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07.やっと会えた

 なんとも形容しがたい感情を抱えたまま夜を越え、期末試験が始まった。


 周りから聞こえる、シャープペンシルが走る音。

 わたしは基本的に問題を解くのが遅い。被服製作以外の教科は時間いっぱい使わなければ見直しまで終わらないのだ。

 時折自分と同じタイミングで問題用紙をめくる音が聞こえると、ほんの少し安堵する。


 普段なら『もっと早く解けるようになりたい』と思うところだが、今回ばかりはこの遅さに救われたかもしれない。試験中には、余計なことを考えなくてすむ。

 休憩時間はりっちゃんと「あそこの問題何選んだ?」なんて話しをしたり、次の試験の準備をして慌ただしく過ごした。



 必死に頭を働かせ続け、初日の試験も残すところ一教科だ。

 最後の試験は被服製作。内容は繊維と縫製に関する知識問題と、デザイン画を元に4分の1サイズのパフスリーブを製図するものだ。


 開始の合図と共に記憶の引き出しが開かれる。どれだけ雑念があろうとも、しょぼくれていても、この試験だけは手が止まらない自分が怖い。早々に知識問題を終わらせて製図に移った。


 ――あの人も今、製図してるのかな。


 不意に試験以外のことが頭をよぎる。もう藤田くんとは呼べなかった。


 製図用の解答用紙に視線を落とす。指定の袖丈に仕上がるように袖の原型(げんけい)を書き、そこから展開。寸法を計算するために丁寧に電卓を叩く。


 ――絶対あそこにいたのに。誰なのかわからないけど、名前も知らないけど、真っ直ぐな人だったのに。だって『好きなことを諦めてほしくない』って言ってくれたもん。『同志継続だ』って、言ってくれたもん。あれ、嬉しかったのにな。


 再び解答用紙に視線をやる。縫いやすく美しい形に仕上がるようにラインを整え、袖口のカフスを製図した。最後にボタン位置などの縫製記号を記入して、完成。


 ――あの人に、会いたいなぁ。

 多分わたしは、悩んでいるフリをしていただけだった。自分に自信がないからと。

 けれどもデスクトップ上でしか話せないあの人と、本当はずっと会いたかったのだと思う。あの人になら、わたしは好きなものを好きだと言える。


 見直しをした後、残りの時間は文通の内容を思い出していた。

 楽しかった時間を、諦めたくなかった。







 五日間の試験を終え、ホームルーム後の教室内は解放感に包まれていた。明るい声があちらこちらで飛び交う。


「お疲れ〜いろんな意味で終わった! カラオケ行く?」

「その前にコスメ見に行きたいかも。チーク切れた」

「いいねぇ。私も新しいアイシャドウ買おっかな〜」


「琴葉はー?」と離れた席から呼びかけられる。わたしは鞄を肩にかけながら顔を上げた。


「ごめん、用事ある!」

「準備するの早っ。手芸屋か〜?」

「今日は違いまーす」

「最近琴葉不足だから次は来るように」

「はいよ〜」


 友達に手を振り、誰よりも早く教室を出た。急がなきゃ。

 廊下に人が少ないのをいいことに、パタパタとスリッパを鳴らして職員室に向かう。鍵を借りて第三パソコン室へ。

 念のため先生に確認したところ、予定通り工事は終わったとのことだった。


 うるさい鼓動に急かされ、飛び込むようにパソコン室に入る。

 部屋に熱がこもっているのか、外よりもさらに暑かった。鼻から吸った空気が生暖かい。でもエアコンをつける時間すらもったいなくて、電気だけつけていつものパソコンを起動した。あー遅い。一秒が長い。頑張って起きて。よしよししてあげるから。


 マウスを小刻みに揺らして緊張を紛らわせる。どうか文通フォルダが残っていますように。


「……あった」


 立ち上がった画面を薄目で見ると、デスクトップの状態は以前と変わっていなかった。よかった、消されてない。


 わたしが文通フォルダを開くと、同時にパソコン室の扉が開く音がした。今日は他にも使う人がいるらしい。エアコンをつけてなくてごめんなさい。

 心の中で謝りつつも、暑ければ自分でつけてくれるだろう、と完全に人任せにした。今のわたしは画面にしか興味がないのだ。


 最後に更新された文を読み直し、エンターキーで改行する。


 まずは返事が遅くなったことを謝って、名前を伝えるでしょ。あの人の名前も聞いて、それで……会いたいって言う。

 返事をもらえるかは置いておいて、わたしにできることはやらなくちゃ。


 文字を打ち込もうとしたのだが、先ほど入ってきた人が背後の通路を歩いてきたため、一旦手を止めた。通り過ぎるのを静かに待つ。……あれ? 通り過ぎない、ぞ?


 パソコン室で神隠し? いや、足音が真後ろで止まった気がする。

 もしかして知り合いなのだろうか。椅子を九十度ほど回転させて振り返ってみると、こちらを見下ろす男子生徒と目が合った。


「ブ、――」


 ブスの人だ……!

 生徒なのだからここに来るのはおかしくないが、どうして背後に立つのだろうか。

 整いすぎた無表情からは意図が読み取れない。


 まさかボウリング場でぽけーっと見ていたことを怒っているとか? 女子にブスだと言い放った件は、彼の名誉のために黙っているというのに。


「あ、あの……何か?」


 思い切って聞いてみると、彼はハッとしたようにわたしから視線を逸らした。その視線を追ったわたしは失態に気付く。しまった、ファイルを開きっぱなしなのを忘れていた。


「こ、これは、個人的な、ものでして……」


 内容を読まれるのは避けたい。素早くマウスを握り、ファイルを閉じるために右上のバツ印にカーソルを移動させる。


 しかしわたしは、バツ印を押すことができなかった。横から伸びてきた手によってマウスを持つ手をやんわりと押さえられたからだ。男子の手って、こんなに大きいんだ。


「――まだ返事もらえてないみたいなんだけど、閉じるの?」


 すぐ近くから耳に流れ込む声に、肩が跳ねた。


「結構、待ったつもりなんだけど」


 彼はカーソルをバツ印から遠ざけると、わたしの手を解放した。今『返事』って言った?

 画面から視線を移動し、おそるおそる、もう一度後ろを見る。


「あのUSB、俺の」

「え?」

「藤田じゃなくて、俺の」

「あなたの?」

「うん」


 と、いうことは。


「……このフォルダ作ってくれたのも?」

「うん。……俺」


 わたしの隣に移動した彼は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。わたしより顔の位置が低くなったため、視線を絡めると必然的に上目遣いだ。


「二年一組の、梅村蒼士(うめむらそうし)です」

「は、はい」


 暑くて静かな部屋の中。

 わたしの中でぼんやりと輝いていた『あの人』が、くっきりと『梅村くん』に塗り替えられていく。

 

「展覧会、一緒に行きたい。クラスと名前、教えてほしい」


「……あと、連絡先も」と、ボソッと追加の要望を伝えられた。

 ボウリング場で聞いた声とは全然違う。低くて強張っているけれど、わたしを気づかうような優しい声だった。


 だからだろう。色々な疑問を放り投げて、わたしの口が勝手に動いた。


「返事が遅くなってごめんなさい。……二年八組の、西琴葉です」


 こちらをじっと見ていた彼は、力が抜けたように綺麗な顔を机に伏せた。


「あー……やっと会えた」

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