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禍ツ神の恋結び綺譚  作者: 宮永レン
第六章 紫の恋情

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28.温もりを求めて

「そう……でしょうか」

 真桜は八坂の言葉を噛みしめるように呟いた。まだ不安は残っているものの、先ほどの涙に混じる悲痛さは薄れたように感じられる。


「大昔には神様と結ばれた方がいらっしゃるんですよね。きっと、それは素晴らしく幸福な儀式だったのでしょうね」

 真桜がぽつりと呟くと、八坂は目を細め、少しの間考え込むように視線を落とした。


「真桜さんは幸福ではないと?」

 八坂の言葉に、真桜は小さくかぶ襟を振る。


「私たちは、白月家から逃れるためにことほぎの儀を行ったのです。暁翔様はお優しいからおそばに置いてくださっていますが、完全に力を取り戻せば契約はもう必要ないかと……」

 彼女の声はどこか萎み、自らの存在を責めるような口調だ。


 八坂は静かに首を横に振る。その動きは毅然として、まるで彼女の心の迷いを正しい方へ導いてくれるかのようだった。


「己の半身を分け与えるということは、生半可な覚悟ではできないことだと私は考えます。もっと自分に自信をお持ちなさい。私は鏡を通して、あなたの本質をこの目で見ました。暁翔殿の隣に立てるのは真桜さんしかおられませんよ」


 八坂の言葉は優しくも力強く、真桜の心に新たな光が灯る。


「八坂様……ありがとうございます。少しだけ、楽になりました」

 真桜は涙ぐみながら、深く頭を下げた。


「いえ。もう後悔はしたくないので。あなたの心が晴れるなら、いくらでもお話を聞きますよ」

 八坂は柔らかな笑みを浮かべる。


「あの……母にはもう会わないのですか?」


「……今更、でしょう。もう私のことなど覚えていませんよ」

 彼は小さく笑った。その笑みはどこか寂しげで、隠しきれない未練が滲んでいるかに思えた。


 想いがあれば、遠く離れていても、どれだけ時間が経っていても、縁は繋がっている。そう思いたい、願いたい。


(想い、か……。私、もっと暁翔様に感謝の気持ちを伝えるべきなのかしら)

 それが足りない想いのかけらなのだとしたら――。


 真桜はすっと立ちあがる。


「八坂様、ありがとうございました。なんとかやってみます!」


「ああ。少し顔色もよくなりましたね。私は離れに行きますから、何かあればそちらにいらしてください」

 そう言って八坂も立ち上がり、二人は応接間を出て反対方向に歩き出した。


(ありがとうございます、と、たくさん暁翔様に伝えよう!)

 真桜はもう少しで滞在している客間に辿り着くところで、暁翔の姿を見つけた。


 鼓動が大きく跳ねる。けれど、想いを伝えなければと思う。


「暁翔様――っ」

 声を上げながら真桜は駆け出した。だが焦る気持ちに足が追いつかず、足元がもつれて前のめりに体が倒れ込む。


 次の瞬間、冷たい風を纏った腕がそっと彼女を抱き留めた。暁翔の腕に引き寄せられると、冬の冷気がかすかに染みついた着物の感触が頬に触れ、心臓が大きく跳ねる。


 そのまましばらく二人の間には言葉がなかった。暁翔の腕の中は不思議と温かく、真桜は思わず息を呑む。そろりと視線を上に向けると、彼の灰青色の瞳がこちらを覗き込んできた。


 思わず真桜が短い悲鳴を上げそうになった途端、にわかに人の騒がしい声とがたがたと窓が鳴る音が聞こえた。


「急にぼた雪が降ってきたわ!」

「さっきまで晴れていたのに!」

 八坂家の使用人たちが騒ぎ始めている。


 これには真桜は既視感しかない。


「……っ、も、申し訳ありません! 私のせいで――」

 暁翔に触れてはいけないと言われているのに、真桜が触れると厄災が起きてしまうのに、またやってしまった。


 ハッと我に返った真桜は慌てて身を引こうとする。だが彼の腕は離れるどころか、微かに力を込めて彼女を引き留めた。


「あ、きと……様?」

 戸惑いの中、彼を呼ぶ声がかすれる。


「真桜。おまえが責任を感じる必要はないと言っているだろう」

 彼の低い声が耳元で響き、真桜の胸の奥がふいに熱を帯びる。


 暁翔は迷いのない足取りで、真桜を連れて客間に戻る。


「で、でも、外が……大吹雪になって――」

 障子の隙間から、荒れ狂う白い世界が垣間見えた。心配に駆られて視線を向ける真桜を、暁翔は静かに引き寄せる。彼の着物越しに伝わる体温が心地よく、彼女の心拍は一気に上昇した。


 廊下では、ぱたぱたと使用人たちが慌てて走っていく気配や、「洗濯物が――」と声をかけあう声が聞こえてくる。


 それなのに、この部屋だけは異世界のように静まり返っていた。


「あ……」

 名前を呼ぼうとするも、耳元で囁かれる。「何も言うな」と。


 その声は低く、深い響きを持ちながらも優しい。真桜の胸の奥で何かが弾けそうになる。寒いはずの体が、彼に触れるだけでじんわりと熱くなった。


「――体が冷えた。もう少し、おまえの温もりを感じていたい」

 暁翔の囁きが近くで聞こえ、彼がさらに腕に力を籠める。その仕草に真桜は目を丸くした。


(私は行火(あんか)の代わりですか⁉)

 心の中でそう叫びながらも、彼を一人で外に残してきたことへのうしろめたさがある。だからこそ()()()()、彼が温まるまでこのままでいるしかないと、ぎこちなく思い込む。


 だが、彼の掌が背中に触れる度に、鼓動がさらに速まっていく。


(仕方なく……?)

 でも、それなのに、どうして彼の温もりがこんなにも自分を満たしてくれるのだろう。


 ようやく暁翔は真桜を解放してくれ、その後は何事もなかったかのようにいつも通り振る舞った。吹雪も、ぴたりと落ち着いたので、真桜もホッとする。


 だがその夜、布団に入ってから、ふと真桜は思い出した。


(暁翔様って、寒さを感じないっておっしゃっていなかったかしら?)

 ことほぎの儀で、半身に人に身を宿した影響で、寒さも感じるようになったのだろうか。それとも――。


 暁翔がわざと自分に甘えるように言ったのだとしたら。


(そんなわけ……そんなわけ、ない)

 暗闇の中で真桜の頬がぽっと熱くなった。彼の真意を確かめる勇気もなく、胸の鼓動はますます高鳴るばかりだった。



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