「 七夜 」
十畳の和室の中央に、一枚板のおおきなテーブルがある。
そこが宮地家の居間件食堂となっていた。
テーブルのうえには、すでにサラダやオードブルが用意されている。
粋さんの手伝いで、濃い蒼色のお皿に湯気のたつハヤシライスを盛りつけた。
「このお皿……」
表面に釉薬がとろりとかかったこの蒼に、見覚えがある。河童の吊るした風鈴の蒼と同じではなかろうか。
「圭介さんの作よ」
誇らしげに粋さんが言う。
「とても深みのある色ですね」
「そう言っていただけると、妻として嬉しい」
粋さんは満ち足りた笑みを浮かべた。
雨模様でありながら、大きく開け放った窓の網戸越しに庭が見渡せた。
雨に濡れ、樹々の緑が濃い。土の匂いがどこからともなく、漂ってくる。緑の合間に半円を描く窯が垣間見えた。火をいれたら一日中窯の前から動けないんだと、河童が説明する。
宮地さんが音楽をかけ、四人での昼食が始まる。
河童は居間に流れるピアノ曲に耳を傾けると、すかさず「バッハだ」と言った。
「そうだ。それから?」
宮地さんが手にしたスプーンで河童の胸のあたりを、挑発するように指す。
「フランス組曲第五番。あたり?」
「あたりだ」
おろしたスプーンで宮地さんは、満足そうにハヤシライスをおおきく掬う。
驚いた。
河童がクラシックに造詣がふかいなど考えもしなかった。色いろと侮れない河童である。
「びっくりした?」
目元をたわめ、河童が聞く。なんだか自慢げなこどものようである。
「びっくりした」
「宮地さんは、外見に似合わずピアノ曲が好きなんです。しかもバッハとドビュッシーばかり。僕にお薦めのCDを押し付けるという悪癖もあります」
「押しつけじゃあねえ。プレゼントだろうが」
不満気に宮地さんが鼻をならす。
「今かかっている、このCDもいただきました。フランス組曲の次には幻想曲とフーガのイ短調がくるはずです」
「うん……あっている」
「ほらね」
得意そうに河童が胸をはる。
「しみず夜では、毎日宮地圭介セレクトのCDがエンドレスで流れているんです。だから自然と覚えてしまう」
「そうなんだ」
わたしの返答に、宮地さんが驚いた声をだした。
「え? なに、あんたキヨの店行ったことないのか?」
しな子さん呼びが、いつの間にやら、あんたに変わっている。なんとも気取らない人柄だ。
「ありません」
正直に答えると、宮地さんが「ひゃーー」と奇声と共にのけぞる。大袈裟な動作である。
「え? 嘘だろ。キヨ。なにやってんの? 落としたんじゃないのかよ!」
初対面に関わらず、失礼極まりない。
あまりの言われようにわたしは言葉がでず、河童は眉間に深く皺を刻むと、宮地さんを睨んだ。
「圭介さん、変なこと言わないで下さいって、僕頼みましたよね!」
「言ってねえよ、変なことなんか。確認しただけだろうが。なあ、粋? 俺言ってねえよな?」
「微妙ですね」
粋さんはすまして食事を続けている。
「上手くいったから連れて来たんだろう。違うのか? お前まさか、ふられてるの?」
宮地さんはなかなかしつこい。嫌がる河童に頓着せずに、話しを続ける。
「まだふられていません。友人の位置はキープしています」
河童は憮然とした顔つきで答える。嫌がりながらも、律儀に答えるところが河童らしい。
「友人? 翡翠堂の風鈴と団扇を使っておいて、友人って……どこまでお前ヘタレなんだよ。やだ。やだ。今時の草食系男子かよ」
芝居がかった調子で、宮地さんが肩をすくめる。それからは、河童と宮地さんのかけあいが延々と続いた。
わたしは粋さんを見習って我関せずと決め込んだ。
黙々と美味しい料理を堪能する。河童のことは放っておこう。
第一。河童がこんなにもくだけた調子で話すのを聞いたのは、初めてである。なんだかんだ言って、河童は宮地さんを、かなり好いているのであろう。
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