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禍ツ神の恋結び綺譚  作者: 宮永レン
第七章 暁の惜別、桜の言祝

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38.切なる願い(1)

 夜会の場を後にした真桜は、暁翔と綾斗の二人と共に車で東雲家へ向かっていた。


 真桜は窓越しに外の風景を眺めながら、胸の中で膨らむ不安と戦う。先ほどまで華やかな夜会で感じていた安堵感はすっかり消え去り、冷たい現実が彼女を押し潰そうとしていた。


 どうやら白月芙美子が鬼人化したらしい――。


「人が鬼に……妖になることが本当にあるのですね」

 真桜は暗く沈んだ声で呟き、かつて水琴から聞いた話を思い出す。


(確か、あの時も同じようなことを……強い念を抱いた人間が鬼人になるとか)

 だが、その時は遠い話のように思っていた。自分とは()()だと――そう、思い込んでいたのだ。


「強い怨嗟や憎悪に心を支配され、理性を失った者が変じる存在だ。肉体そのものが異形化し、人の枠を超えた力を得る代わりに、完全に人間性を失う」

 暁翔は淡々と語りながら、その目に影を落としている。


「禍ツ神とも違うんですか?」


「違う。禍ツ神は外部から降りかかる力によって成るもので、その穢れを浄化することは可能だ。しかし鬼人は違う。彼らの内側から湧き出る怨念――それが原因だから、浄化したそばから怨念が湧いてくるのできりがない」


「怨念……」

 真桜は暁翔の言葉を反芻し、息を呑んだ。


「浄化できないとすると……」


「鬼人を止める唯一の方法は――命を絶つことだ」

 そう答えたのは綾斗だ。まるで刃のように冷たく、真桜の心に突き刺さる。


「そんな……」

 信じたくない言葉だったが、その現実を否定することはできない。


 真桜は胸の中の不安がさらに膨らむのを感じながら、車が東雲家の門をくぐるのを見届けた。


 案内された客間でドレスを脱ぎ、手早く着物に袖を通す。帯を締めながら、心の中には次々と浮かぶ思いが渦巻いていた。


(紫苑さん、大丈夫かしら……尚隆様とうまくやれているかしら)

 真桜の指は帯を結ぶ動作を繰り返す。つい先ほどまでの華やかな世界が、今では遠い夢のように感じられた。紫苑が尚隆の隣で見せていた穏やかな笑顔を思い出す。けれどその奥に隠された緊張を感じ取っていただけに、不安は尽きない。


「あの二人なら、きっと大丈夫よね……」

 静かに息を吐いて着付けを整えると、ふと自分の鼓動が早まっていることに気づいた。


(暁翔様には、私の気持ちを伝えられなかった)

 心の奥に押し込んでいた感情が、ふとした拍子に顔を出す。彼の横顔、低く落ち着いた声、時折見せる柔らかな眼差し――どれもが胸を締めつけた。


(この問題が解決したら、必ず伝えよう。彼への気持ちを)

 櫛を手に取り、髪を整えると、真桜はすっと立ち上がる。


 それから通された東雲家の広間には、すでに複数人の姿があった。


 床の間に最も近い位置には、この家の当主である東雲貴久が座っている。背筋を正し、厳格な表情で場を見渡している姿は、この場の主導者としての風格を漂わせていた。


 その右隣に綾斗が控えており、父に倣って背筋を伸ばして座っていたが、目を閉じ、何かに集中しているようだ。


 一方、東雲の左手には霧島真之介と颯吾が座っており、その向かい側には八坂光彦と礼司が着席している。


 真桜の目は、自然と暁翔を探していた。彼は礼司の隣に座していた。その存在感は群を抜いており、ただそこにいるだけで場の緊張をさらに引き締めている。


 そしてその場にはもう一人の人間がいた。御三家の人々から離れた位置に項垂れていた女性が、わずかに顔を上げる。


「玲華様……!?」

 真桜は軽く目を瞠った。


 かつてはどこにいても目を引く華やかさを持ち、堂々としていた彼女が、今は痩せ細り、着崩れかけた着物の肩を震わせている。


 真桜の声で玲華も異母妹に気づいたらしい。その瞬間、玲華の瞳が揺れた。


「真桜……」

 小さく震える声で名を呼ぶ玲華の視線が、真桜を隅々までなぞる。彼女の顔には複雑な感情が浮かんでいたが、すぐに唇を噛んで真桜から顔を逸らした。


 真桜は玲華になんと声をかけていいのかわからないまま、暁翔の隣にそっと座る。


「全員揃ったな」

 東雲の低く重い声が響き渡り、広間全体がさらに静まり返った。


「すでに聞いているだろうが、白月芙美子が鬼人化した。この事態に対し、我々は協力して対応に当たらねばならない」

 東雲は、場を見渡しながら語り始めた。


「私の部下が現在、芙美子夫人を白月家周辺で神具を用いた結界で捕縛しています。だが、それで手一杯とのこと。近づくことは不可能だそうです」

 八坂が彼の後を繋ぐ。


「神具を用いた結界は完全な封印ではありません。それが破られる前に対処しなければ」


「周辺住民の避難は済ませてある。現在、部下たちを現場に待機させ、鬼人を監視中だ。白月が健在なら、もう少し楽に抑えられたかもしれないが……」

 霧島が冷静に指摘する。


「お父様が健在なら……って? どういうこと?」

 玲華が緩慢な動きで顔を上げた。


「白月武雄は、鬼人の犠牲になったとの報告を受けています」

 感情のない声で答えたのは八坂だ。


 それを聞いた玲華はひゅっと息を呑み、畳に手をつくと肩を震わせて大きく目を見開いた。


「嘘……そんな……」

 掠れた声が彼女の口から漏れる。指先に力を籠めて拳を作ると、伸びた爪が、ざりざりと畳を擦った。


「お父様が……」

 言葉を紡ぐたびに、声が震え、嗚咽が混じりだす。やがて目からぼたぼたと大粒の涙を零しながら、声を上げて泣き出した。


「せめて……お母様だけは助けてください……っ」

 子どものようにわんわんと泣き喚く玲華を慰める者はいなかった。


 真桜は軽く唇を噛む。きっと自分が何を言っても、玲華には受け入れてもらえないだろう。


「現状、鬼人化した者を人間に戻す方法は存在しない。浄化の術も通じん」

 東雲が淡々と話した。


「そんな……ひどいわ! お母様は何も悪くないのに……!」

 彼の言葉に、玲華が顔を上げて眉を吊り上げる。


「玲華さん、君は状況が見えていないのか? ()()はもう妖と同じ、いやそれよりも危険な存在だ。たとえ身内であっても、それを滅するのが我々退魔師の仕事だろう」

 颯吾が、ため息をついて彼女に冷ややかな視線を送った。


「白月家が何をしてきたのかを考えれば、これが報いだと言われても仕方ないでしょうね」

 礼司が首をすくめて言う。


 玲華は顔を真っ赤にし、固く握った手を畳に打ちつけた。


「そんなこと……私に言わないで……!」

 彼女は髪を振り乱し、金切り声で叫ぶ。


「今までさんざんみんなを助けてきたのに、こんな時は手助けしてくださらないのね……!」


「だが、すべて真桜殿の力だったのだろう?」

 颯吾は目を細めて玲華を睨む。


「そ、それは……」

 ぐっと彼女は黙り込む。


 真桜はふと彼女の震える肩を見つめた。自分がその場に立ったとしたら、どう感じるだろうか。もし家族が鬼人化し、命を奪うしかないと告げられたら――。


(私だって、どうしたらいいかわからないかもしれない)

 真桜は目を伏せ、それからぐっと力強く顔を上げた。


「か、家族を失うかもしれない不安や恐怖……それは簡単に割り切れるものではないと思います。混乱してしまうのも無理はないかもしれません」


 そう言うと、部屋の空気が一瞬止まる。綾斗が眉をひそめ、口を開こうとしたが、真桜はそれを制するように話を続けた。


「人の想いの尊さも怖さもいろいろ見てきました。道を(もと)る方もいるかもしれません。でも、踏み外したらそれで終わり……それは悲しすぎませんか?」


「真桜殿、それは甘すぎるぞ」

 颯吾が鋭い声を投げかける。


「白月家がこれまで君に何をしてきたか。あの家でどんな思いをしたのか、忘れたわけではないだろう?」

 そう釘を刺す彼に、真桜はしっかりと頷いた。


「忘れていません。許したわけでも……ありません。でも、今ここで玲華様を突き放したら、私は自分を許せなくなると思うんです」

 真桜は自分の中で湧き上がる複雑な感情に向き合う。悲しみ、怒り、赦し、迷い――すべてが渦巻いていた。けれど、ここで玲華の願いに背けば、これからも大きな困難にぶつかったら簡単に逃げ出してしまいそうな気がした。


「真桜……」

 ぐすっと鼻を啜った玲華が眉を開く。


「……もし、唯一方法があるとすれば、真桜の力を使うことだ」

 澄んだ雫のような声が、重い空気を涼やかに揺らした。




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