1.視線
まただ。まぁぁた視線を感じる!
おれはふた席隣の堤からぐさぐさと突き刺さるような視線を横顔に感じ、プイと逆方向へ顔を向けた。窓の外のカラスと目が合い、カァと鳴かれる。馬鹿にされた気がした。
せっかく……せっかく自宅から離れた高校を選んで、おれはモテ男への華麗なる変身を遂げたのに。誰もおれの過去を知らない場所で、華々しく高校デビューをしたつもりだったのに!
なんでお前もこっちに来たんだ〜〜〜!
「望田、なに黄昏れてんの?」
「おれって罪な男だなと……」
頬杖をついて流し目で振り返ると、友人の佐々木は「ぐはっ」と謎のダメージを受けてよろよろとよろけた。ふん、ついにおれのいい男オーラにやられたか? と期待の眼差しを向けるも、よく見れば肩を震わせて笑っている。
むかついたので肩を強く叩く。ボスッと鈍い音しか鳴らなかったが、佐々木は大げさなリアクションで応えてくれた。
「いってぇ! モッチー、暴力反対!」
「モッチーって呼ぶな! かっこよくないだろ!」
「いいじゃん、可愛くて。ほっぺもちもちのモッチーにぴったり」
失礼なことを言って、佐々木はおれの頬を両手でもちもちしてくる。別に太ってないのだが(本当に太ってない! お腹はこれから鍛える予定だ)、おれは顔に肉がつきやすいタイプなのか少しだけ頬がふっくらしている。
伸ばした横髪でうまい感じに隠せているはずだったけど、佐々木は目ざとく気づきそれ以来イジってくるのでむかつく。コンプレックスを指摘されて憤慨しているとさらに頬が膨らんでしまって、周囲の女子たちがくすくす笑いながら「かわい〜」なんて言ってくる。
ほらね、と余計に佐々木が調子に乗った。もちもちもちもち……
「ふんわ〜り、肌すべすべじゃん! てか、オレの彼女より美肌かも」
「お前……いつか刺されるぞ」
どうして佐々木なんかに彼女がいるのか理解できない。デリカシーがなさすぎるし、彼女のできたことがないおれでさえさすがに今の発言は失礼だなと思った。いや、おれの肌が綺麗すぎるのかも……?
やっぱりおれは罪な男だ……とひとり納得していたとき、ギンッと強い視線を感じておれと佐々木は同時に振り返った。
「…………」
「めっちゃ見てるじゃん。堤くん、オレ、なんかしたぁ……?」
佐々木がヒェ〜ッと両腕で自分を抱き締め、おれの頬は解放される。二人分の視線を浴びても、堤はなにも言わなかった。こちらを見ながらガタッと席を立ち、佐々木がビクッと一歩後ずさる。
背が高いから妙に迫力がある。が、堤は何事もなかったように廊下に出て、どこかへ行ってしまった。……おしっこか?
「たぶん、佐々木がアホすぎてウザかったんだろ」
「ウソッ。こんなに愛嬌たっぷりなのに……?」
「あはは、どこがだよ」
馬鹿らしくて笑ってしまう。堤から受ける圧のある視線から逃れられたことで、おれの肩の力も抜けた。
――あいつはおれの過去を知っている。地味で、陰キャと苛められていた黒歴史はもう永遠に封じておきたいのに。
高校に入学して堤を見つけたときは最悪だと思った。でも堤は無口な一匹狼タイプだし、一年のときはクラスも違った。おれもなるべく関わらないように避けていたから問題はなかったのだ。
しかし二年に上がると同じクラスになってしまった。
やりにくいったらありゃしねぇ! おれの一挙手一投足に物言いたげな視線を投げかけられ、「元陰キャのくせにww」とか「高校デビューとかダッサwww」とか思われてる? と想像してしまう。
いつか堤が口を開いて、洗いざらい喋ってしまうかもしれない。おれが中学でどういう立ち位置だったのか、どれだけ地味でダサかったか。おれなりの努力で得た現在の高校生活が、堤のひと言で失われるんじゃないかと怖くて怯えているのだ。
でもおれは変わったし、堤の視線くらいいなせないと駄目だ。
ずっと近所の床屋で髪を切っていたけど、進学前に都会のお洒落な美容室へ行った。あれこれ写真を見せて自分の理想を語るとイケメン美容師は生暖かい目でおれを見てたけど、想像以上にかっこよく仕上げてくれた。セットの仕方も詳細に聞いてメモしたし、家に帰ってからも自分で上手くセットできなかったときは美容室へ電話までした。
同じ中学のみんなが選ばないちょっと不便な場所にある高校へ進み、通学は大変だけど毎朝身だしなみをきっちり整えて家を出る。制服はあえて少し着崩して、鞄や靴も雑誌を見て研究したおしゃれなものを身に着けている。
周囲の視線の変化は劇的だった。もともとおれは人と話すのが好きだ。だから変にイジられたりしなければ、顔を上げて友だちを増やすことができた。
クラスのムードメーカーである佐々木と仲良くなれたのもよかった。ちょっとデリカシーに欠けているが、高校へ入って早々に彼女を作るってところが尊敬に値する。
ま、結局今もイジられてるんだけどなぁ。でもみんなの顔つきで嫌味のないものだということが分かる。愛されキャラってやつ? それなら甘んじて受け入れよう。
とにかくおれはこの高校に入ってからは学校が楽しいし、あとは彼女さえできればさらに毎日が彩られるはずだ。
「佐々木ぃ、おれも彼女、ほしいよぉ……」
「そう言ってるやつで彼女できたの見たことないわ」
「えっ本当か!? なら、もう二度と言わない……!」
「ってやりとり、もう何回かしたよね」
授業が終わって、掃除の時間だ。掃除当番に割り当てられている体育館裏の倉庫前で、おれは箒を胸に抱えながら佐々木に本音を吐き出した。佐々木はわりとどうでも良さそうにスマホをいじっている。おい、親友の悩み事だぞ。ちゃんと聞け。
高校に入ってから友達が増え、女の子と喋る機会も急増している。でもなぜか、恋とかそういう感じにならない。今のおれは、結構イケてると思うんだけど、どうも扱いが思ってたのと違う。
「柚生ちゃん、佐々木、ばいばーい」
「ミサ、掃除終わるの早くね? 部活行ってら〜」
「あ、ばいばい……」
クラスメイトのミサが近くを通りかかった。どうしておれだけ下の名前の『ゆうちゃん』なんだ……と内心思いながらも小さく手を振り返す。
すると彼女は「いいね、今日も可愛いねー!」とおっさんみたいなことを言って颯爽と部活に向かって行った。可愛いと言われるのは嫌いなわけじゃないが、男として見られている感が全くない。
広めのおでこと薄い眉、二重に垂れ目はいわゆる童顔というやつらしい。肌もなまっちろいし身体が小さめで気が弱そうに見えるため、苛めのターゲットになりやすかった。
それらを全て厚めの前髪で隠し、いまはミステリアスな男の魅力を醸し出している。……はずなんですが。おれの目から下が可愛すぎるの? これ以上前髪を伸ばすと、貞子待ったなしなんですが。
「見た目は関係ないんじゃない? 望田けっこう人気あるし、好きになってくれる子ふつーにいると思うぜ」
「ほっ、ほんとか!? 具体的にいうと、だ、誰かな?」
「んー……ユキコ、とか? 知らんけど」
珍しく佐々木が良いことを言った。木下さん、通称ユキコは隣のクラスで、いつもにこにことしているおっとり系の女子だ。佐々木と同じ中学だからたまに会話していて、おれも何度か話したことがある。
確か吹奏楽部に所属していて、肩まで伸ばした髪を放課後になるとポニーテールにする。気合を入れているのが可愛いし、そのまま伝えたこともあったはず。そのとき『望田くんも、可愛いよね』と言われたことを思い出した。
「あれは求愛の『可愛い』だったのか……!」
「なに求愛って。鳥が踊ったりするやつ? あと可愛いはそのままの意味だと思うよ」
佐々木が至極冷静に突っ込んでくるので、おれの浮かれた頭もだんだんと落ち着いてくる。とどめと言わんばかりに、佐々木が忠告する。
「いいか望田。勘違いする男が一番痛い」
「焚きつけたお前がそれ言う?」
「好きです! 私と……付き合ってくれませんか?」
「「えっ」」
突然女子の声が聞こえて、佐々木と丸くした目を見合わせた。おれたちの前には誰もおらず、声は少し離れたところから聞こえているようだ。奇しくもここは体育館裏という告白に絶好の場所。倉庫を回った先に、その現場はあった。
(うわ、堤じゃん!)
(シッ、聞こえるぞ)
こそこそと倉庫の陰から見ると、女子の後ろ姿と正面に立つ堤が見えた。髪から覗く女子の耳は真っ赤になっていて、立ち姿からもかなり緊張していることがわかる。対して堤はいつもの無表情で、顔色ひとつ変えていない。
「ごめん。俺、好きな人いるから」
(お……温度差〜〜!!)
大声で突っ込みを入れたかったが、女子に配慮してそれはやめた。堤に好きな人がいるってこと自体意外だ。てかあいつ、モテるのな。まぁそうか。
堤はめったに喋らないので目立たないが、背が高く顔の造形も整っている。一重で基本無表情だから、超絶イケメンというより近寄りがたくてクールな感じ。あの強い強い視線が無ければ、男から見てもかっこええな〜と思うはずだ。
女子は話を聞いてくれてありがとう、と健気な台詞を残して去っていく。ちらりと横顔が見えたが、別クラスで美人と有名な子だった。
「もったいな……」
「モッチー、そういうとこやぞ」
女子から告白されるという羨ましすぎるシチュエーションにもかかわらず、堤はまったく動じていない。すげなく断って、浮かれる様子も全くない。おれなら喜びのあまり踊り出しかねないのに。
好きな人とは言ったが、堤には彼女がいるのかもしれない。だったらその余裕にも頷ける。おれは悔しくてハンカチを噛みたい心地だったが、まだ箒を手に持っていたのでギリギリと奥歯を噛み締めた。
なんの努力もしてない堤がおれよりモテるの、むかつくんですけどぉ!?