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禍ツ神の恋結綺譚~花縁はことほぎに包まれて~  作者: 宮永レン
第六章 紫の恋情

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32.眩むような光の中で

 車のドアが開き、一歩外へ出た真桜は夜の冷たい空気に思わず身を縮めた。白く吐き出される息が、灯りに照らされて薄く消える。


 目の前に建つ豪奢な建物を見上げると、窓から漏れる温かな光と微かな音楽が耳に届いた。


 今朝、綾斗からの相談を受けた後、真桜と暁翔は夜会へ出席するため、東雲家に移動して支度を整えてもらった。


 舞踏会も催されるらしく、真桜達が踊る必要はないものの、その場にいても違和感がないようにと二人とも洋装のいで立ちを提案された。


 着替えた真桜を見て、綾斗は「よく似合う、いつか自分も着てみたい」と頷いてくれたし(おそらくは後半部分が本音なのだろうけれど)、暁翔は「綺麗だ」と短いながらも褒めてくれたので、嬉しかった。


 その後、急に降り続いた雪のせいで道路は大混雑し、夜会の開始時刻ぎりぎりでなんとか到着したのだが、緊張で足が震える。


 無意識に手を握りしめ、隣に立つ暁翔をちらりと視線を送った。


 暁翔は漆黒の燕尾服(テイルコート)に身を包んでいた。無駄な飾りはなく洗練された意匠(デザイン)が、その長身と整った体躯を一層際立たせている。艶やかな銀髪はうなじの辺りでひとくくりに結んであり、額を出したその姿は端整さを引き立てていた。


(暁翔様は、何をお召しになってもお似合いだわ)

 今夜は舞踏会も開かれるとのことで、周囲には同じような服装の男性が大勢いる。その中でも彼がひと際輝いて見えるのは、やはり神の存在が別格(ゆえ)だろうか。


 真桜は緊張とは違う鼓動の逸りを服の上から手で押さえる。その目が自分の装いに落ちた。綾斗が「必要経費だから、このまま差し上げる」と言ってくれた明らかに高価な薄桃色のドレスは、生まれて初めての洋装だった。


 なめらかな肌触りの生地には金銀の刺繍が施され、腰元から緩やかに広がる曲線が美しい。歩くたびに生地がふわりと揺れる。普段とは違う自分になったみたいで、妖のことがなければ純粋に楽しめたかもしれない。


(しっかりお役に立たないと……)

 小さく首を横に振ると、結い上げた髪に挿した飾りがしゃらしゃらと揺れた。


「どうかしたか?」

 不意に掛けられた声に、真桜の華奢な肩が跳ねる。いつもより少し柔らかな暁翔の声音。顔を上げると、すぐ近くに彼の顔がある。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳に、息が止まるかと思った。


「だ……大丈夫ですっ」

 慌てて目を逸らしながら答えたが、頬の熱さは隠しきれない。


「それなら、よいが」

 暁翔は自然な手つきで真桜に片腕を差し出してきた。


「慣れぬ履き物では心許ないだろう、掴まっていろ」


「は……はい」

 恥ずかしかったけれど、その腕に手をかける。うっかり転んでもしたら、その方が彼に迷惑がかかってしまうと思ったからだ。


「だいぶ夫婦らしくなったようだね」

 綾斗が満足そうに頷き、二人よりも先行して建物に入っていく。


「今回の夜会は、政治的な意味でも重要だ。国内外の有力者たちが集まっている。倉科伯爵が進めている政策を後押しするためにも、交流を経て彼らの支持を得たいそうだ。その中での婚約者発表というのも、かなり印象を残すだろうな」

 そう説明しながら、綾斗は慣れた足取りで先へ進んでいく。


「そんなに大事な場なのですね」

 ますます失敗はできない。


「あまり硬くならなくていい。真桜さんも暁翔殿も、私の知り合いのご夫婦ということで話は通してある」

 真桜の心を読み取ったかのように、綾斗の穏やかな声に少しホッとする。


「では、行こう。舞踏会は二階で行われるが、主な社交は一階のこちらの広間で行われる」

 綾斗が進むと、扉が開かれた。その途端、華やかな音楽と人々の笑い声が三人を迎える。


 会場は天井に吊り下げられた巨大なシャンデリアが幾筋もの光を放ち、絢爛な装飾が施された部屋には無数の人々が美しい装いに身を包んでいた。まるで異国の宮廷に迷い込んだかのような光景に、真桜は息を呑む。


 壁際には精緻なレリーフが彫られ、真珠や金箔が散りばめられた絹のカーテンが緩やかに揺れていた。その中で会話に花を咲かせる人々の声が重なり合い、楽団の奏でる優雅な旋律と調和している。


 テーブルには眩いほどに輝く銀器が並び、香り高い料理が運ばれていた。


 真桜は、大勢の視線が集まってくるのを感じ、体をこわばらせる。


「落ち着け、真桜。何も恐れる必要はない」

 暁翔の低く柔らかな声が耳に届き、真桜はぎこちなく頷いた。


「やあ、綾斗君。よく来てくれたね」

 人の波をかき分けるように、一人の壮年の男性が大股で歩いてくるのが見えた。


「こんばんは、倉科先生。今のところは何も?」

 綾斗がにこやかな表情のまま尋ねると、男は首を横に振った。どうやらこの人物が依頼人の倉科伯爵らしい。堂々とした立ち居振る舞いはさすがにこの国を動かしている人間の一人なのだと思わされた。


「こちらは?」

 倉科がすぐに真桜たちに気づき、視線を投げてきた。その眼光は鋭い。


「二人とも私の友人です」

 綾斗が穏やかな口調で紹介する。


「ああ、急遽参加することになったのだったね。友人なのに、まるで目上の人間のように紹介するのだな」

 わははと倉科は声を上げて笑った。


 まさか「神です」とも紹介できない綾斗は、苦笑いを浮かべる。


「まあ、あなた方も今宵の夜会を楽しんでいってくれ」

 そう声をかけられて真桜は小さく頭を下げた。


「ああ、そうだ。あちらに、綾斗君にぜひ紹介したい者がいてね……」


「かしこまりました。それはぜひ」

 綾斗は一瞬ためらうように真桜達を見たが、すぐに「また後で」と言い残して、倉科と共に人の波に消えていった。


 綾斗と倉科が去ると、周囲の目がこちらに向けられていることに真桜は気づく。


「東雲家の綾斗様のご友人ですって」

 特に女性たちの視線とひそやかな声が耳に入ってきた。


「あの銀髪の方はどなた?」

「英国大使の関係者かしら?」

「隣にいる女性は? 夜会に連れていらっしゃるのだから、よほど特別な方なのね」

「そうかしら? 奥様には見えないわよね」

「表情も暗いし、顔立ちも地味だわ」

「ええ。どう見ても私たちの方が典麗(エレガント)よねえ」


 いくつもの視線が真桜たちを追っているのを感じる。彼女たちの目は好奇心に満ちているが、どこか探るような鋭さも含まれていた。


 暁翔に注がれる視線は熱を帯びており、女性たちの中にはあからさまに頬を染める者もいる。


 真桜は俯いた。それでも彼女たちの声がここまで聞こえてくる。


 暁翔が注目を浴びることはわかりきっていた。どれだけ真桜が綺麗なドレスを着ても、所詮は付け焼刃で、淑女の所作も身に着けていない自分はさぞみっともなく映るのだろう。


 周囲の華やかな女性たちと比べて、見劣っている。彼女たちの姿を見た後ではきっと暁翔もそう思うにちがいない。


 ここから逃げてしまいたい――。

 唇をきゅっと引き結んだ時、その耳元に暁翔の優しい声が響いた。


「真桜」


「は、はいっ?」

 慌てて顔を上げると、彼が心配そうにこちらを見つめている。


「神は人の内心を読み取れる。俺の半身であるおまえも同じだ」


「え……」

 真桜はハッとした。先ほどまで聞こえてきたのは実際の声ではなく、心の中で呟かれたものだったのか。


「人の視線が、気になってしまって……」


「それで無意識に内心まで読んでしまったのだろう。ここまで人の数が多いと、想いが増幅されやすい。大きな声となって聞こえるかもしれぬが、言葉にしなければどうということもない」


「暁翔様……」

 彼の言葉と眼差しで、冷え切った心がじんと温まっていく。


「手を貸せ」

 そう言われて、左手を差し出すと、彼の薬指が彼女のそれに絡んだ。


「はわ……っ」

 うっかり変な声が出てしまった。


「まじないだ。不必要に人の心が流れてこないように、少しだけ力を抑えてやる。そのうち自身でも制御できるようになるだろうが」

 絡み合った薬指に、一瞬だけ眩むような光と一緒に赤い糸が見える。それが暁翔と結ばれている証――。


 なんだか嬉しくて、胸がいっぱいになり目の奥が熱くなった。


「わ、私、少し風にあたってきます……っ」

 涙が零れそうになったので、慌てて手を解いて広間を抜け出す。


 うっかり人前で泣いてしまったら、それこそ注目を浴びてしまうだろう。


(暁翔様にご迷惑をかけないと決めたのに、私ったら……)

 火照った頬に冷たい空気が心地いい。


 人の少ない場所を探して廊下を歩いていると、紫色の着物が視界をよぎったような気がして、真桜は慌てて振り返った。



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