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【史実】女王陛下のパイレーツ 〜気づいたら世界一周してました〜

作者: kinpo

挿絵(By みてみん)


 太平洋の嵐と俺様キャプテン


 南の海を抜けた時、俺はこう思った。

 ――勝ったな。

 いや、正確には「勝ったつもり」だった。

 マゼラン海峡を越え、未知の太平洋に船を乗り出した時点で、

すでに勝利の音が聞こえていた。


 だがな、海ってやつは人間の自信を嗅ぎつけると、

全力でぶっ壊しにくるんだよ。


「風、東から! 波、正面に立ってます!」

「正面!? 正面ってどういう意味だそれ!?」

「つまり、全部こっちに突っ込んできてまさぁ!」

「言い換えただけだろそれぇぇぇ!!」


 俺――フランシス・ドレイクは、舵輪にしがみつきながら絶叫した。

 金の装飾を施したガレオン船〈ゴールデン・ハインド〉号が、

うねる波を真っ向から受けて、

 まるで巨大な鯨の背中に乗ってるみたいに揺れている。


「おいッ! 前帆、もう少し緩めろ! 風を逃がせ! 帆柱折る気か!?」

「了解ッス! ……あ、キャプテン、帆の紐、ほどけてまさぁ!」

「なんで今!? 昨日縛り直しただろ!?」

「ネズミがかじってました!」

「ネズミに航海妨害されてんじゃねぇよ俺の偉業はァァ!!」


 ロープがバサバサと踊り、帆がガバァッと裏返る。

 船体がギィィと軋み、潮が甲板に叩きつけられた。

 足元を滑りながら、俺は舵を踏ん張る。

 このガレオンの舵は、硬い。まるで意地でも曲がりたくないみたいなヤツだ。


「舵角十度維持! ああ違う違う! 二度! 二度でいい! 

このままじゃ船首が飛ぶ!」


「キャプテン、舵輪重すぎて回りません!」

「回せぇぇぇええ!! 腕を捨てる覚悟で回せぇぇぇえええええ!!」


 マスト上では、水夫たちが風と戦っていた。

 「トップスル、畳め!」

「引け! いや引くな! 風、待て!」と怒号が飛び交う。


 滑車が軋み、帆が裂け、索具の一部が海に垂れ下がった。

 その瞬間、船がぐい、と傾く。

 波が舷を越え、甲板に滝のように流れ込んだ。


「うおおおおお!? 舵、持ってかれるッ!」

「キャプテン、波が横から来てまさぁ!」

「そっち行くな! いや、行け! 

いや行くな! うわあああああ!?」


 俺様キャプテン、完全に混乱である。

 だが不思議なことに、こういう時、体が勝手に動くんだよな。


 舵を右に切りながら、左のブレース(帆を張る角度調整用の綱)を締めろと叫び、

 帆の端を波が舐める音を聞きながら、俺は船を風下に落とした。

 船体がグラリと揺れ、風を横に逃がした瞬間、

 「ゴールデン・ハインド号」は嘘みたいに安定した。


「お、おい……止まった? いや、止まってねぇな、進んでる……!」

 息を荒げる俺の背後で、舵手が震える声を上げた。


「キャプテン……これ、風に乗ってます! 南西の風、うまく掴んでる!」

「当たり前だろ俺を誰だと思ってやがる! 世界一の、海の男だぞ!」


「さっきまで『もう無理だ!』って言ってましたよね!?」

「口が勝手に言っただけだ! 心は常に前進してる!」


 船員たちの笑いが、風と一緒に甲板を駆け抜けた。

 波の音の下から、船が歌い出す。


 帆が鳴り、舵がうなり、空気が塩で満ちる。

 これが“外洋”ってやつだ。

 怖い。だが……最高に気持ちいい。


 俺は帽子を押さえ、海を見た。

 見渡す限り、水平線。

 陸の気配も、煙も、何もない。

 ただ、風と光と、俺たちだけ。


「……なあ、お前ら」

「はいキャプテン!」


「いま、どの辺走ってんだ?」

「ええと……地図でいうと、たぶん……」


 測量係が濡れた地図を広げ、指でなぞる。

「――スペインの真反対っす」

「……おい、つまり俺ら、地球半分回ったってことか?」


「ですね、キャプテン」

「…………」


「キャプテン?」

「ちょっと女王陛下の顔が脳裏に浮かんでる……怒ってる気がする……」


 笑いが甲板を揺らした。

 南の風が強くなる。

 帆がパンと鳴り、船がさらに速度を上げる。


「よし! なら進め! 西に行けば帰れる! たぶん!」

「たぶん!?」

「俺を信じろ! 世界が俺を見てる! ……いや、睨んでる気もするけど!」


 俺は舵をぐいと回した。

 波が白く割れる。

 ガレオンの巨体が、太陽の反射を背に光りながら進む。

 世界一周なんて、そんな大層なつもりはなかった。

 女王陛下の命令を聞いて、

スペインをちょっと困らせて、ついでに海を覗いたら、

 ――気づいたら、地球の裏側にいた。


 風が吹き抜けた。

 塩が頬に張りつき、帆が天を叩く。

 俺は叫ぶ。


「見たか女王陛下! 俺は今、風に勝ってるぞォォォ!!」

「キャプテン! また帆が裂けました!」

「勝ってねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 笑いと悲鳴が交錯する。

 だが、船は進み続けた。


 世界の果てへ――


そして、知らぬうちにその果てを一周して戻る、その運命の途中を。



女王陛下と帰還報告

 ――1580年9月26日。


〈ゴールデン・ハインド〉号、プリマス港に帰還。


 風はやわらぎ、潮は甘かった。

 港の上には、秋の空。

 俺たちは、三年ぶりに故郷の匂いを嗅いでいた。


「キャプテン……本当に、帰ってきたんすね」

「ああ……この景色、変わらねぇ……最高だ」


 俺はよろよろと甲板を降り、港の板を踏んだ。

 膝が笑ってる。

 海で鍛えたはずの脚が、陸に負けてやがる。


 船員たちは抱き合い、泣き、笑い、転げ回っていた。

 みんな生きて帰ってきた。

 食料も、水も、帆も、途中で全部尽きかけた。

 それでも船は沈まず、地球の裏側を回ってここに戻った。


 ……問題は、これをどう報告するかだ。




 数日後、ロンドン。

 白壁の宮殿、香の薫る謁見の間。

 玉座の上には、我が主君――


エリザベス一世女王陛下。


 銀糸のドレス、髪には真珠。

 その瞳は、海よりも冷たく、美しい。


 俺はその前で、片膝をついた。

 港を出る前に磨き直したブーツが、冷たい床に音を立てた。


「フランシス・ドレイク――」

 女王の声が響く。

 まるで鐘の音みたいだった。


「……そなた、確か“スペインを少々困らせよ”と命じただけのはずであるが」

「はっ! その通りでございます、陛下!」


「では何ゆえ、三年も戻らぬ?」

「ええと……その、困らせてるうちに、ちょっと風がですね……」


「風?」

「はい。風が、“こちらへどうぞ〜”って言うもので……つい」


 玉座の左右で廷臣たちがざわめいた。

 冷笑、驚き、そして興味。

 誰もが“世界一周”という言葉をまだ信じきれていなかった。


「つい、で地球を一周したのか?」

「ええ、結果的には……まあ……その、風任せで」


「……ほう」


 女王はゆっくりと立ち上がった。

 裾が床を擦り、光がドレスの縫い糸を反射する。


「そなたの“風任せ”は、我が国の地図を塗り替えたそうだな」

「恐縮です……いや、正直、俺もびっくりしてます!」


 笑いがまた起こった。

 だが女王は一切笑わない。

 まっすぐ俺を見据え、歩み寄る。

 そして、俺の前に立つと――


「そなた、我が海賊パイレーツでありながら、我が騎士でもある」

 剣を抜き、光を放った。

 刃先が俺の肩に触れる。

「よってここに、フランシス・ドレイク卿を叙す」


 胸の奥が熱くなった。

 船乗り上がりの俺様が、女王陛下から直々に剣を当てられる――

 それは、どんな嵐よりも危険な瞬間だった。

 なにせ、嬉しすぎて言葉を間違えそうになる。


「し、至極の栄誉にございます! 女王陛下、俺ぁ……じゃねえ、私は……!」

「“俺”でよい。お前らしい」


 女王の口元に、かすかな笑み。

 笑うと、ほんの少し少女みたいな顔をする。


 ――それが、世界で一番怖い。


「……で、ドレイク」

「はい陛下」


「その“世界一周”、一体どんな経路を辿った?」

「ええと、ざっくり言いますと――」


 俺は地図を広げ、指でなぞる。

「出発して、マゼラン海峡抜けて、太平洋を渡って……アフリカ回って、帰ってきました」

「ふむ……つまり世界を丸く確認したわけだ」


「はい! 地球は丸いです! あと、波も丸いです!」

「波?」


「すいません今のは勢いで……」


 廷臣たちが堪えきれず笑い出す。

 だが女王は静かに、剣を鞘に収めた。


「よい。そなたの無謀と笑いは、この国の勇気でもある。

 スペインが世界を独占すると思っていたところに、

 “笑いながら世界を回った男”が現れたのだ。……悪くない。」


 俺は頭を垂れた。

 でも胸の内では叫んでいた。


 ――聞いたか世界! 俺は怒られなかったぞォォォ!!




 謁見が終わり、宮殿の外へ出た。

 夜風が冷たい。

 ロンドンの空には、あの太平洋の星と同じ形の星が光っていた。


 隣で古参の水夫が笑った。


「キャプテン、結局、なんで世界一周したんすか?」

「ん? さあな。女王陛下の命令を真面目に聞いてたら、

 気づいたら地球の裏側だった――

それだけだ」


「……でも、戻ってこれたのは奇跡っすよ」

「奇跡じゃねぇ。帆と風と、あと俺の運だ」


 帽子を目深にかぶり、風を吸い込む。

 潮の匂いはしない。だが、風の重さは同じだ。

 俺は笑い、呟いた。


「さて……次はどこの海を怒らせるかね」


 月明かりが剣の鍔に反射した。

 港の方角から、潮風がまた吹いてくる。


 女王陛下のパイレーツ、世界一周帰りの俺様キャプテン――

 フランシス・ドレイク、再び舵を取る。


 風が鳴り、世界が少しだけ回った気がした。



(完)



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