04.遠くて近い進路相談
【この前お兄ちゃん家族が家に来たから、甥っ子に作ってた服プレゼントしたよ〜。すぐ着てくれた! 現在二歳です】
【めっちゃ似合ってる。蝶ネクタイも作ったの?】
【シャツ以外は頑張った】
【天才。こんなの作れたら自慢して歩く】
【照れますなぁ。趣味を褒めてもらえると嬉しいね】
予告通り日曜日に家に帰ってきたお兄ちゃんは、ベストとパンツを着用した愛息子を必死に写真に収めていた。無茶な体勢をとったせいで翌日体が悲鳴をあげたそうだ。自業自得だと思う。
お兄ちゃんに対しては冷静なわたしだが、負けず劣らずシャッターボタンを押していたから正真正銘の叔母バカなのだろう。仕方がない。我が甥っ子は愛くるしいのだ。
藤田くんへの完成報告が終わったところで、さらっと次の話題に移るのだろうなと思っていた。しかし――
【前も趣味で作ってるって言ってたけど、それって甥っ子の服限定の話? それとも服を作ること自体?】
予想外に藤田くんは、痛いところをついてきた。
キーボードを打つ手が止まる。しばらく考えて、
【どっちだろうね。よくわからなくて】
絞り出すように入力した。
次の返信は、休み時間に読むべきではないような気がする。そう感じたわたしは放課後にパソコン室を借り、藤田くんからの返信を読んだ。
【俺には本気で好きで作ってるようにしか見えないんだけど、仕事にしたいんじゃないの? 趣味って言葉使って我慢してない?】
――ほら、やっぱり。会ったこともないのに。向こうはわたしの名前すら知らないのに。なんでわかっちゃうんだろうなぁ。しかもはっきり聞いちゃうし。
誰よりも遠くて近い藤田くんは、わたしよりわたしの本音を知っている。
くだらないって思われるかもしれないけど、話していいかなぁ。
悩み、と言ってもいいのかわからないほどのモヤモヤを、ゆっくりと打ち込んでいく。
【パターンを引くことは大好きだし、縫うのも好き。多分これ以上興味が湧くことってないと思う。でもさ、アパレル業界ってそんなにお給料よくないらしいし、流行に左右される世界に飛び込んで、好きってだけで生きていけるのかが不安なの】
それに加えて、わたしの家族はわたしと違う。
父は市役所、母は保険会社に勤めており、兄は銀行員で姉は大学に通っている。物心ついた頃には、当然わたしもそういう道を進むのだろうと思っていた。だから家族に心配されない程度に勉強にも取り組んできた。
だが自分の欲望を見つめる度に、何かが違うと引っかかる。
【高校までならまだ取り返しがつくかなと思って、服の勉強ができる学科を選んだの。でも、これからどうするべきなのかわからなくて】
幅広く勉強したいのではない。なんでもできる人間になりたいのではない。好きなものを極めたいのだ。
そうなるとわたしには専門学校の方が向いているのではないかと思ってしまうのだが、なんだか一人だけ家族と違う道を選んでいるようで、裏切っているようで、申し訳ない。
計画通りの道を進むことができたら。周りと同じ感性で生きられたなら、どれだけ息がしやすかっただろう。
まとまりのない愚痴を書き連ねた文だったにも関わらず、藤田くんからの返事は早かった。
【考えてること、家族にも話した方がいいと思う。誰も本心に気付いてないかもしれないし、もし反対されても今からなら説得できる可能性もある。給料とかももちろん大事だけど、それ以上にやりたいことから目を背ける生き方はしんどいと思う。授業以外にもこれだけ頑張れる熱量があるんだから、相談せずに我慢するのはもったいないよ】
読み進めながら、これから何十年も続く人生を想像してみる。
好きなことを仕事にするのと、堅実な道を選ぶのと。どちらも間違えてはいないのだろう。問題なのは、わたしが一人で考え、選択肢を勝手に捨てようとしていたことだ。
【あと、これは個人的な気持ちだから知っておいてほしいだけなんだけど】
そう前置きをしてくれるところが、藤田くんの優しさなのかもしれない。あくまでもわたしの意見を尊重しようとしてくれているのだと伝わってきた。
【俺は製図好きとして、同志だと思ってる。他の人からは変わってるって言われるのかもしれないけど、そこがいいところなのになって思う。だから一緒に好きなことを頑張りたい。諦めてほしくない】
――同志。
初めて言われたこの言葉が、これほどむず痒くて嬉しいものだとは知らなかった。唇を噛んで、画面を見つめる。
認めてくれる人がいるって、幸せなことなんだね。
【ありがとう、話してみる。終わったら絶対、報告するから】
*
土曜日の朝。わたしは朝食の後片付けをしながら、お母さんの動きを目で追っていた。
洗濯物はさっき干していたし、掃除機をかけるにはまだ早いはず。台所はわたしが拭いてるからもう綺麗だし、きっとそろそろ座る……きた。
「お、お母さん」
椅子に座った直後に声をかけると、お母さんは顔をこちらに向けた。
「ん? 台所洗剤なら下の棚に詰め替え用があるよ」
「消耗品の補充感謝。……じゃなくて。えーと、……何か飲む?」
「コーヒーがいい〜」
「ホットでいい?」
「うん」
「お任せあれ〜」
……違う違う、違うのよ。のどかな朝を満喫したいわけじゃないの。それも大切な時間だけどさ、今日はもう少しピシッとしたいというか。
顔を顰めながらコーヒーを二人分カップに注ぐ。自分のソーサーにはスプーンとミルク、スティックシュガーも乗せた。
このままだとほぼ確実に、お母さんは朝のテレビタイムに入ってしまう。えーい、阻止だ。女は度胸だ。
――コトッ。
コーヒーをテーブルに置き、お母さんの正面の椅子を引く。
「実は、進路希望調査を書かねばならぬのです」
「あ! そうそうそれそれ!」
わたしが座るより前に、お母さんが勢いよく立ち上がった。ちょいとマミー。淹れたてのコーヒーがこぼれたらどうするんだい。
揺れるコーヒーに『耐えろ、耐えてくれ』と目力を送る。
「見てほしいものがあるのよ〜」
「しばしお待ちを」とわたしに背を向けたお母さんは、別の部屋に向かったようだ。クローゼットを開ける音が聞こえる。慌ただしく戻ってきたかと思えば、両腕で雑誌のようなものを大量に抱えていた。
大学の資料なら、わたしもそれなりに持っているのだが。
「これ見て〜」
どさっと机に置かれたものを見て、わたしは目を疑った。どう見ても、服飾の専門学校の資料だったからだ。
「なんで……?」
お母さんが資料を集めているのだろうか。
「え? 琴葉一年生の時から大学しか希望に書いてないから、専門学校知らないのかと思って」
「……一応、知ってる」
なんてこった。無知な娘だと思われていたようだ。
二人揃って席に着く。お母さんは早速コーヒーに口を付けたが、わたしはお母さんと資料に視線を奪われていた。
「大学……行かなくてもいいの?」
「専門学校の方が集中して服の勉強できるんでしょ?」
「アパレル、不安定かもよ? お母さんたちみたいに立派になれないかも」
小さな声で弱音を吐くと、お母さんはわたしの不安を吹き飛ばすようにケラケラと笑いだした。
「お母さんが立派だったことなんて、一回もないよ」
意外な言葉だった。そんなはずはない。お母さんが仕事を頑張っている姿を、わたしはずっと見てきたのだから。そう目で訴えると、お母さんはもう一度コーヒーを口に含んだ。
「お父さんのことはわからないけど、お母さんね、今の琴葉くらいの歳の時……いや、大学に通ってる時もか。やりたいことが一つもなかったのよ。翔ちゃんも同じ。自分が何をしたいのかわからなくて迷子みたいな気分だった。大学を選んだのは、就職先を狭めないため」
初めて聞く、お母さんとお兄ちゃんの青春時代の話。
「大学を選んだことは後悔してないけど、いつまでたっても夢中になれるものはなかった。それが結構悩みの種だったの。……だからね、琴葉」
なんだ。不安の中をさまよってきたのは、わたしだけじゃないのか。
「琴葉みたいに好きで好きで仕方がなくて、『自分にはこれしかない!』って思えることがあるのって、すっごく格好いいよ」
「……うん」
「人生一度きりだもん。お母さんは琴葉に立派になってほしいんじゃなくて、幸せになってほしい。翔ちゃんもこの前帰ってきた時に言ってたよ。『琴葉はこんなに可愛い服を作れるくらい真剣に向き合ってるんだから、応援してやって』って。奏多に作ってあげた服、相当嬉しかったんだろうね」
「ま、翔ちゃんに言われなくても応援する気満々だったけど!」と、お母さんは机に資料を広げた。
「いっぱい取り寄せたから、これから一緒に考えよう!」
あまり顔を見られたくなくて、わたしは何度も頷いて答えた。湯気が出なくなったコーヒーに口を付ける。
「……苦」
わたしにはまだ、ブラックコーヒーは早かったようだ。