第2話 掌の中の虚栄
高橋潤がこの村に来て、まだ三日しか経っていない。
だというのに、まるで昔からいたかのように、村人たちは彼に話しかけ、笑い合い、言葉を交わしていた。
あの雑貨屋の老婆が、他人にあんなに饒舌だったのを初めて見た。
あの農夫の男が、自分の畑を見せたがるのも、初めて見た。
「いやぁ、佐藤くん。君が作ったあの水車、すごいよな。でもね、ちょっと効率が悪いかもって思ってさ、僕なりに少し工夫してみたんだ」
とびきりの笑顔で、高橋はそう言った。
まるで“仲間”であるかのような口調。
だが俺の耳には、あれは宣戦布告だった。
──何様のつもりだ?
たかが三日で、何がわかる?
この世界の苦労も、土と水の重みも、俺が築いた信頼の上に何が乗っているかも、知らないくせに。
それを、にこにこと、なにげなく、軽々と塗り替えていく。
まるで、掌の中にこの世界が収まっているとでも言うように。
◆
「……翔様、少し、言葉をお控えになってはいかがでしょう」
村の長がそう言ったとき、俺は言葉を失った。
余計なことは言うな、と。
人を見下したような物言いは慎め、と。
──だが、高橋には誰もそんなことを言わない。
彼は笑って、丁寧に言葉を返し、誰にも棘を残さない。
俺より知識があるわけじゃない。
俺より早く何かをやったわけでもない。
それでも、皆が彼を見る。
俺ではなく。
◆
夜。
俺は鍛冶小屋にひとり座り、火の消えた炉の前で図面を睨んでいた。
これは、誰のために描いているのか。
なぜ、俺がここにいるのか。
なぜ、俺じゃいけないのか。
──そのとき、背後から声がした。
「まだ起きてたんだ、佐藤くん」
高橋だった。
月明かりの中、彼の顔は優しくて、憎めないほどに澄んでいた。
「この世界ってさ、面白いよね。ちょっと知ってるだけで、すごいことにされる」
まるで、俺と同じことを考えているかのようだった。
「でも、誰もそれを知らないから、信じちゃう。そういうの、ちょっと怖いよね」
冗談のように言って、彼は笑った。
俺も笑った。引き攣った、乾いた笑いで。
──ああ、こいつは知ってる。
この世界での“立ち回り”を、最初から知っている。
だったら、なぜその笑顔を使う?
なぜその距離の詰め方を選ぶ?
こいつは、「好かれるため」にここへ来たんだ。
……俺と違って。