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終わりの始まり


此処に在ったのは誰にも止めようのない悲劇であった。


誰かが言った。“此処は永遠の楽園だ”と。


其処にあったのは誰もが望んだ悲願の成就であった。


誰かが言った。“彼方こそ悪魔の巣窟である”と。


四散した死肉と、墓標の様に突き立てられた剣。


ある国の民は言った。“幸福の日々に感謝を”と。


絶望の頭上、狂気と歓喜の凱歌を鳴らす。


ある国の兵士は言った。“恐怖を払い平穏を”と。


悲鳴は更なる悲鳴に掻き消され、


ある国の女王は言った。“嗚呼、愛しき民と共に”と。


血を血で洗う血戦の最終幕。


ある国の国王は言った。“悪魔を滅ぼせ”と。






一つ、また一つと消えていく生命。


悲鳴など疾うに消え去り、最後の存在も最早風前の灯火。


端麗華奢な顔、開かられた瞳からは緋赤の雫。唇からは膨大な怨みが溢れだす


同胞はただ一人の例外無く平等に命を奪われ、ただ一人の例外無く不平等に違う殺され方をした。



『私達がっ……何をした。私達がお前達に何をした!!』



首の置かれた断頭台。歓喜に満ちた怒号の嵐。それは大気を揺らし、大地を焦がした。


転がる骸は塔となり、その肉塊が街を装飾する。生者が纏うは血染めの衣。まだ乾かぬそれは、色鮮やかに照りつける。


流れる川を紅に染めるのは、燃え盛る火炎か――――それとも。



『生きていただけだ!! 笑っていただけだ!! 寄り添っていただけだ!! 妻を愛し、夫を愛し、子供を愛し、親を愛し、隣人を愛し、他人を愛し……そんな民を、私は愛していただけだ!!』



脳漿の泥の果て

臓物の道を越え

枯骨の樹林に彩られた

鮮血の地獄の中心で

黒い、深淵よりなお濃い暗闇を纏った最後の存在は

呪いの詩を吐き出した。



『……流れる必要の無い血が流れた。……幾万の命が散った。いいか!! この惨劇を選んだのは貴様らだ!!


 私は忘れぬぞ!! 貴様らの踏み躙った悲鳴の音色!! たとえ、この魂が悠久を廻り果てたとしてもその色を、その形を、この痛みを、私は覚えていよう!!

 ああ、私達は“禍根”だ。貴様らにとって災禍の根となる存在だ。貴様らとは相容れぬ存在だ。 


 忘れるな“人間”!!』




何一つ混ざりけのない純粋で真っ黒な憎悪が、声を震わせ心底を呑み込む。


『罪は“此処”にある!! 全ての罪過は“此処”にあるのだ!! 護るべき無辜の民を私は救うことが出来なかった。

貴様達が悪魔と畏れるのならば、私は悪魔になってみせよう!! 彼らを護ることができなかった私こそ、その名に相応しい者はいない!!

……これは祝言である。私は“いつかの私”に向ける。聞くがよい―――――――!!』


世界の全てを引き摺るような狂顔で、全ての呪詛を籠めてこの世界の全ての“人間”に向けて放った。






    “私は人間を赦さない”







その日、北の果て、朽ち木の森の奥懐にて、一つの王国が瓦礫の中に埋もれて死んだ。
















覚醒は予想外であり、唐突であった。眠りを妨げるのは気温の急激な変化と過敏な視覚への刺激。

暗闇の果てから一気に引き戻される感覚と共に意識が浮上する。もう朝なのだろう、閉じているはずの瞳の奥に刺すような陽光、気温の高さからくるであろう息苦しさ。

そして……いつもの寝台に似つかわしくない、背中を圧迫する堅い触感。酷い寝苦しさはこれ以上の停滞を妨害していた。

如何ともし難い身体の違和感は眠気を容易く打ち砕く。


「……は?」


そして迎えた状況はあまりに理不尽だった。目を開いた僕を迎えるのは、いつも通りの面白みのない真白な天井……ではない。

あったのは雲無く抜けるような真っ青な晴天。見上げた先の太陽は、嫌味の一つでも零したくなる程の苛烈な光で僕の目を焼く。

激しく視覚を刺激する日光に思わず目を閉じ、そっと手で影を作り再び目を開く。


「あー、……ん?…………なんだよ……これ」


妙な倦怠感を残した身体を引き起こして、気怠く呟いた。

茹だる様な暑さに降り注ぐ光、そして、どこかで聞いたことがあるような虫の音。けれどもその既視感はきっと勘違いだろう。

夢にしては、触覚、視覚、聴覚、ついでに言えば、土臭い匂いもリアルな空気で鼻を刺激していた。

翳した手をそっと額に充て、自らの火照った熱を感じ取る。気付けば握りしめていた左手は少しばかり土を削りとっていた。

それに気付き、座りこんだ体制のまま両手を叩き土を払う。項垂れた頭が途轍もなく重く感じる。


「……どこだ、ここ?」


首の骨を鳴らしながら顔を上げ、慎重に周囲に首を巡らすが、視覚に入り込んでくる情報は現状の手掛かりにすらならなかった。

辺りを見回してもあるのは鬱蒼と生い茂る木、木、木。誰がどう見ても森の中だった。

乱雑に群生している木々は重なり合って視界を限定して、位置感を曖昧にしてしまうものでもあり、この場所が記憶に在る場所かなんて到底分からない。

こんな時こそ冷静にならなければいけないと理性が告げるが、結局、自らの所在を理解するには他人に尋ねるか、自分の認知している場所へと行くしかない。

しかしだ、幾ら考えたところで自分がどのようにして森林に到ったのか、皆目見当もつかない……。

路頭に迷った挙句の自暴自棄をしに来たわけでもないし、若い身空として記憶的な障害を抱えているわけでもない。

正しく過去を振り返る。昨夜は記憶に残るだろうという出来事もなく学校を終え、特別用事もなく僕は寄り道をすることなく帰宅した。

後はいつも通り夕食を作り、風呂に入り、まだ読破の途中であった本を読んで床についた。平凡な一日と、それに相応しい終わりを迎えた……はず。

そこまでを思い出し、当たり前のようにこんな自然に取り残される理由が無いことを確認する。

記憶の復習を行えば、若干の歪を引きずって霞がかっていたはずの思考も何時の間にか覚醒していた。

熱に煽られ額から滲み出た汗を拭い、日の光を避けるために木陰に移動する。

やがて和らぐ陽射しに、水滴を作って溢れ出す汗も少しばかりましになった。一息ついて思考をまわす。


「さてと、なんでこんなところに僕は? 誰かが此処に……? 意味が分からない。人をこんな所に置き去りにして何になるっていうんだ。……自分で気付かずにここまで来た? それこそありえない……」


考えたところで回答が存在しないことは解っていた。それでも、この不条理に対して自分なりに対応しようとしていたのだろう。

口からつい零れたのは馬鹿みたいな言葉。

しばらくその場に留まって思考を巡らしていたが、空腹が胃を蹴り飛ばして焦らし訴えたのに加え、助けが来る可能性も望み薄であることに気付いたこともあり、街中に戻る道を求めて移動することにしたのである。

今、此処に居るのは僕だけ。縋り付くべき他人の手など何処にもなかった。




さて、取り敢えずと踏み出した一歩は、果たして何処へと向かっているのだろうか? 自身に尋ねても答えは宙に消える。

二時間ほどさ迷ってみたものの、人間の気配を感じる要素は何処にも落ちていないし、景色の変わりも見つからない。

自分の考えの甘さにそろそろ焦りが出てくる。どうするか……。このまま人里に辿り着くことはないという仄暗い想像が、思考の陰に忍び寄り始めていた。

想像出来る未来は少しも希望を与えちゃくれないし、肉体的疲労は確実に身体を蝕んでいた。

その疲労感の七割はこの陽光に原因があると思われる。碌に水分も採っていないのだ。

軽い眩暈と頭痛は恐らく熱中症の状態であることを知らせているのだろう。これは本格的に不味い。

身体を休める為に、一度木陰で小休憩を取ろうかと考え、木の幹に手を当てた……ちょうどその時。


“―――――――――――――!!”


虫の音を押し退け声らしきものが聞こえた。思わず、崩し掛けていた膝を伸ばして顔を上げ、木々の奥へと耳を澄ませる。



間違いない、誰か人がいる。


「はっ!」


人がいる。この延々と続くと思われた森の中に、僕以外の人間がいた。

他人がいることが苦手な普段の僕なら、逆にそのことは忌避することなのに、今は違う。

助かった! ただ今の状況を打開しえる可能性をみつけ興奮し、顔には笑みを浮かべる。

閉塞された感情から一気に解放され、喜びに打ち震える身体は、心の赴くままに駈け出していた。


速く、速く、速く……、一秒でも早くその声のもとに辿りくのだ。


その想いを抑えようともせずに木々の合間を抜け、引っ掛け傷つくことも気に留めず駆ける。

疲労から重くなっている身体に鞭打てば、数十秒後、声は間近になった。しかし、その時の僕は人の声に集中するあまり、それに向けられるモノに気付かないでいた。


やがて辿り着く……。


そこには、確かに求めていた人間の姿が存在した。妙な格好をした男と一人の少女。

だが、在ったのは人間だけではなかった。


木々のカーテンの向こう側、存在しえないモノも姿を見せる……。


それを見た瞬間、思考は停止、体は機能しなくなった。


「……!!」


“―――――――――――――――――――”


“異質”は天に向かって哮た。


ソレは化物だった……。地球上に存在するはずのない生態、見ているだけで吐き気を催す人類の天敵。

あれはいてはいけない者であると、本能が五月蠅いくらいに警鐘を鳴らす。ああ、誰かに言われなくったって理解できる。あれは常識外れだ

高さは二メートル、横に四メートルほど。狼をそのまま大きくしたような外見。

大きく見開かれている真っ赤な瞳。閉じることを知らないように涎を垂れ流し、獲物を引き千切ることに特化した牙の並ぶ口。

それはありえない恐怖を、捕食されるという、常に反対の立場であったはずの人に与えた。


そんな存在と、そこにいた人間は闘っていた。短く刈り上げられた頭に、無造作にはやしている髭。

年齢は三十代半ばくらいだが少々厳つい風貌であった。眼光は鋭く、目に見えぬ威圧感を醸し出している。

しかし、明らかに格好がおかしい。ゲームに出てくるような、なんらかの皮で出来ているであろう胸当てを付け、腕には籠手を付けている。


極め付けに両手で握りしめている……剣。


鑑賞用に装飾のほどこされたものではなく、実戦を想定しているであろう刀身の幅が広い無骨な剣である。

それですでに何体か斬り捨てたのだろう、刀身が赤く染まっていた。確認すると辺りには、あの化け物の仲間であったであろう死体が二つあった。

男以外には木々の傍らに立ち竦む少女しかいないことから、彼がたった一人で片付けたのだろう。


やがて始まる命の奪い合い。

剥き出しの闘争本能で生きるために相手を殺す馬鹿げた行為。

平和な日本で生きてきた僕にはその光景を前に、恐怖と興奮で震えていることしか出来ない。

まるで重さを感じさせない動作で男は一振り、二振りと斬撃を重ね、化物を往なしていた。化物は焦れた様子で間合いを変化させる。


冗談じゃない。茫然と眺めていたが、口の渇きと激しい耳鳴り、内側から五月蠅く鳴る心臓の鼓動に、僕は現実に帰った。


起きたら訳の解らないところにいて、人がいたと思ったら、見たことない化け物と闘っている始末。

こんなところにいてたまるか。見つけてしまった現場は、どう転んでも厄介事の可能性しか見当たらない。

先程とは逆に一秒でも早くこの場を離れたかった。しかし、体は言うことを聞かない。


―――あの化け物の気付かれる前に消えないと……。


見た目から察した脅威度の問題だ。凶器を手にした人間よりも、見たことも無い、悍ましさを感じる化物の方が怖い。

巣食った恐怖は身体を支配する。気持ちだけが空回り、がちがちと噛み合わない歯が壊れたようにぶつかり合う。


男の横薙ぎの斬撃を化け物は、獣らしい動きで後ろに跳躍して躱した。男はそれを追うことなく、剣を青眼に構え相手の出方を窺う。

化け物も下手に飛び込めば、あの剣で貫かれることを解っているのだろう、数メートルほど距離を保っている。

戦況は膠着していた。お互いに相手を食らう機会を待っている。


化物の身体の底に響く低い唸り声が、僕の心を揺さ振る。

そんな光景を前に僕は、未だに体の機能を取り戻そうと必死だった。

必死に胆に力を籠めて恐怖を剥ぎ取る。……微かに指先が動いた。

身体の末端から順に沿う様に、徐々に感覚を取り戻してく。

それは泥の中でもがき続ける行為のようであった。


―――いける……。


ゆっくり左足を引き、そのまま振り返って走り去ろう……。

この状況からの離脱こそが、現状にとっての最優先。男と化物の殺し合いの結果など見届ける義務なんて、欠片も存在しない。

しかし、目覚めた瞬間から状況は僕からそっぽを向き、現実は僕を裏切ってばかりだった。そうだ、今……この瞬間だって。


「へっ?」


我ながら間抜けな声が出た。


地面が迫る。

咄嗟に腕を差し出す。

掌が地に叩き付けられた。

目を瞑る。


一瞬の浮遊感とその後の衝撃に目を開けば、眼前に茶色の大地。


気付いたらうつ伏せに倒れている間抜けが一人。

足元に木の根があることに気付かずに進もうとしたため、足を引っかけたようだ。

それだけなら良かったが倒れていく中、体を枝に引っ掛けてしまった。そして枝が揺れ、間違いなくあいつに僕の存在を知られた。


……最悪だ。



「なっ、逃げろ!」



先程まで闘っていた男の、焦燥を滲ませた叫び声が聞こえた。

急いで振り向いた先には、すでにそこまで迫っている化け物の姿。

それを必死に追っているが、確実に離されている男。

それを見て、……悟った。



―――助からない。ここで、あいつに喰われて……終わる。



迫りくる死。ただそれを見ているしかなかった。

体に続いて頭の機能も停止。もう思考さえ働かない。化け物の顔はもう目の前にある。

その大きく開けた口は、まるで、獲物を食らうことが出来ることがうれしくて仕方がないみたいだ。

……ゆっくり相手の牙が近づいてくる。耐えきれない気配に、その光景を最後まで見続けることなく目を閉じた。


死の気配は緩慢に近づき恐怖に満ちている。何処にも逃げ場なんかなく、身体を無力感で一杯に満たしていく。


意識が暗闇に落ちる直前、最後に感じたのは、何かが弾ける音とともに暖かい液体が体を包む感触と、男の驚いたような声だけ……。






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