06.あなたは誰?
「う、嘘ぉ……」
昼食をかきこんで第三パソコン室に来たわたしは、扉の貼り紙を読んで絶望の声をあげた。
『配線工事につき、使用禁止』
天罰だ……間違いない。すぐに返事をしなかったから、藤田くん大仏がお怒りになったのだ。
わたしは偶然通りかかった女の先生に「ここのパソコン、いつから使えるようになりますか!?」と詰め寄る。
「試験最終日には使えるようになるわよ。工事って言ってもそんなに時間かからないみたいだから。今も第一と第二は使えるしね」
先生はにこやかに答えてくれたが、わたしは涙を堪えていた。他のパソコンが何台使えたって、あのパソコンを使えないと意味がないのだ。
試験は明後日から五日間。終わるまで藤田くんと連絡が取れない。
工事の途中でパソコンを交換されたら? フォルダを削除されたら?
文通が終わっちゃったら、どうしよう。
パソコン室の件があまりにもショックで、家に帰ってからも藤田くんのことばかり考えていた。当然試験勉強には身が入っていない。教科書とノートを開いているものの、それだけである。
藤田くんは勉強捗ってるかな。大学に進学するなら製図以外も頑張ってるはずだよね。
せっかく展覧会に誘ってくれたのに無視したみたいになってるの、怒ってないかな。謝ったら許してくれるかな。謝ろうにも、パソコン室が使えないとどうしようもないんだけど。
「……あ」
そこまで考えて、ふと名案を思いついた。――直接謝ればいいんだ。
そうだよ。なぜ気付かなかったのだろう。わたしは藤田くんのクラスも名前も知っているのだから見つけられるはずだ。知らないのは顔だけ。直接教室に行くのは迷惑かもしれないけど、このまま行動しないのはダメだ。長引かせて嫌われたくない。
――やってやる。
決断してしまえば心が軽くなった。開きっぱなしだった教科書の内容がスルスルと頭に入っていく。
調子を取り戻したわたしは、それからしばらく勉強に没頭した。
*
翌日の昼休み。決戦の時である。
わたしはりっちゃんに「落とし物届けてくるね」と、勇ましくちょっぴり嘘を伝え、教室を出てきた。
二年生の教室は全て三階にあるが、八組と一組は端と端だ。生活デザイン科の隣には商業科が四クラス続く。ここまでは問題ない。
商業科は男女比がほぼ一対一で、中学の頃と大して変わらない。リアルが充実している生徒が多そうなイメージだ。眩しい。
教室の前を通るとたまにチラッと見られるものの、気になるほどではない。
廊下を真っ直ぐに突き進み、中央階段を越えた。問題はここからだ。ここから一気に男子の割合が多くなる。
引き返しそうになる足を無理やり動かし、前に進む。……心なしか廊下が狭いような。生徒一人ひとりの体が大きいからなのか、謎の圧迫感がある。
横目で三組の教室をのぞくと、男子が手に持つ紙パックのジュースはやたらと小さく見え、お弁当箱は一人分とは思えぬ大きさだった。なるほど、生デとは全てが違う。
わたしは女子の平均身長だが、やはり男子の迫力には敵わない。みなさま、どうか今だけ縮んでくださいませ。
視線をさまよわせながら祈っていると、どこからか低い声が聞こえてきた。
「生デだ」
「マジじゃん……」
「女クラ珍し」
め、面が割れている……。どうしてわたしが生デだって知ってるの? 工業科は情報通なの?
わたしが彼らくらい生徒に詳しければ、とっくに藤田くんを見つけられていたのに。現実はそう上手くいかない。わたしが工業科で顔を知っているのは、さっき中央階段を降りていったブスの人だけだ。
八組を出発した時にはおろしたてのシャツみたいにシャキッとしていたわたしの精神だが、一組に着いた頃にはよれよれシャツへと変貌を遂げていた。
しかし、よれよれシャツでも負けるわけにはいかない。何と戦っているのかわからなくとも。
勇気を振り絞り、教室の扉付近の席に座っている男子に話しかけた。
「あのぅ、すみません。藤田くんっていますか? 落とし物を拾って」
「ゴ、ゴフォッ……! ふ、藤田?」
すごく驚かせてしまったようだ。そうですよね。お食事中に突然話しかけて申し訳ない。
「藤田ぁ。……呼んでる」
男子が少し大きめの声で呼びかけると、教室内の半数が一斉にこちらを見た。ど、どれが藤田くん?
勢いに圧倒されたわたしは、そろーっと扉の後ろに隠れる。すると開いたままの扉から、ひょこっと男子の顔が出てきた。
――とても穏やかそう。
やや茶色みがかった髪をマッシュカットにしている。レイヤーが入っているからなのか重たく見えない。
両頬と鼻にうっすらと入ったそばかすが顔の印象を柔らかくしている。そばかすがこんなに似合う人、初めて見た。
この人が藤田くん? 愛想よくないって嘘だよね。万物を癒す力持ってそうだよ?
藤田くんの顔を眺めていたところ、あることに気が付いた。なんだか見覚えがあるような……そうだ、ボウリング場でブスの人を追っていった人だ。
「あ、ボウリングの時の」
藤田くんもわたしに対して同じ認識を持っていたようだ。完全な初対面ではないとわかり安心する。少し落ち着きを取り戻したわたしは、早速本題を切り出した。
「あ、あの。パソコン室が使えなくなっちゃったから、返事ができなくて」
遅くなってごめんなさい、と続けたかったのだが――
「返事? ってなんの?」
「え? クラスと名前を」
「え?」
藤田くんは頭の上にハテナマークをつけて首を傾げる。ここまで言ってわからないものだろうか。
「……藤田くん、で、あってますよね?」
「うん、そうだけど」
「パソコン室に、忘れ物をした……」
「ん? それは俺じゃないかも」
人違い? そんな馬鹿な、と思うものの、目の前の藤田くんは表情からして少しもピンときていないようだ。
謝れると思ったのに、会えないなんて。足元がぐらつく感覚に襲われる。
じゃあ、わたしが今まで話してた人って……誰?