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混迷の時代

 

 レコードの表紙を見た瞬間、息を呑んだ。淡いブルーの背景に老人と男の子が描かれたイラストは幻想的な雰囲気を醸し出しており、まるでルネサンス期の絵画のように思えた。老人が右手親指と人差し指で持った鎖の先には宝石が(まばゆ)く輝いており、それを見ている男の子の目は全開で、両手の人差し指が思わず宝石に触れようとしていた。


『The Moody Blues』のアルバム、『every good boy deserves favour』だった。

 イギリスのプログレッシブロックバンド、ムーディーブルースが1971年に発表した大ヒットアルバムで、邦題は『童夢(どうむ)』だと説明してくれた。


「素敵な絵でしょう。フィル・トラヴァースという人の作品なのですが、2人の表情といい、宝石の光り方といい、バックの淡いブルーの効果も相まって本当に幻想的ですよね」


 その通りだった。間違いなく惹き込まれるようなアルバムカバーだった。

 なので、すぐに頷きを返して、「こんなご褒美が貰えたらいいですよね。わたしも欲しい」と言うと、「良い子にしていたら貰えるかもしれませんよ」と悪戯っぽく笑った。

 そして、レコードを取り出してターンテーブルに乗せたが、針は落とさなかった。

 どうしたのかな? と思っていると、窓に近寄って、いきなりカーテンを引いた。


 部屋が一気に薄暗くなった。

 いきなりだったので、えっ? と声を上げそうになったが、彼はわたしの心の内に気づくはずもなく、レコードに針を落としてボリュームを上げた。

 すると、宇宙の果てからやって来たような金属的な重い音が聞こえてきたので、なんの音かと耳を澄ましていると、風の音が聞こえてきて、いきなり太い声が発せられた。

『Desolation(荒廃)』*

 すると突然、雷が鳴り、力強い声が聞こえた。

『Creation(創造)』*

 そして古代の太鼓の音と共に『Communication(共感)』*と続き、『ア・アー、ア・アー、ア・ア・ア・ア・アー』という祈りのような声に続いて穏やかな旋律が始まったと思ったら、雷鳴のようなギター音が炸裂して次の曲へ繋がっていった。『THE STORY IN YOUR EYES』


 なんだ、これは! 


 わたしは異次元の世界に引きずり込まれていた。


        *


 気づくと、演奏は終わっていた。レコードのジャケットを持ったままボーっとしていたが、「独特の世界に惹き込まれるでしょう」という先見さんの声で現実に戻った。

 彼がターンテーブルからレコードを取り上げたので、慌ててジャケットを返すと、「このレコードを買ってから40年近く魅せられ続けているんですよ。他のバンドとはまったく違うオリジナリティーは時代を超えて輝き続けていると思うし、だからこそここが鷲掴みされ続けているんでしょうね」と右手の親指で心臓の辺りを指したので、わたしは頷き、正直に感想を伝えた。


「最初の音を聞いた瞬間、暴力的な音楽かと思って身構えたら、まったく違っていました。とても優しく包まれて、なんて言ったらいいか、心地良い揺りかごに揺られているみたいでした。それに、イラストが最高ですね。幻想的な世界に惹き込まれてしまいました」


「良かった、気に入ってもらって」


「でも、カーテンを引いて部屋が暗くなった時にはちょっとびっくりしましたけど」


「ハ、ハ、ハ」


 大きな笑い声だった。


「驚かせてしまったならごめんなさい。このレコードを聴く時にはいつもこうするものですから」


 後頭部を掻きながら僅かに頭を下げてカーテンを開けた。そして、手に持ったジャケットの中から歌詞カードを抜き出して6曲目を指差した。


「混迷の時代を表していますよね。まるで今の時代を予言しているように」


 その通りだった。21の単語がわたしの瞳を突き刺すように飛び込んできた。


『荒廃』『創造』『発展』『堕落』『飽和』『集団』『絶滅』『革命』『混迷』『幻想』『終末』『飢餓』『衰退』『屈辱』『瞑想』『霊感』『昂揚』『救世』『共感』『慈悲』『崩壊』*


 それらは人類が繰り返してきた創造と破壊と再生の軌跡そのものだった。


「この中には2種類の言葉が混在しています。〈暗い未来を暗示する言葉〉と〈明るい未来を指し示す言葉〉です。暗い未来は、」


 そこで声を止めて、一つ一つ指差していった。


『荒廃』『堕落』『飽和』『絶滅』『混迷』『幻想』『終末』『飢餓』『衰退』『屈辱』『崩壊』


 次に、明るい未来を指差した。


『創造』『発展』『集団』『革命』『瞑想』『霊感』『昂揚』『救世』『共感』『慈悲』


 わたしが頷くと、ふっと笑って、「簡単なんですよ。暗い未来を暗示する行動を避けて、明るい未来を指し示す行動をすればいいだけなんです。本当に簡単なんです。でもね」と口を閉じた瞬間、顔に影が射したような気がした。続けて発した声が暗く沈んでいた。


「私利私欲に目が眩んだ人たちが多くなると暗い未来が近寄ってくるんですよ。悪魔の囁きという武器を手にどんどん近寄ってくるんです」


 確かにその通りだった。独裁的な指導者、自己中心主義者、排他的な人たち、金の亡者たち、彼らによって世界は分断され、争いが増え、差別がはびこり、貧富の差は広がり、環境は破壊され、未知のウイルスによる死者は増え続けている。


「まるで、every bad boy deserves favourの世界に入り込んだような恐怖を覚えます」


 顔を歪めて視線を落としたが、その通りだと思った。世界は変わろうとしているだけでなく、強いリーダーと独裁者を混同した人々の言動が混乱に拍車をかけている。正に混迷は深まっているのだ。

 それを考えると憂鬱になった。

 しかしそれが表情に出たのか、歌詞カードを返した時、「ちょっと話が暗くなってしまいましたね」と反省するかのように頭を掻いた。

 私は慌てて否定した。


「いえ、とても大事なお話しだと思います。アフターコロナを考える時に進むべき道を指し示しているキーワードだと感じました」


「そう言っていただけると助かります」


 彼はちょっとほっとしたような表情になって歌詞カードをジャケットに仕舞い、レコードをラックに戻したが、そのまま動かず、労わるような感じでスピーカーの上面に右手を置いた。



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【引用】*部分

『童夢』ムーディーブルース(ユニバーサルミュージック)の1曲目「PROCESSION」のすべての歌詞・訳詞、及び、6曲目「ONE MORE TIME TO LIVE」の一部訳詞(訳者:板橋かの子)

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