第4話 彼女は誰からも慕われていた
ゆさゆさと揺すられて僕は目を覚ました。まだ少し眠い…。
「さ、佐久間!大変だよ!」
「ん…何?母さん。」
「あ、あんたの幼馴染の。モジちゃんが、自殺したって!」
人生最悪の目覚めだった。まだ良かったのは、この最悪なアラームをかけたとわかってはいることだろう。慌てふためき、少し泣いている母さんを横目に部屋を見渡す。机の上にあった、悪魔…いや、ナツメが書いてくれた相関図も、深夜食べたカップ麺のゴミもなくなっていた。世界に干渉してはいけないというのは、こういうことか。
もちろん、ナツメの姿もなかった。
朝ご飯を食べる手は、進まない。ただでさえ、水分を持って行かれる食パン。今朝はもう、和紙を食べてるんじゃないかってくらい味がしなかった。それでも無理矢理詰め込み、牛乳で流し込む。頭を回すには嫌でもエネルギーが必要だ。母さんは僕があまりショックを受けていないように見えて、訝しんでいるようだった。悲しいさ、悔しいさ。…だけど、まだ助かるんだ。だから、心配しないでくれ。
「行ってきます。」
「無理して行かなくていいんだよ?」
「…でも、行ってきます。僕が元気にしてる方が、モジも喜ぶだろうから。」
母さんに笑ってそう言った。果たして、ちゃんと笑えていただろうか。
・・・
学校に着くと、驚くほど普通だった。まだモジの件は伝えられてないらしい。いやむしろ伝えるのかもわからない。
「おは、佐久間。」
「おう。」
「あれ?今日モジちゃんは?」
「…翔。悪い、その…今日はそっとしておいてくれ。」
「そ、そうか?お前がそう言うなら…まぁ。」
学校で情報を集めるとは言ったものの、少し休ませてくれ。
…一人で歩く朝の登校路は、辛いんだよ。
自身の机に座りすぐに突っ伏す。目は覚めていたが、光を浴びたくない。
……いや、考えるな。僕がその手でやったわけじゃない。本当にモジのお父さんがやったのか、それだけ確認して。モジの父さんと話したあの夕方に戻ればいい。そこで無駄なことを言わなければ、少なくともモジは死なないはずだ。
気分が落ち着いてきて顔を上げたら、丁度先生が教室に入ってきた。その顔は暗かった。
「全員席についてくれ。大切な…悲しい話だ。」
窓の外は梅雨の晴れ間だというのに、教室の空気は水に沈んだように重く淀んでしまった。担任の先生から告げられた話は、すでに知っている僕としても耳を塞ぎたい内容。野山モジの自殺は、まだそこまでそれぞれの関係も進んでいない新学期のクラスですら落ち込ませられていた。モジは誰にでも優しく、クラスの中心人物のようになっていたのだから、関わってたクラスメイトも多い。
その中でも、担任が告げた瞬間、二人の生徒が僕の方へと視線を向けたのがわかった。それは、彼と彼女はよりモジを知っている証明だ。
ホームルーム終わり。すぐに翔が寄って来た。
「…佐久間。」
「なんだ。」
「その……すまん。体が勝手に動いたが、かける言葉がない。」
「ならその行動だけで十分だ。」
「お前…なんでそんな普通でいられるんだ?」
「…。」
「なぁ、おい。」
母さんは気づいていても、敢えて言わないでいてくれた。だが翔は違う。翔は、心をむき出しに僕に向き合ってくれる。
「10年、好きだったんだろ!!なのに涙一つ…お前の想いはそんな軽かったのかよ?」
翔が大声を出したから、周りの生徒の目を集めてしまう。何か言えばいい。嘘でも、涙を流すフリをしたらいいのに。僕はだんまりを決めてしまっていた。心の奥底で、救える。まだなんとかできるんだよ。そう、思っていたから。
「…ごめん。」
「俺に謝ってどうするんだよ…。クソッ!」
翔は僕のそんな態度が気に食わなかったのか、近くの椅子を蹴り自席へと戻っていった。
するとその隙を狙ってか、もう一人先ほど視線を送ってきていた女子が近寄ってくる。
「ねぇ、浅宮君。あの話…本当なの?」
「美奈、先生がいたずらでする訳ないだろ。あんな話。」
彼女は古井美奈。高校に入ってできた、モジの親友だ。基本的に二人は一緒にいることが多い。とても仲良くしていたのは、はたから見てもよくわかった。
「じゃ、じゃあなんであんた。そんな落ち着いてるのよ?うち聞いたもん。モジにとって…あんたがどれだけ大切な存在かって。いつも隣にいてくれて、優しくしてくれてって。あんたは何も思わずそんなことしてたってこと?」
「お前に僕の何がわかるんだよ。…ほっておいてくれ。」
「あんたおかしいわよ…。モジちゃんがし…死んだのに…うっ…うわぁあああん!!」
信じたくなかったんだろ、だから僕に確認したんだ。無意味な確認を。
僕もだよ…。信じたくなかった。
箍が外れたように泣き出した彼女の元へ傍で見ていた他の女子が寄り添いだし、何が何だかわかってないくせに僕を睨んだ。
ばかばかしい。僕がおかしいだって?そりゃ知らないだろうが、僕は過去へと戻れる。まだ救えるんだ。部外者は黙っててくれよ…。これ以上、かき回さないでくれ。
気づいてなかった。僕は、僕がおかしいと。例えやり直せるとは言え、彼女が死んだのは事実。そこに『悲しみ』の感情がないことを、見て見ぬふりをしていたんだ。
たった二度で《《幼馴染の死に慣れてしまっている》》自分への異常さを。
・・・
まさかそれ以降何もしなかったわけではない。学校内外問わず、モジのお父さんが真犯人ではないという可能性の線で聞き込みをした。もしかしたら知らない所でモジがクラスメイトの誰かに恨まれているんじゃないかと。教師を含め、僕は様々な人にそれとなく聞いた。
彼女の部の部長はこう言った。
「野山ちゃん?そりゃもう…残念だったよ。本当。まだあの子と一緒にバスケそこまでやったわけじゃないけど、私ちょっと泣いちゃった。凄く上手で、謙遜もせず、でも威張りもしなかった。良い子だった、本当に。上も同世代の子もみんな、彼女と楽しく活動してたと思うよ。……ごめん、思い出したらまた涙が。」
別クラスの女子はこう言った。
「野山さん?…あぁ、自殺したって言う…。変な意味じゃないけど、なんで自殺なんてくだらない事したんだろうな、とは思ったよ。ほら、彼女って誰かれ構わず楽しそうにおしゃべりしてたじゃない。先生対しても元気にさ。悩みなんて一切なさそうだったけど、人ってわからないものね。…一度、あ、私生徒会所属なんだけど。割と多めの書類を運んでいた時、誤って落としてしまったの。そしたら丁度彼女がいてね。一枚残らず、丁寧に拾ってくれた。それ以降関わることはなかったけれど、誰かから恨まれるような事だけは絶対なかったと思うわ。」
中学が同じだった男子生徒はこう言った。
「お!浅宮じゃん。クラス変わってあんまり話さなかったから久しぶりだな!どうしたそんな元気なさげ……あ、あぁ…。すまん。いや忘れてたわけじゃないんだぜ?ただ、信じられなくてな。お前もだろ。浅宮、何回告白してたかわかんねぇもんな!野山は気づいてなさそうだったけど、他のやつは全員知ってたし。でも余計な邪魔はしないようにしてたんだ。なんつーかこう…眺めてるのが微笑ましい。的な?とにかく中学のみんなはお前らの恋、応援してたぜ…。はぁ。…自殺の事、他の中学のやつらには、言えねぇよな…。」
担任の教師はこう言った。
「あぁ、お前ら異性同士にしては仲良かったもんな。高校始まりからいちゃいちゃしてんなぁとは見てたが…こんなことになるとは。先生も何が何だがわからなくて…。今朝、警察から電話が来た時は何事かと心臓が跳ねたよ。まぁ元気出せ…ってのは酷な話だが、浅宮まで来なくなったら先生もクラスのやつらも、悲しいよ。何?誰が彼女を最初に発見したか?あー…野山のお母さん…って言ってたかな?」
「ありがとうございます。」
そう言い残して、話をしてもらった人から離れる度に、可能性の天秤が片方へと下がっていく。モジは誰かに恨まれるようなことはなく、むしろ好印象。高校入学の4月から6月までの短い間でこれほどの信頼を得ていた。
これで、モジが狙われたわけではないと。その確証は得られたと思う。
素直に喜べた。自分の好きな人が他の人にも慕われていたというのは、とても嬉しかった。
だが反面、暗い思考回路も回った。昨夜ナツメと考えたあの可能性が、高まったから。それはモジのお父さんを疑うことに直結する。…僕が背中を押したとはいえ…自分の愛した妻を、殺し屋に殺せと依頼できるような人とは、思えないんだ。
僕はお父さんを、信じていた。
・・・
モジのお父さんからも話が聞きたかったが、連絡先を交換していなく忙しいらしく家に中々姿を現さなかった。実の娘が死んでいるというのに。
結局、聞き込み以降大きな進展は得られずモジの葬式の日へとなってしまう。
二度目の好きな人の葬式など、行きたくなかったがこの日なら流石にモジのお父さんもいるだろうから。
あの日と同じように焼香を済ました。
(モジ、待っててくれ。僕がきっと生かして見せるから。)
そう誓って、席に戻る。…一回目は泣いていたせいでよく見えていなかったが、ちゃんとお父さんは来ていた。隣でモジのお母さんがお父さんに泣きついている。…モジのお母さん、ちゃんと泣いてあげられていたんだな。モジに対し無関心、という訳ではなかったようだ。
「…?」
ふと、モジのお父さんの泣き顔に違和感を感じた。隣のお母さんの悲しみの涙じゃない。目がぱっと開き、怯えているように見えた。あれは…《《後悔》》している時の?
あまりジッと見るのも失礼なので、葬式が終わるまでは話しかけるのをやめた。
葬式が終わり、僕はすぐに立ち上がってお父さんの所へ行こうとすると彼も間髪なく立ち上がってどこかへ向かっていった。
つけていくと、トイレだった。
話したいのは山々だし、申し訳ないが突撃しようとトイレの中に入った。しかし、そこに姿は無かった。代わりに個室が閉じている。どうやらこの中の様だ。
流石にプライベート空間にいる時に話すのは失礼かと思い、トイレの外で待とうとした、刹那。
「こんな…どうして私は…やるんじゃなかった…。」
小さな懺悔の言葉が聞こえて来た。どうやら僕の存在には気づいていないようだ。
「私はアイツを…なのに何故モジが…あぁあ…。」
確信に変わる瞬間だった。本当に、モジのお父さんは依頼したんだ。自分が過去、愛した人を殺すために。だが現実は悲しく、死んだのは本当に愛する自身の娘。…僕が、あんなことを言ったから…。
…立て、動け。
落ち込んでいる場合じゃない。この事件、誰が悪いかと言えば答えはない。爆弾でもなく、火薬を用意したモジのお父さんでもない。だが火をつけたのは僕だ。始末はしっかり、自分でしなければ。
葬式から帰る途中、呼んでもないのにそいつは現れた。悪魔のような作り笑いを張り付けた天使が、僕の目の前に。
「さぁ、今回は何を頂けるのでしょうか?」
「はぁ…。手を貸してもらってて悪いが、僕はお前に感謝はできなさそうだよ。天使。」
「それはそれは。悲しいですね。」
いつもながらわざとらしく天使は泣いているような素振りを見せる。口角上がってんぞ…。
「ですが感謝などご不要でございますよ。佐久間様。私と貴方様との関係はwinwin。そこにプラスαまでを望みは致しません。私、謙虚ですので。」
「どの口が言うんだ。…巻き戻してもらう前に、一つ聞きたいことがある。」
「なんでしょう?」
「僕が渡した思い出で、どれだけ戻れるかって事前に教えてもらえないのか?」
それがわかればある程度巻き戻れる時間を調整できる。だがこの天使、見た目は神々しくてもその腹は黒い。どうせ契約書に含まれていませんとか言って…
「お望みとあればお教えいたしますよ?」
「教えてくれるのかよ!?じゃあなんで一回目は言ってくれなかったんだ。」
「聞かれませんでしたので。ふふふ。」
僕に浮遊能力があるのなら、コイツの顔面ぶん殴ってるだろう。
「あぁもう…。」
一度冷静になれ。わかるのならばそれはそれでだ。今は…6月12日。僕がモジのお父さんと話したのは6月7日だ。なら、5日程度戻ればいい。
「この前、1年分の思い出で1週間くらい戻れるって言ったよな。」
「えぇ、確か。」
「なら…365÷7で…大体1日戻るのに50日か…。」
やはり割に合わない。でも過去に戻るってことは、それ相応の代価は必要なんだろう。一度目は軽い思い出を渡したせいで中途半端に巻き戻ったが、今回はしっかり考えて、だ。
「貴方様は時間にこだわっているようですが…別の大切な物でも良いのですよ?以前も言ったように、彼女の腕、足、顔に匂いに声でも…。」
「この野郎、そんな大切なものモジから奪える権利僕にはない!」
「野郎ではございません。か弱き少女でございます。ふふふ。…それに奪われるのは貴方様の見方からだけであり、野山モジ様自身が苦労されることはありません。」
「そうなのか…?なら、声を渡したらどうなる?」
「佐久間様が野山モジ様の声を聞くことができなくなります。」
「新しい問題増やすだけじゃないか!」
話してるとイライラしてくる。さっさと決めよう…。
「わかった。250日分。僕とモジとの50日分を失う。」
「いつからいつがお望みでしょう。最新からか、過去からか。」
「…最新だ。あ、でも高校入学以前にしてくれ。」
危ない。最新ではモジが自殺する事そのものを忘れてしまう可能性がある。
「…えぇもちろん。最初からそのつもりですよ。」
本当かよ…。でもこれでモジと一緒に受験勉強やった記憶をなくすことになる。だが古ければ古いほど、思い出ってのは大切なものになっていく。こんな二択、選びたくもないのが本音だが…。
「新たな思い出は新しく、ということですね?中々意気な男でございます、佐久間様。」
「そういう御託は良い。早くしてくれ。」
生暖かい笑顔のまま、羽を動かし少し高く浮いた。ほんの少し飛び散る天使の羽だけが、こいつをギリギリ聖なるものに見せてくる。
「では、貴方様が高校入学するまでの250日間。『野山モジ様と過ごした日々』を犠牲とし、時間を巻き戻させていただきます。」
一度見た時はよくわからなかったが、二度目だとなんとなく天使の手振りに意味があるように思えた。巻き戻り、をイメージしている気がする。両手を胸の傍に天使が置くと、天使はあの言葉を呟いた。
「【時ヨ、戻レ】」
「………。」
浮遊感、何も言葉を発することなく僕は落ちていった。また、あの眩い光が僕を包む。空間が歪み、世界が変わる。
「それでは、いってらっしゃいませ。」
天使の顔は、歪む前も後も、同じに見えた。
…絶対、モジを救う。
強い決意を最後に、僕の意識は完全に堕ちていった。