「 一夜 」
この回は「短篇集/夕まぐれスイッチ」に収められている「掌編うそ話し/河童のお誘い」の改訂版です。
夏の一日であった。
河童と共にバスにのって、田舎へ行ったことがあった。
河童とは町内会で知り会った。
河童なのでこころもち、肌にぬらりとしたところがあるが、名乗られなければそれとは分からない。どうにも変化の上手い河童であった。
バスに揺られて四十分。名もしらぬ場所でおりた。河童の話しでは祭りがあるという。
二人並んで田舎道を歩いた。
日曜日のお昼ちかくで日が高い。
河童は用意していた真っ黒い日傘をさす。
河童は背の高い、若い男性に化けている。三十二になるわたしより若い見目をしている。茶髪で、頭のてっぺんにお皿はない。なかなかのイケメンである。日傘をさしても絵になっている。
「イケメンはお得ですね」
わたしの言葉に河童は、爽やかな笑みを浮かべた。
「外見は大事なんですよ、しな子さん」
しな子という呼び名は、苗字の品川からきている。河童がそう呼び始めたのだ。
色のしろい河童と比べ、ほとんど化粧をしないわたしは色がくろい。途端情けない気持ちになってくる。わたしの使い古された乙女心に気がつきもせず、河童は暢気に鼻歌を歌っている。
行き交う人もない田舎道を黙もくと歩いた。
しばらく歩くと、水音が聞こえてきた。
涼しい風も吹いてくる。
目に見えて、河童の表情が生き生きとしてくる。風にのって、香ばしい匂いも漂ってくる。
二人そろって、知らず早歩きになった。
四つ角を曲がった途端視界が開けて、川へでた。川はゆるやかな土手の下を、ゆったりと流れている。自然の土手に沿って、祭りの屋台が何十も並んでいる。
それまでまばらであったのに、途端どっとくり出している人ごみに戸惑った。
「さ、しな子さん。早くはやく」
河童に手を握られる。
小走りに二人で人ごみに紛れ込んだ。すると気後れするような感情が、すっと収まった。
いつもである。
人見知りのわたしを、物怖じしない河童が手をひいてくれる。すると驚く程気持ちが楽になる。
「河童の癒しの力です」
力強く河童が言う。
本当であろうか。怪しいものであるが、感謝の気持ちはある。
「すごいね」
お愛想で言うと、河童は、えへらと微笑んだ。思わず頬が火照る。イケメンなので始末が悪い。
なるたけ河童の方は見ずに、出店をひやかした。きゅうりの店が多い。三軒も四軒もきゅうり店ばかりが連なったりしている。どこも同じに見えるのだが、河童は真剣な顔で品定めをしている。
その間に味噌のついた蒟蒻と缶麦酒を買った。蒟蒻は口へいれると火傷しそうな程熱い。はふはふと息を吹きかけながら食べていると、河童がやって来た。
手には棒に刺さった冷やしきゅうりを五本持っている。麦酒を羨ましいそうに眺めるので、回し飲みをしながら歩く。頭上では樹々の間に吊るされた提灯がぽかりと揺れている。
河童に促され、土手へとおりた。
河童はトートバックから小ぶりのブルーシートを取り出した。用意万全である。
「しな子さん、どうぞ」
きゅうりを一本差し出された。
「どうも」
受け取って口にすると、きりりと冷えて、うすく塩辛い。
「おいしい!」
「そうでしょうとも」
河童が目を細めて笑う。
しゃくしゃくとしばらく無言できゅうりを食べた。とにかく河童の食べるスピードときたらない。わたしが一本食べ終わる前に、河童は残りを平らげる。すごい食欲である。
川では多くのひと達が、足を浸して遊んでいる。なかにはいかにも河童のひとまでいる。
「アレは河童だね」
確かめると、「河童です」河童が頷く。
「水にちかいと、なかなか本性が隠せません」
「そういうものなの?」
「なんともはや、そういうものなのです」
「それにしては、君は随分と上手いよ」
「しな子さんと一緒なので、かなり頑張っております」
そう言ってトートバックから今度はタッパーを出した。なかには紫蘇の葉でくるんだ、さんかくおむすびが奇麗に並んでいる。
おむすびを食べている間に、河童は又もやきゅうりを買ってきた。帰りまでに河童は計十六本もの冷やしきゅうりをたいらげた。
わたしは缶麦酒二本で酔った。心地よい酔いが躯をひたしている。風がふく。瞼がおもたく感じる。バスで帰るのは面倒だなと、ふともらした。
「ではここで暮らしましょうか。しな子さん」
静かな口調で河童が言った。
河童はなにを言っているのだろうか。驚いて目を開けると、河童の顔がすぐ近くにある。口調とは裏腹に、河童の目つきはどうにも真剣である。
「え、えーーと」
言葉を濁して視線を外すと、川遊びをしている人々が視界に映った。皆がみな動きをとめて、河童とわたしをじっと見つめている。
風がどっと吹き、川面が揺れた。