第2話 僕には悪魔みたいな天使がついた
6月9日・放課後
高校生活が始まって初めてモジが学校を休んだ。朝、彼女を待っていたがいつものタックル挨拶も無く、EINで連絡をしても何も帰ってこなかった。違和感はあったが、あいつだって人間だ。風邪をひくことだってあるだろう。
なので、今日先生から渡されたいくつかのプリントと、コンビニで買ってきたサンドイッチとプリンを買ってモジの家を訪ねた。
ピンポーン
インターホンを鳴らしたが、ドアが開くこともなく足音が聞こえてくることもなかった。風邪ならば動けないだろうし、モジの両親は二人とも仕事で出払っていてもおかしくはない。
ふと、一昨日モジのお父さんと話した記憶が浮かんだが今は気にする必要はない下とかき消した。
「勝手に入る訳にも…。」
ガチャ
「…まさか開くとは思ってなかったんですごめんなさい。」
誰に謝るわけでもなく一応空に向かって頭を下げ、恐る恐る扉を開いた。今まで何度かモジに『先に家行ってていいよ』と家のカギを渡されたことはあった。誰もいない他人の家に入る抵抗はない。ないが…今回は違う。許可なく入るのは忍びなかったが、モジの様子は確認したかった。
「おじゃましまー…す。」
家の中は耳鳴りがするほど静かだった。物音ひとつ立っていない。とりあえずモジの部屋に…
「………は?」
モジの部屋は二階だ。階段までに一階のリビングへの扉がある。以前遊びに来た時は閉まっていた扉が、全開に開かれていて。
部屋の中央で、モジが首を縄に、吊られていた。
「うっ…オェエエッ…。」
胃から吐き出された吐しゃ物を容赦なく血まみれの部屋にまき散らしてしまう。
だって見たことが無かったから。
人があんなに白くなっている状態を。
親友があんなにまで虚ろになっている表情を。
…大好きな人が、すでに会話することのできない死体になってしまっているところを。
吐しゃ物の中には多分、お昼に食べた購買のパン以外の浅く沈んだ気持ちと心にたまっていた10年間の錆が、混じっていたと思う。
・・・
三日後
今日はモジの葬式だった。あの日から三日間、僕は学校に行けなかった。両親は心配してか、登校を強制はしなかった。僕とモジの関係を知っていたのもあるだろう。逆に、翔のやつは僕に学校に来いとEINで、一度家にまで来てくれた。『お前がいないと教室で一人で暇なんだが』との一言が僕と翔との最後の履歴になっている。
友達、僕以外にもいるだろう、君は。
葬式には親族じゃない僕も参列できた。モジのお父さんの配慮だ。僕が家に籠っていたのは、二度と彼女に会えない現実から目を背けたかったから。…そんなんじゃダメだってわかってる。だから来たんだ。現実を脳に焼き付けるために。
「…モジ。」
葬儀場に置かれたモジの写真は、彼女に似合わず、無表情だった。いつもモジは笑顔だったから、一瞬違う人が。僕には全く関係ない何のつながりもない誰かが死んだのかと勘違いした。したかった。
だけど間違いなくその綺麗な可愛げのある女の子は、僕が10年想いを寄せていた女の子だった。
焼香台へと重たい足を進める。礼を小さくしてから、抹香をつまんだ。驚くほどさらついた僕の手は何も苦労せず抹香を胸の高さまで持って来た。それから少しずつ、できるだけ彼女の前から離れたくないと。ゆっくり火のついた炭の上へと落としていった。少し離れ、両手を合わせる。
(…僕はどうして君が自殺したのか、見当もつかないよ。)
もう一度礼をして、自分の席へと戻っていった。この際、ハリボテで覚えた焼香を上げる手順以外、何も覚えてなかったし何も見えなかった。
目頭は涙でいっぱいで、頭の中はモジでいっぱいだったから。
何度も考えたんだ。なぜ、モジが自殺したのかを。前日の8日にはそんな素振り一切なかった。いつも通り朝思い切りのある挨拶をして、お互い愚痴りながら学校に登校して。いつも通りのお昼時間、あの場所で特にこれと言った会話もせず空腹を満たして。…見慣れた、彼女だった。
何か思い悩んでいたことがあったのだとしたら、それを僕に話してくれなかったことが何より、残念で、悔しかった。
・・・
空が暁色の葬式終わり、寄り道をせず家へと歩いて帰っていた。風がひんやりして、涙で濡れた頬を優しく撫でていく。世界は静かに動いているのに、僕の胸だけが騒がしい。行くときは電車で行ったのに、どうやってここまで来たかわからない。迷ったかな、と思ったが顔を上げればいつもの登校路だった。おかしい。見慣れた道なのに、なんだか新鮮で、見たことのない知らない住宅街に見えた。
「そうか。横ばっかりみてたから、俯きながら歩いたことなんてなかったな…。」
できることなら、会いたい。時間を巻き戻して、もしくは僕も追いかけて。モジに会いたい。なんで自殺なんかしたのか、聞きたい。その理由がわかったところで、彼女が戻ってくるわけでもないけど。それでも。
「……好きだった…。」
もう、この言葉を冗談でも返してくれるやつはいない。
「誰をですか?」
「…え。」
まさか返事が返ってくるとは思わなく、驚いて背後から聞こえて来た声に身を向ける。瞬間、もう一度同じ、いやそれ以上の驚きのインパクトが僕を襲った。
「…は!?」
「人の顔を見てそのように驚いた顔をされてしまうと、心外なのですが。」
「……ひ、ひと?!人…なのかお前!?」
その人物は、浮いていた。いや違う、あれじゃない。クラスで浮いているとかいうそういう日本語の齟齬ではなく。本当に、浮いていた。足が地についていないそいつは、透き通った白いローブにその身を包んでいた。腕や首周りには金色の刺繍が入っていて、胸のあたりに控えめなサッシュ。で…コイツの存在をその装飾一つで決めつけられるものが、頭の上に浮かんでいた。
「…てん…し?」
「はい。そうですよ。私は天使です。天使とお呼びください。」
「…変ないたずらなら普通に怒るぞ。今僕はそんな道楽に付き合ってられないんだ。」
「いたずらじゃありませんし、貴方様を嘲笑いに来たのではありません。私は貴方様に手を差し伸べに来たのです。」
「良いって、そういう設定。帰ってくれよ。」
今は笑う気には…
「ふぅむ。信じてないご様子。では、天使らしいところを見せれば信じてくれますか?」
「天使…らしいこと?」
「えぇ。それでは…。こほん。」
わざとらしい咳ばらいをしてから自称天使は右の腕を空へ向けてぐるぐる回し始めた。
「【雨ヨ、降レ降レ。ドント触レ】」
「何言って…。」
ぽつり、鼻の上に何かが垂れた。これが水滴だと認知するまでに、すでに空からは何万滴もの雫が町に降り注いでいた。
「おわぁあああ!?」
「は…、さ………ん。………す…。」
「雨音で何言ってっかわかんないんだけど!?」
「【晴レロ】」
パァン!と気持ちよい擬音と共に、空は染まりきったオレンジ色へと戻っていった。
「…晴れた。」
「はい、佐久間さん。傘です。」
何故か目の前に傘が差しだされる。
「どゆこと?」
「いえ、先ほど何言ってるかわかんない、とのことですので。静寂に戻してから改めてと。」
ず、ずれてる…。認めよう。この女は人じゃない。天使…かどうかもわからん。ただ言動が明らかに異質な事だけは身に染みた。
「傘はもう良いよ。それで、偉大な天使様が何の用だ。僕なんかの所より渇ききった田んぼとこかにでも行った方が良いんじゃないか。」
「ご冗談を。先ほども言った通り、私は貴方様に手を差し伸べに来たのです。」
「だからそれはどういう
「野山モジ様が死ぬ前まで、時間を巻き戻して差し上げましょう。」
「っ!?」
そんなこと、できるのか?…さっきの不思議な光景が裏付けている。自称天使とやらは、やってくれるんだろう。
「ほ、本当か!?」
「えぇえぇ。もちろんでございますよ。私は空からすべてを見ていましたから。長きにわたる叶わぬ恋。ついにその年月は10年から永遠となってしまった…。私、思わず泣いてしまいました。あんまりですよね。可哀想でしてね。本来天使として人間に手を貸すという事はあってはならないのですが…。」
「や、やってくれるのか。…天使様!」
「様なんて、付けなくて大丈夫でございます。使いなのですから、ため口で、敬称を省き天使とお呼びください。了承できましたら、この紙にサインを。」
「なんでもするさ、モジが助けられるなら!」
神様は見てくれていた。まだ諦める時じゃないんだ。モジを助けることはできる。間に合うんだ。フィクションでもなんでもない、天使が目の前にいる!
無我夢中で差し出された紙にペンを走らせた。空中なのに、紙は固まったように書きやすかった。これも天使の不可思議な魔法だろうか?
「書いたよ。それじゃあさっそく天使、僕をモジが死ぬ前に…。」
「その前に。一つ条件と言いますか、協力してほしい事がこちらにもあります。お互いwinwinと行きましょう。」
「条件…?」
「貴方様、浅宮佐久間様が野山モジ様に対して何か大切だと思い出や事象を、私にお渡しください。」
「何を…言ってるんだ?」
雲行きが怪しい。僕がモジに対しての大切な思い出や事象?どういうことだ?
「何を僕は差し出せって?」
「ですから、貴方様が今から助けに行く女性に対し、何かしら大切に思っている出来事や部分的な物を私にお渡しください。あぁ、彼女の部位でもイイですよ。腕や足。頭は…おやめになった方が良いと思われますが。」
「ちょ、ちょっと。ちょっと待ってくれ。…何言ってるかさっぱりだ。た、例えばじゃあ。僕が彼女と過ごした時間を…一年分渡せば、一年巻き戻してくれる。ってことか?」
「半分正解、半分不正解です、佐久間様。一年間分の時間を渡されても、巻き戻せる時間は精々…一週間強くらいでしょうか。」
「た、たった7日なのか!?」
「おや、今のはダジャレ…という言葉遊びでしょうか。お上手ですね。」
「ふ、ふざけんなよ。そんな取引できるか!大体、記憶を渡したらどうなるんだ…。」
「ご心配なく。消え去るのは貴方様の記憶だけであり、モジ様はしっかり覚えていますし、初めて手を繋いだという行為自体は残ります。ただその覚えが貴方様の頭からなくなるだけ。例えるならば…確かに貴方様は朝ご飯を食べた。消えたのは朝ご飯と、記憶。起きた出来事まではなかったことにはなりません。」
頭がこんがらがって、天使の言葉はすでに意味を理解できていなかった。こいつ、天使の様な格好をしてとんだ悪魔じゃないか!記憶をなくすなんて…モジとの大切な思い出を忘れてたまるか。
「で、できない。この取引はなかったことにする!」
「本来契約されてしまっている以上、破棄はできませんが…まぁそれでも今回は良いでしょう。佐久間様とは良好な関係でありたいですからね。」
「…助かる。」
…戻る必要なんてない。そう、大丈夫だ。これで…
「で、す、が。…これで、良いのですか?モジ様は自殺したままですよ?」
「くっ……。」
「いやまぁ、自殺ではないのですけどね。ふふふ。」
「…は?」
「おっと、口が滑りました。」
…モジは自殺じゃない?首吊ってただろ、第一発見者は僕だぞ。
「待て。」
「えぇ、待ちますとも。」
……あの部屋、血がまみれてなかったか?首を吊った、なのにどこに出血する要素がある?
……ない。なら、あの時は慌てて見ていなかったが、もしかしてモジは…。
「すでに誰かに、殺されていた?」
「…ふふふ。」
僕の推理に天使はまるで『その眼で確かめてみたらどうですか』と挑発的な笑みを浮かべて来た。
モジが他殺なんだとしたら。モジの意図ではなく、別の誰かが彼女の明るい日常と笑顔を潰したのだとしたら。
「…は、ははははははは!」
「おや、佐久間様。大丈夫でございますか?」
「いいさ、わかった。もうお前の正体が天使だろうが皮被った悪魔だろうがなんでもいい。戻れるんだな?とにかく。」
「えぇ。そこは信用してもらっていいかと。」
なら戻ってやろうじゃないか。忘れてしまった記憶も、モジを救えればまた増やせる。モジのいない今より、君のいる未来を僕は望む。
大体…まだしっかりと、告白していないんだから。
「ではまずはどういった記憶を頂きましょうか。あ、もちろん先ほど言った彼女の部位、声、表情や…匂いでもイイですよ。」
「そんな物騒なもん渡せるか。そうだな…。」
大切な思い出、探ってすぐに出て来た記憶があった。それは半月前、まだ中学受験に忙しかった時モジの誕生日を祝った日の思い出だ。お互い、高校絶対受かろうと励まし合いながら祝ったものだから、記憶に新しく強く残っている。
「半月前、12月24日。彼女の誕生日を祝った記憶を渡す。」
「クリスマスイブが誕生日なのですか!それはそれは、きっと神様も貴方様が救われることを望んでいますでしょう。」
「そういうのはいい。さっさとしてくれ…。」
天使は困ったように笑ってから、また冗談みたいにへたくそな咳払いをした。
両手を広げてより高く浮かび上がった。
「では、そちらの2024年12月24日。『野山モジ様を祝う誕生日』を犠牲とし、時間を巻き戻させていただきます。」
白々しい口頭に合わせ、天使は両手共々、花を咲かせたような形を横に向ける。そのまま右手と左手をくるっと球をつくるように胸の前にかためた。
「【時ヨ、戻レ】」
「…いっ…!?おわぁあああっ!?」
途端に足場が消えたような浮遊感を覚えた。光が眩しく、街の輪郭が溶けていくように変わる。見慣れた景色なのにどこか異世界の中に迷い込んだみたいだった。もしかして夢なんじゃないかと勘違いする。
「それでは、いってらっしゃいませ。」
天使のその言葉を最後に、僕の意識は完全に堕ちた。
・・・
「……ん?」
寝転がる地面が硬く、背中の痛みで目を覚ます。
「ここは…。そうだ、僕は天使に時間を巻き戻らせ…て……。」
朦朧としていた意識は目の前に広がっていた光景を見て覚醒した。
部屋の中央で、モジが首を縄に、吊られていた。




