第7話 僕は今度こそ君を救いたかった
お泊りの準備をして、家からすぐ近くのモジの家へと向かった。徒歩五分。これが幼馴染の近さってやつ。
「ワンワン!」
「おー、久しぶりだな。ニクキュウ。」
玄関のドア越しに漂う、洗剤と日向の匂いが混じった香りに、少し懐かしさを覚える。モジの家の前につくと、モジの愛犬が出迎えてくれた。この前訪ねたときは夜だったから寝ていたけど、今日は元気そうに柴犬アピールしてくる。モジのネーミングセンスには同情するけど。なんで犬なのにニクキュウ?
「よくモジとニクキュウと遊んだっけ。懐かしいな。
小学生の頃の事を思い出し、やはり震える人差し指でインターホンを鳴らすと部屋の中からはどたどたと足音が聞こえてきてすぐにカチャリと音を立てて、扉は開かれた。
「あ、来た来た。待ってたよ。」
「お邪魔します。」
「ワン!」
「にくは外だよ。だめだめ。」
モジはすでに制服ではなくラフな大きめのTシャツを身に纏い、ショートパンツともこもこのルームソックスを履いていた。長い綺麗な黒い髪の毛、いつもは結んでいる姿ばかり見ているからそのままストレートに流している彼女は清楚を感じる。
玄関にはモジのお母さんも、お父さんの靴もなかった。母親は浮気相手、父親は今夜娘が殺されることをわかって、見て見ぬふりを決めたようだ。
…無力のくせに、どうしようもない同情心が沸いて出た。
「さ、どうぞどうぞ。にしてもびっくりしたよ。いきなり泊まりたいって。どうしたの?お母さんと喧嘩でもした?」
「そういう訳でもないけど、少し…その、モジが恋しくなった。」
ウソじゃない。ウソではないが多分以前の僕の口からは出るはずもない甘い本音。
「えへへ、それは嬉しいかも。男の子の気を許せる友達って佐久間だけだから、こうやってお泊りは楽しみ。」
「警戒心ないな…。」
「あるわけないでしょ、佐久間に。」
当たり前のように言われるが、その言葉を嬉しがって良いのか悲しんでいいのかは微妙なところだ。気を許せる友達から、進展することはあるのだろうか。
少なめにまとめた荷物を招かれたリビングに置き、さっそくモジとゲームをして遊んだ。すでにゲーム機が準備されているところを見ると、本当に楽しみにしてくれたとわかって嬉しかった。
その後、お腹が空いたので二人で適当に済まし、勉強はまた今度と再びゲームを再開した。いつもなら夕食後に勉強をするはずのモジが、僕とのゲームを優先してくれてもう言葉が出ないと同時に、僕のせいでと口から謝罪が飛び出そうになる。
「このっ!よっ!…あーまた負けた。佐久間早すぎるんだよなぁ。」
「モジが甲羅にぶつかりに行くからでしょ。」
「私と甲羅は愛し合ってるから惹かれあるの!」
甲羅に嫉妬する醜い自分を検知。
「あ、もうこんな時間…。お風呂先入る?それとも後?」
「先で、先でお願いします。」
「あは、即答。一番好きだねぇ男の子は。どうぞ、いってらっさい。」
モジが入った後の風呂なんか入れるか。良い匂いゼッタイするじゃん。寝れない通り越して倒れる可能性ある。
と、危険を避けた気でお風呂に入ったがよくよく考えれば毎日モジはこの浴槽に浸かっているわけで。僕は理性と肩を組んで戦った。
「はぁ…はぁ…。」
「なんでお風呂入ったのに疲れてるんだか。じゃ次行ってきまーす。部屋で待っててね。」
「おう…。」
…想像するんじゃない僕。モジは信頼してると言ってくれたんだ。それに応えるのが男ってもんだろう。おもむろに机の上にあったモジが普段使っているであろう参考書を手に取り、頭の中で解き始めた。
「ふぃ~、さっぱり。お、参考書なんか見ちゃって。真面目かぁ?」
パステルカラーの可愛いパジャマを着てまだ少し濡れている髪にタオルを当てながら、モジが急接近し僕の持っていた参考書を覗き込むようにくっついてきた。同じシャンプーやらを使わせてもらったはずなのに、タオルの柔らかさと石鹸の香りが混じった、僕とは明らかに違うほんのり甘い匂いが鼻をくすぐる。
「近い。」
「普通でしょ。」
どの国の普通なんだこれは。今すぐ移住させてくれ。
「あーこれか。難しくない?」
「解こうとして見てたわけじゃない。」
「なんじゃそら。ん、まだ髪濡れてない?拭いてあげる。」
「いや自分で…。」
「黙って座ってれい。たまには誰かの髪を触りたいときだってあるの。」
あるだろうか。あったとしても僕の場合『誰かの』じゃなく『モジの』だ。
成すがまま、背後に周ったモジに髪をふいてもらった。
「んー、男子のくせに良い髪質。羨ましい。」
「モジだって綺麗じゃないか。」
すぐ横にあるモジの髪に触れた。君は何も言わず、髪をふき続けてくれる。
「そりゃね。清潔感は大事。でもこれだけ長いとお手入れがね…。短いの良いな。」
「モジはショートも似合うよ?」
「ううん。このままにする。覚えてないの?中学の頃、佐久間が『モジはロングが一番かわいい』って言ってくれたんだよ。だからそのままなの。」
…言ったかもしれない。中学生はもうとにかく猛アタックだったからその場その場でとにかくモジを褒めていた気がする。しかしでまかせではなく心から言っていたんだ、それは神に誓える。
「はい、ふけたよ。じゃ寝よっか。一緒のベットで寝る?」
「いや流石に!」
「はは、冗談だって。お父さんの部屋使って。」
最近、本気で添い寝しようとしてくる悪魔がいたから冗談に捉えられなかった。
「それじゃお休み。あ、そういえば明日学校だけど鞄とか制服良いの?」
「家近いし大丈夫。早めに朝起きて戻るよ。」
「なら私も合わせる。一緒に行こ。」
「少し待たせるけど良いのか?」
「うん。佐久間と行きたいから。」
もう告白させてくれ…。流石にここでするのはなんかズルな気がするから言わないけど、理性の箍が外れそうだから言わないけども。
今日全部解決したら、心から想いを伝えてみようか。うん…そうしよう。
「じゃおやすみ。」
「おう、おやすみ。」
「怖くなったら来ていいからね。」
「襲われても良いのかお前は。」
「なはは、佐久間はそんな乱暴なことしないでしょ。また明日。」
ぱたんと部屋の中にモジは消えていった。
どこからその信頼が生まれてるんだか。
僕もモジのお父さんの部屋に向かい、ベットを借りた。少し部屋を散策しようかと思ったが、やめておいた。これ以上殺し屋の情報を集める必要はないし、大体そういった情報をプロが残しているとは思わなかったから。
夜中、やっぱり寝られず起きていると…
「ワンワン!」
ニクキュウの鳴き声が聞こえて来た。一瞬で募る不安、焦燥感。僕は起き上がり、部屋を出た。玄関まで向かうと…暗闇に、男がナイフを持っているのが慣れてきた目に映る。その姿を見てすぐに、失敗したんだと、ダメだったと後悔する事になる
「…あ、明上さん…!?」
「ふぅ…なんでいるのかな、佐久間君。」
パチンと、明上さんは廊下の電気をつけた。するとより明白に殺し屋が誰なのか、否が応でもわからされられた。さっき会った爽やかな警官とは思えない、真っ黒な服を着て、あの黒い時計を身に着けていた。右手には、鋭利なナイフを持って。背負う鞄からは縄が少し飛び出ていた。
「警官じゃ…なかったんですか。」
「うん。見てわかるでしょ。今は殺し屋。明るいうちは警察官。こんな副業してるの、俺くらいだろうなぁ。」
カチャリと、まるで雑談をしているような顔をしながら玄関の扉を施錠された。逃げ道がない……。
「まぁプロだから。各方面にも顔聞くんだよ。おかげで犯罪者が警察に潜んでるって言う、灯台下暗しが現実的にできる。すごいでしょ?へへへへへ。」
「モジのお父さんに頼まれた殺し屋は、明上さん。ならモジを殺す理由はないじゃないですか。殺すのは母親ですよね?」
「関係ない関係ない!あのね、俺は誰かを殺せればそれで良いの。女ならより、しかもモジちゃん高校生だって?最高じゃん。」
「狂ってる…。」
「今さらだよ。…佐久間君、君はもったいないことをしたね。俺は行ったはずだ、家で待ってろって。何を正義感振りかざして、ここにいるんだい?俺を信用してくれなかったのかな、悲しいよ。」
「今じゃいて良かったと、良い判断だったと思いますよ。」
「はっ、何ができる?君一人に。」
「グッ…。」
図星だった。明上さんを信用して、何も用意していない。…天使もナツメも、世界には干渉したくないと言っていた。天使は当たり前、ナツメも助けには来てくれないだろう。
「ふん、好きな相手と共に死ねるなら本望だろう。感謝しなよ。…佐久間、くん!!!!」
「っ…!!!」
大人の一歩は大きく、すぐに刃物は僕のお腹すぐそこまで近づいてきた。死ねば、今までの全てが意味をなさない。こんな、こんなところで僕は…!!
「…うっ…ごふっ。」
「……モジ?!」
僕は寸でのところで突き飛ばされた。顔を上げると、モジが刺されていた。
「な、なんで!」
「…幼馴染、だか、ら。……逃げて、早く!!」
「はっはっはっは!良いねぇ良いねぇ。こんな場面を生きているうちに見れるだなんて、本望だよ!ひゃっはっはっは!」
ぐさり、ぐさりと何度も殺し屋はモジを刺した。見たくないのに、視界はむしろ釘付けになる。耐えられなくなった僕の体はすでに無意識に、玄関の戸へと向かっている。
「がぅっ…やめ、うぐっ…!」
「はっはっはっは!良い声だすじゃん、ねぇ、さくまくーんも聞いてるー?!」
「あぁああああっ…!!!あ、あぁああ!!」」
ガチャリ!と勢いよく扉を開いて外を出る。背中にモジの苦痛の声を打ち付けられながら僕は情けなく、恥を知らず逃げた。
「僕はまた…君を守れない!救えない!……それどころか、守られた…。ごめん…はぁっ、ごめん…!!」
寝間着のまま、暗闇の住宅街を駆ける。すぐ後ろでモジが今殺されているというのに、逆方向へと一目散に足取りふらついたまま。走って、走って、叫んだ。
「天使!どこにいるんだ、はぁっ。出てきてくれ、早く!」
曇り空の星一つ見えない空向けて、声を荒げると。白い羽が僕の傍をぱらぱら降り注ぎ、そいつはどこからともなく現れた。
「はい、お呼びになりましたか。佐久間様。おや、随分お疲れの様ですが、何かありましたか?」
天使はこんな時でも変わらず笑みを崩さなかった。その顔は街灯に照らされより不気味に見える。何かありましたかだと?こっちがどんな状況なのか、わかっているだろうに。それでも頼りにできるのがコイツしかいないが悔やまれる。
「い、今すぐ時を戻してくれ。お願いだ。」
「もちろんでございますとも。貴方様が望むのであればすぐにでも。では今回はどういった大切な思い出を頂けるのでしょうか。」
頭に浮かんだのは、犬の鳴き声だった。
「…そうだ、モジの愛犬の、ニクキュウの記憶はどうだ。僕はあの犬ともよく遊んでいたし、モジと迷子になった時アイツに助けられた思い出もある。」
「なるほどなるほど。その程度ですと…8時間ほど戻れますね。それでよろしいですか?」
「た、たったの8時間…?」
「まぁ、野山モジ様の愛犬とはいえ第三者ですゆえ。
少なすぎるタイムリミットだが仕方ない。その時点ではモジのお父さんを止めることも説得する暇も、明上を止める方法を考える時間もないが…この際モジを救えればなんだっていい。それにモジのお父さんに真実を伝えたところで、あの人が役に立たないことはすでにわかっている。
「にしても必死ですねぇ。そこまでして野山モジを救いたいのですか?」
「なんだと…?お前も同情していたじゃないか。」
どうせ嘘だろうが。
「えぇえぇもちろんでございます。今まで流した涙でとうに人一人沈むほどの量は優に超えていますよ。ですが…私は貴方様の悲しむ姿も見たくありません。」
珍しく、天使は泣きそうな顔を見せた。初めてみせた表情に、少し戸惑う。
「何度も巻き戻しを使えば、いずれ精神に支障が来し心が崩壊いたします。私はそんなこと、望んでいません。どうでしょう、ここは一度逃げ、落ち着いてからまた巻き戻すのは。」
「…騙されないぞ。巻き戻すのが遅くなれば遅くなるほど、僕はより大切な思い出を差し出さなければいけないじゃないか。」
「そんなこと、ありませんがねぇ。ふふふ。」
すぐにまた、あの不気味な笑みに戻った。こいつ…僕で遊んでいる。一瞬でも泣き顔を信じた僕を殴りたい。
「良いから早く巻き戻せ。時間が無いんだ。」
「貴方様がお望みとあれば。では、貴方様が野山モジ様の飼う犬に対し思う記憶。『野山モジ様の愛犬の思い出』を犠牲とし、時間を巻き戻させていただきます。」
一度もニクキュウと名前を呼ばないあたり、ただの動物としか考えてなさそうなのが余計腹が立つ。そんな僕の気持ちなど無視し、あの魔法の言葉を天使は言葉にした。
「【時ヨ、戻レ】」
「今度こそ…!」
最初は何も感じなかった浮遊感に不快さを感じながら、僕の意識は落ちていく。どうしても、この天使の面を見ながら巻き戻っていくのが、苦痛だった。
残り8時間、なんとかしてモジを救うんだ。
6月9日の朝日を、モジに見せるんだ――