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父と母

 

 手洗いとうがいを済ませてリビングに行くと、父が新聞を読んでいた。マスクはしていなかった。わたしをチラッと見て、「おかえり」とだけ言って、すぐに新聞に目を戻したが、相変わらず不愛想を維持しているようだ。朗らかな母がなんでこんな男と結婚したのか不思議でならないが、わたしの知らない魅力が父にあるのだろうと勝手に結論付けている。


「これ、おみやげ」


 父に紙袋を差し出すと、ん? というような顔をして新聞から目を離して受け取ったが、紙袋から品物を出すとすぐに母に渡した。包装紙を剥がしてくれという意味なのだろう。昔から父はなんでも母任せで自分では何もやらない。


 母が包装紙を丁寧に剥がすと、白地のカートンが現れた。そこには、芋麹本格芋焼酎と石蔵(かめ)貯蔵という文字を従えた一刻者という文字が大きく主張していた。


「おっ、一刻者(いっこもん)の甕か」


 珍しく目尻が下がった。父はこの芋焼酎に目がないのだ。


「かあさん、グラスと氷を頼む」


 立ち上がろうともせず、当然のように指図をした。


「はいはい」


 嫌がるふうでもなく台所へ向かったので、すぐに追いかけて文句を言った。


「自分でやらせればいいのに」


 なんでも受け入れる母にチクリと釘を刺したが、ちょっと肩をすくめただけで、それ以上の反応は示さなかった。


「でも、おかしいわよね。一刻者が一刻者を飲むんだから」


 母は少し目元を緩めたが、正にその通りだった。一刻者とは〈頑固で自分を曲げない〉という意味なので、父にピッタリなのだ。

 実は、還暦祝いにセーターとこの焼酎の限定品をプレゼントした時から気に入ってよく飲んでいるらしく、もちろん普段はスーパーで売っているガラスボトルのものを飲んでいるのだが、すっきりとした中にも甘い香りが立つので気に入っているのだという。

 だから今日も一刻者を選んだのだが、それでもたまに帰る時くらいはもっといいものをと思っていたこともあって、「本当は百年の孤独とか魔王とか森伊蔵(もりいぞう)とかを持ってきたかったのだけど、わたしの給料ではちょっと手が出なくて……」と言い訳をしてしまったが、「もったいない、もったいない、酔ったら味なんてわからなくなるんだからそんな高価なものは必要ないのよ」とサラッとかわされてしまった。


「まあ、そうだけど……」


 相槌を打ったもののそのあとが続かなかったが、「これお願い」とトレイに乗せたグラス3個とガラス製のアイスペールとトングとマドラーを渡されて、「おつまみを持って行くから先に飲んでて」と背中を押された。


 リビングへ戻ると、父は新聞を畳んで待ち構えていた。急かされるようにテーブルにトレイを置いてグラスを父の前に置くと、いそいそと氷を入れて、焼酎を満たしていった。

 そして、マドラーは使わず右手でグラスを持って軽く回して、しばし様子を見てから口に持っていった。母を待つ気はないようだ。


「う~ん」


 目を瞑って一人の世界に入っているようだった。わたしは呆れて2つのグラスに焼酎を入れて母を待っていると、「お待たせ」という声と共におつまみを運んできた。板わさ(・・・)とホタルイカの冲漬けとニシンの酢漬けだった。どれも大好物だった。


「これって、もしかして」


 マスクを外しながら母はすぐに頷いた。


「宇和島の蒲鉾よ。あなたが来るっていうから取り寄せたの」


 わたしはこの歯応えのある蒲鉾に目がなかった。きしきしという感じの噛み応えがたまらないからだ。もちろん味は天下一品。とにかく最高なのだ。いそいそと小皿に醤油とワサビを入れて蒲鉾を箸でつまんだが、その瞬間、思い出した。ネットで購入したフェイスシールドを持ってきたことを。


「念のためにこれをするわね」


 マスクを外して身に着けてから2人に渡そうとしたが、父は受け取らなかった。母も右手を横に振った。まあ普段家の中ではマスクをしない生活をしているだろうから仕方がないかと思って紙袋に戻したが、でも、せっかく持ってきたのだから「念のために置いといて」と母に渡し、気を取り直して、蒲鉾を口に入れた。


「う~ん」


 目を瞑って一人の世界に入った。その瞬間、一刻者を飲んだ時の父の顔が浮かんできた。すると、同じことをしてしまった自分が嫌になった。父のようにはなりたくないと思っているのに血が邪魔をしているようだ。無意識の動作はコントロールできないからどうしようもないが、せっかくの蒲鉾の味が半減した。


「遠慮せずにどんどん食べて」


 心の内を知らない母が3つの皿をわたしの方に動かしたので、ホタルイカの冲漬けとニシンの酢漬けを取り皿に取ると、「ところで、どうしたんだ急に」と焼酎のお代わりを作りながら父がぼそぼそっと声を出した。


「う~ん、たまにはご尊顔を拝見しようと思って」


「嘘つけ」


 間髪容れず一刀両断の声が返ってきた。横で母が笑っていた。


「何か用事があるんでしょ」


 わたしは素直に頷いた。そして、先見さんとのことや牟礼内教授とのことをかいつまんで話し、書店で買った本のことも伝えた。


「ソニーのことは先見さんや教授から話を聞いて大体わかったんだけど、ホンダのことは自動車業界に詳しいお父さんに訊いてみようかなって思って」


 すると父は、ふ~ん、というような顔になったが、「何が知りたいんだ?」と言ってからグラスを口に運んだ。


「お父さんって日本の自動車産業の競争力向上に力を入れているのに、実際に乗っているのはBMWよね。なんで日本の車に乗らないの?」


 すると、な~んだ、そんなことか、というふうに目を動かしたが、グラスを置いてからボソッと声を出した。



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