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禍ツ神の恋結綺譚~花縁はことほぎに包まれて~  作者: 宮永レン
第七章 暁の惜別、桜の言祝
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41.還るべき場所へ

 白月家に到着し、車を降りる。冷たい風が吹き抜け、真桜の吐く息が白く立ち上がった。


 いつの間に降ってきたのか粉雪が静かに舞い、朧月の下で銀色の光を放ちながら地面を覆っていく。風が枯れた枝を揺らすたびに、その音が耳を刺すようで、ぞくりと肌が粟立つ。


 家の周囲には八坂家が用意したランタンが複数設置されているので足元に不安はないが、光の届かない所へ一歩踏み出せば戻ってこられないような気がして怖くなった。


 真桜は手を胸元で抱え、(かじか)んで震える手をなんとか抑えようとするが、家に近づくにつれて、それはますますひどくなる。


「真桜。俺がそばにいる」

 暁翔が彼女の手を取り、ぎゅっと握った。


「暁翔様……」

 不安でいっぱいの心に一筋の光が差し込んだような安心感。真桜はなんとか笑顔を作って頷き、手を握り返す。


「鬼人の様子は?」

 八坂が尋ねると、待機していた部下が頭を下げた。


「結界はかろうじて維持されていますが……動きが激しくなってきています」

 部下の声が緊迫して響く。


「鬼人は何度も結界に衝突してきています。やはり神具だけでは限界があります」


 その言葉に、真桜の心が一層沈んだ。

 やはり、怨嗟を根源から絶たなければ解決しないのだ。


「時間がないようだな。暁翔殿、真桜殿、よろしく頼むぞ」

 東雲が振り返って厳しい目で見てくる。その目には、すでに戦いの覚悟が決まっているような冷徹さが漂っていた。


「ああ。わかっている」

「はい。尽力します」

 真桜は暁翔と共に東雲の視線をしっかりと受け止める。


 その時、家の方から獣の咆哮に似たひしゃげた叫び声が響いてきた。その音はただの吠え声ではなく、どこかこの世のものではない恐ろしさを感じさせる。


「いけない!」

 真桜達は八坂の部下のあとについて駆け出した。


 白月家の庭に入ると、ランタンに照らされた大きな影が伸びている。二本の足で立ってはいるものの、その姿は、もはや人ではない。背中からはおびただしいほどの黒い霧が吹き出し、手足は不自然に伸び、肉体そのものが変形し始めていた。


 その顔は恐怖そのものを感じさせ、歪み、裂け目が広がっている。皮膚は爛れ、赤黒く変色していた。その姿は、ただ不気味で、まるで地獄から解き放たれたような存在であった。


「いやぁっ! お母様……! こんなの……違う、違う……!」

 一緒についてきた玲華が目を見開き、恐怖に満ちた声で叫ぶ。身をこわばらせ、無数の涙がぼろぼろと頬を伝い落ちた。


 すると鬼人がこちらを向いた。娘の姿を認識したのかと思ったが、その視線は真桜を射抜いている。真桜はまるで心臓が止まったかのように重くなり、呼吸が浅くなった。鬼人の爛々(らんらん)と昏く光る瞳の奥には底知れない闇を感じる。


 その瞬間、鬼人の体から放たれる強烈な瘴気が空気を激しく震わせ、四方に勢いよく散った。


「結界が破られた……!」

 八坂が声を上げる。


 見えない鎖から解放された鬼人は一息で真桜めがけて跳躍した。叫びながら飛びかかってくる猛々しい異形の姿に、真桜は思わず後退する。


五行(ごぎょう)相克(そうこく)、陰陽調和の(ことわり)により、この闇を断ち切らん! 雷火(らいか)よ、我が印を宿し、(わざわい)を焼き尽くせ!」

 東雲と綾斗が鬼人に向かって同時に護符を投げつけ、印を結びながら呪を唱えた。それは鬼人の猛攻を遮る一閃となり、異形は轟く光にわずかに怯む。


 その上に高く飛んだ颯吾の剣が月光に煌めいた。華麗な動きの中に力強さを宿した剣舞が鬼人に叩きつけられるが、鬼人はそれを片腕で弾き飛ばす。彼の背に隠れていた黒狼が颯爽と姿を現し、鋭い牙で鬼人に突進していった。だが鬼人は怒ったように唸り声をあげ、黒狼の腹を蹴り上げる。


「くろがね!」

 颯吾の声に反応し、黒狼が宙で身を翻し、しっかりと地に着地する。


 鬼人の視線がそちらに向いた刹那、振り下ろされた霧島の大剣が鬼人の肩を掠め、その重い一撃に相手はよろめき、大きく後ろに跳躍した。そして素早い動きで白月家を離れていく。


「くっ……これほどまでとは……」

 霧島が舌打ちする。


「武雄の念も霊力も取り込んでいるせいだろう」

 八坂がそう返す。


「人のいる所へ行かれたら厄介だ!」

 東雲が鋭い声を上げた。


「わかっている。うまく誘い込むぞ!」

 男たちは連携しながら鬼人を追いかける。


「真桜。俺たちも行くぞ」

 暁翔が動き出す。


「どこへ?」


「……祠のある場所だ」

 暁翔の答えに真桜は息を呑む。


 それは、彼が最初に封じられていたあの山のことだった。


 ――鬼人を封じるつもりなのだろうか?

 もしかして、東雲家を出る時に綾斗と話していたのは、そのことについてだったのかもしれない。


 一刻を争う事態に、真桜は覚悟を決めて暁翔に着いていくとこにした。


 やがて、鬼人はどこかへ逃げようとしながらも、御三家の者たちに山の上に誘導されていることに気づかないまま、真桜達のところまでやってきた。


 充分に霊力を手に込めていた真桜は暁翔と共に深紅の糸を解き放つ。それは鬼人を取り囲み、その動きを制する。


「真桜! 俺達が抑えている間に、縁を切ってくるのだ」

 暁翔が鬼人を見据えたまま声をかけてきた。


「わかりました!」

 目を閉じて霊力の流れを感じながら、真桜は念じる。


 うまくいくかどうか心配だったが、彼女の指先からは白く光る糸が伸び始め、目を開けてそれを確認した真桜は、鬼人に向かって駆け出し、その身に手を伸ばした。


 ぬるりとした泥の中に手を入れてしまったかのような不快感を覚えた途端に、視界が回り、深い闇の中に落ちていく。


 急に誰の声もしなくなった、自分の息遣いだけが聞こえる――否、それは風の音だった。


 ハッと目を開けると、そこには幼い頃の自分と、白月家の人々が対面で座している。


 ――ああ、初めてこの家に来た時の。

 真桜の胸がぎゅっと切なく締めつけられた。


 ――この時からもう私は奥様から疎まれていたのね。

 芙美子にしてみれば夫が家以外で設けた子どもを引き取って一緒に暮らすなど、許せることではなかっただろう。


 潤んだ瞳が、ふと芙美子の背に薄い靄のようなものを見せた。


 見間違いかと思ったが、それは黒い霧のように芙美子の周りだけを取り囲んでいる。


 ――あれが、元凶?

 あんなものをどうやって切り離せばいいのだろう。


 真桜が戸惑っていると、次々と場面が切り替わり、年月が経つにつれてその靄は色濃くなっていく。


 そして、ついに、真桜が暁翔と白月家から姿を消した後、闇が大きな口を開けて芙美子を飲み込もうとした。


 ――これを断ち切らなければ!

 真桜は手に意識を集中させ、輝く白い糸を放つ。


 結びの力は不思議だと思う。どんなふうに使えばいいのかわからないのに、いざ意識を集中させれば勝手に体が動き始める。


 ――『想い』の力なのかもしれない。

 誰かのために、正しい選択を。きっと結びの力はそれに応えてくれるのだ。


 それならば――。


「今まで、ごめんなさい」

 真桜の手から伸びる白い糸が漆黒の塊を包み込み、しっかりとつかまえた。芙美子はその場に倒れたが、人の姿のままだ。


 ホッとした瞬間、真桜の視界がぐにゃりと歪む。


 ――これで、終わったんですよね?


 安堵で力が抜けた瞬間、真桜は雪の残る固い地面に膝をつき、両手で体を支えながらゆっくりと顔を上げた。体はひどく重く、指先に微かな震えが残っている。冷風が頬を撫で、髪を乱す感覚が、現世に戻ってきたことを告げていた。


 彼女はぼんやりと群青色の空を見上げた。東の地平線だけが微かに明るみを帯び、その光が薄紅や淡い橙に移り変わり、闇を追い払うように広がり始めている。しかし空全体はまだ夜の名残を(たた)え、星達が遠慮がちに瞬きを続けていた。


 世界は夜と朝の境界線に立ち、静かに新しい一日を迎えようとしている。


 芙美子の記憶の中に入っているうちに、どれだけの時間が経過したのか、みんなは無事なのだろうか。


 慌てて視線を周囲に巡らせ、それが祠の前で止まった。


「真桜には、もう一つやってもらうことがある」

 それは、暁翔の声に聞こえる。


「縁切りは……失敗したんですか?」

 彼女の茫然とした問いに、すぐに応えてくれる者はそこにはいなかった。


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