18.コントローラーを踏みしめろ
天気予報を見ながら朝食の巣ごもりトーストを頬張っていると、スマホの画面が光った。石丸先輩からの全体メッセージのようだ。
【今日の放課後準備はお休みです。看板係のペンキと、応援係用のフェイスペイントを――】
どうやら有志を募って買い出しに行くらしい。早く終わればカラオケかゲームセンターに寄って遊んで帰るそうだ。
準備があると思っていたため予定を入れていないし、わたしも参加しようかな。放課後に遊ぶのはクラスメイト以外だと初めてだ。と、そこまで考えた時、不意に邪な気持ちが生まれる。
トーク画面を切り替え、梅村くんにメッセージを送った。
【おはよ〜。梅村くんって今日の買い出し行く?】
【おはよう。応援係の二、三年は強制参加】
ほうほう。それなりの人数が集まるようだ。
【そうなんだ。予定ないからわたしも行こうかな】
梅村くんの隣を歩けずとも、グループで買い出しなら楽しそう。そう思ったのだが。
【衣装係は関係ないんじゃないの?】
なんだか冷たい言葉が返ってきた。
彼の言う通り衣装係に必要なものはないのだが、言い方が気になる。もしかして来てほしくない? わたしの考えすぎだろうか。
【ペンキとか重い物が多そうだから、荷物持ちに行こうかなと思ったんだけど】
【西さんは来なくて大丈夫だよ。看板係の男子もほとんど来るみたいだから】
人手は足りていると言いたいらしい。そこまで言われると引くしかない。
【じゃあ今日はやめとく。楽しんできてね】
先日の拗村くんは非常に可愛かったと記憶しているのだが、幻だったのだろうか。今朝の梅村くんは心臓を針でチクチクと刺してくるようである。
他の女子だっているのだから、わたし一人増えたって変わらないのに。ふーん、そうですか。
面白くない気分になったため、りんごヨーグルトを二つ食べてやった。
*
ホームルーム後に帰り支度を整えていたわたしの元に、担任のまりちゃん先生が駆け寄ってきた。
「西さん。緑ブロックって今日の放課後準備お休みなのよね? 何か予定ある?」
「ありません。ものすごく暇です」
「そ、そう? じゃあ申し訳ないんだけど、青ブロックの衣装手伝ってもらえる?」
先生の疲れ切った様子から事情を察した。
「あー……。今年は青ブロックに生デがいないんですね」
「そうなのよ。もう先生大忙し」
体育祭は四ブロックに分かれるというのに、生活デザイン科は全学年で三クラスのみ。毎年どこかのブロックは生デがおらず、家庭科系の先生が空き時間を使って衣装係の作業を手伝っているそうだ。
「他のブロックの衣装係にも手伝ってもらえるか聞いてみようと思ってるんだけど、どこも余裕なさそうでね。緑ブロックの衣装はどこまで進んでる?」
「トップスはほぼ完成してて、この前スカートに入りました」
「早いわね」
「男子の丈直しは残ってますけど、衣装係に器用な人が多いので順調です」
藤田くんを含む工業科の面々や史織ちゃんなど、みんなが協力的なおかげでスムーズに進んでいる。もちろん先輩との関係も良好だ。
「青ブロックはどこまで進んでるんですか?」
「それがね、まだスカートの裁断が終わってないのよ。先生そっちを片付けたいんだけど、係の子たちがトップスの縫製に手間取ってて」
手伝いたいけど手が回らない、ということらしい。
「わたしが青ブロックを手伝っても怒られないですかね?」
「そこを突っ込まれた場合は、私が頼んだってちゃんと説明するから大丈夫」
「わかりました。でも極力、緑ブロックの先輩には言わないでくださいね」
わたしは自分の裁縫セットを持ち、先生について家庭科室に向かった。商業科の女子数人に迎えられたのだが、みんな半泣きである。よほど切羽詰まっているのだろう。
「生デの西です。よろしくお願いします」
わたしは挨拶を済ませた直後、ミシンの近くに連行された。
机の上にチア衣装のデザイン画と切った布が広げてある。青ブロックの衣装はトップスの胸元にU字の切り替えがあるデザインらしい。これが彼女たちの悩みの種か。
「このカーブは縫うのに慣れてないと難しいかも。まち針打つのも大変じゃなかった?」
「そうなの! 上手く縫えないし、ほどいてやり直ししてたら布が裂けちゃうし」
布端がほつれてボロボロになったパーツを見せてくれた。何度も挑戦したのだろう。
「頑張ったねぇ」
「努力を認めてくれるのは西さんだけだよ」
「すごいよ。ここまでやったんだから」
わたしも裁縫に不慣れだった頃はたくさん失敗した。思い通りに縫えず、糸をほどく瞬間ほど虚しい時間はない。
「じゃあこのパーツだけわたしが縫い合わせちゃうね。それ以外をよろしく」
「ありがとう……!」
わたしは裁縫セットを広げ、作業に取りかかった。
よれた布にアイロンをかけ直し、縫い代同士を合わせて手早くまち針を打っていく。カーブが急な部分は細かく打ち、縫っている間にずれないよう固定する。
次にミシンの糸調子が正常かどうかを確かめるため、布の余った部分で試し縫いをした。上糸がやや強い。ダイヤルを回して調整する。
これで準備は完了。今日の作業で全部縫えるだろうか。現在時刻は午後四時二十分。
今頃梅村くんは楽しい買い出しの途中ですかね。なんて、どうしてこんな時にも梅村くんのことを考えちゃうんだろう。考えたって今朝の文面が変わるわけでもないのに。
こうなったら、ヤケ縫いだ。
わたしはミシンのフットコントローラーを踏み、一心不乱に縫い続けた――
手伝いを終えて下駄箱でスリッパからローファーに履き替えていると、背後から聞き覚えのある声が。まだ元気が有り余っていそうな柳くんだ。
「西さんお疲れ。体育祭の準備?」
「お疲れさま。青ブロックの衣装縫うの手伝ってたの」
「マジ? 俺青ブロックだよ。応援係だから衣装の進み具合は全然知らないんだけど……。西さんは緑ブロックの衣装係だよね?」
「そうだよ」
「準備抜けてよかったの?」
「緑ブロックは今日買い出しデーだから」
「ふぅん。じゃあ蒼士も出てるのか。いや、あいつはこういうの行かないか?」
聞きたくなかった名前が登場してしまい、気分が沈む。
「……梅村くんなんて、知らない」
「あら」
柳くんが目を瞬かせた。しかしすぐに詐欺師のような胡散臭い笑みを浮かべる。
「一緒に帰ろ。お兄さんが話聞いてあげる」
「結構ですぅ。わたしが勝手にモヤついてるだけだし」
「最高に面白そうじゃん」
「おい柳」
「まあまあ、どうせ帰る方向同じなんだからさ」
「早く帰ろ」と急かされ、わたしは先に歩き出した柳くんを追いかけた。
駅に向かいながら今朝のメッセージについて話すと、案の定バカにされた。
「西さんそんなことでいじけてんの?」
「だから言いたくなかったのに」
「じゃあ蒼士が『西さんも買い出しにおいでよ』って言ったらいじけなかったの? そんなことあいつは言わないだろ」
「言わない、の、かな……」
軽く微笑んで誘ってくれそうだけど。
付き合いの長い柳くんが断言するのだから、そちらの方が正しいのだろうか。
「言わない人に求めても、意味ないか」
「だね。あいつは言葉足らずなところがあるから誤解されやすいし。……てか気になってたんだけど、西さんと蒼士ってどうやって知り合ったの?」
「え? わたしが梅村くんの忘れ物を見つけて――」
駅のホームで電車を待つ間、柳くんにこれまでの経緯を語った。
USBメモリを見つけて届けたこと。デスクトップ上で文通をしたこと。実際に会うようになったこと。
「だからわたしは、偶然同志になれただけなんだよね」
好きなものに共通点があった。ただそれだけ。
藤田くんほど信用されていないだろうし、柳くんほど共にいた時間が長いわけでもない。梅村くんの考えていることを察せない。それを寂しく感じているのだから、我ながら傲慢だと思う。
ホームの点字ブロックを見つめ、反省する。
「西さん、それはアホだわ」
突然の悪口に驚き、右隣に立つ柳くんの顔を見上げた。彼はゲテモノでも見るような目を向けてきた。わたしの前では爽やかイケメンを発揮しない方針らしい。
「その経緯を『偶然』の一言で済ませられるのがすごいって話」
柳くんは右手の指を折り曲げながら言葉を続ける。
「まず他人のデータにメッセージ残さないし、デスクトップにお礼も書かない。製図ネタで盛り上がらないし、二日に一通くらいのやり取りを長く続けられない。要するに、キミたちは変です」
「そ、そうですか……」
「そうだよ。だから偶然って考えてちっぽけなものにするより、運命だって思った方が楽しいんじゃない? 人が親しくなるのって、奇跡の積み重ねだし」
「ロマンチスト柳だ……」
「やめろよ照れるだろ」
全く照れている様子のない柳くんは、恥ずかしいことを平気で言える人らしい。
わたしと梅村くんの出会いが偶然であれ運命であれ、今もスマホで繋がっているのは、奇跡の積み重ねがあったからなのだろうか。
「西さんよ。人の縁っていうのは、切れた時にその重要さに気付くもんなんだよ」
「経験者は語る」
「やめろよへこむだろ」
「自分で言ったくせに。ま、柳くんと梅村くんの縁はまだ完全には切れてないけどね」
「そう思う?」
「だって二人の間にわたしがいるもん」
「っ! 西さま、一生ついていきます!」
「調子いいなぁ」
今朝のメッセージに対してのモヤモヤは消えていないが、話したら少しスッキリした。二人して電車に揺られ、流れる景色をぼんやりと眺める。段々と暗くなってきた。
最寄駅に到着したわたしは電車の扉に近寄る。
次の駅で降りるから、と、柳くんも後ろからついてきた。
「蒼士にとって同志って存在は西さんだけなんだから、自信持ちなよ」
降り際に柳くんを見ると、こちらに向かって手を振っていた。
――プシューッ。
扉が閉まる。
「同志って言葉……嬉しいとしか思わなかったのになぁ」
再び動き始めた電車を見送りながら、呟いた。