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20.ひりひり、ではなくて

 昨日は柳くんのせいで酷く疲れた。


 りっちゃん曰く本日のわたしは、『何度もやり直してやっと綺麗に縫えたと思ったのに、裏っ返したら縫ってはいけない部分まで挟んでしまっていた時の生デ』の顔らしい。身の毛もよだつ例えはやめていただきたい。


 そんな顔のまま午前の通常授業を受け、午後は体育祭の準備でスラックスの丈直しを行い、現在放課後。

 クリーム色のタイルと植物によって一見安らぎを与えそうな我が校の中庭には、鼻を刺激するシンナー臭が漂っている。


「琴葉、休憩交代」

「はーい。この鱗だけ終わらせちゃうね」


 体操着姿のわたしはりっちゃんに返事をし、緑色のペンキをたっぷりとハケに含ませた。狙いを定め、ベニヤ板製の看板に塗りたくる。べチャリ。


 看板に描かれた巨大な龍は、今年の緑ブロックのシンボルである。すでに大半を塗り終えているし、この調子なら本番までに間に合うだろう。

 下書きの線に沿って丁寧にハケを動かし、一枚の鱗を塗り終えた。


「飲み物買ってくる」


 そう伝えて中庭を去り、わたしは校舎裏の自動販売機にやってきた。普段はあまり利用しないのだが、飲み物の種類が豊富で穴場かもしれない。


 麦茶を購入し喉を潤していると、梅村くんがこちらに向かってきた。応援係も休憩中のようだ。


『蒼士にめちゃくちゃ惚れてるんだなって』


 柳くんの声が脳内でリプレイされ、誤魔化すようにペットボトルを握った。そりゃあ同志なんだから、好きに決まってるじゃん。変な言い方しないでよね。


 わたしは「お疲れさま」と小声で梅村くんを労い、周辺を注意深く見回す。


「誰もいないよ」


 梅村くんはそう言って微笑むと、自動販売機で水を買った。わたしの正面に立ち、大きな手でペットボトルのキャップを開ける。


「今日は看板係手伝ってるの?」

「スラックスの丈直しが予定より早く終わったから帰ろうとしてたんだけど、色塗り頼まれちゃって」

「西さんってよく頼まれるよね」

「時間空いてる時しか手伝ってないけどね」


 水を一口飲んだ梅村くんが、視線を数秒間地面に落とした。何を思ったのか二歩動き、わたしの右隣に移動する。


「買い出しの日は青ブロック手伝ってたんでしょ?」

「あれはね、まりちゃん先生依頼」

「楽しかった?」


 梅村くんのことを考えてヤケ縫いしました、とは言えず。


「カーブ縫うのは楽しかったかな」

「そうなんだ。俺は西さんがいなかったから、買い出し全然楽しくなかったよ」

「え……」


 どうにも腑に落ちなかった。わたしが行かなかったのは事実だが、その件について責められるいわれはない。


「梅村くんが来るなって言ったんじゃん」

「そんなこと言って……ないことは、ないけど。他のブロックに行っちゃうとは思わなかったし」

「やっぱりアレ、来るなって意味だったんだ……」


 棘のある文面だったもんね。伝わっておりましたとも。本人の証言により意味が確定してしまい、ショックを受ける。

 そんなにわたしと出かけたくなかったのかな。次の言葉を聞くのが怖い。


「だって西さん、男多いの苦手でしょ」

「男?」


 予想外の返しに目を瞬かせる。


「前に西さんの友達が言ってたから」

「誰だろ」

「よく話に出てくる、内側が刈り上げの」

「りっちゃんか。なんて言ってたの?」

「西さんは男の群れが苦手だって」


 記憶を呼び起こすと、そんな発言があった気がする。りっちゃんが立川先輩の手を叩き落とした時だ。


「係の集まりでも、男子の集団が近づいてきたら女子の方に行っちゃうし」


 それは無意識ですね。


「昨日一組に来てくれた時も顔が強張ってたし。あれって男ばっかりだからでしょ」


 確かに工業科に乗り込むのはかなり気合いが必要なのだが、それを隠せていなかったとは。自分の表情筋が素直で辛い。梅村くんがわたしの方を見ていたことに気付けなかったのも辛い。


「だから男子が多いところに行くのは、西さんの負担になるだろうなと思って。遠回しに来ないように言った」

「……そういう意味かぁ」

「なんだと思ってたの」

「看板係の男子がほとんど来る、とか書いてたから、てっきり人手は足りてるから貴様は必要ないって言われたのかと」

「泣きたくなるくらい伝わってないじゃん」


 文章って難しい。


「でもあれは、俺の書き方が感じ悪かったね。ごめん」

「いや、こちらこそ梅村くんの配慮に気付かず、とんだ勘違いを。ごめんね。買い出しが楽しそうだなっていう方に夢中で、男子が多いとか頭になかった」


 気をつかってくれた梅村くんとは対照的に、あの朝のわたしは邪な気持ちに支配され、能天気な思考だったのだ。


「どうしてそんなに買い出しに前向きだったの? ゲーセン行きたかった?」

「あ、いや、違う」


 そうではなく。


「梅村くんと制服で出かけられるのって、レアだから」


 もうこんな機会はないかもしれないな、と思ったら、居ても立っても居られなかったというか。

 買い出しやゲーセンはどうでもよくて、図書館でも駄菓子屋でも駅のホームでも構わないから。


「どこでもいいから、制服姿の梅村くんと、行きたかったの」


 もちろんこんな願望は胸の内に秘めておきますけどね。と、そこまで考えた時、梅村くんの様子がおかしいと気が付いた。


「それ、は」


 絞り出したような彼の声に、血の気が引いていく。


「……わたし、声に出してた?」


 どうしよう。梅村くんがものすごく驚いた顔をしている。どこからどこまで喋ってしまったのだろう。

 あわよくば全てモノローグに変更したいのだが、こぼした本音は、取り消せない。


「梅村くん、ごめ――」

「それは、さすがに」


 言葉を止めた梅村くんが、片手で顔を覆い空を仰いだ。


「さすがに気持ち悪いよね! ごめん! 変なこと考えて本当にごめん!」


 お願いだから引かないでください。できれば巻き戻しボタンをください。


「お前なんか制服着た定規と出かけてろって感じだよね。いや定規はわたしにはもったいないくらい素晴らしい仕事をしてくれるんだけど。危険が迫ってきたら武器にもなってくれそうだし優秀なんだけど」


 なぜわたしは自動販売機の前で定規の宣伝をしているのか。やるなら文房具屋だろうに。


「わたし余計なことばっかり口走っちゃうから、もうそろそろ口を縫い留めた方がいいかもしれない」

「西さんが縫い留めても、俺がほどくよ」

「ゆ、許してくれるの?」

「最初から怒ってない」

(おこ)村くんじゃない?」

「怒村じゃないよ。西さんが制服で出かけたかった梅村だよ」

「お願い忘れて」

「くっ、ははっ。それは無理」


 怒られるよりはマシだが、笑われるのも別の意味で辛いものがある。今の逃げ足の速さならば、五十メートル走の自己新記録を叩き出せそうだ。

 全速力で走る自分を想像し、気恥ずかしさを紛らわせる。


 麦茶のキャップを開けては閉じ、開けては閉じ。この瞬間、世界で最も無意味な動きを繰り返した。

 しばらくして――


「あー、笑った」


 ひとしきり肩を揺らした梅村くんが、ふうっと息を吐く。しばしの間思案顔をしたかと思えば、「話したくないことだったら無理には聞かないんだけど」と前置きをした。


「どうして男の群れが苦手なの?」

「あー……。中学二年生の文化祭の時にね、先輩数人に囲まれて、ノリで公開告白みたいなことをされたの」

「先輩って、知り合い?」


 わたしは「ううん」と首を横に振る。

 顔も名前も知らないような、縁の薄い先輩たちだった。


「多分先輩たちに悪気はなかったんだよ? 面白半分で『コイツと付き合ってやってよ、ギャハハ』みたいな感じだったし、誰でもよかったんだと思う。……でも、申し訳ないことに気持ち悪く感じちゃって」


 心がこもってない告白も、あの場の雰囲気も、興味本位で見ている人たちも、上手く流せない自分も、全てが気持ち悪く思えた。


 簡単に言えば、中学生の頃のわたしは、あのノリに耐えられなかったのだ。


「恥ずかしいんだけど、全然余裕がなかったの。頭が固くて。今となっては変に構えずに、もっと乗ってあげたらよかったなぁ、て思うんだけど」

「乗らなくていい」


 梅村くんがピシャリと言った。


「乗らなくていいよ、そんなの」

「……うん」

「中学生の頃の西さんは間違えてないよ」

「そうかな」

「そうだよ。傷ついたのは、西さんなんだから」


 梅村くんの言葉のおかげで、わたしの中にあった小さな小さな後ろめたさが、消えていく。


 ふとした瞬間、過去を思い出しては考えてきた。

 もっと上手く切り抜けられたかもしれない。空気を悪くせずに断れたかも知れない。笑って対応できたかもしれない、と。

 でもそんな風に考えなくてもよかったのだ。


「わたし、このままでもいいのかな」

「そのままがいいよ」


 惨めで悔しくて悲しいと、一人で泣いたあの日のことを、認めてあげるだけで充分だった。


「男の群れを見かけた時は俺に隠れたらいいし」

「ふふっ。梅村くんを盾にするの?」

「全身すっぽり隠れられて安心でしょ。女子も近寄ってこなくなるけど」

「それは困りますなぁ」


 梅村くんの場合は女子が近寄ってこないのではなく、女子を跳ね除けているというのが正しい。けれども彼は、わたしを笑わせるために言ってくれているのだ。これが彼の優しさなのだ。


「前から梅村くんには、励ましてもらってばっかりだねぇ。進路のことも、今の話のことも」

「俺だってトラウマの話聞いてもらったじゃん」

「わたしのとは何かが違うんだよね。梅村くんは女子の集団相手でも、話そうと思えば話せるわけだし」


 悩みは人それぞれだと理解しているものの、こうも自分だけ格好悪いと不公平に感じてくる。梅村くんの弱点が知りたい。


「お兄さん、何か恥ずかしい話を持っていないかい?」

「西さんがまた変なこと言い出した。……あー、でもあるね。恥ずかしい話」

「本当? ぜひ教えてくださいな」

「内緒にしてくれる?」

「もちろんです」


 口の硬さには自信があるのだ。秘密の共有に、わたしは胸を高鳴らせた。


「さっきね。西さんが制服で出かけたかったって言った時」

「だあーっ! あれはもう忘れてって」

「『さすがに可愛すぎる』って言いそうだった」


 予想とは方向性の異なる暴露に、わたしの思考は一時停止した。


「かわ、いい」

「うん、可愛い。恥ずかしいでしょ」

「わたしが、ね」

「俺の話なのに? 目を離した隙に他のブロックと仲良くなっちゃうんだったら、引っ張って買い出しに連れて行けばよかった」


「失敗した」と呟いた梅村くんの指が、わたしの頬の高い位置をかすめた。


「ほっぺた赤くなってるけど、ひりひりしてない?」

「う、うん。最近そんなに、暑くないから」

「涼しい日が多くなったよね」


 呼吸の仕方を、忘れてしまった。

 どこを見たらいいのかわからなくて、梅村くんの指先を追いかける。暑くないなんて大嘘だった。熱の逃し方が、わからない。


 今度こそ逃げ出したくなって、ポケットからスマホを取り出した。


「……梅村くん。もう、練習始まるんじゃない?」


 無理やり出した声は震えてしまったが、梅村くんはゆるく微笑むだけだ。


「本当だ。行かなきゃ」

「がんばってね」

「西さんも、無理しないようにね」


 梅村くんが動いた途端、日差しが顔に当たる。

眩しい。わたしは目元にぐっと力を入れた。

 俯いて足元に視線を落とした時、気付いてしまった。


「……影の向きを、見てたのか」


 話している間、彼はずっと日除けになってくれていたようだ。

 わたしの顔が、ひりひりしないように。


「…………柳くんめ……」


 柳くんが余計なこと言うから。柳のヤロウ。ばか柳。


「ひりひりじゃなくて、ばくばくしてるよぅ……」


 降参するしかなくて、一人その場に、しゃがみ込んだ。

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