19.華麗なる爆弾魔
十月に入ると、体育の授業では出場種目の練習が本格化した。わたしとりっちゃんは玉入れに出場する。
授業が終わり二人で教室に戻っていると、体操着姿の石丸先輩を見つけた。次の時間は三年生が体育のようだ。
先輩はこちらに気付くなり「西ちゃん、吉野さん」と駆けてきた。綺麗に結い上げられたポニーテールは、心なしか元気がない。
「衣装係と看板係の女子で、当日の応援合戦前に手が空きそうな子っているかな。できれば普段メイクする子か美術が得意な子」
衣装係の場合、応援合戦前に衣装を渡せば、体育祭当日はほとんど仕事がない。衣装を渡す仕事を男子に任せれば、女子は自由に動けるだろう。看板係も同じようなものだったはず。看板の設置を前日に行い、後日解体だ。
生活デザイン科にはメイク好きな人が多いため、要望に合う人材を確保できそうである。
その旨を石丸先輩に伝えると、彼女は両方の手のひらを顔の前で合わせた。
「当日男子のフェイスペイントをやってあげてほしいの」
石丸先輩の話によると、昨日応援係の三年生だけで試しにフェイスペイントをやってみたところ、男子に上手い人が少なかったらしい。
「鏡見ながら顔に描くのって、意外と難しいですもんね」
りっちゃんがフォローを入れたのだが、石丸先輩は乾いた笑い声を出す。
「鏡じゃなくて二人一組の対面でやってもグッチャグチャなの。練習してもらおうにも、何回もできるほど道具買ってないし」
フェイスペイントの道具は先日の買い出しで調達したらしい。買い出し、というワードから梅村くんのメッセージを思い出してしまい、必死に頭の中から追い払う。
あの日以降も梅村くんとメッセージを送り合っているが、いまだに若干のモヤつきを抱えているのだ。
「わたしたちで手伝う?」
りっちゃんに尋ねると、すぐに「うん」と返ってきた。
「ありがとう! じゃあ二年の男子をやってあげてほしい。担当者が決まったら書いて持ってきてくれる?」
「わかりました」
教室に戻ったわたしとりっちゃんは、早速ペイント協力者を募った。
その結果あっさりと人が集まったため、名簿を作成し、昼休みに一組に向かうことにした。今回はわたしだけではなく、応援係の友達とりっちゃんが同行してくれている。
話しながら商業科の前を通っていたところ、わたしに気付いた五組の人たちが手を振ってくれた。隣を歩くりっちゃんが不審がる。
「なんで五組と仲良くなってるの?」
「買い出しがあった日にね、まりちゃん先生に頼まれて青ブロックの衣装を手伝ったの。そうしたら話しかけてくれるようになって」
説明すると、りっちゃんの眉間にますますしわが寄った。
「最近琴葉の良さが他のクラスに漏れてて複雑」
「わかる。取られそうなのが不満」
「あたしらの方が先に好きなのにね」
「あらあら? あらあらあらあら?」
りっちゃん以外は頻繁にいじってくるというのに、可愛いところがあるではないか。
わたしは満面の笑みを浮かべ、顰めっ面をしたみんなの肩をポンッと叩く。
「わたしの可愛い生デガールたちよ。日頃の製図いじりごとまとめて大好きだから安心してくれたまえ。わたしは生デのものよ」
「調子乗らせたわ」
「製図いじり十倍の刑」
「工業科に放置して帰ろ」
「それだけは勘弁して」
みんながいるとはいえ、工業科の空気に慣れたわけではないのだ。一組に到着したわたしは、相変わらず教室の外から藤田くんを呼ぶので精一杯だった。
友達が応援係の男子と話している間に、廊下に出てきてくれた藤田くんに事情を説明する。
「――というわけで、フェイスペイントを手伝えそうな人の名前を書いてきたの」
「じゃあ西さんたちの名前の隣にうちのクラスの応援係の名前を書けばいいんだね。適当に書いてくるから待っててくれる?」
「応援係の人たちに確認しなくて大丈夫? 自分でできる人はそれでもいいんだけど」
「女子にやってもらえるのにわざわざ自分でやるって言う愚かなヤツは……あ、梅のこと?」
さすがは藤田くんだ。察しがいい。コソッと聞いてくれるあたりも配慮が行き届いている。
「人前で誰かに顔触られるって、絶対嫌がるよね。それに自分でできると思うし」
「どうだろう。じゃあ梅だけは確認とるね」
そう言って藤田くんが教室に入っていく。廊下で待っていると、ものの数分で藤田くんが戻ってきた。有言実行で適当に書いたようだ。
記入済みの名簿を受け取ったわたしは、梅村くんの名前を見つけて首を傾げる。
「梅村くん自分でやるって言わなかった?」
「同志の西さんがやってくれるなら頼むって」
「……そう」
唯一の同志として、信頼度が高まったように感じて嬉しい。だが先日のメッセージを思い出すと恨めしい気持ちが顔を出す。
なぜメッセージの真意を気軽に尋ねられないのだろう。聞いてしまえば済む話なのに。なぜ同志という言葉がむず痒くもあり、寂しくもあるのだろう。あんなに大切にしていた言葉だというのに。
わたしは教室の中をのぞいてみた。梅村くんは簡単に見つかったが、彼はちらりともこちらを見ない。再度視線を落とし、手元の名簿を見る。
紙の上で、わたしと梅村くんは隣に並んでいた。
「……ずっるぅ」
わたしにはこの感情の名が、わからない。
*
日が沈みかけ、薄暗くなってきた頃。地元の公園で、わたしは数年ぶりにブランコに座っていた。隣のブランコには立ち漕ぎをする柳くんの姿がある。
「その面倒くさい他人設定って、いつまで続けんの?」
「卒業までかな? 連絡は取れるから面倒くさくはないよ」
「うへぇ。俺なら絶対無理」
そういうものなのか。感じ方は人によって違うものだから、否定するつもりはない。
「でも梅村くんは無理って言わないもん。梅村くんの事情を考えると学校では近づかないのが一番だし。ていうかこうなった元凶が何言ってるの」
「西さんは俺のメンタルをボッコボコにする天才だな。俺だってあいつと仲良しに戻りたいのに」
「だったらどうして宿題やってこないんですか」
「謝罪文を考えれば考えるほど、己の行いを思い出して消えたくなるからです」
柳くんを爽やかイケメンと呼び始めたのは誰なのだろう。納得いかない。部活中は格好いいのかもしれないが、ブランコの鎖にすがりつく彼はただのヘタレである。制服に錆がつくから止めるべきだろうか。
彼の性格的に優しく諭しても意味がないため厳しめに接してしまうものの、わたしはこれでも、柳くんと梅村くんの関係が修復されてほしいと願っている。
「謝罪文を送らないと始まらないから、早く考えよう」
スマホのメモアプリを開いて言うと、ブランコからぴょんと降りた柳くんがわたしの前に来た。
彼は鼻から大きく息を吸い、静かに吐き出す。
「……蒼士……ごめん」
謝罪から始まった、とぎれとぎれに紡がれる言葉。わたしはたまに相槌を打ちながら、取りこぼさないように文字に起こした。
彼らの時間を知らなくても、柳くんにとって梅村くんがかけがえのない友人であることは伝わってくる。
たった一度、失敗しただけなのだ。
ごめん。ごめん。ごめん――
それを幾度となく聞いた。梅村くんと仲違いしたことへの後悔がぎっしり詰まったメモが完成する。
「あとは自分でまとめられそう?」
「帰ったらやる」
「よし。じゃあわたしは今日でお役御免だね」
「何言ってんの。まだ最終確認が残ってるでしょ。それに送る時も近くにいてくれないと困るよ。誰が送信ボタン押すの」
「まさかその役を押し付けられるとは思ってなかったよ」
「押し付けるのは西さんだけだから」
「前にも言ったけど、わたしは梅村くんの味方なの。柳くんの手下ではありません」
「薄情者め」
文句を言われつつ、わたしは柳くんにメモを送信する。
「蒼士のどこをそんなに推してんの?」
「推してるっていうか、同志だから」
「製図オタク理解できない」
「大半がそうだから話せる相手が貴重なの」
「製図なんかなくったってなあ、蒼士には他にもいいところありますぅ。俺は知ってますぅ」
メモが送信できたことを確認して、スマホをスカートのポケットにしまった。
喧嘩腰でそんなこと言われなくったって――
「わたしだって知ってますぅ」
「おうおうやんのか。言ってみろよ。まともなこと言えたらそこのジャングルジムに登ってやるよ」
「別に求めてないけど登りたいなら登ってきていいよ」
どうぞ、と勧めると、柳くんは軽やかな足取りでジャングルジムに向かった。一人で公園に来て登るのは恥ずかしいもんね。
笑みをこぼしたわたしはブランコの上に立った。昔は大きく見えていた遊具が、今では随分と小さく見える。錆臭い鎖を握り直し、漕ぎ始めた。
ギコギコと変な音がする。ジャングルジムに登る柳くんの背中に届くように、ひとつずつ想いを吐き出した。
「梅村くんは、落ち込んでたら励ましてくれるでしょ。言葉足らずなところもあるけど真っ直ぐで優しい。友達のために怒れる人だし、まめに連絡くれる。急に拗村くんになって面白いし――」
すごいね梅村くん。短い付き合いなのに、いいところが次々出てくるよ。
ブランコを漕ぐ足に力を込めた。
口と足を動かしながら、夏祭りの日の梅村くんを思い出す。梅村くんは見た目を褒められるのが好きではないかもしれないけれど、内面を見た上で言わせていただきたい。
「笑った顔がね、すっごく可愛い」
もっとあの笑顔が見たいの。何度でも見たいの。だから早く、仲直りしてね。
「マジか」
ジャングルジムのてっぺんに到着した柳くんが、感心したような顔でわたしを見下ろす。
「マジって、何が?」
「いやあ、そうだろうなとは思ってたんだけど。西さん、蒼士にめちゃくちゃ惚れてるんだなって」
柳くんがジャングルジムから飛び降り、華麗に着地を決めた。
しかしわたしには彼の姿が、投下された爆弾にしか見えなかった――