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8.ことほぎの契り

 翌日、白月家には霧島颯吾が従者を伴って訪問していた。

 彼は悠然とした態度で、座布団に腰を下ろす。


 目の前には白月家の主が座っており、その隣には妻、そして喜色満面の玲華も同席していた。彼女は、大輪の牡丹や菊が描かれた真紅の着物に身を包み、金銀の簪を結い上げた髪に挿している。


「霧島様、わざわざお越しいただきありがとうございます」

 白月は微笑みながらも、その瞳はどこか空々しい。


「昨日の妖退治、素晴らしい腕前だったと玲華より伺っております」


「いいえ。玲華さんのおかげです。こちらこそ礼が遅くなり申し訳ありません」

 颯吾は、ゆっくりと一礼しながらも、冷静な瞳で主を見返した。


「まあ。嬉しいですわ」

 着物の袖で口元を隠し、玲華がにっこりと目を細める。


「やはり、霧島家には『結びの力』が必要です。ぜひ麗華さんを私の妻に迎えたいと思います。我が家との縁があれば、白月家も帝都で一目置かれるようになるかと――」

 颯吾はそこで言葉を切った。白月が、忍び笑いを漏らしたからだ。


「何かおかしなことでも?」

 颯吾の眉がわずかに吊り上がる。


「それは、私どもの台詞ですよ、霧島様」

 白月は、声を低くし、得意顔を浮かべた。


「御三家、いや帝都すら支配する力を……我が家は手に入れたのです」


「それは、どういう意味ですか?」

 颯吾の瞳が一瞬、鋭く光る。それは、狩る者の目だ。


「実は……家の者が禍ツ神の封印を解きまして……と言っても、それは完全に管理下にあるのでご安心を。命じれば天をも操れます」


「禍ツ神の封印を解いた? しかし神を管理下に置くなど聞いたことが……」


「信じられませんかな? では、今から見せましょう、神の力を――」

 白月が、にやりと笑った時、何かが弾けたような空気の振動が、家全体を揺らした。昨夜の山崩れとも違う。


「これは……まさか、結界が――!?」

 白月は舌打ちをして勢いよく立ち上がった。



 その少し前――。


「ここを出たくはないか、真桜?」

 暁翔の灰青色の瞳が、真桜をまっすぐに見つめる。


「ですが、父に歯向かえば、母が無事では済まないのです」

 彼女は静かに目を伏せた。濡れたような長い睫毛が濃い影を落とす。


 昨夜、いつの間にか眠ってしまった真桜は、毛玉たちが布団の代わりになってくれていたことに驚きながらも嬉しく思っていた。


 薄暗い土間は、日が昇ってもうすら寒い空気に満ちている。


「そのことだが、あの男はおまえに嘘をついているぞ」


「えっ?」

 真桜は彼の言葉に弾かれるように顔を上げた。


「おまえの母親にまったく干渉していない可能性がある」


「まさか……」

 真桜の顔からさっと血の気が引いた。


「自分の目で確かめたくはないか?」


「……自分の目で?」

 その声には、不安と切望が混じっていた。


「そのためにはここを出なくてはいけない」

 暁翔は一歩前に踏み出し、彼女の震える肩にそっと小さな手を置く。


「この結界を破るくらいは造作もないこと。だが、俺は今、禍ツ神だ。このまま外へ出れば怨嗟と穢れを纏った身は厄災を呼び込む」

 暁翔は言葉を選ぶようにゆっくりと話す。


「では……どうしたら……?」

 真桜は戸惑いながら暁翔を見上げた。


「瞬間的に強い浄化の力を生む方法がある。完全な浄化は無理でも、今よりずいぶんと穢れは落とせるはずだ。それには、真桜の協力が必要なのだ」

 暁翔は真剣な眼差しを彼女に向ける。


「私にできることなら、なんでもいたします」


「では――俺の半身となれ」


「半身……?」


「俺と契約を交わし、花縁(はなよめ)となるのだ」

 暁翔が冗談を言っているようには見えなかった。


 真桜は大きく目を見開く。


「暁翔様の、はな、よめ……そんな、畏れ多いことにございます」


「畏まることはない。ただし俺と結ばれれば、おまえは俺の半身に、おまえの半身も俺のものになる。常人には戻れない、それが神の花嫁となる、ということだ」


 少しの間、沈黙が流れた。


(私が……神の花嫁? でも、お母さんのことも気になるし、それで暁翔様の穢れを払える手助けになる――)

 真桜はずいぶんと長い時間考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。


「わかりました」

 そう答えると、暁翔が嬉しそうに目を細めた。


「では、俺の手を取れ」

 暁翔が差し出した掌にそっと自分の手を重ねる。


「我が命、我が力、全てを(なんじ)(ささ)げん。()(えん)を結ぶこと、我が意志の全てなり」


 彼の口から紡がれる言葉が、真桜の体を巡るような感覚に鼓動が加速した。


「この神なる力を汝と共に、此の世のすべてを超えて繋がることを願い、永遠(とわ)誓約(せいやく)()す」


 重ね合わせた互いの左手の薬指から、するりと光る糸が伸びてくる。真桜からは輝く紅の糸、そして暁翔からは漆黒に染まった糸が、絡み合い、するすると音もなく結ばれていく。


「我が半身は汝のもの、汝の半身は我がもの。此の契りを決して(ほど)くことなく、時を越え、空を越え、共に歩まんことを」


 糸が固く結ばれた途端に、部屋に張り巡らされていた赤黒い結界が白く輝き、一点を境に桜吹雪に変化していく。川の流れのように、ざあっと勢いよく無数の花弁に姿を変えていく結界を見ながら、真桜はその美しさに胸を打たれた。


「この縁を、運命を信じ、あなたの半身となり、共に生きていくことを誓います――永遠(とわ)に」

 真桜が応えると、吹き荒れる桜吹雪は二人を包み込み、その刹那、部屋の壁が一瞬で花弁に変化し、青空に舞い上がっていった。


 綺麗だ、と思う間もなく、背後から怒鳴り声が聞こえてきた。


「な、なんだ、これは!? 勝手な真似をするなと言っておっただろう!」


 振り返れば、父と玲華、彼女の母と、なぜか昨夜一緒だった颯吾の姿もあった。


「どういうこと!?」

 玲華が悲鳴のような声を上げる。


 父と玲華が牢の中に入ろうとするたび、桜の壁が彼らを拒むように膨らんだ。


「ことほぎの祝福を(もっ)て、縁を固める」

 暁翔が最後の言葉を紡ぐと、渦巻く花弁がすべて空に吸い込まれていった。


「誰……?」


 ぽかんとした玲華の顔を見、そして真桜は暁翔の方に向き直った。だが、下に向けた目線は、すぐに上にあげなければならなかった。


「え?」

 真桜もまた目を丸くする。


 暁翔の長い髪は白銀に染まり、揺れる度に星屑が零れ落ちるかのように輝きを放っていた。その肌は雪のように透き通り、瞳には深い夜空を映すような紺青の光が宿る。


 美しいかんばせの額には朱色で描かれた紋様(もんよう)が現れ、そこから放たれる微かな光が、彼の威厳をさらに際立たせていた。


 純白の羽織に、金糸で刺繍された桜の花があしらわれ、その裾が風に揺れる。

 まるで、世界が新たな秩序を迎えたかのように思えた。


「真桜……俺の花縁。もう、ここにいる必要はない」

 落ち着いた声は、暁翔そのものだった。


 さきほどまで十にも満たない幼子だった彼は、今や真桜よりも頭一つ以上も背の高い青年の姿をしていた。


「待て、真桜!」

 父がハッとしたように掌を翳し、真桜たちに向かって結びの力で拘束しようとしてきた。だが、暁翔が一瞥しただけで、その糸が霞のように風に消えていく。


「おい! おまえの母親がどうなってもいいのか!?」


「そうよ! なんなのよ、真桜! そんな美しい神だなんて……私に隠していたのね、ずるいわ!」

 玲華は嫉妬にまみれた醜悪な表情で叫んだ。


「あれが……妖以外の気配だったか」

 喚き散らす父と玲華の後ろで、颯吾がおもしろそうに口端を上げる。


「真桜、お前は白月家の道具として生きる宿命だ。それ以外の道は許さんぞ!」


「この娘の力を縛り、心を壊してきた愚か者たちめ。真桜の未来はおまえたちの所有物ではない」

 

「真桜! その禍ツ神を私に寄越しなさい! ねえ、私たちは姉妹でしょう? 姉の言うことは聞くものよ!」

 玲華は金切り声で叫び、こちらへ駆け出してきた。


 だが、次の瞬間、暁翔は真桜を横抱きに抱えると、ふわりと宙へ浮いた。それは重さを感じさせない滑らかな動きだった。


「二度と真桜に触れさせるものか」

 冷ややかに地上を見下ろした暁翔は、玲華の手を軽くかわしてそのまま空高く昇っていく。


 どこまでも、高く、青の彼方を目指して。


「どこへ?」

幽世(かくりよ)だ。妖たちが住まう世界」

 そう言って暁翔が手をひと振りすると、空が裂け、そこから光が溢れだした。


 ためらいなく、空の裂け目に飛び込んだ暁翔にしがみついた真桜の耳元で、彼が囁く。


「ようこそ幽世へ。ここが――天渓谷(あまがたに)という」




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