第15話 光を超えるもの
体が透ける。そうだ、体が透けることは消滅を暗示していることは理解できるけれど、そのことはあまりにも非現実的だったので、僕は感情的にはなれなかった。
それは僕が冷徹とか鬼だということでない。体が透けることが悲しいことだと思わなかっただけなんだ。
だけど妖精王子たちは涙を流していた。
「ノーム、しっかりしろよ、起きろよ!」
サラマンドラの呼び掛けに、ノームは目覚めない。
「ノームを助けられないのか、体が透けているけれど、消えちゃうのか」
妖精たちは、羽をはばたかせて、優しく鱗粉をノームに振りかける。鱗粉は体に吸い込まれていく。ノームの体はいまだに透けたままだ。
「このままでは弟は消えてしまうわ。妖精は消えたら終わり、何も残らない」
人間だったら、死んだとき骨が残って、消えることはない。大事に埋葬してお墓にする。妖精はただ消えてしまうのか。そんなに悲しいことあっていいのか、それだと残された者は何に祈ればいいのだろう。僕は報われない悲しさを感じた。
ウンディーネは涙を流しながら、羽を懸命に振り、鱗粉を施す。
ニッピも王子たちと一緒になって、鱗粉をかけていたけれど、途中で鱗粉が切れてしまったようで、羽を振っても、そよ風しかでない。
「ノーム、死んじゃいやだよ。せっかく友達になれると思ったのに」
ノームの羽はたゆたうだけで反応はしない。ああ、本当に消えてしまうのか。
妖精王子たちが介抱する姿を見た黒い天使は、長老との戦闘を差し置いて、ここまで飛んでくる。
「君たち、その子を助ける気なんだね、そうはさせないよ」
黒い天使は、僕たちの近くまで来て、目視できるほどの黒いオーラを体から放った。
光は根こそぎ奪われて、妖精たちが周りをかすかに照らすだけで、丘の多くは暗闇が支配する。ちょうどその空間だけ消えてしまったように、王子たちは女王に助けを求めたが、まったく気づきもしない。妖精たちは静かに気絶した。
「やめてくれよ、ああぁぁあぁ」
僕には苦痛でしかなかった。苦しい、死んだ方がましだと思ったほど苦しい。だけど、死ぬことも、気絶することも許してくれない。反抗することも希望を嘆願することすらままならない。
閉塞感の中で絶望が闊歩し、欲望の大蛇がのたうち回るような、不快感が増幅する。まるでケイビングで、誤って蛇の巣くう洞窟空間に身を落としてしまったようだ。
「苦しいか、人間。どうやらおまえは来る時代を間違ったみたいだな。お前ではこの世界は救えんよ。ただ騙されただけだろう。エルダの二の舞だろうな」
黒い天使は丘の上から、ぼんやりと斑点の残る街並みを指さした。
「見てみろ、あの街の劇場を。我々はあの国の存在がたまらなく憎らしい。我々の存在を全否定し、ただ光るだけで美しいと賞賛され、その力があたかも中立だと誇る。我々と同じ虚飾と嫉妬の根源のようなものじゃないか、それだけで罪深い。ハハハ、愉快きわまりない」
劇場か、まるで舞台上の演劇を見るほどの興味なのだろう。
ハルトは叫び続けている。暗いそこを歩き、絶望を感じながら、自身を省みた。
「ここまですることはないじゃないか、僕が何をしたって言うんだよぉおお」
ハルトはすでに半狂乱だった。どうやらこの黒い天使は、悪魔のようだ。絶望の悪魔。そうに違いない。
悪魔はただ笑っている。
「つらいよ、いやだよ、助けてよ、かあさん……」
空は厚い雲に覆われていた。その隙間から、光が差し、丘を照らす。ちょうどノームがいる自分たちのいるところを中心に光が広がる。
「あたたかい」
先ほどの苦しみとか絶望感とかが嘘のように消えていく。今は安らぎと少しだけ高揚感があって、心地良い。氷の女王もこちらに気づいたようだが、闘いの手は止められていない。
「人間よ、そなたの希望を橋渡しとして使わしてもらった。礼を言うぞ。ルシファー、いやその影の化身よ、お前の行動には目が余るものがある。身を堕としてまでもその欲望を災いにしか昇華できんか」
「その声は、ヘーラー女王じゃないですか、お久しぶりです。お元気でしたか」
「何を白々しい」
空の黒雲は白光で白く染め上がり、女性の顔の形となって、黒の天使と会話する。
「お言葉ですが、天界から身を墜として、この世界に来た以上、畑が違えども、あなたにとやかく言われる筋合いはありませんな」
ヘーラー女王の雲は、怒りの表情を見せた。すぐに平静を取り戻す。
「左様、お主が墜ちたのもお主の勝手じゃ。ならば今から私がすることも私の勝手じゃな」
ヘーラー女王は白雲で腕と宝珠の杖を形成し、そのまま振り落とした。杖の先はノームに突き刺さりノームは空中に浮かび上がる。周りの妖精は、光の衝撃に目を覚まし、そのまま吹き飛ばされた。
ノームの体がまばゆいほど光り始める。ピクシーランドの住人にとって丘の上で白く輝くノームの光は、暗い闇の中で、彼らにとって気の知れた、希望であっただろう。
ゆっくりと地上に着地する。ノームはすっかり目覚め、体のツギハギはとれていた。あふれる力が光となってあふれ出す。以前の臆病な姿はそこにはない。
「妖精ノームよ、そなたに白い腕より光の力を授ける。苦労をかけたな。わたしはそなたがルシファーに打ち勝つところがどうしても見たいのだ、それに」
ヘーラー女王の杖はマモンの頭上に落下した。ちょうど妖精大臣を捕まえ、痛ぶってやろうか、という時のことで、油断していたのであろう。
杖が振り当たったとき、マモンは絶叫し断末魔の声をあげた。体中の阿鼻叫喚する顔が溶け出し、絶命するように原型を崩していく。次第に体ごと崩れ出して、上半身が胴から切れて、地面に落下する。丘の地面の上では熔けることも崩れることもなく、そのまま石になってしまった。石はかすかに振動する。
「強欲の悪魔を退治してやったぞ、あとの影のはそなたにまかせようぞ。そんなそなたに名前を授けよう、光を超えるもの、“ノーム=ルクスペル”」
白い雲は散っていった。
「ヘーラーは甘いなあ、俺を倒すここぞというチャンスを逃してばかりいる」
ルシファーはあざ笑う。
「だけど俺はここぞというチャンスは逃さない、準備ができただろうかレヴィアタン。忘れたのか、お前をここまで呼んだのはその嫉妬の大津波でピクシーガーデンを滅ぼして、もう一度そこで俺たち悪魔の理想郷の礎を築くためであろう」
『ああ、もうすぐだ。だからこのうるさい女を何とかしてくれ』
大蛇の声は地鳴りのするものだった。氷の女王を疎ましく思っている。
「それぐらい、お前で何とかしろよ。まあ、その詠唱中じゃあ無理もないか」
会話が終わると同時にルシファーは影から黒い槍を取り出した。その槍を女王目掛けて投げ飛ばす。女王は槍に気づいて咄嗟に左に避ける。しかしそれを嘲笑うように、槍は左に逸れ、女王の腹部を貫いた。口から大量の光を嘔吐する。
「いかん、女王様」
妖精大臣が声をかけるが、石になったマモンの手錠に拘束されたままだ。
女王はその場で倒れ込む。
「よくも、ママを傷つけたな!!許さない、絶対にお前を倒す」
ノームは惨状のありさまに激怒する。
「ノーム、あんな奴を倒してしまえ!この街の敵だ」
「そんなことよりも生きててよかった」
「兄ちゃん、がんばって」
妖精王子たちはノームを応援する。
ノームは爆発的にスピードをだして、ルシファーに詰め寄った。速い。
そして、光の迫撃を一撃、二撃、そのスピードを増しながら連続で打ち続ける。ルシファーに反撃する隙は存在しない。速さは光速に近づくにつれ衝撃波が巻き起こる。
「ぐほあ、いくら影でも、“生身にまで伝わるとは”これはまずい……」
黒の堕天使、ルシファーの影は消滅した。




