97.洒落にならない危険ブツ
何で勇者様ばっかりこんな目に遭うんでしょうね?
「でもなんとなく、こうなりそうな気はしてた」
「同じく」
勇者様の受難が簡単には終わりそうにないな、と誰もが思った頃合いで。
そういえばとまぁちゃんが口を開きました。
「魔境にもなかったか? 若返りの……時返りの薬」
まぁちゃん、覚えてたんですか。
その言葉に勇者様が、目を見開いて驚きました。
「いきなりの爆弾発言だな……魔境には、そんなとんでもない代物まであるっていうのか」
「人の運勢すら左右するブツを目にした後で何を今更。存在してたはずだぞー。それも、ハテノ村の薬師管理で」
「!?」
勇者様が信じがたい!みたいな目で私を見てきます。
あはははは。そんなとんでもない薬がハテノ村にあるのかって?
ありますけど。
勇者様、勇者様? そんな目で見られて、私はどうすれば良いんですか。
「もう! まぁちゃんってば。あの薬は薬師でも扱いが難しい、門外不出の禁薬ですよ!」
「それはまさか前に祭り屋台で販売していた薬類よりも凶悪な危険物ということか!?」
ぎょっと目を剥いて、勇者様が思わずといった風に後退ります。
それはもう勢いよく、一歩二歩……え? 三歩も下がるんですか?
しかし危険物なんて……
まさかも何も、立派な危険物ですが。
理由は明瞭。
「若返るは若返るんですけど、効果が強過ぎるんですよねー。笑って済ませるのが困難な程度には」
「効果が……強い? その時点でもう嫌な予感しかしないな」
「原液一滴で三千年近く余裕で若返ります」
「それもう若返るどころじゃないだろう! 時間が遡り過ぎて消滅してないか!?」
「勇者様の予想通りですねー。正確にはスポイト一滴で大体二千九百四十八.三三六年分若返るんですけど」
「にせんきゅうひゃくよんじゅうはち、てん、さんさんろく……」
「そのままだと余程のご長寿さんでもない限り存在が抹消されてしまうので、使う時には特殊な霊水で希釈調整するんですよ。若返りたい年数に合わせて。でも希釈に失敗したっていう事故が絶えないので、そもそもの薬の調合法自体が封印ってことになったんです。何しろ、薬師でも希釈に苦労する有様で」
「おいおいおいおい……洒落にならない!」
「だから、そう言っているじゃありませんか! 何故かここに、その原液詰めた薬瓶がありますけどね!」
「おい、ちょっと待て」
本当に、なんでここにあるんでしょうねー? おかしいですねー?
天界に来るにあたって、村から持ち出した荷物の用意をしてくれたのは薬師仲間の二人でした。
当然ながら薬の種類も、むぅちゃんとめぇちゃんが厳選してくれたものばかりのはずで。
……一体どんな事態を想定して、あの二人は若返り薬が必要だと思ったんでしょうか。
武器? 武器としてですか?
危ない目に遭ったら、敵対する誰かに投げつけろとでも?
真相は不明です。ただ、手元に、一滴で三千年若返る洒落にならない液体が五百mlくらいあるっていう物騒な事実だけが残ります。
「どうして薬の調合法は封印された筈なのに、現物がここにあるんだ……!」
「察してください」
「……昔のか? 封印される前に調合された、昔の薬剤なのか。廃棄しなかったんだな? それは使用期限的に大丈夫なのか……?」
「あ、これそんな昔の薬じゃありませんよー。作ったのもむぅちゃんですし」
「おい。なんで作った。封印してたんじゃないのか」
なんだか勇者様から、強い視線を感じます。
見つめられています。それはそれはもう、すっごく見つめられています。
なんとなーく、その視線に疑惑と咎める色合いが感じられるのは気のせいでしょうか。
私は勇者様の強い視線に、神妙な顔で一つ頷き言いました。
「駄目って言われると何故かやりたくなりますよね。何故か。悲しい人の性質です」
「その口ぶり、まさかリアンカも作ったことあるとか言わないよな!?」
その聞き方は、半ば予想されてるんじゃないですか……?
私は、そっと優しい口調で返しました。
「実は……これ作るの、ハテノ村の歴代薬師の恒例行事っぽくなってるんですよね。誰に強制された訳でもないのに、示し合わせたように皆やらかすっていう」
「封印の意味ねー! いや、そもそも封印できてないじゃないか!」
封印という言葉の意味を辞書で引いて来いと勇者様は仰いますが。
ふふふ……ハテノ村には辞書なんてありませんよー? 魔王城にはありますけど。
暗黙の了解というか、共通認識というか、封印云々もそんな感じのふわっとした定義で設定されています。そう、封印したといいつつ存在している不思議も、言うまでもない暗黙の了解。
作るだけ作って、ちょっと実験してみちゃったりなんかもしますが、作って結果を見て満足したら後は処分するまでが暗黙の了解なので問題ないと思います。世に出なければ存在しないのと一緒ですとも!
大丈夫ですよ、勇者様。
私達、ちゃんとわかってます!
言うまでもなく、この薬は世に出さないので封印はバッチリですよ☆
ちなみに廃棄処理の方法も、大体みんな同じ手段を選ぶってところまで儀礼化している感を出していると思います。特に相談とかしている訳じゃないのに、何故かみんな同じ方法で処分するんですよね。いつもの事ながら、歴代薬師の同類臭が凄いです。
今回持たせてくれたむぅちゃんの若返り薬は、近々魔改造する予定で取ってあったんだとか。魔改造と実験が終わったら処分するつもりだったらしいので、後ほんの僅か時機がずれていたらこの薬もここには存在しなかったんでしょうね。
薬瓶には「使ったら使用感のレポートを提出して」とメモ書きが添えられていたので、これはこれで実験目的といえなくもないですけど。そう、神様に使った場合の使用実験ですね。
でも幾らなんでも神様相手に危険な薬の実験なんて……あれ? 何故か一部、実験体にすることを考えても抵抗のない神様がいますね? 驚くほど罪悪感が湧いてきません。
「……これ、美の女神にぶっかけてみたら駄目ですかね。希釈なしで五百ml全部」
「それは流石に危険過ぎないか……? 美の女神の実年齢がどれ程か知らないが、あまり変わらない可能性もあるんじゃないだろうか」
「さりげなくすっげぇ婆かもしれねえって言ってるな。勇者の奴」
「勇者君らしくない失礼な物言いだよね」
「しっ……彼も度重なる苦難に思うところがあるのでしょう」
何やら魔王とその配下がひそひそ言っていますけど。
あまりそこは問題じゃないと思うんですよ。
今、問題にすべきは……一つ!
「問題はこの若返りの薬を、誰に試すかってことですよね!」
「そこじゃないだろぉおお! しまえ、しまってくれ! 試したら駄目だ、試す試さない以前に危険すぎる代物じゃないか」
「美の女神にいっそ盛大にぶっかけてみたいと思いません!? 後腐れなく!」
「落ち着け! 冷静になれ、そもそもの主旨が変わってきているから!」
「そうだね、リアンカちゃんってば。それで美の女神が消滅しちゃったら、鍛冶神様がガッカリしちゃうじゃん☆」
「あ、そうでしたね。引渡し要請受けてるんでした! 鍛冶神様のガチ監禁ヤンデレ祭開催の細やかなお手伝いをする予定でした。実験台にしちゃ駄目ですよね!」
「君達、俺と合流する前に一体どこでどんな黒い取引を結んできたんだ!? 何か変な根回しの気配を感じる……! リアンカ、君、ちゃんと正気なんだろうな?」
勇者様が私の肩を掴んで、がくがくと揺すります。
焦燥に満ちたお顔は、私よりもむしろ勇者様の方が正気を危うくしているような切羽詰まったモノで。
一体何に追い詰められているんでしょうね?
首を傾げながら、私は勇者様に微笑みかけました。
「ふふ、勇者様ったら! 私はちゃあんと正気ですよ?」
「余計に性質が悪い!」
安心させようと思って微笑みかけたんですけど、何か悪かったのでしょうか。
勇者様はより一層追い詰められたような顔になって、私から薬瓶を没収しようとしてきます。
こんな扱いの超絶難しい危険物を勇者様に渡す訳にはいきません!
勇者様の不運ぶりじゃ、事故って頭から被ってしまっても不思議じゃありませんよ。
私は勇者様に抵抗して、薬瓶を懐に仕舞い込みました。
胸元にでも入れておけば、勇者様も手出しは出来ないでしょう。
「あ、ああーっ」
私が服の中に薬瓶を滑り込ませると、勇者様は絶望感溢れるお顔で地に膝をついてしまいました。
頭を抱える、いつもの姿。
そんな勇者様の姿を見下ろしながら、まぁちゃんはつまらなさそうに舌打ちしました。
「チッ……リアンカが薬を用意出来りゃ面倒を省けて良いと思ったんだがな。仕方ねえ。事故必至の代物じゃ、使えたもんじゃねえし。リアンカにかかったら危ないしな!」
「そこか! 結局はやっぱりそこなのか!」
あ、勇者様が復活した。
相変わらず、迅速な回復ですね。
勇者様の元気なツッコミに、ヨシュアンさんもうんうんと頷いています。
「やっぱり投擲武器にするしかないんじゃない?」
「するな! 投げるな! 飛散して被害が周囲に拡大する未来しか見えない!」
「相変わらず悪い方にばっか考えすぎる野郎だな、てめぇは。けど、どうしたもんかね。リアンカに薬が用意できねーとなると、そのオチミズっつの? それを取りに行くしかねえか」
きっと、心底面倒だと思っているのでしょう。
微妙にうんざりした色が、まぁちゃんの声に混ざり込みます。
だけどその声に被せる様に、思わぬ方からも声がかけられました。
「お前たち、オチミズを望むのか」
思わず、全員無言で声の出所を見てしまいました。
そこには心なしかご満悦な感じでスノードームを撫で回す奥方様が。
……そんなに気に入ったんですか、主神監禁飼育箱。
「本当に良い品をもらってしまったからな。この働きに報いる意味で教えてやろう。
――オチミズはここよりも遠く東の地にある神群の、長の一族に連なる高貴な神が管理しておる。個性的で癖の強い者の多い神群であるが、高位の神であるだけに、一層手古摺る相手と考えて不足は無かろう」
「東? あー……そこの神群かあ。確かに癖が強いし、意味不明の神が多いとこだった。酒はキリッとして美味かったけど!」
「個性的? 癖が強い? それをここの神様が言っちゃうんですか?」
ちょっと聞き捨てなりませんね?
勇者様は接触した神様の数が少ないので実感が掴めずにいるようですが、私の方は勇者様より少し多めに神様方とお会いしています。
ここの神様達も癖が強かった気がしますが……奥方様の言葉に、その癖の強い神の一柱である酒神様まで同意を示している、この事実。
東の神様達とやらが如何程のものか、これは気になるところですね。
「ご先祖様、東の神様ってどんな方々なんですか?」
「東の? あー………………主神が引籠り?」
「それ長としてどうなんですか」
「そんでもって賑やかな祭りが大好きだったな、確か」
「矛盾……っ引籠ってないじゃないか、それ!」
ご先祖様の説明は端的過ぎてよくわかりませんでしたが、奇妙な存在であることに違いはなさそうです。
…………天界の神様って、みんなどこか変なんですかね?
「オチミズの管理をしておる神は几帳面なところがある。身分も高く、交渉に当たるにはそれなりに格のあるものでなければ難しかろう。……今であれば、この愛らしくも素敵な玻璃玉の礼に、わたくし自ら赴いて分けてくれるよう取り計らっても良いが?」
「本当ですか!? 本当ですか、奥方様!」
「神に二言はない」
「その言葉、他の神様方にも聞かせてあげたい!」
本当に、本当にどれだけお気に召していたというのか。
とてもとても嬉しかったそうなので、スノードームのお礼がてら奥方様がオチミズ入手に当たってくれると申し出て下さいました。
当然ながら、私達にとっては渡りに船。有り難すぎて、お断りする理由はありません。
奥方様はとても偉い方だそうですし、時機を逸して後悔する羽目になることも考えられます。
ここは素直に感謝して、お願いしてお任せするところですよね?
ですが。
波乱は、望んでもいないのに向こうからやって来ます。
折角奥方様が、オチミズを貰ってきてあげようか? って言ってくださったのに。
その前言を撤回されても仕方のないような危険ブツが、私達の前に降臨したのです……!
「ようやっと見つけたぞ、この薄汚い魔の化身めが……っ!!」
それは怒りと羞恥に震え、動揺に乱れた大音声で。
野太い男の声は、湿気を含んでガタガタに揺れていましたが。
それでもしっかりと、その存在を世に知らしめようとしているのか疑問に感じる大きさで響き渡ります。
そう、響き渡っちゃったのです。
聞こえてきたら当然、そちらの方を見ますよね。
それは私達も……奥方様も、例外ではなく。
視線を向けた先には、私の知らない神様がいました。
でもなんか、それが誰なのか、なんか察せます。
その神様の顔は見たことありませんし、言葉を交わしたこともありませんけど。
ですがとてもとても、なんだかとっても見覚えのある衣装……? だった何かを身に纏っておいでだったので。
「貴様ぁぁああああああっ!! 俺の鎧を返せー!!!!!」
万感籠った、その言葉。
言いたいことを、感情を全部詰め込んだのでしょう。
そこに含まれているのもやっぱり、怒りと羞恥と悔しさと、悲しさで。
怒鳴られた張本人、まぁちゃんは腹を抱えてゲラゲラと笑い崩れています。抱腹絶倒です。
でも爆笑する気持ちもわかります。
だって男神の姿は、本当に……あれです。
見るも無残。
視線を向けてしまった私は、そう思ってしまったのです。
直視していられずに、視線を逸らす。
逸らした先で、ピキリと彫像のように固まる奥方様を見てしまいました。
ああ……お身内の方、なんですよね。
私達の前に現れた、その男。男の、神。
それは……がっしりした肉体美の、男らしさが溢れる髭の生えた美丈夫で。
そしてボロボロのドレス(だったもの)を着ておいででした。
あの、まぁちゃん?
別行動する前に貴方が着ていた筈の、あのドレス。
なんであんなにボロッボロなんですかねー!?
確かにまぁちゃんが着ていた筈のドレスは、あちこちの布地が裂け、弾けた跡すらあり。
なんとなくドレスの名残というか面影を残しながらも、無残としか言えない有様で。
ロングだったスカートはだんだら状態。長いところは元の丈のまま、短いところは超ミニスカートといった惨状で、男の筋肉質で太い足がチラリチラリ……いえ、豪快に晒されていて。というか見えちゃいけないナニかがチラチラ見え隠れしていて。
どてっぱらには大きな穴が開き、上半身は弾けた跡があり……最後に見た時はちゃんと両肩を布地が覆うデザインだったのに、今ではワンショルダー。というか胸が全開で、男の胸毛に覆われた胸筋惜しげもなく見せつける勢いで曝されているんですけど。
他にも、色々と……そう、色々と酷いんですけど!
その姿はドレスの面影が残っているので、女装と言えなくもありませんが……なんだか、強制労働の現場から逃げ出してきた逃亡奴隷のようにも見えました。
何にしろ、酷い姿であることに違いはありません。
「奥方様! 奥方様、しっかり……!」
「…………………………」
無言でスノードームを抱き締めたまま、固まる奥方様。
あまりにも酷い、男の……実の息子さんを前に、思考は完璧に停止している模様です。
折角奥方様が、私達の為にオチミズを貰ってきてくださるという話だったのに……
まぁちゃん、貴方が何をしたのかは知らないけれど。
どうして、あの神様が行動不能になるようにトドメを刺さなかったの?
実の息子さんの変わり果てた姿を見て、どれ程の衝撃だったのでしょう。
未だ奥方様はピクリとも動きませんけれど。
このまま、オチミズを貰ってくる件はナシとかにされたら……私は一体、どなたを責めれば良いのでしょうね?