるとか。
そもそもの種族特性による実力差+属性的有利不利。
ちょっと考えてみただけでも、結論は……うん、ロロイが負けるとか有り得ませんね!
今も、ほら。
邪炎竜さんは竜姿のロロイに、ものの見事に足蹴にされていて。
身動ぎ一つ出来ずにいるようで、必死に藻掻いた末に諦めたのかぐったり大人しくなっていました。
ロロイったら、あの赤ちゃん竜が立派になりましたねぇ。
私が思わず若竜達の赤子時代を思い出して沁々していると、それまで静観していたまぁちゃんが進み出て。
ぱんぱんと、注意を引くように手を叩きました。
「よーし、決着はついたな? お前ら、そこまで!」
なんで?と。
そう言わんばかりに怪訝気な若竜達の目がまぁちゃんに向けられました。
一方、邪炎竜の方は「助かった!」と救いを見つけた! みたいな顔をしていますけど。
でも、うちの従兄は、そんな身内でもない相手を無条件に助けるような甘い性格はしてないと思いますよ? 身内、それも庇護対象と認識している相手には極甘ですけど。
案の定、我らが魔王様は甘くなんてありませんでした。
ドスッと。
わざと片足で邪炎竜の鼻面を踏みつけて。
まぁちゃんは、それはそれは優美な笑みを浮かべました。
「てめぇ、これは落し前だ。そう思って話聞けよ? ちょっと使いを頼まれてもらおうか……今からてめぇはドラゴンじゃねえ。伝書鳩だ。主(軍神)と同じ目に遭いたくなけりゃ、素直に言うこと聞くんだな」
顔は優美でも、台詞には優しさなんて微塵も存在しませんでしたけど。
そうして優し気な声と口調とお顔で、画伯の茶々とりっちゃんの解説を交えつつ、軍神さんがどんな目に遭っているのか、現在進行形での悪夢を説明し終わる頃には。
邪炎竜さんはすっかり、体表の赤色がかすれるくらい、なんか灰色(心情表現)になっていました。
その後、邪炎竜は快く伝書鳩を引き受けてくれまして。
恙なく、遥かな空へと飛び立っていきました。
愛の神の神殿へ、美の女神を訪ねて。
さてさて、女神は素直に呼び出しに応じるでしょうか?
応じても応じなくても、その時はその時で対処を考えるだけですけど。
私達が目下のところやるべきことは変わりません。
軍神さんのお宅(神殿)の、改造です。
軍神さん神殿の構造は堅牢な石組で作られた頑丈な外郭の内側に、木造の柱や梁、板を張り巡らせて二階、三階を後から作り込んだ構造になっていました。
わあ、なんて改造し甲斐のある建築様式……。
木の板を一枚二枚外すだけで、本来手を出し辛い二階や三階に簡単に即席落とし穴が作れそうです。
一階の床も、石畳を引っぺがしたら落とし穴を作れないことはありません。
留守を任されているらしい人外の警備やら召使やらがいましたが、全て奥方様の威光とまぁちゃんの手刀とご先祖様の威圧と画伯の賄賂で黙らせました。
今ここに、文句を言う人はいません。(まぁちゃんとご先祖様が蹂躙したので。)
勇者様からのツッコミが時折入るだけです。
つまり、やりたい放題ってことですね☆
この場には魔境出身者……こういう悪ノリ大好きな面子も多くいますし。
さーあ、張り切って罠の館に生まれ変わらせてさしあげましょう!
美の女神を、じっくり料理してやる為に!
そして軍神さんの神殿は、酷いことになりました。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
そこは、愛の神の神殿。
神殿の主である妖艶な美少年は、右手にオタマを、左手に鍋を。
それぞれに堂々と掲げ、見極めた一瞬を逃すことなく絶妙な間合いで打ち鳴らした。
カーンッ
「はい、そこまで! 勝負あったね」
まるで神の託宣を下すかの如く厳かな口調。
だが現場は、厳かというには少々おかしい。
愛の神の眼前には、全身の力を失ったように二人の女性が頽れていた。
嫁(魂の女神)と、母(美の女神)だった。
今の今まで絶賛勃発中だった嫁姑大戦争の結果、判定が下されると同時に彼女達は力尽きていた。それほど、この嫁姑にとっては死力を尽くした戦いだったのだろう。
室内は戦の名残によって、惨憺たる有様だった。
全力で荒らされた室内は、暴風雨でも局地的に発生したかと思える程だ。
当然ながらこの部屋も、愛の神の神殿の一部。
だが自分の神殿を荒された男は、既に何度も繰り返された定番の嫁姑戦争がどんな結果をもたらしても悟り切った目で淡々と対応するのみ。
荒した片方が実母であり、荒したもう片方が嫁である限り、彼に苦情を口にする気はない。
言ってもどうにもならないことは、目に見えていたからだ。
「今日も派手にやったね……」
ただ、それだけを呟いた。
相性最悪。
愛の神の嫁と母の関係は、その一言に尽きる。
あまりにも仲が悪いので、彼女達が鉢合わせるとそこは修羅の御座所に様変わりだ。
どちらか一方に肩入れしても火に油を注ぐだけなので、愛の神は早々に己の立ち位置を決めて状況が悪化しないように努めることに終始していた。
嫁と母、どちらの味方をしても悪化するだけ。
だから完全なる中立……彼女達の争いの判定人に徹した。
そして二人の対決における決め事を定めたのも愛の神だった。
派手に戦うのは月に一度。
一度勝敗が決したら、向こう一か月は穏便に振る舞う。
また公平な目で勝敗を決めるので、勝負がついた後に異議を申立てはしないこと。
そして敗者は半月の間、勝者をこれでもかと持ち上げて過ごすこと。
それが、愛の神の定めた決め事だった。
どうやら愛の神もそこそこ苦労しているらしい。
そして嫁と姑の争いが定型化してから、数千年。
今となっては定番化した月一番の勝負に、三者三様の楽しみを見出していることは内緒だ。
ちなみに今回の結果は僅差で嫁の勝利に終わっている。
勝利の決め手は、ブロンズ製仁王像の心臓を粉砕したウインクの破壊力だとか。
姑は、床を叩いて悔しがっていた。
私はそんな安い女じゃないわと気取って、無機物への愛想を出し渋ったことが敗北の要因となった。
「ふ、ふん……っ こんなことで優位に立ったつもり?」
「あら、いやですわお義母様? 優位も何も、わたくしが勝利を収めたのは事実。負け惜しみは品位が疑われますわ」
「得意げに言う貴女の姿こそ、底の浅さが窺い知れてよ。減らず口、を……?」
不自然に、女神の言葉が途切れる。
その視線の先に、よたよたと危険飛行で向かってくる竜がいた。
「あれは、あのひとの……?」
訝りながらも、見覚えのある竜の姿に女神は身を起こす。
今にも墜落しそうな竜は、彼女の愛人が従えている眷属。
何かあったのかと疑わし気に竜の来訪を迎え入れた彼女に、一通の手紙が差し出された。
軍神から何か知らせが?
手紙を開き、そして。
美の女神は絶叫した。
「そんな! なんですってえええ!?」
竜が運んだ手紙に、書かれていたこと。
それは……
「母上、取り乱してどうしたの」
「坊や……それが、酷いのよ。見て頂戴、これを」
息子が手に取り、手紙の要件に当たる箇所を声に出して読み上げた。
「……『――神殿の一部が爆破された。貴女の衣裳部屋に直撃してしまい、酷い有様だ。衣装・宝石・化粧品の類も破損したものが多数ある。確認のために足を運んでくれまいか? 仕立て屋を呼ぶので、吹っ飛んで駄目になってしまった分の衣装を作り直そう』」
「酷いわ……あのひとの神殿には貴重な物ばかり置いていたのよ? 中には絶滅した動物の毛皮で作ったマントやローブとか、もう二度と手に入らない品もあったのに。あのひとの所であれば安全だと思ったのに」
「まあ、軍神だしね。母上の神殿に比べれば警備も万全でしょうけど」
「こうしてはいられないわ。気に入っていた品も多いのよ。状態を確認に行かなくては……今すぐに」
美の女神は、すっかりと騙されていた。
こうして、彼女は迂闊にも安易に踏み込んでしまったのだ。
いや、招き寄せられたというべきだろうか?
彼女の……美の女神の自尊心と意地と心を圧し折る為だけに準備が整えられた、トラップハウスへと。
次回、女神が酷い目に遭います。
そして勇者様のメンタルがとばっちりに遭います。