21.ごちそうさまでした
自分の心を理解した。
梅村くんは文通の頃から、わたしの中に焼きついていたのだ。じりじりと、それでいて、強烈に。
認めた途端に世界が変わって見える。今なら地球がハート型になったと言われても疑わない。
要するに、頭のネジが少々緩んでいる。
その証拠にわたしは今朝、これまで梅村くんと交わしてきたメッセージを全て読み返した。正しくは、今朝も読み返した。昨晩ベッドに入ってからも読み返したから、きっと今晩も読み返してしまうだろう。
内容を思い出すだけで自然と口角が上がり、時にはスマホを抱きしめたくなる。ただの連絡手段だったはずのメッセージアプリが、今では大切な宝物だ。
午前中の授業を終えてお昼休憩に入ると、わたしは机の上にお弁当を広げた。スマホを手に取り、ロックを解除する。
梅村くんから連絡きてないかな。『今日の唐揚げは大きい』とか『授業中にシャー芯折れた』とか、そんな話題でいいんだけど。
期待を胸にスマホを確認すると、梅村くんではなく柳くんからメッセージが届いていた。謝罪文が完成したのだろうか。そう思い、内容を確かめる。
【緊急事態発生】
なんとも不穏な響き。状況が理解できないため、返事を打とうとすると――
「琴葉、五組の柳と付き合ってるって本当!?」
これか、緊急事態。
購買から帰ってきたりっちゃんが詰め寄ってきた。買ったばかりであろうクリームパンが握りつぶされ、袋の中に惨劇を生み出している。
「いいえ、付き合っていません」
「何日か前に一緒に帰ってたって」
「青ブロックを手伝った後に下駄箱で遭遇して、家の方向が同じだったから帰っただけです」
「それだけじゃないんだって。琴葉の地元辺りのファミレスと公園で、二人を見かけたって人が」
「……見られてたか」
「いたの!? 二人で!?」
「いたけどさぁ。そんな場面見たからって、わざわざ学校で話題にしなくても――」
ここでわたしは思い出した。そうだ、柳くんはモテるのだ。わたしの前ではヘタレだから忘れていた。今は彼女がいないから注目されてしまったのだろう。
「とにかく付き合ってないの。信じてください」
「琴葉がそう言うなら信じるけど。私は琴葉の情報を他人から聞くの、嫌だからね」
「柳くんと知り合いだって言えてなくてごめんね……訳ありなんです」
友達から隠し事されるの嫌だよね。詳しく話せず申し訳ない。
「どうせ柳のことを考えた結果話せないとか、そういうのでしょ?」
「色々と、複雑でして」
「じゃあいいよ。さっき購買行った時に食堂の中が見えたんだけど、柳、商業科からインタビューされてたよ」
だから短文しか打てなかったのか。
梅村くんと外出しても気付くのは柳くんだけだったというのに、なぜ柳くん相手だと広まってしまうのだろう。照れる、恥ずかしい、といったような感情が微塵も湧いてこない。……待てよ? 広まっているということは。
ここに来てことの重大さに背筋が凍った。
「食堂って、工業科の人いた?」
「ん? そりゃあ何人かはいるんじゃない?」
梅村くんはお弁当派のはずだ。しかし一組の誰かが食堂を利用し、柳くんのインタビューを聞いていた場合、情報が梅村くんの耳に入る可能性がある。
『無理』という単語で脳内が埋め尽くされた。
現段階で梅村くんが柳くんをどう思っているのかまではわからない。けれども疎遠になった元親友と同志が付き合ったと聞いた場合、いい気がしないのは明らかだ。
同志と付き合っているのなら、と、元親友と仲直りしようとする?
いいや、裏切り者の同志を捨てるに決まっている。
わたしは糸くずのように梅村くんに摘み上げられ、あっけなくゴミ箱に向かうのだ。
はい、無理。梅村くんに冷たくされるのは無理です。こうなったら噂を消すか柳くんを消すかの二択である。
そもそも柳くんはインタビューで何を聞かれ、何を答えたのだろうか。
疑問を解消すべく、大急ぎでメッセージを送った。
【柳くん何聞かれたの?】
彼はスマホを見れる状態ではないかもしれない。だがそうであったとしても回答がほしい。早く返せ早く返せ早く早く早く早く。
焦りから再度メッセージを送ろうとした時だった。
「西さん集合」
本人の声が聞こえた。ぎょっとして後ろ側の扉を見ると、残念ながら柳くんが手を振っている。
「……スマホを使っていただけないでしょうか」
「直接話した方が早いじゃん」
「ソウダネ。りっちゃん、先にお昼食べててね」
それだけ言い残したわたしは、ふらふらと立ち上がり廊下に出た。クラスメイトから送られてくるやかましい視線は気付かなかったことにしよう。
「よく生デに男子一人で来れたね」
「いや、さすがに女クラは気まずいっす」
「じゃあ来ないでよお」
わたしだって気まずいんだから。ガックリと肩落とし、不機嫌な顔で柳くんを見上げる。
「食堂でインタビューされたんだってね」
「耳が早いな」
「なんでそんなに余裕なの……。わたしたちが付き合ってるって梅村くんに誤解されたら、柳くんのこと嫌いになりそう……」
「あいつが人の噂を気にするわけないじゃん。どうせ聞いてないって。工業科は男ばっかりなんだから誰が付き合ってるとか興味ないだろうし」
「知らないの? 工業科は情報通なんだよ? それに商業科の人に勘違いされるのも嫌だ」
噂の相手が梅村くんだったら全細胞からスタンディングオベーションが起こる(梅村くんには被害が及ばないものとする)が、柳くんは本気で嫌だ。
「ちゃんとみんなに付き合ってないって説明した?」
「ばっちり。『西さんとは互いの弱みを握り合っている仲です』って言っといた」
「別の意味でネタにされそう。……とりあえず、もう会うのはやめよう」
「え? ムリムリ。まだ謝罪文送ってないんだよ? 俺を見捨てる気?」
ぐうっ。と喉から変な音が出た。心の底から会うのをやめたいが、一度引き受けたことを中途半端な状態で放り出すのは良心が痛む。
「じゃあせめて、今日で謝罪文は終わらせよう」
「送るってこと?」
情けなく眉尻を下げた柳くんに向かって、わたしは深く頷いた。
「ほとんど書き終わってるでしょ? 完成するまでわたしも付き合うから。今日送らないなら、もう応援できない」
「……わかった。送る」
「頑張ろうね。時間ずらして学校出て、前行ったファミレスに現地集合しよう。梅村くんからの返事次第で今後の流れを決めるってことで」
「了解」
「あと、相談したいことがあるんだけど――」
柳くんと解散した後、わたしはりっちゃんに柳くんとの関係を説明した。梅村くんの名前は出せなかったが、りっちゃんは納得してくれた。
「私に話してよかったの?」
「さっき柳くんに許可もらったから」
彼に相談したところ、梅村くんに迷惑がかからない伝え方をするならば友達に話してもいいと言われた。
「りっちゃん隠し事されるの嫌でしょ? まだ言えてないことも、あるんだけど」
ごめんねと謝ると、りっちゃんがぺちゃんこのクリームパンを差し出してきた。
「言えてないことって……柳が喧嘩した相手のこと?」
わたしは肯定し、クリームパンにかぶりついた。口内が幸せの味で満たされる。ゆっくりと咀嚼した後、お弁当に視線を向けた。
ミートボールに刺さった王冠型のピックを摘み、りっちゃんに差し出す。食べ合わせなんて無視だ。
「わたしね、その人のことが好きなの」
ミートボールに食らいついたりっちゃんが瞠目する。
心を告げるなら、最初はりっちゃんがいいと思った。
「すっごくね、好きなの」
裸になったピックをそそくさとお弁当箱にしまう。視線を下げたまま卵焼きを食べ、ポテトサラダを食べ、鮭を食べ、ごはんを食べ……とうとうお弁当箱が空になった。
両手を合わせたタイミングでりっちゃんに視線を向ける。すると彼女もこちらを見て手を合わせた。
しばしの沈黙の後、二人して不気味な笑い声を漏らし、頭を下げた。
「……ふ、ふふっ。んふふふふっ。ごちそうさまでした――」