現実なんてこんな物
生い茂る木々。青々とした空。信じられないくらい澄んだ空気。歩き続けてしばしの時が過ぎ去った。
これほど溢れる自然を感じたことは今まで無かった。しかも、それなりに距離を歩いた筈なのだが今だに文明の一片も見て取れない。
そんな、どこかしらの樹海めいた木々の間を目の前の二つの背中は迷う事無く、悠々と歩みを進めている。
日本中何処を探してもこんな遺産には出会えないだろう、そんな感想が浮かんだ。しかし、今の僕にはそんなものを楽しむ余裕はなかった。
「……暑い」
只管熱に耐え抜く状況。なんで、こんなものを着なきゃいけないんだろうか。……答えはとっくに知らされてはいるが、不満は積もる一方。
木々のおかげで照りつける日差しは遮られているのが唯一の救いといっていいだろうか。それでも、この暑さはどうにかしたかった。
そもそも、このマントが熱の発散を邪魔している。フードもしているため尚更だ。しかも、この布の生地は実に分厚い。明らかに気候との相性を考慮していないそれ。
蒸されていく感覚が何とも堪らない。
“いいか、ここからはミラまでそう遠くない。いつ人に会うか分からない。警戒しておくに越したことはない。髪が見えない様にフードはしておけよ。”
そうアルレイさんに言われた為、仕方なくしている。言いたいことは理解できるが辛いものは辛い。つい愚痴がこぼれてしまうのも止むをえまい。
ずるずると足を引き摺る様に、必要以上に音を立てながら二人の背中を追随しているその足取りは重かった。
「うん、どうした?」
汗一つかいていない二人を、恨みがましく見ていたことに気付かれてしまった。
親子揃って立ち止まり此方に向ける視線に、批難の色が見える気がするのは、恐らくは自身が負担を掛けているという引け目から来る、僕の見当違いの被害妄想に違いない。
そう分かっているはいるが、なかなか自身の勘違いも拭えないこともまた事実。
「いえ、何でもありません」
「そうか。喉乾いてないか?」
「あ、……はい」
それはもうカラカラであった。其の内、鉄の味が喉から染み出てきそうなくらいには。
「水だ。飲むといい」
腰にぶら提げている革の袋をくれた。持ってみると手にずしりとくる重みが加わる。
右手は袋の上部、左手で底を支える様に添えると、力を加えた部分がぐしゃりと形を変え奇妙な感覚を伝達させる。
それは、朝ローゼがアルレイさんに渡したものだった。あのとき彼女は水を汲みに行っていたみたいだ。それに気付き、若干の気まずさが僕の中で渦巻く。
今朝、僕が微睡んでいる中、各々はちゃんとするべき事をしていたのだ。
自身の立場を弁えず、呑気にも惰眠を貪っていることしかしていなかった自身は、反省すべきだろう。
次があれば何とも気をつけたいものである。まあ、今は兎に角ありがたく頂くとしよう。独特の匂いに耐えながら袋に口を付け傾ける。
乾きは潤い、体の中に冷たい水が流れていくのが感じられる。体の奥底から清涼感というものが突き抜けては僕を癒す。
「……っはぁ」
最後に大きく息を吐くと、今この瞬間は楽になった。が、しばらくすればまた辛くなるのは容易に考えられる。
また、水を下さい、なんて言うのは憚られに決まっている。そのことを思うと少し憂鬱だ。革袋を返し、少しばかりの体力と気力を取り戻しては、また歩みを再開した。
綿雲が流れ、太陽が刻々と位置を変えていく。緩やかな時間感覚。
いつまで歩くんだろう?さっきから、そんなことしか考えられない。もともと体力は無い方だし、いい加減、足も疲れた。体力もほとんど残ってない。
足を進めるたびに痛みが奔る。元々、肉体を酷使し何かに直向きに努力する、そんなものとは無縁の生き方をしてきたから、当然だった。
だが、苦しみを言葉に表すなど論外。それでも少し、……いやかなり限界なのは隠しようのない事実。
なので、苦し紛れの些細な抵抗を試みることにした。これだけ歩いたのだ、そのミラという街ももうすぐなのでは?
「あとどれくらいで街に着きそうですか?」
「ああ、そうだな。……もともと、朝の場所からそう遠くはなかったんだ。日がある内には着くさ」
「……日がある内?」
……開いた口が塞がらない。なんだか、この人とは随分感覚に差があるみたいだ。日がある内という随分大雑把なお言葉。たどりつくのは当分先になるかもしれない。
それにしても、アルレイさんは分かるが……。再び歩き始めたなかで、少し前を歩く小柄な彼女の背中に自然と目がいってしまう。
ローゼは疲れてないのかな? 凄い体力だ。彼女の歩く姿に変化はない。そのペースに淀みはなく、淡々と歩いていく彼女はただ純粋に尊敬してしまう。
それと同時に、男でもある自分が情けなくなる。女の子にすら劣る自分。何か負けた気分だ……。
勝手に一人で落ち込んでいると、少し二人から遅れていることに気付いて、慌てて足を速めて追いついた。
連続する風景にも最早飽きてしまい、ただ歩く苦痛を耐える時間だけが続く。感動とは新鮮さから来る感情でもあり、それも続けばやがて怠惰となる。
始めは不安を紛らわすため、今まで見たこと無い光景に意識を向けていたが、それももう退屈なことでしかなかった。
暫くするとアルレイさんから提案が上がる。
「そろそろ、飯にするか?」
ということはゆっくり休める時が来た。意図せず声も上がる。一刻も早く体を休めていたかった。今まで、現代的なアスファルトの道など遠く及ばず、道とも呼べない獣道を突き進んできたのだ。
それなりに道と言える様に整備されている道に巡り合ったのも、つい先程のこと。疲労は大きく蓄積していた。
路肩に移動し、腰を下ろす。すると、疲労が身体全体を襲う。急に星の重力というものが倍増したみたいな感覚。
木陰の奥で、周囲に人影無いことを確認してからフードを取り、意識を曖昧にして涼やかな風を感じながら身体を休める。
「それ」
不意に横からぬっと手が出てきた。その手には今朝と同じものが握られている。思わず顔をしかめてしまうのも仕方ないだろう。
食べたのは一度だけだが、すでに苦手な物という認識が刻み込まれてしまっていた。彼なりの厚意なのだろうが、それでも苦手なものであるのに変わりない。
その厚意を素直な気持ちで受け取るには、少々難しい物であるのが残念でしかたなく思う。
「うん?やっぱり、お前もだめなのか。うまいんだがなぁ……」
アルレイさんは、そんな事を残念そうに呟きながら首を傾げては、手にあるものを見詰めた。
その横顔はちょっと寂しそうで、気落ちしているようでもあった。
「お前も?」
「ああ、ローゼもこいつはダメなんだ。でもな、今はこれしかない。諦めてくれ」
以外な共通点、でもないが。むしろ、この味を好むアルレイさんがこの場合はずれていると、僕としては思いたいのだが。
少女の名を聞いて、反射的にアルレイさんの隣に座っているローゼを見ると、細長い瞳と自身の瞳が合った。
彼女は若干渋い顔をして、小さな赤い花弁みたいな唇を開いた。
「変な味がするから」
「……っああ、そうなんだ」
不意をつかれ、思わず返事に詰まる。それは他の誰でもない、僕に向けられた言葉であった。
彼女とまともに言葉を交わしたのはこれが初めてだろう。名前を聞い時は一方的に言われただけだったから。
何というか、意外だった。自分から話すような子じゃないと思っていたからだ。どうやら社交性が皆無というほどでもない様子。
「僕も……初めての味かな」
隣の恩人の好物。言葉を選んでみたが、微妙なニュアンスが出てしまった。ローゼは硬い目元を崩さずに、厳しく言う。
「はっきり言った方がいい。美味しくないって。こんなモノを考えた人、紙一重の天才か、致命的な味覚破綻者」
「えっ……、いや……それは。……えっと何で?」
「どっちにしろ常人には理解出来ない」
歯に衣着せぬ物言いは、冷たく鋭かった。正直、ローゼの言葉には内心同意していたが、アルレイさんを意識すると、何とも返答に窮してしまう。
曖昧な表情で苦笑いをしながら、隣を意識する。先程の孤独な顔を思い浮かべながら視線をずらし、再び屈強な体躯を視界に納める。
すると、娘の冷ややかな言葉に父親は―――――――――嬉しそうな笑顔が其処にありました。
笑顔?
穏やかな笑顔で、こちらを見る瞳はとても優しげだった。それから、全然申し訳なさそうでない声色で、アルレイさんは口を動かした。
「すまないが、我慢してくれ。ローゼもな?」
「……うん」
この人って結構親馬鹿なのかな。ローゼはローゼで本当に嫌そうな顔して頷いているし。というか、そんなに嫌いなんだ。……まあ、その気持ちも分からなくもないが。
「いえ、貰えるだけ嬉しいですから」
自分でもどうかと思う返事をしてしまったのだが、しかし、そうは言ったもののあまり食が進まない。
端っこを徐々に減らしてはいるが、その早さは遅々としてゆったりしたもの。
二人の様子を窺うと、アルレイさんは既に二つ目を食べている途中。ローゼでさえ、半分を攻略。
僕はといえば、さらにその半分程度といったところ。意味も無く急かされる気持ちになると、水が欲しいなどと考えながら、緩慢と動かしていた口の速度を上げようかと決意。
そのとき――――がさり。
すぐ傍の茂みから何か音がした。何かと思いそちらに視線を向けると、一匹のうす汚れた茶色い犬の姿。毛はところどころ暗くくすんで、清潔さとは無縁の姿態。
大きさ的には中型と呼ぶべきか。しかし、全く肉の付いていない体躯のせいで、一回りも二回りもその体が小さく見えた。
枯木の枝みたいな足で、よたよたと歩くそれは今に倒れてしまいそうな程、弱々しく拙い。
憐れ、悲惨、弱小、無惨、哀感。
犬を見た始めに浮かんだ思いがそれだった。その姿だけで、心が不憫さに包まれてしまう。
一言で言ってしまえば“可哀想”。負の感覚しか与えてこないその犬は、実に不幸を体で表していた。
さて、唐突だが僕は犬が好きだ。無邪気に駆け寄って来る人懐っこい犬というのは、とても可愛げがあって、心が和んでしまう。
頭を撫でるとその手を追う様に舐めてくるそのくすぐったい感触も嫌いではない。懐かれているという感覚は人でも動物でも悪くないものであるから。
ふさふさの毛の触りご心地といったらそれはもう言葉に出来ないほどだ。
さてさて、そんな僕の中では愛くるしく人を癒してくれる存在が、たった今目の前で飢餓に喘いでいる。
さらにそいつは僕の手に握られている肉を見ている。ついでに言えば僕はその肉が好きではない。
横目で二人の様子を見ると、何か話していてこちらに気づいていない様子。アルレイさんには申し訳ないけど……。それに、何か食べさせないと。
言い訳染みたことを考えながら、僕の中で一つの行動が決定された。その犬に向けて肉をそっと差し出す。
これでこの犬も助かり、僕も肉を食べなくて済む。見事な共存関係の出来上がりである。
そんな安易な考えの基の行動だった。思い掛けない出会いであったが、それもまた一期一会だろう。この先彼、或いは彼女が健康に過ごせることを願おう。
酷く独善的な考えに溺れながらも、自然な笑みが浮かんでしまう。
始めは警戒していたが、だんだん近づいてきた。だが、その様子が微笑ましい、……なんて考えはすぐに破棄せざるを得なくなった。
すでに肉は目と鼻の先にまでというところ、突然その口を大きく開き、鋭い牙を僕の手に突き立てようとした。
――――そんなことをしなくてもやったのに。
こちらの気持ちを汲み取らない恩知らずな犬の行動に、そんな間の抜けたことを思ってしまった。
思わず手を引っ込めようとしたが、それよりも犬の動きは早かった。直後に襲ってくる傷と痛みを想像して、歯を食いしばって一瞬で覚悟を整える。
僕はこの瞬間まで夢の中の気分だった。願望の奥底に眠る現実からの逃避がこの景色を生み出したのではないかと。
けれども……現実はいつだって突然突きつけられる。僕は解かっていなかった。
自分がもう日常にいないのだと。
もう当たり前にいられないのだと。
こうあることが自然なことなのだと。
変わってしまったのは、世界でもあり自分でもあることを。
僕は解かっていなかった。
ぐしゃ
「…へっ?」
思考が現実に追いつかない。全ての時が一瞬止まった。視線はただ一点を注視するしかない。
赤く染まった燻製の肉。血に濡れた右手。ぴったりと体中に絡みつく様な噎せ返る鉄の臭い。
そして……穴の開いた犬の死骸。さっきまで動いていたそれは、今は人形が横に倒れた様に、手足を放り出して横たわっている。
あの鋭い牙が不格好に生え揃っていた口が今はどこにも見受けられず、その顔には鼻さえ無かった。
まるで、始めからそうであったかのように、それらがあった部分は大きく抉られ、今はただ生命を垂れ流している。
その空洞部の奥底には、濁った赤色の口内か、それともあれは脳味噌だろうか、どちらにせよそれを形作っていた内部には変わりないだろうモノが見える。
“あれ? 犬ってこんな生き物だったっけ? こんな出来損ないの肉の彫像みたいな生き物だっけ?”
疑ってしまう、全てを。この光景全てを。辺りの地面が赤く血に染まっていく。
「……っは、……っは」
息をしていなかったことにようやく気付いた。地面がぐらぐらと揺れて、確かな感触さえ伝わって来ない。
「え、なんで……、これ、……なんで……」
息が苦しい。力が入らない。手足が弛緩して無様に地に縫い付けられる。
首筋が冷たくて吐き気がする。なんだよ、さっきまであんなに熱かったじゃないか。これじゃ凍えそうだ。
おかしくておかしくて、腸が捩じ切れそう。もう、喉元まで込み上げて来た違和感を吐き出そう。
解からなくて、涙が出て来てしまう。誰か教えて欲しい。これは何。夢。ユメ。ゆめ。この結果は当然の帰結だった。答えは知っていた。
それでもただ認められなかっただけだった。冗談だと思っていた。信じるなんて馬鹿らしかったから。
でも、今ここで突きつけられてしまったのだ。知っていた筈なのに、僕の信じる現実なんて簡単に裏切ってくる事を。
でも、こんな裏切り方はあんまりじゃないかとも思う。もっと、まともな物でも良かったじゃないか。
最低だ。
「おい、どうした? 何かあったのか?」
声が聞こえる。心配しているようだ。
唯一顔で無事な犬の眼がこちらを見ている気がした。空虚な瞳。それが何か訴えているわけもないのに……。
ただじっと、開き切った瞳孔を動かすこともなく、自身を殺した相手に向けていた。そう、たった一つ残った瞳で。
普通の動物には二つある筈のモノが、一つだけしか残っていない。いや、視神経が尾を引くように、辛うじて本来あるべきところとの繋がりを示している。
か細く頼りない糸は、触れれば簡単に切れてしまいそうな程である。
「なにもして……ないのに。勝手にぱんって……、はじけて……。こんな……違う。違うんです。嘘だ!? ほんと何にもして……してないのに! だって、こいつが噛みついてきて……。それだけ、……それだけなのに」
「むぅ、……これは」
この光景を見て、全てを悟ったみたいだ。思わず、傍にいたアルレイさんに縋ろうとしてしまった。上がりもしない右手をバタつかせては、壊れた玩具みたいに。
それに応じるように、アルレイさんが此方に近づこうとしてきた。しかし、先ほどの光景が頭をよぎる。
「ああっ……!!」
――――知ってしまったから、触れればみんなこんな風になるってことを……。
アルレイさんから距離をとろうと、力の入らない体を無理矢理に引きずった。ずるずると土と布が悲鳴を上げるが、それを無視して力一杯に。
「来ないでください! 見たでしょ、あの犬の死体! 僕に近づけばああなっちゃうんですよ!?」
怯えながら、怒鳴る。アルレイさんの足が止まる。
それは我ながら悲鳴染みた叫びだった。
「なんだよ、それ!! 触ったら死ぬなんて……。……意味が解からない。おかしいでしょ!? 僕は何もしてない!!」
もはや独り言だった。頭を抱えてただうずくまることしか出来ない僕を、アルレイさんはただ黙って見ているだけだった。
「これじゃ、まるで…… “化け物”だっ!!」
この想像みたいな現実からは逃れられない。僕も世界も変わってしまった。
認めざるを得ない。そうだ、今、たった今、確かに小さな命を奪ってしまったのだから。
もう逃避の出来ない位置までとっくに来てしまったことに、漸く気付く。
今まで心の隅に放り投げ、無視してきた嫌な事実は雁字搦めに僕を縛り付け、侵食し、狂わせようとする。
……認めたくない。僕の弱い心は、この圧倒的な血の匂いに完膚無きまでに破壊され、ただ忘我へと叩き落された。
血に染まった手の平を何度も何度も擦りつける。けれども、ちっとも汚れは落ちてくれなくて、尚更躍起になって手を動かす。
僕はずっと繰り返す。この赤が早く消えてしまう様に願いながら……。
アルレイさんは僕をただ悲しげな瞳でじっと見つめる。苦痛に呑まれまいと抗うように……。
そして、この光景をローゼがどんな顔で見ていたのかなんて、僕は知るはずもなかった。
「……大丈夫か?」
―――――― 大丈夫ってなにが大丈夫なんだろうか?大丈夫なはずがない。
頭が割れそうな程痛い。先程から嗅ぎ慣れない臭いで鼻が痛いし、耳鳴りだってしている気がする。
体の震えも止まらないし、胃の中がごちゃごちゃで、気分は最悪。全身に力が入らなくて、まともに立つことさえ出来ないであろう。
今すぐどこかに消えてしまいたかった。
「本当に僕って“禍根”ってやつなんですね……」
小さく、小さく、掠れた声で呟くしかなかった。自身の言葉に違和感を拭い切れない。こんな事が起きた後なのに、未だに僕の心はこの現実を受け入れることが出来ない。
「……冗談だと思っていました。信じられませんでした。だって、……おかしいじゃないですかそんなの? 聞いたことない……まともじゃない」
「ああ」
「でも、……これ現実なんですね。今でも夢見てるみたいですけど」
「ああ」
「これじゃ、……戻れませんね」
「そんなことないさ」
「そんなことあります! 触ればみんな死ぬなんて、どうすればいいんですか!? こんな存在、狂ってる! 消えた方が良いんだ!」
喚き散らしている僕に向かってアルレイさんは落ち着いた声で、
「落ち着け。……いいか、よく聞け。“禍根”だからってどうした。人と触れ合えない? 誰かと共にいられない? ただ消されていくしかない。……そんなことはない。“禍根”は“人”だ。同じ人間同士なんだ、一緒に生きていくことだって出来るはずだ。いつか、きっといつか受け入れくれるやつがいてくれるはずなんだ!」
最後はまるで懇願しているような様子だった。いや、実際そうなのだろう。
その言葉は僕じゃない、違う誰かに言っているみたいだ。
「無理です!! 不可能です!! ありえません!!」
その言葉の後、彼は軽く息を吐いて再び口を開いた。
「とにかく、“禍根”だってことを隠せば街にも入れる。それにな、人と接触するときも間接的になら――――」
「っ!!」
気付いた時には頬にアルレイさんの手があった。思わず身を引こうとしたが、右手を掴まれて逃げることは叶わなかった。
「触れられる。こんな風にな」
「えっ、……なんで?」
不思議だった。だって触れればそれで……お終い。あの死骸はその結果の筈。
「直接的な接触がなければ魔力が干渉し合うこともない。布一枚でだってこの通りさ」
アルレイさんは柔らかな声で、おどけた様に僕に笑い掛けた。
今更だが、その手の肌触りが無機質でざらざらしていることにやっと気付いた。黒い革の手袋。
右手は放さない、とばかりに僕の手をぎゅっと掴んで引き留めていた。
「……でも」
「そう悲観的になるな。いくらでも生き方はあるんだ。それをゆっくり考えていけばいい」
――――悲観的になるな。そのたった一言が、すっと僕の心に落ちてくる。
正直に言うと、あの瞬間、僕は全てから見捨てられた様な心地に陥った。自身の身体が怖くなって、何よりも、この人達に見捨てられるかもしれないことに恐怖した。
それなのに、あの光景から目を逸らさず、僕を庇うように接してくるこの人。呆れる程の優しさに僕は救われたのだ。
「もう立てるか。そろそろ出発しないと日が暮れてしまう」
僕のせいで予定より時間をとってしまったのだろう、すぐに出発する準備を終え再び僕らは歩きだした……。
僕は黙って俯き、二つの影の後を追った――――
何度も何度も確かめる為に、この現実を受け止める為に、僕を知る為に、あの無惨で凄惨な光景を振り返ってから。