08.梅村くんと答え合わせ
終業式の前日。わたしと梅村くんは放課後の第三パソコン室に集合していた。今日はエアコンをつけているため快適な室温だ。
「梅村くん、本当にいい? 消すよ?」
「それ聞くの五回目だよ」
「消しちゃうからね?」
「お願いします」
こくんと頷く梅村くんを見て、わたしは腹をくくった。マウスを握る右手の人さし指に力を入れる。
「今までありがとうございました」
――カチ。
数ヶ月間お世話になった二人の文通フォルダを、たった今削除した。
先日連絡先を交換したため、もうデスクトップ上でやり取りする必要はなくなった。他の人に見られる恐れもなく圧倒的に便利になったが、少々寂しい。
小学生の頃に友達とやっていた交換日記みたいだったからかもしれない。相手が不明だったという点で言えば、数ヶ月も続いたのが奇跡のようである。
「まさかわたしが開いたデータだけ藤田くんのものだったなんて」
試験の選択問題もこのくらいの精度で当たってほしいものだ。わたしは息を吐きながら椅子の背もたれに体重を預ける。
「一つしかデータ開かなかったんだね」
「知らない人のデータを勝手に見るのは心が痛かったんだもん。……本当は隅々まで見たかったけど」
「漏れてる漏れてる」
梅村くんは先日と同じく基本無表情だが、なんとなく笑っているように見えなくも、ない。
無表情でもちょっと気だるそうでも、彼は正真正銘、例の文通相手なのだ。
わたしがUSBメモリを見つけたあの日、二年一組はパソコン室での授業があった。藤田くんが家にUSBメモリを忘れてきてしまったため、梅村くんは自分のものにデータを保存させてあげたらしい。
わたしが開いた一番上のデータが、偶然それだったというわけだ。
「連絡取り合ってる時、西さん一回も藤田って呼ばなかったよね。誰だと思ってるのかなって疑問だったんだけど」
「こっちは名乗ってなかったから、一方的に名前を呼ぶのはどうかと思って」
「俺だとは少しも思ってなかった?」
「完全に藤田くんだと思ってた。先生の机に置いたメモにも『藤田くんの忘れ物です』って書いたのに、梅村くんに届いたんだね」
「俺と藤田が一緒にいること多いから、先生に渡しといてって頼まれて」
「『これ俺の忘れ物だ』ってなったの?」
「そう」
先生も適当な渡し方をするものだ。ちゃんと確認せずに藤田くんのものだと思い込んだわたしに言えたことではないけれど。
「製図好きの同志が藤田じゃなくて、がっかりしてない?」
梅村くんがそんなことを聞いてくるものだから、わたしは首を横に振る。
「一組まで会いに行って人違いだったってわかった時は恥ずかしくて消えたかったけど、わたしの中で文通相手のイメージ大仏だったし」
「俺、嫌われるようなことしたっけ」
「これでも好印象です」
「そうなんだ」
「梅村くんはわたしに何かイメージ持ってた?」
「生きた人間だとは思ってた」
「だ、大仏は比喩だから」
「ふーん」
そんなに大仏が不満かい?
「そ、そもそも容姿で製図引くわけじゃないからねぇ」
わたしにとって大切なのは、姿形よりも中身だ。
製図が好きで製図が引けて製図について語り合えるなら大仏の姿でもいいじゃないか、と必死にフォローすると、梅村くんは目をぱちくりさせる。おや、新鮮な表情。
「わたし、変なこと言った?」
「ううん。俺が連絡取ってた相手、間違いなく西さんだなって思っただけ」
製図基準にしか物事を考えないところが、とでも言いたそうである。
「こんな性格で申し訳ない」
「いいんじゃない? その性格だったから展覧会に誘ったんだし」
「それもそうか」
「俺だってこんなのだしね」
「こんなのとは?」
「愛想悪いでしょ」
「否定はできませんなぁ」
「正直者め」
「でももう怖くはないよ」
「え。怖がられてたの、俺」
しまった。初めて梅村くんを見た時の印象がなかなか凄まじかったのは事実だが、言わない方がよかったかもしれない。
「だからすぐに名前教えてくれなかったの?」
「あ、違う。それは幻滅されないか不安だっただけ。連絡取り合ってた時は怖いとか思わなかった」
「じゃあ怖いと思ったのは、それ以外の時?」
「えーっと……」
今更過去の出来事を掘り下げるのはいかがなものだろうか。ボウリング場でのことは、わたしが勝手に目撃しただけだし。
適当に誤魔化せないかな、と梅村くんの顔色をうかがってみたが、彼の目は『本音を言え』と訴えかけてくる。正直に話すしかなさそうだ。
「だって……爆弾が」
「いくら工業科でも爆弾は……わかった、これも比喩だ」
大正解である。
「爆弾ってことは、何かに被害を出したのか。一応確認するけど、爆弾使ったのって、誰?」
「ユーです」
「ミーか……」
「梅村くんって見かけによらず相当愉快な人だね」
「西さんだけには言われたくない。で、いつの話?」
「始業式の日」
「場所は?」
「ボウリング場」
梅村くんの形のいい眉がピクッと動いた。そうかと思えばわたしから目を逸らし、小さな声で「あー……あの時いたのやっぱり西さんか……」と唸る。
わたしが何を爆弾と表現したのか理解できたらしい。そう、彼が他校の女子に吐き捨てた暴言のことである。
「……言い訳をさせていただいてもよろしいですか?」
「あるんだ」
「ありまくる」
「どうぞ。お話しください」
わたしとしても、同志が理由もなく暴言を吐くような人だとは思いたくない。
「あれは、あの人たちが藤田に嫌なこと言って。……見た目のことで」
藤田くん? 確かに近くにいたけど。彼の見た目について他人が口出しできるような部分があっただろうか。髪は茶色のマッシュカットで、清潔感があって穏やかそうな雰囲気で。
「どこ?」
さっぱりわからない。わたしが首を傾げると、梅村くんは気まずそうに呟いた。
「……そばかす」
「そばかす?」
予想外の答えに眉を寄せた。信じられない。
「あれはどう見てもチャームポイントだよ。せっかく似合ってるのに! なくなったら嫌だ!」
「俺もそう思う。けど、あの人たちは笑いながら馬鹿にしててさ。本人が聞こえる場所にいるのに」
それはわたしでも怒るかも。
「俺、昔肌荒れ酷い時期があったり身長低かったりして色々あったから、容姿とか身体的な個性を笑いものにするのが嫌いなんだ」
「その割に、あの子たちには思いっきりブスって言ってたね」
「嫌いだから言ったんだよ。人の個性を笑うような性格ブスはって……待って。俺あの時『性格』って言わなかった?」
「言ってなかったよ。真顔で『ブスなんてこっちから願い下げだろ』としか」
見聞きしたままを報告したところ、梅村くんはわずかに顔を引きつらせた。変化が小さいだけで、意外と表情豊かである。
「わたしあの日からずっと、梅村くんは性格キツイ人なんだなぁって思ってたもん。……大丈夫?」
「自分に引いてる」
本人は女子たちの性格について触れたつもりだったらしい。重要な単語が抜け落ちていたようだ。
「とてつもなく無礼なヤツじゃん。今から言い直しに行きたいけど、顔全く覚えてない」
「覚えてたとしても、『あなたに言ったブスとは見た目の話ではなく性格のことです』って言い直されたら深く傷つくだけだからやめた方がいいと思う」
「ですよね」
梅村くんは、ちょっと天然なのかもしれない。
「あの時は巻き込んでごめんね。同じ学校の女子が現れて不憫だなと思ったから、早く話を切り上げようとしたんだけど」
「飲み物買ってたのって話を終わらせるためだったの?」
「欲しくもないお茶買っちゃった。爆弾投げた罰だと思えば安いか」
「今回は言葉足らずだったね。どっちの意味でもブスは言っちゃいけないと思うけど」
「二度と言いません」
大真面目な顔で誓いを立てた梅村くんに「よろしい」と返す。すると彼は、それまでよりやや固い声でわたしを呼んだ。
「反省してるので、その……軽蔑しないでもらえると……」
「……ふ、ふふっ」
体が大きいくせに、今の梅村くんは怯えるポメラニアンのようだ。
事情を説明してくれたんだから軽蔑なんてしないよ。不器用だなとは思うけど、友達のために怒れるのは、優しさの証拠だと思うから。