30.お願いごとは耳打ちで
ついに体育祭当日。好天に恵まれ、過ごしやすい陽気である。
緑ブロックの応援係用に張られたタープテントにて、わたしは真剣に筆を動かしていた。キャンバスは梅村くんの眩い顔面である。
「――でね、最終的にうちのクラス総出で青ブロックのスカートにホック付けしたの」
緑色で描いた鱗をゴールドのラメで縁取っていると、キャンバスの土台が手を上げた。喋りますの合図である。
「衣装間に合ったの?」
「ギリギリセーフ。青ブロックのチアも可愛いよ」
「西さんが頑張ってたの知ってるから衣装には興味あるけど、西さん以外が何着ててもどうでもいいかな」
「さ、左様でございますか」
冷たいのか激甘なのか判断が難しい台詞に、わたしはモジモジしてしまう。だが過去の発言を思い出し、疑問をぶつけた。
「パソコン室に行った時、女子と話さないって決め事をやめようか悩んでたよね? わたし以外の女子にも歩み寄ろうとしてたんじゃないの?」
「あれは……『やめた』って言えば、西さんが学校でも相手してくれるかなと思って悩んでただけだよ」
わたしと人前で話したかったから?
他の女子と親しくなりたいがゆえの悩みだと思っていたが、違ったらしい。それなのに、わたしときたら。
「梅村くんが女子と話すようになったらわたし以外にも笑顔を向けちゃうと思って、嫌だなとか言っちゃった。心狭過ぎる……」
激しい後悔に襲われる。言った瞬間も後悔したから二度目である。
正しい意味を確認していたら、勝手に勘違いして空回ることもなかったのに。
「そんな可愛い心配しなくても、俺は西さん相手じゃないとこんなに笑ったりできないから」
「本当? わたし以外のツボ見つけてない?」
「見つけてないし、見つける気もない」
「へへっ、そっかぁ」
断言してもらえて嬉しくなる。わたしの場合、ごちゃごちゃ考えずに直接聞いた方がいいみたいだ。
へらっと笑みを浮かべ、鱗の縁取りを仕上げる。よし、完成。いい出来だ。本人の魅力と学ランの力も合わさり、格好よくて倒れる人が出るかもしれない。
梅村くんに鏡を見てもらおうと思い、筆をペイントセットの上に置く。すると横から肩を掴まれた。隣でペイントをしていたりっちゃんである。
「こんなに態度に出してくる男の、どこに不安を感じてたわけ?」
わたしと梅村くんのやり取りを最初から聞いていた彼女は、今にも口から冷気を出しそうだ。
りっちゃんがペイントを担当した一組の男子が、「よかったな」とでも言いたそうな菩薩顔で梅村くんを眺めている。
「いやっ、梅村くんは他の人にも、笑うと、思ってたし」
「こんなにわかりやすいのに?」
「同志として好かれてるのか恋愛対象として好かれてるのか、わからなかったし」
「こんなにわかりやすいのに?」
「わたしから離れたがってるんだと、誤解してて」
「こんなにわかりやすいのに?」
「……律花さま」
「私の心配を返せ」
「ごめんなしゃい」
そうだよね、りっちゃんには迷惑かけっぱなしだったよね。躾のなってない大型犬の三日ぶりの散歩くらい振り回した自覚があります。
「石丸先輩のことはどうなったの? 琴葉普通に仲良いままだよね?」
「実は――」
「西ちゃーん!」
噂をすれば、石丸先輩が女子のエリアから応援用のポンポンを持って駆けてきた。
衣装と小物、揺れるポニーテール、フェイスペイントまで完全装備の先輩を視界に入れるなり、わたしは「きゃああっ」と歓喜の声をあげた。
「西ちゃんどう? 似合ってる?」
「とっても似合ってます。美しいです。スカートの丈も完璧です!」
「西ちゃんがこだわってくれたからだよ〜!」
くるりとターンした先輩は、今日も弾けるような笑顔を向けてくれる。やはり綺麗だ。衣装が喜んでいる。
先輩はりっちゃんや他の応援係と少し会話し、梅村くんに呼びかけた。わたしを後ろから抱きしめて――
「上手くいったからって、西ちゃんが自分だけのものだと思わないように。私のお気に入りを傷つけたら許さないからね」
と、割と本気のトーンで告げ、女子のエリアに戻っていった。
即座にりっちゃんが寄ってくる。
「……どういうこと?」
どこから話せばよいのやら。
梅村くんと石丸先輩から聞いた情報をまとめてみる。
「石丸先輩は、最初の自己紹介の時からわたしを気に入ってくれてたらしいの。『応援係が一番素敵に見える衣装を作ります』って言ったのが、なぜか刺さったみたいで」
「まあ、どう見ても琴葉はお気に入りだよね」
そう見えるんだ。誰にでもスペシャル対応なのだと思っていた。もっと感謝しないと。
「それで応援係の練習の時にも、わたしの話を何度もしてたみたいなの」
「……読めてきた」
「梅村くんは、その、練習が始まった時には」
「すでに琴葉のことが気になっていた、または好きだったから?」
「……わたしが話題に出る時だけ、先輩の話を近くで聞いていたようでして」
「口に出してないだけで態度に出しすぎなんだって。それであれだ、ファンサービス」
りっちゃんは探偵志望なのだろうか。推理が捗っている。よっ、クック探偵律花。なんて言ったら怒られそうだからやめておこう。
「応援練習で梅村くんが笑ったの、わたしに向けてだったらしくて」
「知ってる知ってる」
「なんで……?」
「理由なんてない。わかるもんはわかる。だから先輩も確信したわけね。梅村が琴葉のこと好きだって」
ご明察。石丸先輩はわたしを好いてくれているため、そのわたしに惹かれている梅村くんに対し、「いいじゃん。女子避けてるくせに見る目あるじゃん」という感想を持ったらしい。
「じゃあ梅村が先輩に笑顔を向けてたっていうのは」
「本人は自覚ないみたいだけど、おそらく先輩がわたしの話をしていたから、だと思われます」
「ですよねぇ」
要するに、最初から最後までわたしの勘違いだったのだ。己の洞察力のなさに涙が出そう。
りっちゃんへの説明を終えたところで、ペイントの道具を片付ける。辺りを見回すと、応援係が和気あいあいと写真を撮っていた。
チアの衣装を着こなし、ポンポンを鳴らす女子たち。その姿をチラチラ見ている学ラン姿の男子たち。応援合戦がもうすぐなのだと実感が湧き、自分が出るわけではないのに気分が高揚してくる。
「朗報だよ〜」
再び石丸先輩の声が聞こえた。今度は立川先輩と連れ立って来たようだ。団長と副団長が揃って、何があったのだろう。
言葉の続きを待っていると、二人はわたしの前で足を止めた。
「どうしたんですか?」
「それがね〜」
「それがな」
踊り出しそうな石丸先輩に被せ、珍しく神妙な顔つきの立川先輩が口を開いた。
「青ブロックから自己申告があった。青ブロックの衣装は、本来なら間に合ってなかったって」
「え……」
そんなことを言ったら減点されてしまうのではなかろうか。これのどこが朗報なのだろう。わたしは他ブロックが減点されても嬉しくない。衣装係は縫製に慣れない中、あんなに頑張っていたのに。
「実のところ他のブロックもみんな気付いてたんだよ。生デがいない分、青ブロックの衣装が遅れてるって」
家庭科系の先生も協力していたから申告しなくとも結局バレていたのだろうが、残念でならない。人前であることも忘れ、ついシュンとしてしまう。
「そんな中、手を差し伸べたのは緑ブロックのお人好しだけだったんだなー、これが。……そこでだ、西ちゃん」
言葉を止めた立川先輩が、神妙な顔を投げ捨て、満面の笑みを浮かべた。
「衣装の手伝い頑張ってくれたから、緑ブロックに特別ボーナス! 助っ人得点入るって!」
「ええっ!?」
そんな得点、初めて聞いた。
「本当ですか? 青ブロックは」
「減点はなし。俺たちにボーナスがつくだけ」
「わあっ!」
それなら嬉しい。テント内の生徒たちも喜んでいる。
興奮したまま隣を見ると、梅村くんが両手のひらをこちらに向ける。目元にほんのり笑みを乗せて。
わたしは柳くんにも負けず劣らずの犬っぷりを見せ、大はしゃぎで梅村くんの手にハイタッチした。続いてりっちゃん、石丸先輩の順にハイタッチ。
「おうおうイチャつくねぇ。まさか女子断絶野郎の梅を落とすのが西ちゃんとは」
呼ばれ方が酷い。ニンマリする立川先輩に、梅村くんが真顔で抗議した。
「俺があの手この手を使って西さんを落としたんです」
……しーん…………。
梅村くんや。冗談ならもう少しにこやかにお願いできないだろうか。
言った本人は涼しい顔をしているのだが、隣のわたしは顔から火が出そうである。なんともいたたまれない、この空気。
のぼせ上がりそうなわたしを見かねたのか、立川先輩が空気を壊してくれた。
「ボーナスも入ったし、あとはスポーツマンシップに則って暴れるのみ! まずは応援合戦を制す。梅! 西ちゃんを保健室に連れて行った時くらいデカい声出せよ。お前は目立つ」
「あの声量は自分でも驚いたので無理です」
「そこをなんとか」
「先輩が西さんに触らないって約束してくれるなら努力します。あと西ちゃん呼びも嫌です」
「今更西さんって呼べと? それとも西?」
「梅村の彼女って呼んでください」
「お前、その嫉妬心を今までどこに封印していた?」
わたしも同じことを考えていました。
でも立川先輩と話す時はこんな感じなんだ、とか、先輩より身長が高いのに可愛く見えるのはなぜだろう、とか、思考が浮かれているのも事実で。
「梅の彼女は影の功労者なんだから、彼氏にお願い事でも聞いてもらえよ〜」
そんなことを言われたら、ちょっぴり期待してしまう。お願い、か。
わたしが黙り込んだのを不思議に思ったのか、梅村くんが首を傾げた。
「俺にしてほしいこと、ある?」
「えー……っと」
あるには、ある。しかしみんなに聞かれるのは困る。
小さく手招きすると、梅村くんは屈んで顔を寄せてくれた。それだけで女子が沸き立ち、男子はニマニマする。覚悟していたけれど、梅村くんの一挙一動は相当注目されているようだ。
近づいた彼にそっと耳打ちをする。
「……それ、俺へのご褒美じゃない?」
手で口元を覆った梅村くんに「できそう?」と尋ねてみると「嬉しくてにやける」と返ってきた。
グラウンドにアナウンスが響き渡り、応援係の集合がかかる。
「じゃあわたしもりっちゃんと応援席に行こうかな。応援合戦がんばってね」
手を振ろうとしたところ、その手を梅村くんに握られた。指と指が深く絡まり、にぎにぎにぎ。
「ペイントしてくれてありがとう。俺だけ見ててね――琴葉ちゃん」
誰かが囃し立てるような口笛を吹いた。
お願いしたのは自分なのに、想像以上の威力で照れてしまう。屈託のない笑みを向けてくれる彼に、わたしは熱い顔で頷いた。
手が離れても、大好きな感触が残っている。
――同志と呼んでくれたあの日から、蒼士くんしか見てないよ。
遠くなっていく彼の背中に、こっそり告げる。
恥ずかしがらずに名前を呼べるのは、今日の帰り道だろうか。明日の朝だろうか。
いつになるかはわからないけれど、時間がかかっても大丈夫。呼ぶチャンスなら何度でも訪れる。
わたしたちはもう、他人ではないのだから。
《おわり》
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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それでは、また。