高嶺のブタもニコポ次第
さきの戦争の活躍により、いち兵士の立場から一躍騎士爵を得、最下級ではあるが一応の騎士として名を連ねる運びとなったイケメストス・ナイツァーノは、現在、王都で主催された下級貴族らの集う祝賀会に参加していた。
子に恵まれることのなかった小さな商店の心優しい夫婦に引き取られた元孤児という経歴のイケメストス。
当然ながら貴族作法に精通などしているはずもなく、養父母が慌てて購入してきた作法の書を熟読したのみの付け焼刃の知識でこの場に立っていた。
両親の恥にはなるまいと、開始早々壁際で大人しく時が過ぎ去るのを待つばかりであった彼ではあるが、会場内をそれとなく観察する中でふと一人の女性の姿が目に入り、自身でも気付かぬままゆっくりと歩を進め出していた。
その道中、おそらく彼女に対するものと思われる侮蔑の囁きを耳にした彼は、思わず眉間に小さな皺を寄せてしまう。
いわく、ブタ姫がまた食糧を漁りに来ている。
いわく、男よりもなお太い、腰ともいえぬブタ腹を人目に晒して恥はないのか。
いわく、食べることしか脳のないブタ姫に嫁ぐ先などあるはずもない。
等、今まさに食を堪能している彼女を嘲笑する声がそこかしこから上がっていた。
細腰であればあるほど美しいとされる現社交界の常識において、体重約七十キロというぽっちゃりとした体型の彼女は、少なくない者の瞳に醜く映されているようだった。
ブタ姫と揶揄される女性の何を知っているわけでもないが、イケメストスは内心で不快に憤る。
確かにそこらの貴婦人らと比べれば少々ふっくらとしているかもしれないが、柔らかに輝く金の髪も、穢れを知らぬ幼子のように純粋に輝く青の瞳も、小さく白い鼻も、つやめく薄桃色の唇も、けして不器量とされるようなものではないし、そもそも骨ばかりの女性よりも彼女くらい肉付きの良い方が腕に抱いた際の心地は良いだろう、と誰に聞かせるでもなく反論していた。
が、そのような苛立ちも、料理を口に運ぶたび幸せそうに笑みを深める彼女を見ている内に、雲散霧消してしまう。
そのまま、彼は非常に穏やかな心持ちでブタ姫と呼ばれる女性の隣に並び立ち、視線を送った。
仮にも男爵令嬢である彼女に、騎士爵を賜ったとはいえほとんど平民と変わらぬ立場である彼から声をかけることは作法上許されないため、どうにか相手の方からロを開いてもらわなければと、イケメストスは無言の主張を続ける。
やがて、手持ちの一皿をきれいに空にしたブタ姫は次の料理に取り掛かろうと顔を上げ、そこで男の存在に気付き、不思議そうに首を小さく傾げながらも彼を見上げて問いかけた。
「……何か御用ですか?」
鈴の鳴るような可憐な声だった。
彼は、彼女の澄んだ瞳に自らが映りこんでいる事実にいささか高揚しながら、己の心臓付近に握り込んだ左手を当て軽く頭を下げるという騎士流の礼を取る。
「恐れながら……エミフリーマク男爵家が御令嬢、ポチャナスタシア様とお見受け致します」
「えぇ。ポチャナスタシアは私ですけれど……貴方は?」
「失礼致しました。
私、このたび騎士爵を賜り下級騎士と相成りました、イケメストス・ナイツァーノと申します」
「まぁ、騎士爵を……それはひときわおめでとうございます。
私などには想像にも至りませんが、此度の戦場はまさしく地獄であったと聞き及んでおりますもの、ご心労のほどお察し申し上げます」
「いえ、とんでもないことです」
唐突に現れた平民上がりの男を貶めることもなく、純粋に苦労をねぎらう彼女の様子に、イケメストスはじんわりと心を暖かくした。
「それで、その、騎士様がいったい、私に何の……?」
彼という存在に思い当たるふしがないようで、ポチャナスタシアは再び首を傾げ、改めて目の前の騎士に問いかける。
「……ポチャナスタシア様には一言御礼を申し上げたく」
「御礼? あの、イケメストス卿、とおっしゃったかしら。
失礼ながら、人違いではございませんか。
私、貴方のような立派な方に御礼をされるような何も、しておりませんもの」
彼女がそう考えてしまうのも無理はなかった。
二人の間にはこれといった面識はなく、今このように告げるイケメストス自身、遠目に彼女の存在を見知っていただけなのだから。
彼がポチャナスタシアの存在を認識したのは、ほんの数週間前のことだ。
凄惨な戦場から帰郷を果たしたイケメストスは、心身共に少しばかり安寧を得た頃合に両親に背を押され、生まれ育った孤児院へと生存報告に向かった。
親代わりであった馴染みのシスターと応接室で話す傍ら、彼は庭先で幼子らと戯れるポチャナスタシアの姿を目にしたのだ。
そのほとんどが形ばかりのものではあるが、貴族女性が慰問と称し領内の孤児院を訪れるというのは、特に珍しいことではない。
華美ではないが平民ではありえない上質なドレスを纏う女性とくれば、その正体もおのずと知れた。
彼が驚いたのは、その彼女のはしゃぎようだ。
孤児たちを引き連れたポチャナスタシアは、貴族女性にあるまじき剛力を発揮し、乳飲み子から最大で重さ十キロ超えの四歳児や五歳児までもを順番に頭上に掲げて走り回っていた。
この時、イケメストスは目玉の飛び出るような思いをしたものである。
聞けば、令嬢は数年前から月に一度ほどの頻度で孤児院を訪れており、そのたびに贅沢品である甘い菓子を配って、あとは日が暮れるまでこうして全力で子らと戯れているのだという。
ドレスといわず全身に泥を纏い、結われていたであろうはずの髪も鳥の巣のごとく乱しながら、それでも彼女のくったくのない笑みは、イケメストスの目にとても美しく輝いて見えた。
「まぁ、バロンズ孤児院の?」
「はい。すでに卒院した身ではありますが、依然、彼らを家族同様に想っております。
その彼らに良くしていただいたポチャナスタシア様に、ぜひ直接御礼を、と」
「そういうことでしたら、お言葉ありがたく頂戴します。
……でも、嬉しいわ。足しげく通い過ぎて、内心疎まれてはいないかと案じておりましたの」
「いえ、そのような。
むしろ、さらに増えぬものかと望む声ばかりで」
「あら、お菓子のことでないと良いのだけれど」
彼の言葉に、彼女は良いことを聞いたという顔で、口元に手を当てクスクスと上品に笑う。
イケメストスもまた、それにつられる様に目を細めて微笑んだ。
元より女好きのする甘い容姿にしなやかな肉体を持つイケメストスである。
そんな上等な男の瞳があまりに優しい色を湛えていたために、普段よりブタ姫と揶揄われ遠巻きにされがちなポチャナスタシアは、戸惑いの感情と共に薄っすらと頬を染めた。
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「貴様が我が家の天使を誑かした男か!」
「ちょっとお父様!」
「フンっ、そんなナヨっちい体でうちの姫を守れるとは到底思えんなぁ~」
「お兄様までやめてください!」
憤慨ゴリラ二体と半泣きのポチャナスタシアが騒々しくも彼の滞在する宿を訪ねて来たのは、祝賀会が明けて翌日の昼過ぎのことだった。
来客がある旨を従業員に告げられ、さりとて王都に知り合いなどいるはずがないイケメストスが首を傾げながら部屋に通してみれば、ズカズカと乗り込んできたゴリラ然とした男たちに開口一番、先の言葉を投げられたのである。
彼は会話の内容から、ひときわデカいゴリラが令嬢の兄で、それより頭ひとつ分ほど小さなゴリラが父親であろうと察した。
そして、おそらくゴリラたちはイケメストスが彼女の相手として相応しい者か否か見定めるために現れたのであろうことも。
「卿とはそのような仲ではないと何度も言っているではありませんか!
妙な勘違いで人様に迷惑をかけてはなりません!」
「勘違いとは言うが、シアちゃんが男の名を口にするなど今まで無かっただろう!」
「それも見ず知らずの男だぞ! これが誑かされていなければなんだと言うのだ!」
「そっ、それは私が太っていて、ずっと男性に縁がなかったからで……っ!」
「何を言う妹よ! お前ほど可憐な女をこの兄は見たことがないぞ!」
「そうだ、シアは妻に次ぐ世界で二番目に美しい娘だぞ!
悪い虫などいくらでも寄ってくるに決まっている!」
「そんなものは、ただの身内の欲目ですっ!」
「いえ、ポチャナスタシア様はとても魅力的で可愛らしい女性でいらっしゃいますよ」
『ああん!?』
「えっ?」
勇猛果敢にもゴリラトークに割って入った恐れ知らずの勇者イケメストスは、驚きに目を見開くポチャナスタシアへ笑みを送った。
そこでようやく彼の言葉が脳に浸透したらしい彼女の顔面が、みるみる真っ赤に熟れていく。
その様子を見て分かりやすく殺気立つゴリラたちへ、イケメストスは真剣な表情を向け、勢いよく頭を下げた。
「申し遅れました。
私の名はイケメストス・ナイツァーノ。
出身はバロンズ孤児院で、現在は同領チュウショウ町にて個人商店を営む養父母に引き取られ生活を共にしております」
「なんだ、うちのシマのモンかよ」
「先ごろ騎士爵を賜り下級騎士と相成りましたが、卑しい孤児であった事実は事実。
また、ゆくゆくは両親の商店を継ぎ、あくまで平民としての生を全うする心積もりでおります。
美しく心優しいご令嬢に惹かれぬ胸懐なしとは申しません……ですが、私がポチャナスタシア様と並び立つに相応しい存在足り得ないことは、誰より自身で承知しておりますゆえ、懸念なされる事柄もすべては杞憂であると僭越ながら進言させていただきます」
「…………ふんっ、当然だな」
「うむ、弁えておるなら良いのだよ、弁えておるなら」
イケメストスの「高嶺の花には手を出しま宣言」により、単純にも溜飲を下げたらしいゴリラ二匹が尊大な態度で頷いた。
天然での発言とはいえポチャナスタシアが持ち上げられたことで気を良くしたのか、両ゴリラとも自慢げに鼻の穴を広げている。
にわかに起こった騒動も、これでひとまずの収束に向かうかと思われた……が、ここで全く予想外の方向から特大の爆弾が投下された。
「お父様、お兄様!
私、イケメストス卿に嫁ぎます!!」
言うなり、ポチャナスタシアはイケメストスの元へ駆け寄り、その左腕に抱きついた。
体型によるものか、ドレスの下にコルセットを身に着けていないらしい柔らかな肢体の感触が下級騎士の腕を包み、カッと彼の目元が朱に染まる。
「とっ、なっ、何を……っ」
一方、ゴリラたちはあまりの衝撃の大きさに、先ほど広げた鼻の穴から光るものを垂らしながら岩のように固まっている。
それを尻目に、イケメストスはうろたえながらも何とか令嬢に問いを投げかけた。
ポチャナスタシアは絶対に逃がさないとばかりにガッシと腕を捕獲したまま、彼を見上げて朗らかに笑みを浮かべ、こう言を紡ぐ。
「私ももうすぐ十八、このままでは行き遅れと称される年齢に達してしまいます。
美しい細腰も持ち合わせていない堕落を尽くしたこの身では、そのまま行かず後家と囁かれる日も遠くはないでしょう。
であれば、こうして現れた私に好意を寄せてくださる奇特な殿方に嫁ぐのに何の否やがございましょうか。
暮らしは平民と同様であろうとも、騎士爵をお持ちの方がお相手であれば、エミフリーマクの家名が泥を被ることもありません。
そもそもの話、私に社交界は合わないものだとデビュタントを迎えた時分より常々思っていたのです。
これはそんな息苦しい世界から飛び立つ良い機会なのですわ」
「それは……」
「っあ、もちろん、私もイケメストス様のことは好ましく思っておりますから、打算ばかりで言い寄るような薄情な女だとは、どうか思わないでくださいませね」
話を聞きながらどこか落胆したように眉尻を下げていくイケメストスへ、すかさず腕を抱く力を強め上目遣いにそう告げるポチャナスタシア嬢の行動は、どこからどう見ても汚い計算に塗れていた。
いかな彼といえど、想いを寄せる高嶺の花が自ら堕ちてきたとあれば、不触の決意も揺らごうというものである。
イケメストスは分かりやすくメスの顔を覗かせるポチャナスタシアに、これまで以上に強く深く惹かれていく己を感じていた。
「……本当に……私でよろしいのですか、ポチャナスタシア様」
「どうぞシアと呼んでください。
貴方でなければ駄目なのです、イケメストス様」
「では、私のことはイケメスと…………シア様」
「イケメス……」
「待て待て待て待てぇーーーーい!」
「貴様、誰の許しを得て我が天使に手ぇ出らっしゃぁああぁぁああ!!」
あれよあれよと二人の世界に入り込み、もはや瞬きの間すらも待てぬとばかりにTPOガン無視で即イチャラブチュッチュこき始めそうな出来たてホカホカ糞カップルたちだったが、そこである意味当然ともいえるゴリストップがかかった。
「きゃっ、イヤだ。
いつから見てらしたの、お父様、お兄様。悪趣味よ」
「妹よ! 兄はハナから共におったぞ!?」
「許さん、絶対に結婚など許さぁあぁん!」
「…………」
さっそく色惚けをかますブタ姫ポチャナスタシアと、妹の唐突なブッ飛び発言に本気で戸惑う兄ゴリラ、娘の嫁入りを断固として拒否する姿勢の父ゴリラに、雲の上の存在と認識していた男爵令嬢と奇跡的に想いが通じ合った事実を無言で噛み締める下級騎士イケメストス。
ほどなくカオスゴリラ空間と化した宿の一室であったが、最終的にポチャナスタシアの必殺技「これ以上ゴチャゴチャ言うと嫌いになります」攻撃が両ゴリラの急所にクリティカルヒットし、結婚はイケメストスが父ゴリラに一撃でも入れられるようになってからという厳しい条件付きではあるものの、この場で無事、二人の婚約が決定したのだった。
その後、父ゴリラに果敢に挑んでは、元の造形がまったく分からなくなるほどにズタボロにされ、しかし、それでもなお立ち上がり続けるというイケメストスの蛮勇行為が男爵家の庭先で繰り広げられるようになったのだという。
ついでに、気を失った彼を毎度お姫様抱っこで運んで甲斐甲斐しく看病する令嬢の姿と、いつしか彼の心意気に絆された兄ゴリラが父ゴリラ攻略の為の助言や稽古を施す様も見られるようになったのだそうな。
そんなこんなで、実は潜在能力の低くなかったブタ姫の婚約者は、約二年半の時を経て、ようやくの結婚を果たし、小さな商店に待望の妻を迎え、かなりの頻度で男爵家からの干渉を受けながらも、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのだった。
めでたし、めでたし
備考
イケメン:イケメストス・ナイツァーノ(23)
ブタ姫:ポチャナスタシア・エミフリーマク(17)
父ゴリラ:ゴリアランド・エミフリーマク(43)
兄ゴリラ:マジモーリオ・エミフリーマク(25)
未登場母:ビジョルディア・エミフリーマク(41)