09.二人の時差にご注意ください
蝉の鳴き声が本領発揮し始めた七月後半。夏休みが始まった。
「いや〜、見尽くしたねぇ」
「もう十四時か。早いね」
大学のキャンパス内を、興奮冷めやらぬわたしと梅村くんが並んで歩く。
以前から約束していた建築関係の展覧会に来たのだが、想像以上に充実した時間だった。
「建築って家のイメージが強かったんだけど、実際は色々あるんだね」
マンションや商業施設、神社や教会など幅広いようだ。
「西さんは芸術性高い美術館とか好きそう」
「今日の展示を見ちゃったらね。アシンメトリーのアンバランスさにも魅力を感じてしまいましたよ。図面だけでも面白いけど、模型があったからわかりやすさが段違いだった!」
会場には各建築物の図面やスケッチの他に、小さいサイズの模型が展示されていた。
模型に使用する材料も様々らしく、発泡スチロールを高密度化したようなものもあれば、馴染みのある紙類や木材もあった。
材料によって伝わる雰囲気が変わるため、ただ設計図通りに作るのではなく、見せ方も大切なのだと思う。その辺りは服作りと似ている。
「梅村くんのお気に入りは高層マンション?」
「内装の意図を汲み取りたくなるんだよね」
「あ、内装も好きなんだ」
「発注者と建築士のこだわりが詰まってそうだから」
この感じだと、たまに家のポストに入っている住宅展示場のチラシとかも見てるんだろうな。
「こだわりって言ったら、アレが好きだったかも」
「多分俺も同じこと考えてる」
顔を見合わせたわたしたちは、同時に口を開いた。
「――山奥の古民家」
さすが梅村くん。気が合いますな。
「縁側いいよねぇ。改めてじっくり見ると間取りもよく考えられてるし」
「日本の気候を考えての構造だからメンテナンスすれば耐久性が高いってのも」
「推せる?」
「推せる。住みたいっていうのとはまた違うけど、遊びに行きたい」
「わかる」
そんな話をしながら大学を出る。
昼食は大学の食堂で済ませたが、小腹が空いた。帰り道にあるカフェにおやつを食べに行こうという話になり、移動を始める。
夏の日差しが容赦なく照り付けているため、涼しい場所が恋しい。暑すぎる。
「日傘さしてもいい?」
隣を歩きにくくなるかもしれないと思い、梅村くんに確認をとった後で鞄から折りたたみ式の日傘を取り出した。
「いつもさしてるの?」
「長い時間太陽の光を浴びてると肌がひりひりしちゃうんだよね。赤くなるし。日傘必須なの」
「日傘ってそんなに防御力あるの?」
「お、疑ってるね? 梅村くんも入ってみて」
腕を高く伸ばして梅村くんを傘の影に入れる。
「まじか、涼しい。体感温度が違う」
「結構優秀でしょ」
「予想をはるかに超えてきた。俺も入ってていい?」
「いいよ」
一度この涼しさを知ると出たくなくなるのだ。りっちゃんも日傘の虜にした身としては、さらに広めていきたいところである。
梅村くんが日傘を持つとしたら何色だろう。やっぱり黒かな。紺色も使いやすいか。着せ替え人形ならぬ傘替え人形になった梅村くんを想像していると、彼の手が傘の柄にそっと触れた。
「どうかした?」
「俺の方がデカいから持とうかなと」
「わぁ。ありがたや」
「いえいえ、こちらこそ」
日傘を持った梅村くんは、「このくらい?」と言ってわたしが影に入れるように傾きを調整してくれる。非常に快適だ。
展覧会について語り合いながら歩いていると、カフェまでの道のりが短く感じた。
あと少しで到着、というところで、二人組の女の人が前方から歩いてきた。その内の一人がすれ違いざまにこちらを見る。梅村くんの顔面に見惚れたのだろうか。そんなことを考えていると、後ろから声が聞こえてきた。
「見て、あの子たち日傘で相合傘してる。かわいい〜」
……相合傘?
振り向くと先ほどの女の人たちがこちらを見てキャッキャウフフと声を上げている。
……相合傘。それすなわち、二人が寄り添う形で一本の傘をさすこと。
再び前を向くと、わたしの肩が梅村くんの腕に当たった。もしかしたら今までも当たっていたかもしれない。
ブワッと顔が熱くなった。
自分の肩と梅村くんの顔と日傘を順番に見ると、目が回りそうになる。
「いきなり慌てるね」
「さ、さっきの人が相合傘だって」
「間違えてはない」
「そうだけど」
「それで焦ってるの?」
「よく考えたらわたし、男子と二人で出かけるの初めてで。……急に、恥ずかしくなってしまった」
両手で顔を押さえて下を向く。まさか初めてのお出かけ相手がとんでもないイケメンになるとは。
服装は変ではなかっただろうか。今日着てきたのは透け感のあるレモン色のレースブラウスに白いフレアスカート。展覧会の資料はQRコードを読み取ってスマホで確認するタイプだと事前に知っていたため、カバンは斜め掛けの小さめのものを選んだ。
「展覧会が楽しみすぎて図面のことばっかり考えてたから、わたしの装備が心もとないかも」
「……ふっ……装備、って」
地面に落ちた日傘の影が揺れる。あれ? 梅村くん笑った?
急いで顔を見てみたが、いつも通りの無表情だった。気のせいだったようだ。
梅村くんは白のTシャツに五分袖のオープンカラーシャツを羽織っている。ライトグレーだからなのか爽やかだ。黒のワイドパンツが絶妙にスタイルの良さを際立たせている。要するに敵いっこない。
「西さんはすごいね」
「服装が? 失敗してる?」
「そうじゃなくて、時差が」
国内で時差とは。
わたしの思考を読んだのか、梅村くんはそっぽを向いて言葉を続けた。
「俺は西さんを誘った時から、ずっと緊張してるんだけど」
なんだろう。胸の奥がきゅっとした。
「そ、そうは見えない」
梅村くんの表情がわからないから、冗談なのか本気なのかの判別が難しい。
「見えないようにしてるだけ」
「どんな技なの。さては梅村くん、手練れだね」
「そんなわけないでしょ。西さんがあまりにも普通だから慣れてるのかと思った。生デの人って、なんか他の科と雰囲気違うし」
「自慢じゃないけど、慣れてないからね」
「うん。俺と一緒で安心した」
梅村くんがわたしと同じはずはないと思う。スタイル良しのイケメンと製図狂いの変人なのだから。僻みにしかならないから黙っておくけどさ。
むずむずした気持ちで日傘を片付け、カフェに入った。店内の冷気によって顔の火照りが落ち着く。
通された席に向かうと、正面に座った梅村くんはチーズケーキとアイスコーヒー、わたしは白桃パフェを注文した。
先に運ばれてきたパフェを、わたしは横から観察する。
「このパフェが建築物だった場合、桃ソースと杏仁豆腐の層に住みたい」
「随分ファンシーな建築物だね」
「うちのクラスなら大喜びしそう」
「工業科だったら白米と肉と海苔かな」
「そっちも美味しそう」
他の人には聞かせられないくらいくだらない会話に花を咲かせていると、梅村くんのチーズケーキが運ばれてきた。ケーキの隣に置かれたアイスコーヒーのグラスが汗をかいている。
「生デの人たちとも夏休みに遊ぶの?」
「うーん、今のところ予定はないかな。うちの課題って広いスペースがあった方が捗るものが多いから、みんな家じゃなくて学校で課題やるんだよね。だからしょっちゅう会ってるの」
ある意味かなりの頻度で遊んでいるようなものかもしれない。
「課題ってワンピースだっけ?」
「うん、洋裁はね。でも最近は和裁の授業で作ってた浴衣が完成したから、課題放置してみんなで着付け練習したりとか」
「写真撮った?」
「撮ったよ」
和裁は洋裁と違って大半を直線縫いが占めるが、手縫いばかりでなかなか進まない。洋裁とは別の意味で完成した時の達成感が大きい。
スマホの画像フォルダから数日前に撮影した写真を探し、梅村くんに見せる。すると彼はチーズケーキを飲み込んだ後、コメントなしで固まってしまった。
「もしかして朝顔柄が好みじゃなかった? 今回は学校指定の生地から選ばないといけなくて」
「色も柄も綺麗だよ。ただ、完成した浴衣を机に広げた写真が出てくるとは思わなくて」
「浴衣見たいんじゃなかったの?」
「西さんが着てるところの写真、っていう意味だった」
そ、そういう意味か。
スマホを回収し、写真を探す。
「……ない」
自分が着ている写真は、一枚もない。
「隠してない?」
「本当だもん」
潔白を証明するため、梅村くんにフォルダを公開した。
「これはなんの写真?」
指さされた写真を選択する。
机の上に、奇妙な形のタオル地の布が横たわっていた。
「甥っ子が赤ちゃんだった頃の服を、一着だけ解体してもいいとお許しをいただいたもので」
「解体して型を取った、と」
「次産まれる子にはセレモニードレスとか帽子とか色々作りたくて、参考に……」
「こっちは?」
「お姉ちゃんが買ってきたワンピースの切り替えラインが綺麗だなと思ったので写真におさめました」
「西さんの写真全然ないね。本当に女子高生……?」
「そ、そういう梅村くんはどうなのさ」
「んー。何か撮ったっけな」
今度は梅村くんが画像フォルダを開いた。
友達と撮った写真があるだろうか。あわよくば笑っている写真を見たい。わたしは前のめりになって画面を凝視する。
今日撮影した展示物の他に、大量のスクリーンショットが保存されていた。
「『世界の美しい学校』っていう記事が面白そうだったからスクショしたんだった」
「これ学校なの? 綺麗だね。その下の写真は?」
「父さんが勧めてきた建築学の参考書、の疑問があったページ」
「お父さん建築士なんだよね?」
「そう」
「……梅村くんの写真は?」
「ない」
「わたしと変わらないじゃん!」
「ごめん、西さんのこと言えなかった」
梅村くんの笑顔ショットどころか後頭部すら見つからなかった。欲を出したからだろうか。
「梅村くんっぽいと言われれば、それなりに納得のいくフォルダだったかな」
「好きなものとか気になるものは結構撮るんだけど。……好きなものっていえば、服関係のイベントで西さんが行きたいものはないの? 俺でよかったら付き合う」
「いいの?」
「今日俺の方に付き合ってもらってるし」
「実はですね……昔の西洋の暮らしを勉強できる美術展があるみたいなの。型紙の展示はないんだけど、ドレスの展示が多いらしくて」
ブックマークしていたホームページを表示する。ドレスには興味なさそうだけど、大丈夫かな。
わたしの心配をよそに、梅村くんはすぐさまフォークからスマホに持ち替えた。
「楽しそう。いつにする?」
彼のスマホには、すでにスケジュールアプリが開かれていた。
今日の予定に『西さんと展覧会』と入っていることに気付き、うっかり頬が緩んでしまう。
――今年の夏は、梅村くんと一緒だ。