3.体幹がないから転がるのです
「望田っ、おはよう」
「おー、おはよ」
あれ以来、堤が話しかけてくるようになった。といっても基本はあいさつのみ。朝おれが教室に着くと、必ず堤が声を掛けてくる。
そしてまたジ……っと見つめてくるのだ。
「…………」
「もうだーいじょうぶだって! ほら見てこの完璧なテーピング。もう痛くないしなくてもいいんだけどさ、上手くなってつい巻いちゃうわけ!」
目は口ほどに物を言う。堤が異常なほど心配性だということは、この一週間で嫌と言うほど実感した。堤のせいじゃないと何度も伝えているのに、おれの捻挫に責任を感じているらしい。
捻挫が軽度でよかった。これで松葉杖が必要とか言われていたら、堤がどうかなってしまっていたと思う。本当はまだテーピングをしていないとちょっとだけ痛いのだけれど、平気だというところを強調させてもらう。
制服のパンツを少し上げてスニーカーソックスから覗く足首を見せると、堤はなぜかオドオドと目を逸らし頬を赤らめる。えー、なに? おれが露出狂みたいな反応やめて?
まぁそんなこんなで、おれは堤に対する警戒心を早々に解いてしまった。単純すぎると言うなかれ。
だって不注意で怪我してしまったときの反応が想像していたよりもずっと真剣で優しくて、男なのにキュンとしてしまったくらいなのだ。どうして堤がモテるのか、見た目だけじゃないと気づいてしまった。
それに、少し接しただけでも分かる。堤はおれのことを馬鹿になんかしていない。相変わらず無口で過去のことを話すそぶりはまったくないし、とにかく純粋に心配されている。
じゃあなんで前からおれのことを見てたのか? その理由は――それからしばらくして発覚した。
テスト期間中のある金曜日、おれは佐々木に誘われチェーンのカフェで勉強会をすることにした。こういうときにファミレスを選ばないあたりが、イケてる男子高校生って感じだよな!
「堤くんも誘わなくてよかったん?」
「え゙。なんで……?」
小さなテーブルで各々の勉強をしながら、やっぱりというか当然というか雑談は止まらない。
堤の口から出てきた予想外の名前に、おれはホワイトチョコレートモカフラッペをずろろ、と吸い上げてから怪訝な表情をした。
コーヒーが入っていれば集中力が増すかと思ったのだが、注文する前「カフェイン入ってますよね?」と店員さんに聞いたとき「……はい。少し……」とあいまいな答えだったので駄目っぽい。勉強に身は入らないけど、すんごく美味しいからいっか。
「お前ら最近仲いいじゃん。なんかやけにオレ睨まれてると思ってたけどさぁ、望田のこと見てたんだなー。あのお姫様抱っこには感激したわ」
「どんな幻想見た!? おんぶしかされてないし!」
堤によって背負われ運動場から運ばれたおれは、親に運ばれる子どもにしか見えなかったとあとから佐々木に言われて撃沈した。
担任にも「望田くん、本当なの? その怪我、ストレッチで……」と困惑した様子で訊かれたし。母親さえ「なんでそんな鈍くさいのかしら……誰に似たの? え、私? やめてよ〜!」とぷりぷりするだけで心配してくれなかった。
たかが捻挫だけど、みんな冷たい。堤に優しくされなかったらおれ、泣いてたよ!?
とはいえ堤とおれは放課後一緒に勉強とかする仲ではない。SNSの連絡先も知らないし、堤の会話力は死んでいるのでおれに関すること以外の会話は皆無だ。おれが何か質問すればイエスノーで答えるけど。botか?
「はッ。まさか、おれが堤に取られそうだと思って嫉妬してる……?」
どうしてやけに堤のことを気にしているのかを考えて、おれはピカッと閃いた。佐々木英明は半目で答える。
「はいはいはいそーですよ。でもごめん、モッチーはアカリの次の次の次だわ……」
「ひどいっヒデちゃん! 何人オンナがいるの!?」
「うちのユキちゃんもいるからな〜」
「そう思うとかなり上位な気がしてきた」
アカリは佐々木の彼女で、ユキちゃんは佐々木家で飼われている真っ白なマルチーズである。彼女たちに勝とうなんて思ってないし、おれはまぁまぁ上位じゃんと上機嫌でフラッペをすすった。何の勝負かは分からない。
あっという間に飲み終わり、さすがにこのままじゃまずいと勉強を再開する。とにかく数学や物理の問題が苦手で、おれは摂取した糖分を使い切る勢いで頭を悩ませた。
かっこいいのは……理系ッ!! と暴論で選んだだけなので、理系科目が得意とかではないのだ。どちらかというと望田家は文系脳である。
おれが仕方なく駄目元で聞いてみるか、と同じく勉強がそれほど得意でない佐々木に質問しようとしたとき、またスマホを見ていたらしい佐々木が「おっ、来た!」と目を輝かせた。
「アカリの女子会終わったらしいから、帰るわ!」
「りょうか〜い。ふたりとも勉強会ハシゴって、忙しいな〜」
「ま、おうちデートみたいなものですから」
「うっわー! えろ!」
これから彼女の家で勉強会という名のデートらしい。おれはつい興奮して大きな声を上げてしまって、慌てて両手で口を押さえた。
恋人同士で勉強するなんて、偉いな〜と思ってたけど、そうか。デートなのか!
彼女の部屋でおうちデートと言われると途端にえっちな想像をしてしまうのは、高校生なので……。今からだと結構遅い時間になると思ったのだが、夕飯もご馳走になるらしい。
いつの間にか大人への階段を上っていく友人が羨ましいような、そうでもないような。彼女は欲しいと思っているものの、それは彼女という存在に憧れているだけだとおれ自身薄らと気づいている。
性欲も薄い方なのかもしれない。もう高校二年なのに自分が誰かと付き合ったその先さえ想像できなくて。おれたぶん、手を繋ぐだけで満足できるタイプだわ。
片付けになるとテキパキと動き出した佐々木に倣って、おれも勉強道具を片付けた。家が遠いから、そろそろバスに乗って帰らないといけない。移動時間に暗記系の科目を勉強するのが、なんだかんだ一番はかどるし。
繁華街のバス停で世界史の教科書を開きつつ、地元へ向かうバスを待った。ようやく来たバスはいつもより遅い時間だからか混んでいて、外から見ても人が多い。立ったまま教科書を開くのは危険だからなるべく座りたかったけど……
と思ったら、金曜日だからか繁華街で降りていく人も結構多い。いつもと違うルートを通る路線だからなんだか新鮮な心地だ。前の人について乗り込み空いている席を探すと、一つだけあった。
(ラッキー!)
おれの後ろから乗ってくる人はいなかったので、遠慮なく後ろの二人席に向かう。ブレザーを見て同じ高校じゃーんと思ったのもつかの間――そこにいたのは堤だった。
「わ! 堤じゃん!」
「あ、え、望田。ここ、座る……?」
クールなイケメン男子が、ぱくぱく口を開け閉めして戸惑っている。なに? なんでそんな驚くの?
なぜかおれに席を譲って立とうとするから、押し戻して座らせようとする。おれが堤の二の腕のあたりを掴むと「ひぃ」と固まってしまい、堤は立ったまま逃げるように窓へとくっついた。
そんな馬鹿みたいな押し問答をしていると、運転手が『座ってくださ〜い。発進しま〜す』とちょっと圧強めにアナウンスしてきたため慌てて並んで座る。おい、堤のせいで怒られたじゃんか。
おれも堤も幅のある方じゃないけど、バスの席は狭い。曲がり道でおれがコロンっと左にいる堤の方へ転がりかけると、ビクッと堤の肩が浮いた。
「あ、ごめんな? てか堤、いつもこのバスだったの? びっくりしたけど、中学一緒だし同じ方向なの当たり前だよなぁ」
「い、いや……うん。望田はいつも三〇番のバスだよな? 今日はなんでこっちに?」
「おーよく知ってるな! 佐々木とそこのカフェで勉強してたの。堤は?」
「俺は学校の図書室で……」
驚いた。堤はおれのいつも乗っているバスを知っているらしい。いや、いつもあれだけ見てくるんだ。そこまで把握されていてもおかしくないかぁ……
聞いてみれば、おれと堤の家は徒歩で十分ほどしか離れていなかった。おれの頭に「あれ?」と小さな疑問符が浮かぶ。
その場所なら同じ小学校のはずなのだ。でも同じ小学校だったという記憶はないように、思う。高学年あたりのことしか、もうあまり覚えていないけど。
「堤、小学校一緒だったっけ? あ、覚えてないだけだったらごめん」
「……いや、覚えてなくて当然。同じとこだけど、俺、あんまり学校行ってなかったから……」
「そうなんだ」
不登校ってやつ? なんだかそれ以上突っ込んだらいけない気がして、おれは口を噤んだ。
手に持ったままだった教科書を開こうとして、もう一個堤に聞いておこうと思いつく。まだ三十分以上はバスに揺られていないといけないし、バスの中とはいえ二人きりでこんなにゆっくり話せる機会はそうない。
これはマズい質問じゃないよな……? と考えながら口を開く。視線は前に座るサラリーマンの後頭部に向けたまま。ハゲを横髪で隠しているところが健気だ。
「なぁ、お前って……なんでいつもおれのこと、見てんの?」
「…………」
堤はなかなか口を開かなかった。沈黙が重くて、横目でちらりと左を盗み見ると。
――こっちをガン見していた。いつも涼しげな目は険しく寄せられた眉によって怒って見える。
「……っあ。え、これって自惚れなの!? ごめん、……恥ずかしー……」
「ちがう」
どうやら盛大な勘違いだったらしいと気づいて、おれは穴があったら入りたいほど羞恥に襲われた。あ〜〜〜っ、はずくて身体熱い!
しかし堤が焦ったようなたどたどしい声で、違うと告げる。勘違いされて怒ってるんじゃないの?
「ん? 違うって、なにが?」
「自惚れじゃない。俺……望田のこと……好き、だから」
は………………っ!?!?!?
堤の声は小さくて尻すぼみになったけど、おれの耳にはしっかりと届いた。
「なんっ、は? え……好きって……え、どゆ意味〜〜……?」
「…………」
驚きすぎてイントネーションがおかしくなりながら聞き返すも、堤はそれきり目を逸らし口を噤んでしまった。でも、横顔は耳たぶまで赤く染まっている。
バスの社内灯はおれたちの真っ赤な顔を残酷なほど明るみに出してしまう。混乱が頭を抜けない。
堤が、おれのことを、好きって? 何事???
「おれ、男だけど」
「知ってる」
「堤って実は女の子だったとか? 見えんけど」
「男だよ」
「……そういうことか〜〜〜っ!」
やっとひとつ納得がいった。おれが考えていたのは男女間の恋愛だったから、頭がこんがらがっていたのだ。男でも男を好きになることがあるらしい、とおれは知っていた。世界は広いので。
まぁでもまさか、自分が当事者になるとは思わないけどね?
(でもおれ……中学のときと比べて見違えちゃったもんな)
格好いいか格好よくないかは個々の判断に任せるとして、おれがかなり垢抜けたことは事実だ。中学時代の地味で陰気なおれを知っている堤が、「望田かっこよくなったな……」なんてキュンとしていてもおかしくはない。たぶん。
冷静な思考を保とうとするも、口元が勝手にによによしてくる。だって、なんと、生まれて初めて告白なんてものをされたのだ。
この際相手の性別は関係ない。おれよりかなり男前でモテる人に好かれるというのは、結構すごいことなんじゃない? 正直言って嬉しい。
――気持ちにはお答えできないけど。
「えーと、あの。気持ちは嬉しいんだけど……ごめんな? おれ、男と付き合うって考えたことなくて。でも気まずくなるのもやだし、今まで通り接してほしい……っての、わがままかな?」
「わかってる。急に変なこと言ってごめん。俺、望田に、嘘つきたくなかった」
「…………」
それは、どうしておれの方ばかり見つめるのか、という質問に対してだろう。いつの間にかまた堤はまっすぐとおれを見ていて、その強い視線にドキドキと鼓動が高鳴った。
変に誤魔化さず伝えてくる姿勢は清々しくて、そういうところが格好いいなと思う。いつもの無言でじっとりとした視線は、なかなかムッツリな感じだけど。
人に告白をしたこともないおれが心のなかで堤へ称賛を送っていると、またバスが交差点で曲がった。
「う、わっ……!」
堤の方を向いていたせいで、顔面から胸にぶつかりに行ってしまった。おれの顔は堤のブレザーと白いシャツの境目にポスっと着地し、堤の両腕がさっと背中に回ってくる。
「大丈夫か?」
バランスを崩した身体を優しく支えられて、バスがまっすぐ走り始めたらそろそろと腕が離れていく。一瞬だけど、まるで抱き締められているみたいな感じだった。
「あっ、うん。だいじょうぶ……」
ささっと前髪を直して、心配そうに覗き込んでくる顔から視線を逸らす。なんか、顔が熱い。心臓がバクバクと音を立てて走っている。それが左側にいる堤にまで伝わってしまうんじゃないかと心配になる。
別に、わざと触れられたわけじゃないと分かっているのに……堤の行動の意味を考えて勝手に照れてしまう自分がいた。
告白されて、お断りして、それで終わりかと思っていた。けれど当然人の気持ちは容易に変えられるものではないだろう。
つまり堤はまだおれのことが好きで。それがいつまでのことなのか、好きじゃなくなりましたとか教えてもらえるわけでもないわけで……。
――おれ、もしかして、ずっと勝手にぎくしゃくするんじゃ?
急に不安になってくる。今までどおり接してって……おれができるかなぁ!?