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春を待つ  作者: 安達夷三郎
第一章、花冷え
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一話

昭和二十年、三月。

冬の名残を引きずる風の中に、ようやく柔らかな日差しが降り注いできた。

桜の蕾はまだ固いが、人々はそれでも春を待っていた。

終わりの見えぬ戦の只中でも、季節は変わることをやめなかった。

山あいの小さな町。そこにある高等女学校の校舎は、屋根の一部が爆撃の衝撃で歪み、窓ガラスはところどころ紙で覆われている。

東京とは違い、私が生まれ育ったのは静かな町だった。

しばらく何も考えずに本を眺めていたら、三人の女学生が連れ立って入っていた。見ると、同じ教室で授業を受ける子だった。前の子に遅れまいと急いで来たらしい様子や、席と席の間を挨拶しつつ通り過ぎるその様子は、私の席からよく見えた。

「千代、おはよ〜」

「おはよう、ツユ」

この年齢になると、学徒動員としてお手伝いをしに軍の工場に出向くこともあるが、幸いにも私達はまだ勉学に励むことができた。

「今朝は冷えたね〜」

「寒かったね」

寒そうに両手をさする。

春が近付いてきたとはいえ、雪が溶けるのはまだ先になりそうだ。

そんな話をしていると、ツユが課題の着物の縫い合わせをしていた二人の少女に声をかける。

(あや)とエッちゃん、何で縫い合わせをしているの?」

「ツユ…今日は先週出された袖の(あわ)せの宿題の提出日だよ」

「…ヤバっ、忘れてた!」

やれやれと呆れたように文は眉間を摘んだ。

「エッちゃん!助けて〜」

「えぇ〜!!私も終わっていないのに!?」

「こらツユ!エツ子もギリギリなんだから…はぁ、裁縫は五限目よ。それまで手伝ってあげるから」

「さすが我が五班の班長!」

「ほら、軽口叩いてないで着物と裁縫箱を出す!」

ツユは自分の雑嚢(ざつのう)からほとんど手を付けていない浴衣と裁縫箱を取り出し、うぇ〜とか言いながら縫い始める。

「ちなみに、一限は数学だよ」

柳子(りゅうこ)の言葉に千代とツユが顔を逸らした。

放課後を告げる鐘が鳴ると、机に突っ伏す。

窓の外では、まだ冬の冷たさを残した風が木々を揺らし、遠くの山に沈みかけた陽が白い光を投げている。

「ふぅ…終わった〜」

ツユが伸びをする。

「疲れたね」

「うぅ…農作業の後はどうしても眠くなるのよぉ…」

「あー、確かに」

今日は校庭での農作業と、町の防空壕を掘るお手伝いをした。

教室を出ると、廊下のガラス戸の向こうに先生が立っているのが見えた。

「今年から、夏制服は縫わないことになったわよ」

先生の話し声に聞き耳を立てていた柳子が、教室の隅に人を集めて小声で言った。

「え…」

「白の夏服は敵に見つかりやすいから、やめましょうって」

柳子の言葉に、その場の空気が少しだけ沈む。

この女学校の夏服は、自分達で採寸をして自分達で縫うことが恒例で、みんなそれを楽しみにしていた。

「そっか…夏服、着れないの残念だね」

エツ子が制服の裾をぎゅっと握る。

「それと…私達の学年は四月から軍需工場(ぐんじゅこうじょう)に行くって」

その場にいた全員、息を呑んだ。

「軍需工場…?」

「東京の方、人手が足りないみたい」

ラジオなどでは『日本が有利!勝っている!』と放送しているが、それを聞いて「あぁ、なるほど」と、冷静に捉えることができた。

近頃、学校の授業が短縮され、竹槍訓練や防火訓練、防空壕掘りなどの作業時間が増えたということは多分、日本は劣戦状態なのだろう。

中学が四年制に、高校が二年制にと、各々の教育年数が一年も短縮された理由も、工場で働く人手や徴兵人数をかさ増ししようということだろうと理解できた。

「私達は、東京の方なの?」

「東京なら寮だね」

「やっと、軍人さんのお役に立てるのね」

やがて下駄箱で雪駄に履き替え、寮生以外の私と柳子は家に帰宅する。

私の家は学校から坂を下った先、古い神社のすぐ傍にあった。

神社を突っ切れば近道になる。参道の石畳には、まだ雪解けの名残が残っており、雪駄を履いていても足元が少し冷たい。

家に帰ると、玄関に見慣れない靴が一足。

居間に上がると、国民服を身にまとった青年が座っていた。

「あ、春馬(はるま)。来てたんだ」

「おー、千代。久しぶりだなぁ!」

私より四つ年上の春馬は手を振る。

幼馴染の春馬は、近所の料亭の子供だ。よく漁師の私の父が魚を下ろしており、幼い頃からお互いの家に入り浸っていた。

「おじさん、今日で一年忌だろ」

「うん…」

仏壇に手を合わせる。

「ただいま、お父さん」

父は、一年前に南の島で名誉の戦死をしたらしい。

『行ってきます』

あの朝、玄関で父は笑った。それは、本心からなのか、作り笑いなのか、当時の私には分からなかった。

「……おじさん、ほんとに立派だったよな」

「うん」

私は制服から着替え、仏壇の前に座る。

二人で手を合わせた。

「ねぇ、春馬」

「ん?」

「四月になったら、学徒動員で東京に行くかも」

「ほー、そりゃめでたい」

その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

「春馬の出撃日っていつ?」

「ん?まだ分からん」

春馬はいつもと同じ笑顔だったけれど、目の奥に影があった。

彼は、特攻隊員だった。

神風の如く敵艦に体当たりする、特攻隊員だった。

出撃すれば、もう戻って来ることは叶わない。

「じゃあ、俺帰るわ」

柱時計をちらっと見て、春馬は帰っていった。

しばらくして母が帰ってきた。

帰ってきた母は、台所で唸りながら新聞紙に並べられた山菜を凝視している。

タラの芽、フキ、ゼンマイ、ワラビ。

タラの芽は天ぷらにすると美味しい。

「あ、千代。二十円あるから闇市でお砂糖買ってきてくれる?」

今朝、私が手を滑らせてお砂糖を水瓶の中に落としてしまった。

お砂糖は高級品。戦況が悪化していって配給も間に合わない状態。

そのまま()え死にするくらいならと、闇市と呼ばれる違法市場で買うことが多くなった。正規の値段より高いが、そこに行けばある程度は揃う。

仕方ないよね。配給が足りないんだもの。

国も、国民の困窮(こんきゅう)を見て、闇市を見て見ぬフリをしてくれていた。

それならもう少し、配給の量を増やしてほしいものだ。

家の前の参道を抜け、町の方へと足を向ける。

闇市は、駅裏の焼け跡にできた小さな市場だった。

焦げた匂いと人が入り混じり、地面にはまだ(すす)が残っている。

声を張り上げる男性達の間を縫うように、女性や子供が風呂敷包みを抱えて行き交っていた。

「米があるよ!一升七十円!」

「高いよ、それじゃあ買えないよ!もうちょっとマケテくれねぇか?」

怒鳴り声と値切りの声が交錯する。

地面に敷かれた布の上に置かれているクレヨンを手に取った。

「おっちゃん、これいくら?」

「クレヨンかい?これは十円だよ」

(たっか!)

渋々クレヨンは諦めて、お砂糖を探した。

大根一本、三円。

握り飯一個、八円。

お味噌一貫目、四十円。

米軍から横流しされたチョコレートやお菓子、二百円。

お砂糖一貫目、千円。

手の中の二十円とお砂糖を見比べる。

あまりの高さに、喉が鳴った。

(やっぱり高い……お砂糖をこぼさなかったら良かった)

どうしようかと立ち尽くしていると、奥の方から年配の女性が手招きしてくれた。その女性は近くのお団子屋の店主。

「お嬢ちゃん、探しもんかい?」

「……お砂糖、ありますか」

「これしかないけど」

女性が懐から小瓶を取り出した。

中には、ほんの少しだけ白い砂のような砂糖が入っている。

「これで二十円。安くしとくよ」

「良いの!?」

「お嬢ちゃん、よくうちの団子屋手伝ってくれるだろ?ささやかなお礼だよ」

私はそっと瓶を受け取り、両手で包むようにして頭を下げた。

「ありがとうございます!」

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