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「 三夜 」

 四月に出会って、五月の頃にはわたしと河童はすっかり仲がよくなっていた。といっても男女の仲になっていたわけではない。気の合う友人という立ち位置であった。


 基本出不精で、休みの日は一日家でごろごろしたいわたしを、河童が外へ連れ出す。そんな風にして出かけたものだ。


 ※ ※ ※


 城跡公園へ、満開の藤棚を見に行った事がある。

 五月晴れの。穏やかな風の吹く日であった。


 見渡す限り続く藤棚は、むらさき色にかすむトンネルのようであった。

 数多(あまた)花房(はなぶさ)が重たそうに、風に揺れていた。蜜蜂が忙しなくその間を、飛び回っていた。見つめていると眠たくなりそうな、とろりとした午後であった。

 河童は日傘をさしていた。今ではすっかり見慣れたが、初めて見た時はちょっとびっくりしたものだ。


「こきいろ。むらさき。ふじむらさき」

 背の高い河童は、手を伸ばすと花房に届く。河童の指先が、すっと花房に埋もれていった。

「すみれいろ。しおん。しょうぶいろ」

「全部色の名前なんですか?」

「そうです。紫色の様々な濃淡を現したものです。色彩を現す言葉は、総じて奇麗です」


 河童は奇麗なものが好きであった。

 それは美術館にある名画や宝石などではなく、日常のふとしたところにある、忘れてしまいそうになる、ちいさな美であった。

 河童は閉じた日傘で地面に、たった今口にした色の名前を漢字で書いていった。

 

 濃色。紫。藤紫。

 菫色。紫苑。菖蒲色。


 藤棚にはいるとすぐ、他のひと達の邪魔になるからと傘を閉じたのであった。なかなか気遣いのできる河童なのだった。


 花の下を再びそぞろ歩く。

 風が吹く。

 ちいさな花弁がはらはらと降ってくる。


「雨みたい」

 わたしは(てのひら)を差し出し、落ちて来るちいさな紫色を受け止めた。

「濡れないので傘はいりませんね」

「濡れても平気なんじゃないですか?」

「その通り」

 河童が目を細めた。

「雨は大好きです。むしろお天道様に長い時間あたると、困ったことになります」


 そこで藤棚が終わった。

 ひらけた視界の先には、お堀の石垣が見渡せた。河童がすかさず日傘をさす。


「からからに乾く方が、河童的には問題大有りです」

「からからになると、どうなるんですか?」

「河童の秘密です」

 重々しく河童が言った。


 このままならば、ロマンティックな思いでで終わっただろうが、そうはいかなかった。



 帰り際。お堀にかかる橋の中央で河童が動かなくなった。

 橋の欄干から身を乗り出すように、濃い緑いろの、ねっとりとたゆとう水面を凝視して動かない。

 お堀にはボートを思い思いに漕いでいるひと達がいる。河童の視線の先は、ボートではなかった。お堀を悠々と泳ぐ鯉に注がれていた。


 鯉はどれもが丸まると肥えていた。

 橋のうえから手を打ちならす人がいる。すると鯉の群れが橋のしたへ寄ってくる。戯れに鳴らすだけのひとがいる。ご飯粒や、パン屑が放り込まれる事がある。打ち鳴らす音で、鯉は条件反射で寄ってくるのだ。


「美味そうです」

 (よだれ)をたらさんばかりの様子で、河童が言う。

「あの白地に黒と赤の(まだら)もようの奴!ああ、向こうの黒い奴もいい」

「……鯉こくでも食べにいきますか?」

 わたしは鯉が得意ではない。初めて(しょく)した時、変に泥くさかったからだ。だが河童は目の色を変えて、鯉を見つめるばかりである。余程食べたいのであろう。


 気を利かせて、誘ってみたのだが、「いえ。それにはおよびません」

 河童はあっさりと、わたしの申し出を断った。

「鯉ならば、いくらでも捕まえることができます」

「釣りですか?」

「釣りですって!?」

 叫ぶなり鯉から視線を外して、河童がわたしを見た。興奮のためか。おおきく見開かれた目が少々怖かった。


「河童は釣りなど致しません。水のなかで、こうやって」

 左右の腕を交差してみせる。

「すぐにも鯉など捕まえてみせます」

「本当ですか?」

「無論。毎年母の日には鯉を捕まえてプレゼントしています。お茶の子さいさいです。してみせましょうか?」


 そう言いながら、白いシャツの第一ボタンに指をかける。

 わたしは仰天した。

 まさかここでまっ裸になり、お堀へざんぶと飛び込むつもりであろうか。曲がりなりにも、化けている河童は感じの良いイケメンだ。皿も甲羅もないイケメンが、白昼堂々その様な不埒な行為に及んだならば、間違いなく警察が来るであろう。

 そうなれば河童は逮捕される。

 まっ裸になった時点で、猥褻物陳列罪であろうか、公然猥褻罪であろうか。お堀の鯉を捕ったならば、窃盗なのだろうか。食したら、器物破損罪だろうか。駄目だ。だめだ。河童の為にならぬ。

 

 わたしはあらん限りの力で、河童を引きずって帰ったのだった。

 あの日の河童は、ある意味実に河童的であった。




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