48.彩の祝宴
月明かりが優しく大地を照らし、夜風が桜の香を運ぶ。
天渓谷にある暁翔の屋敷では、静謐な祝言の席が設けられていた。
広間の中心、高砂には暁翔と真桜が並んで座している。
暁翔は純白の紋付き羽織に夜明け前の空を思わせるような青鈍色の袴を纏い、一層端整な顔立ちをしていた。銀糸のような髪は一筋の乱れもなく結われ、透き通るような青の瞳が、穏やかに真桜を見つめている。
そして、真桜の身を包むのは、白無垢に薄紅の桜が繊細に刺繍された美しき婚礼衣装。まるで春の光を纏うかのようなその装いは、ことほぎの儀を経た彼女にふさわしい神聖さを湛えていた。髪には、あの日、暁翔が差した桜の簪が美しく揺れている。
「きれいよ……真桜。本当によかった……」
母の静かな感嘆の声が、場を柔らかく満たした。
水琴は微笑みながら杯を掲げ、「これほど祝福に満ちた宴が開けるとは、なんとも喜ばしいことですね」と優雅に言葉を添える。
「ふむ……。まさか神の祝言の場に立ち会える日が来るとは」
綾斗が感慨深げに呟くと、颯吾が静かに頷いた。
「縁とは不思議なものだな。長く連綿と続いてきたものが、こうして新たに結ばれる——まさに神の御業かと」
颯吾は、後ろに控えているくろがねの足元に酒を注いだ盃を置く。
「確かに。これほど清らかで美しい縁を、誰が祝わずにいられるでしょう」
礼司が目を細め、嬉しそうに高砂を見つめた。
しろ、くろ、まるは人型の姿で目を輝かせ、「真桜様、とっても綺麗です!」「本当に嬉しい!」「幸せそうで、こっちまで幸せになります!」と、愛らしくはしゃいでいる。
鏡池のある庭にも大勢の妖たちの姿があった。
真桜は、頬に熱を感じながら、静かに暁翔を見上げる。
彼の清らかな青い瞳が、深く柔らかく微笑んでいた。
——こんなにもたくさんの祝福を受けて、私は今、確かにここにいる。
——暁翔様の隣に。
「では——」
東雲の声が、改めて場を整えた。
「神々の御前にて、ことほぎの契りを」
「共に歩もう、この先も——永遠に」
暁翔が、ゆっくりと盃を掲げる。
「はい」
真桜も同じように盃を持ち、唇を寄せる。
それは、これまでのすべてを越えて交わされる誓い。
人と妖、そして神の縁が、再び固く結ばれる証。
紫苑や水琴、しろ、くろ、まるが作ってくれた料理に舌鼓を打ち、宴も賑やかなものへと変わっていった。皆が代わる代わる二人のもとを訪れ、祝いの言葉を述べていく。
「本当に……真桜殿と暁翔殿には世話になった……」
そう言いながら潤む瞳を真っ赤にしてやってきたのは、颯吾だった。
「あ、あの、大丈夫ですか、颯吾様?」
真桜が心配して声をかけると、彼の横からくろがねがその体を押した。
「すまない。ソウゴは酒が弱いうえに泣き上戸でな。――ほら、他の者たちも挨拶をしたくて待っているのだぞ。退かんか」
くろがねは鼻先で颯吾の肩を突く。すると颯吾はくろがねに抱きつき、「おまえとの縁が切れなくてよかった」とそこで泣き出した。
「だから……迷惑になると言っている」
くろがねはそう答えつつも目元は嬉しそうに細められ、無理やり颯吾の袖を咥えて引きずっていく。
「本当に兄弟みたいに仲がいいですね」
真桜は隣の暁翔にくすくすと笑いかけた。
「真桜のおかげで繋がった縁だからな」
暁翔は優しく微笑む。
「真桜殿、暁翔殿。この度は誠にめでたき席に招いてくれたこと感謝する」
次にやってきたのは綾斗だった。
「時に、二人はこちらへ移り住むのか? もう……甘味処へも行かれないのか?」
彼は少し残念そうに眉根を下げる。
「我々の役目は縁結び。これからも幽世と現世の渡し役として、人々の願いを叶えるため、現世にも赴くこともあるだろう」
口を開いたのは暁翔だった。その言葉に綾斗の顔がパッと明るくなる。
ずっとこちらで暮らすのも悪くはないが、母とも会いたかったので、真桜としてもその答えは嬉しかった。
「花婿殿の御前で、堂々と花縁殿をデエトに誘ってはいけませんよ」
綾斗の隣から、揶揄うような声色が響いた。いつの間にか礼司がやってきている。
「ち、ちがう。私は、ただ甘味が、食べたくて……」
綾斗が焦ったように目を泳がせる。
「では、私と行きます?」
「は? 男が甘味処など……」
「私は一人でも行きますよ。甘いものが好きだと話していませんでしたか? 今、ちょうど春の新作が出ていて――」
「なんだ、それは。詳しく聞かせろ」
綾斗が礼司に迫り、二人は甘いもの談義をしながら移動していった。
「こうして皆が笑い合える宴が開かれるとはな……」
息子たちの楽しそうな様子を眺めていた東雲が、ふと目を細め、その隣に座していた霧島が頷く。
「かつて我らは、人のためと信じ、無闇に妖を退けてきた。しかし、こうしてみると――あまりにも愚かだったな」
霧島の言葉に、東雲がふっと口元を緩めた。
「これからは妖にも敬意を払って生きていく、共に歩む道を画策していこうではないか」
今まで厳粛な雰囲気を纏っていた二人の穏やかな表情を見て、真桜はどこかくすぐったい気持ちになった。
本当に賑やかで、幸せに満ちた空間だ。
ふと縁側に目をやると、母が短時間で様子を変える空を驚いたように見上げている。さきほどまでは夜半のような暗さだった空には、もう朝陽が差し込もうとしていた。
そんな彼女に八坂がそっと声をかけている。何を話しているのか真桜には聞こえなかったけれど、母の嬉しそうな微笑を見て、何も心配はいらないと思った。
――大切な縁は、こうして繋がっていくのだろう。
「暁翔様……。私、あなたと夫婦になれて本当に幸せです」
隣にいる暁翔を見上げて顔をほころばせると、暁翔はこちらを見て一瞬目を見開き、途端にわずかに頬を染めた。
「……っ、そんなことを唐突に言うものではない」
そっぽを向きながら、露になった耳の先まで赤く染まっているのがわかる。
すると、外の方から妖たちの歓声が聞こえた。
「ふふっ、優しい天気雨ですね。めでたきことです」
紫苑が口元を隠して嬉しそうに笑う。
その雨がさあっと揺れるように消える代わりに、空には大きな虹が現れた。
「わあ……きれい!」
青空にかかる鮮やかな七色の彩に、真桜は目を輝かせる。
「天渓谷でこれほどはっきりとした二重の虹が見られるのは、滅多にない瑞兆でございます」
水琴がそう言って目を細めた。
皆がその美しい光景を見ようと縁側へ集まっていく。
「虹を架けよう、何度でも……」
暁翔はそう言って真桜に微笑みかけ、彼女の手に自身の手を重ねた。
「……愛する証に」
そう囁くと、暁翔は真桜をそっと抱き寄せる。
目を瞬かせる間に、彼の端整な顔が近づき――次の瞬間、優しく唇を重ねられた。それはまるで月の雫が触れたかのように柔らかで、けれど確かに熱を宿す。
「……っ」
今度は真桜が白粉の上からでもわかるくらい、たちまち顔を真っ赤にする番だった。胸の奥が甘く震え、鼓動が高鳴る。
唇を離し、暁翔は微笑んだ。その瞳には澄んだ想いが深く映っている。
二人の縁を見届けたように、虹の輝きがますます鮮やかさを増した。
祝福の風に乗って舞い降った薄紅色の花弁が、二人を包み込む。その一片が真桜の頬に触れ、彼女はふわりと笑みを零した。
永遠を願うかのように、空にかかる二重の虹は静かに、穏やかに輝き続けている。
結ばれた縁が千代に続いていきますように――。
―了―
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
いつか新婚編も書きたいです♪
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