第6話 僕は君と夜を共に過ごすことになった
今さっきあまり良くない印象を持ってしまった警察へ、間髪入れず優しそうな別の警官さんに出会ってしまうと、落差で一気に心を許してしまいそうになった。むしろ、不審なほどに。
「えっと…良いんですか?」
「何がだい?」
「僕から来ておいてなんですけど、さっきの警官さんとの話、聞いてましたよね。…我ながら取り繕う島、ないのはわかってるんです。」
「ふぅむ、俺が君に声をかけようと思った理由は二つだよ。ひとつは、単に暇だったから。こういうものなので。」
綺麗なシルバーの名刺入れから渡された一枚の紙には『生活安全課・明上聡』と印刷されていた。
「あきがみ…さとしさん。」
「よろしく。好きに呼んでくれて構わない。」
「生活安全課なんですね。」
「うん。あ、だからって暇って訳じゃないよ?生活安全課は本来忙しいとこだから。ただこれといって何か特色的な出来事があったわけでもないし、学生さんたちも夏休みじゃないしね。今だけ暇なんだ。」
「僕らが休みだと忙しくなるんですか?」
「少しね。ほら、自由な時間って悪さしたくなっちゃわない?友達と一緒だと特に。補導とかが多いんだよ。」
なるほど…。僕はそういった友人がいない。その考えに行きつかなかったが、明上さんが今時間を余している理由としてはもっともだった。
「それと理由二つ目が、警察官だから。助けを求めてる市民を無視はできない。」
「助かります。」
この人は信用できそうだ。まさか歩み寄ってくれる警官がいるとは思わなく内心、安堵している自分がいる。結局一人じゃ何もできない。
「それじゃあ聞いてもらってもいいですか。良かったら、ですけど。」
「もちろん。話しやすい場所の方が良いかい?そうじゃなかったら生活安全課の方で話してもらうけど。」
「うーん…。」
どうだろう。外で話すには物騒過ぎるか。
「じゃあそっちで大丈夫です。」
「了解、ついてきて。…そういえば名前を聞いてなかったね。」
「浅宮佐久間です。」
「佐久間君ね。改めてよろしく。」
それから明上さんは個室のような場所に案内してくれた。廊下の蛍光灯の光が少しまぶしく、足音がカツカツと響きわたる。個室のドアを開けると、白い壁に柔らかい光が反射して、思ったより落ち着く空間だった。机と椅子だけのシンプルな部屋に、かすかなコーヒーの香りが漂っていた。誰かがさっきまで使っていたようだ。
「さて、それじゃあ聞こうか。何か飲み物は?」
「大丈夫です。その…今から話すことは冗談でもなんでもないんで。」
「わかってる。俺も遊びでここまでするほどには暇じゃないからさ。ゆっくりで良いよ。」
僕は明上さんに明日起こる殺人事件について説明した。何の証拠もない、口だけの未来。それでも明上さんは黙って真剣に、たまにメモを取りながら聞いてくれた。
もちろんナツメとか、天使の話はしていない。あの二人が話しに交わると混乱を招いてしまう。
「って感じなんですけど…。」
「…。」
話終わってから一分ほど、明上さんはメモをとっていた手帳をじっと眺めていた。僕は彼の思考に言葉を挟むのは無粋だと、黙って待っていた。
明上さんがレザーの手帳をぱたんと閉じる音。ページの紙の匂いがほんのり香り、静かな緊張感が増した。
「よし、わかった。明日の夜だね?俺がその野山モジちゃんの家の前で警備しよう。彼女を不安にさせないように俺がいることは秘密で。どうだい?」
「い、良いんですか?!そんな…もしかしたら夜通しでいてもらうかもしれないのに。」
「良いよ良いよ。ただあまりにも物的証拠はないし、未遂だから状況証拠もない。佐久間君の人的証拠だけだ。こうなると、警察署全体からの協力は難しいね。だから僕個人としてになる。ちょっと頼りないかもしれないけど…良いかな?」
願ってもなかった。僕一人がモジの家の前に張りつめたところで殺し屋の殺す人間が一人増えるだけだ。
「お願いします。モジは…僕の大切な人なんです。」
「ははっ、了解した。若人の青春を邪魔する大人の汚い裏側は、同じく大人がなんとかしよう。」
「でも良いんですか、本当に。確実に殺し屋が来るとは限りませんし…。逆に来たとしたら、犯人はプロです。返り討ちの可能性も…あるかもしれません。」
自分が説明したのに、こうも実際に巻き戻す前見て来た事象を否定することを述べてしまう。無償で動いてくれる明上さんに、申し訳なさを感じているんだ。
「安心してくれ、佐久間君。来なかったらそれで良いじゃないか。俺が一日だけ夜更かしするだけで、平和を守れるなら警官としてその選択を取らないわけない。それに相手がプロだというけど、俺だって警察手帳を持ってる本物の警官だ。互角みたいなもんだよ。俺が責任を持って、野山モジちゃんを守ると約束する。」
明上さんは確固たる決意を持ってくれていた。その勢いからか、僕の前に右手を差し出し握手を求めて来てくれる。腕には真っ黒な時計がついていた。なぜだかはわからないけど、感覚的にこの時計はつけてるこの人を信頼できる後押しになった。
ギラギラとしている見た目高値そうな時計だったら、ここで手は握らなかったかもしれない。
「…お願いします!」
「あぁ、任せてくれ。」
力強い、ごつごつとした頼りがいのある手だった。
手を放すとすぐにまた明上さんはあのレザーの手帳を開いて話し出す。
「ちなみに確認なんだけど、本来狙われているのは野山モジちゃんのお母さんで、依頼したのはお父さんなんだよね?」
「はい。…あ、え、その…モジのお父さんも、逮捕されちゃうんですか?」
「あー…うーん…。いや変に誤魔化すのはよそう。申し訳ないけど、罪に問われる可能性は高い。共犯扱いになっちゃうから。でもまぁ…いや警官としてはダメなんだよ。ダメなんだけど…お父さんが実際に殺し屋に頼んだ証拠が出ない限りは大丈夫だと思う。通話履歴からわかるかもしれないけど、相手がプロならそれすら残さないはずだ。つまりは、自首しない限りは…大丈夫、かな?うん。」
「それ警官として良いんですか…。」
「そ、そんな呆れ顔しないでくれよ…。佐久間君だってモジちゃんを悲しませたくはないだろう?」
「それはもちろんです。」
なんか変な罪悪感はあるが…火をつけたのは僕だ。てことは僕も共犯ってことにならなくはない。今さらだ。
「お父さんとお母さんの名前は?」
「え…あぁそういえば知らない…ですね。」
家族がらみの交流もなくはなかったが、それは小学生の頃の話。中学からはほとんどなかったので、わざわざ名前を聞く場面もこちらから教えてもらおうともしなかった。
「そっか、了解。それじゃあ明日の…じゃ間に合わないか。今日夜に野山モジちゃんの家の前に行くよ。佐久間君は家で吉報を待っててくれ。」
「ありがとうございます。本当に…明上さんがいなかったら今頃どうしたらよかったか。」
「まぁまぁ、そこまで感謝されることはしないさ。警官として当然のことだよ。」
この人の笑顔には、無条件で頷けた。
「あ、もうこんな時間か…。送っていきたいけれど、一度また戻ってきて準備をするには時間が無いや。ごめんだけど一人で帰れるかい?できるだけ早く野山家の前にいた方が良いよね?」
「そうですね、お願いします。全然一人で帰れます。」
「良かった。それじゃあまた。」
「はい!」
警察署から出る際、安堵感で胸が軽くなるのと同時に、廊下の静けさや窓の外の暗さが視界に目立つほど、心が敏感になっていた。
・・・
僕は深く頭を下げて、警察署を出た。外は夕焼けの終わりごろを指している。…これで今夜、モジは死なない…はずだ。明上さんが守ってくれていれば、殺し屋を止められる。なんなら実際に警官が犯人をその眼で見ることになれば、証拠としてはかなり大きいものになる。例え殺し屋を逃がしてしまってもその先の行動は難しいものになるだろう。
こんなに体の重荷が軽い帰路はいつぶりだろう。道端に咲く花にすら微笑んで見えた。そうやって下ばかり見て歩いていると、道中にしゃがみ込んで花を撫でている少女を見つけた。
「…ナツメ?」
「空から全てを見ていた。上手く行ったようだな。」
警察署の中で話してたのに、どうやって空から見たんだろう?透視能力でもあるのかな。持っていても不思議ではない。
「あぁ、そうなんだ。きっとこれでモジを救える。」
「きっと、なのか。確実じゃない。それで良いのか?」
「え?」
ナツメは立ち上がり、目をまっすぐ貫くように見て来た。その威圧感で初めて、ナツメを悪魔だと意識したかもしれない。
「また天使の世話にはなりたくないだろう。明上聡が破れる可能性を考えるべきだ。」
それはそう。これ以上大切な思い出を失いたくはない。
「って言っても…どうすんだよ。具体的に。」
「野山モジの家に泊れ。今日一日だけ。」
「は!?」
ま、待て待て待て。モジの家に?それってつまり…好きな女の子の家で夜を明かせと?巻き戻り前から、モジのお母さんもお父さんもいないことはわかってる。
「そ、そんな大胆なことできるか!」
「今までだって無いわけじゃなかったのではないか?」
「それは…まぁ…。でも小学生の、しかも低学年の頃だぞ?」
今や高校生。…色々とほら、あれだ。ダメだろ。
「性欲の話か?」
「せっ…!?…で、デリカシーないなナツメ…。女の子なのに。」
「む。でりかしー。…そ、そうかもしれん。」
いつもは真っ白な表情が、その時は珍しく赤く染まった。一瞬悪魔に可愛いと思ってしまう自分がいた。
「だが確実を望むのは悪くないはずだ。今日一日だけ、野山モジの傍にいるべきだ。どうせ自宅じゃ不安で寝れないのなら、明上聡と共に二重の警戒をすべきだ。」
「確かに…一理あるか。」
けれどもそれをするには最大の壁がある。モジが許してくれるかどうかだ。基本、僕に対してはどんな頼みごとでもしてくるし、聞いてくれる。ただ今回は事が事だ。そう簡単にOKを出してくれるとは…
[もしもし佐久間?何?今日泊まりたい?いいよ親いないし。どぞどぞ~。]
「良いのかよ!?」
[うるさいなぁ声大きいよ。別に初めてじゃないじゃん。それに佐久間なら何もしないでしょ。信頼してる。…じゃあ待ってるよ。]
「お、おう。」
震える人差し指で通話を切ろうとしたが中々押せず、モジの方が先に切ってしまった。ツーツーとドキドキが頭の中を交差している。
「…寝れない。」
「むしろそれで良いんじゃないのか?…とにかく、健闘を祈る、サクマ。」
ナツメは消える頃にはまた無表情に戻っていた。
心の中でナツメに感謝しつつ、やっぱりあいつ悪魔向いてないなと本人には聞かせられない言葉を呟いた。