第8話 僕には頼りになる冷静な幼馴染がいた
「ワンワン!!」
肩にかかる泊まるため準備してきた荷物と、犬の元気な声で意識がはっきりとした。…モジの家に入る前か。
時間が無い、すぐにモジを避難させなきゃ。
「あ、あぁあ…!」
足を進めようとして、その瞬間。脳裏にフラッシュバックした、今さっき見たあの光景。玄関の扉を勢いよく開き、逃げた恥さらしな僕を、思い出してしまうと足は言うことを聞かなかった。どうするんだ、ここから。僕はモジをどう守ればいい?というか守れるのか?無理だ、無理。また僕はあの光景を見るんだ。何も、できないまま。無力さが身にしみる。
「立ち上がるんだ、サクマ。」
「…ナツメ。」
しゃがみ込み、丸まってしまった僕の傍にはナツメがいた。ナツメはやっぱり真っ白な無表情だったが、その眉と口の傾き具合は心配そうに見て取れる。
「まだ終わってない。なんとか…なんとか乗り越えるんだ。」
「で、でも…もう後がない。これ以上記憶を渡したくはない!中学も、小学生も。モジとの大切な思い出でいっぱいなんだよ…。殺し屋の正体がわかっても、どうしようもないんだ。」
「それでも…
カチャリ
その音が合図のようにナツメは消えた。
「佐久間…?どうしたの、ねぇ。」
「モジ。」
「泣きそうな顔して…何かあったの?もしかしてその何かが理由でお泊りに来たの?」
…心配させるだけだと思ったが、もうこの際何が正解かわからない。ナツメは励ましてはくれるが具体的な事は教えてはくれない。なら、誰よりも信頼できる協力者を一人増やしても、良いんじゃないか?
「モジ、聞いてほしい事がある。」
「わ、わかった。わかったけど…一旦家の中に入ろ?こんなところじゃ落ち着いて話せないだろうし…。」
「あぁ…。」
言われるがまま、モジの家へと僕は入ろうとして…
「わんわん!」
「…モジって犬飼ってたっけ。」
「え、何か言った?」
「いや、なんでも…。」
あの犬、やけに僕になついているように見えたけど、なんでだろう。尻尾をちぎれそうに振り、黒い瞳をきらきらと輝かせている。
人懐っこいのかな。
家の中に入るとモジは用意していたゲーム機の電源を切り、キッチンの方へと向かった。
「ちょっと待ってて、コーヒーでいい?」
「ありがとう。」
ソファに座り焦りを落ち着かせている僕の前に、モジはコーヒーの入ったカップを、自分はコーンの匂いがするカップを持ってきた。白く曇った縁から、湯気がゆらゆらと天井へ昇っていく。
「…ごめん、いきなり泊まりたいなんて言って。」
「全然大丈夫だよ、何かあったんでしょ。それに話を聞いたときは嬉しかったよ?男の子の気を許せる友達って佐久間だけだから、こうやってお泊りは楽しみ。」
同じようなことをしゃべる君の顔を、僕は見れなかった。
コーヒーを一口飲んでから、僕がなんでモジの傍に居たかったのか、説明をした。
「私が、殺される…?」
「冗談じゃないんだ。本当なんだよ。」
荒唐無稽な会話を、聞いてくれるかどうか…。もはや賭けだった。意味の分からないことを言って嫌われれば、またやり直す羽目になるからだ。
だが、僕の考えとは裏腹にモジは笑う訳でもなく頷いてくれた。
「うん、信じるよ。佐久間が言うなら、そうなんでしょ。」
「…ははっ、モジは疑うって事知らないのな。」
「何言ってるの、佐久間だからだよ。他の人なら…疑うけど。こんなこと佐久間が冗談で言うわけない。伊達に幼馴染やってないんだから。」
標的は自分だと分かってなお、その心は折れない。そんな君の頼り強さに思わず無意味な安心をして泣きたくなるが、泣き顔はもう見せてはいけない。不安を煽るわけには、いかないんだ。
「うーん…時間はわかるの?その殺し屋が来る時間。」
「時間…。」
慌てすぎて時間までは見ていなかった。僕の馬鹿。これじゃあ対策をするにも時間的な制限が…………待てよ。
思い出したくもない天使との会話、そこにヒントがある。
「モジ、僕がさっき家の前にいた時の時間わかるか?」
「え?…今は19時過ぎだから…。19時10分とかじゃないかな。そんな時間は経ってないよ。」
「19時…から、8時間後。大体、深夜の3時くらいか?」
「何その計算。」
「気にしないでくれ。でもわかった、深夜3時だ。」
僕は何かの記憶を失い、8時間戻ってきたんだ。つまりそういうことだろう。
「わかった。深夜3時ね。ならそこに合わせて、警察に連絡すればいい。」
「無駄だ。一度警察に言ったが…取り繕う術もなかった。」
なんなら、殺し屋に余計な情報を与えてしまったともいえる。明上が真夜中あそこにいてもおかしくない理由を、作ってしまった。
「だろうね。子供の話なんて聞くはずがない。だけど、こうすればいい。」
それから僕は、モジの提案を静かに聞いた。8時間後には殺されるかもしれないのに、モジは冷静に、シンプルかつ確実になんとかできそうな作戦を立てた。普段はふわっとしていて忘れてしまうが、彼女の頭の回転の速さは誇れるほどすごいんだと。
「そ、そうか。それなら…。」
「これは私じゃできない方法。ううん、できても…不安で多分、うまくできない。佐久間がいて良かった、本当に。」
彼女は優しく、カップを置いてから僕の手を取った。力強く、温かかった。でも、少し震えていて、温かさはコーンポタージュのぬくもりだとわかると、モジも同じ人間なんだと痛感する。
「よし、それじゃあ…普通に過ごそう。ここからは。」
「何か他に対策した方が良いんじゃないか?」
「うーん…。でも外にいるんでしょ、殺し屋さん。勘づかれて時間より早くこられたら水の泡だよ。」
「そうか…。そうだな。モジに伝えて良かった…。僕一人じゃ、守れなかったよ。役立たずでみっともない僕なんかが幼馴染で、なんだか申し訳な…んぐっ!」
途端、僕の頬は両側から勢いよくつままれた。目線の先には不機嫌そうなモジの顔。
「自分を卑下しないで。私は佐久間が幼馴染で、幸せだよ。自分の事じゃないのに全力で私の事を想ってくれてる。…こんな友達、他にいないよ。だから自信をもって、私と一緒に前を見て。…怖いよ、私も。」
モジは頬から手を放し、ゆっくり僕に倒れこむように、抱きしめて来た。君が震えてるのに、こんな時でも僕は良い匂いだとか、胸が高鳴ることを隠せない。
こんなんじゃだめだ。僕は頭の中の色々を放り出して、恐る恐るモジの背中に手を回した。すると一層、首に周るモジの腕がきゅっと内側に締まった気がした。
「…もういいよ、ありがと。…えへへ、珍しく弱気になっちゃった。いつもの私らしくないね。…どうしたの?顔真っ赤だよ?」
「だ、大丈夫だ。…モジもちゃんと、たまには誰かに甘えた方がいい。」
「そうだね、そうする。…その時は、佐久間がいてよ?」
照れくさそうに首を傾げてそう聞く君。疑問符がついているが、質問にもならない。答えは一択だ。
「あぁ、もちろんだ。」
全てが終わったら今度こそちゃんと、想いを告げたい。けじめを、つけるんだ。
「それじゃ気分転換、ゲームしますか。」
「楽しめるか不安だわ…。」
「ふふふ、負けず嫌いを発動させればいいじゃないですか、佐久間さん。」
「何そのキャラ。」
君は偉大だ。夜が更け、殺し屋の迫るカウントダウンが迫っているというのに君といると心が落ち着く、安心までしてしまう。
だからこそ、救いたい。助けたい。君ともっともっと、ずっと、一緒に居たい。
・・・
約8時間後
ツーツー…
「はぁっ…あ、あの。警察ですか。こ、殺されて…ぼ、僕の幼馴染が…!!」
モジの家の固定電話を震える手で握りしめて、繋がった電話の先にいる男の人に状況を説明した。落ち着こうと息をつこうとすれば、かえってパニックになる。
「はい、わかりました。すぐに…あの、来てください。まだ殺し屋が…僕を探して…。住所は…。」
ついさっき、見てしまった、光景を思い出してしまう。ナイフが刺さる音、モジが苦しそうに唸る声、足裏から伝わる床の冷たさ、血の匂いと僕の焦りの汗の匂いが混ざってむせかえる鉄ようなの匂いが鼻に蘇る。口の渇きを感じながら、僕は住所を伝える。
「はい…はい。…お願いします。それじゃ…。」
電話を切り、置いた。手の汗がまだ引かなかった。
僕は…やったんだ、モジと考えた、作戦通りに。
・・・
「とりあえず、私は死ぬよ。」
「な、何言ってんだ!」
モジがいきなりそんなことを言ったから、思わず立ち上がってしまった。
だけど、彼女は慌てた様子で手を振る。
「あ、違う違う!ウソね、ウソ。ウソつくの、警察に。」
「え…?」
「流石に殺されたって言えば飛んでくるでしょ。見過ごすはずがない。とは言っても一回限りの、現行犯でしかこの方法は通用しない。8時間の、数分前くらいに連絡するの。間に合わないかもしれないけど…今の私たちにはこれしかできない。家から逃げるにも、もういると思うし。殺し屋。」
「そ、そうかそれなら…。」
・・・
眉間に垂れる汗をぬぐってから、隣にいるモジと目を合わせる。
「めちゃくちゃうまいじゃん。なに、本当に私の死体でも見た?なんて。」
「な、な訳ないだろ。」
できるだけ事実のように、緊迫した感じを出してと言われたのでモジが死んだ瞬間の事を思い出したが…少し役に入りすぎたようだ。
「劇できるよ、佐久間。」
「今はそんな冗談言ってられるかよ…。」
時刻は2時50分。今にも殺し屋が扉を開いてもおかしくない。僕らは電気をつけず、モジの部屋で3時が過ぎることをただただ待っていた。彼女のベッドに、僕はモジと共に座っている。入口を睨みながら。
暗闇の中、モジが僕の手を探しているのがわかった。僕はその手を迎えてあげると、ぎゅっと握って来た。僕も握り返す。
「…もし、うまく行かなくても。」
小声が鼓膜を揺らす。
「佐久間と死ねるなら、それでいい。」
「不吉な事言うな…。僕は君と生きていたいよ。」
「ふふっ、だね。」
カチャリ
「…!」
玄関の扉が開いた音がした。空気が重たく張り詰め、息を吸うたびに喉がきしむ。
…コツ…コツ…
階段を一段、一段。何者かが上ってくる音がする。モジの手を放し、僕は扉の横に立った。警察は間に合わなかったのか…?
「…はぁっ…。」
見えない圧が背後から覆いかぶさってくる。落ち着け。一人で何とかしろ。ナイフを奪って…僕が、殺せばいいんだ。
ガチャッ!!!
「うわぁああああああ!!!」
「なっ!?」
扉が開いた瞬間、入ってきた明上に僕は噛みつく勢いで飛び掛かった。右手で持っていたナイフを避けるように、しがみつく。
「な、なんだお前!?…佐久間君!?」
「殺させない…絶対に!!やらせるもんか!!」
目が慣れていたのか、明上が突然の事で驚いたのか。すんなりと、明上の持っていたナイフを奪えた。しかも体制は馬乗りに、だ。
「…殺す。」
「な、や、やめ…。」
コイツがいなければ…苦労する必要はなかった。全ての恨みを乗せて、ナイフを両手で握りしめ、明上に向かって、振り落とす。
「はぁあああ!!」
「うわぁあああっ……。」
「だめっ、さくま!!」
だが、僕の両腕を止めた人間がいた。モジだった。
「…ダメ。そんなの、作戦にはない。」
自分の手に持っているものを、どこからか沸いた殺意を、確認していると…
ウーウー
「警察…お前ら、いつの間に通報…うぐっ!?」
「黙ってて。佐久間。この人の腕掴んで、ガムテープで巻く。…あとナイフも渡して。」
「あ、あぁ…。」
モジは落ち着いて、明上の口にガムテープを張り付け、足と腕を共にぐるっと1回転、2回転とガムテープで巻いた。巻いてる途中、モジがナイフをずっと突きつけ続けたせいか、それとももう諦めたのか。明上はあまり抵抗しなかった。
「…なんとか、なったね。」
「ごめん、モジ。君が止めてくれなければ今頃…。」
「ううん、私の為なんでしょ。なら、良いよ。…疲れた。」
モジは壁に寄りかかって、僕の服を少しつまんだ。その手を取ると、モジは離さないと言わんばかりに指を絡めつけて来た。モジも、一応は怖かったんだろう。ただ僕が慌てたから、逆に冷静になったのかもしれない。
すぐに警察官が家の中に来てくれた。僕とモジが座り込んで、犯人が拘束されている状況を見て驚いていた。明上は連行、僕らも警察署に話を聞きたい、ということで連れられた。
ようやく、僕はモジの時間を進めることに、成功したのだ。