15.秘密の同志は〇〇のみなもと
柳くんからの襲撃という事件があったものの、わたしは体育祭の準備を順調に進めていた。
今日は被服製作室にて大好きな型紙を引く日である。待ってた待ってた、この日を待ってた。
朝から梅村くんに【今日は製図の日です】とメッセージを送るくらい待ち望んでいた。梅村くんからは【夜見せてね】と、意欲が湧く返事をもらっている。
製図は基本的にわたし一人で行うため、他の衣装係には本番用の生地と糸の下見をお願いした。だが例外として、りっちゃんと藤田くんには残ってもらっている。
藤田くんは被服製作室に慣れていないからか、椅子にも座らずキョロキョロと目を動かす。
「チアの衣装なのに、俺が口出すところなんてある?」
「女子の意見だけだとどうしても偏っちゃうから」
衣装を採点するのは女子だけではない。男子目線でも素敵に見える衣装にしたいのだ。
「首周りのゆとりとかアームホールのカーブとか切り替えラインの高さとか、意見が欲しいところが山ほどあります」
わたしがそう宣言すると、りっちゃんが藤田くんに「このタイプの琴葉からは逃げられないと思った方がいい。お菓子でも食べながらまったりしてて」と助言する。
「……まあ、俺にできることがあるなら」
押され気味に、ではあるが、藤田くんが着席した。
りっちゃんは隣の作業台に試し縫い用の布を広げる。アイロンをかけてくれるようだ。
「アイロン終わったらスカート切っとくね」
「ありがとう。後で丈調節できるように裾の縫い代は多めでよろしく」
「はいよ」
「え? これからパターン引くんじゃないの?」
「布切るのってパターンできてからだよね?」と首を傾げた藤田くんに、りっちゃんがスカートのパターンを見せる。
「今日引くのはトップスの方。スカートのパターンは、琴葉が春に引いてたんだよね。ちょうどいい感じのMサイズで」
「どうして? 課題?」
「いや、ボウリング場で突然『ボックスプリーツのパターン引きたい』って言い出したかと思ったら、三日後には五種類引き終わってた」
「……この前生デの人にいじられてたけど、西さんが製図の申し子って本当なんだね」
「そこに関しては嘘だと言った方が失礼なレベルだから」
二人の会話に耳を傾けつつ、わたしはMサイズの原型を製図用ハトロン紙に書き写していく。
「製図を引くのも好きだし、見るのも好きだし、デザイン画を忠実に再現できた時の爽快感も好き」
原型、とはパターン製作の土台となるものだ。タンクトップみたいな形をしている。ここから作りたいイメージに合わせたゆとりやつまみ分などを入れ、様々なデザインに展開していくのだ。
原型は頻繁に使うため、あらかじめS・M・Lサイズを作っている。
「一人ひとりに合わせたサイズで衣装を作れたら一番楽しいんだけど」
「琴葉以外には地獄だから」
「……というわけで、今回は一般的なサイズで引きます」
引くと言っても、チアのデザインがタンクトップタイプであるため、袖や襟が付くトップスと比べるとやることはシンプルだ。
先輩に描いてもらったデザイン画を参考に、ネックラインを引いていく。緑ブロックの衣装は小顔効果と首長効果を狙ったVネックである。飛んでいるカモメを正面から見たような形状の切り替えが胸下に入り、スカートはボックスプリーツである。メインカラーはもちろん緑だ。
「脇線どうしようかな」
ほぼ直線にするか、カーブにしてくびれさせるか。わたしが書いては消してを繰り返していると、藤田くんが興味深そうに手元をのぞいてきた。そうだ。こんな時のための藤田くんだった。
形状を微妙に変えた脇線を三本引き、りっちゃんに尋ねる。
「布の端の方もらっていい?」
「その辺使っていいよ」
もらった布に脇周辺の線を写し、大雑把に周りを切る。藤田くんはその様子を観察している。
「部分的に作るの?」
「そう。実物を見たら雰囲気がよくわかるから」
手でザクザクと簡単に縫い、三つの見本を作った。
トルソーと呼ばれる頭と手足のないマネキンを運んできて、作ったトップスを着せる。どうぞ藤田くん。見てください。
「左から、カーブ強め、緩め、直線です」
「へえ〜、こんなに変わるんだ。脇のラインをカーブにしてくびれさせると体に沿った形にはなるけど、周りの布が引っ張られるからシワが入りやすいんだね」
「そうなの。使う生地にもよるんだけどね。こうやって見ると、カーブ緩めか直線の方がいいかな? 藤田くんはどう思う?」
「俺も右二つの方がいいと思う。応援係は動くのが仕事だし、ゆとりがあって動きやすい方が合ってそう。個人的には直線よりちょっとカーブが好きかな」
藤田くんは真ん中のトップスを指さす。
「じゃあこれにする! ありがとう。参考になったよ」
聞いて正解だった。製図に戻り、不要になった線を消す。迷いがなくなったおかげで作業が捗る。
「西さんっていつも笑ってるイメージだけど、製図引いてる時は特に楽しそうだね」
「好きだからねぇ」
「うちのクラスにも製図好きがいるんだ。工業と生デだから内容は違うけど、西さん見てたら気が合いそうだなって思うよ」
それって、もしかして。
「藤田くんと仲良い人?」
「うん。女子と喋らないヤツだから、紹介できないのが残念だけど」
梅村くんだな、これは。確信してニヤけそうになる。梅村くんも友達から製図好きだと認識されるレベルなのか。さすがは我が同志。
「製図は楽しいから、それを知ってる人がいるってだけでわたしは嬉しい」
手を動かしながら言うと、りっちゃんの声が降ってきた。
「琴葉さ、最近少し変わったよね」
特に自覚はないのだが。生地を切っているりっちゃんを見る。彼女は作業の手を止め、「んー」と視線を上げて考える素振りをした。
「前までの琴葉は、製図が好きな自分を変人だと思ってるふしがあったというか」
「今でも思ってるけど」
「なんか違うんだって。前より製図が好きなことへの自信がみなぎってるって言うか」
「あー……それは多分」
梅村くんがいるからだ。梅村くんが背中を押してくれたおかげで――
「家族に進路のことを話せたからかな」
みんなに内緒のわたしの同志は、わたしに変化をもたらしたようだ。
*
その日の夜。ベッドに寝転がったわたしは、梅村くんにメッセージを打った。今日引いたパターンの写真添付も忘れない。
【練習お疲れさま〜。予定通り衣装のパターン引いたよ。仮縫いするの楽しみ】
【お疲れ様。脇のところに悩んだっぽい痕跡が見える】
【バレた? 梅村くんいつの間にかパターンの見方わかるようになってるね】
【西先生の教育の賜物。今何してる?】
【ベッドに寝っ転がってる】
送信ボタンを押した瞬間後悔した。休日のお父さんよりだらけた返事しちゃった。
【やっぱりパックしながらストレッチ中に変更してもいい?】
【ダメ】
ダメか。
【電話したいから】
なんだって? 寝坊に気付いた時の勢いで体を起こした。電話、初めてだ。
【してもいい?】
【喜んで】
正座状態のわたしが返すと、数秒の後に電話がきた。応答するだけで妙に緊張する。
「……もしもし」
『もしもし、急にごめんね』
当たり前だけど、梅村くんの声がする。
「全然! 暇だったから。何かあった? あ、何もなくても電話は大歓迎ですドンと来い」
無駄に焦るわたしが面白かったのか、気の抜けたような笑い声が聞こえた。耳がくすぐったい。
『今日の練習で立川先輩にめっちゃ絡まれて体力奪われたから、回復させてもらおうと思って』
「お役に立てる気がしない」
『さっきのテンパった声でだいぶ回復した』
「あれで回復するならわたしほどの適任者はいませんな。もっと頼っていいよ」
胸を叩いて強気に出ると、また梅村くんが笑う。いい声のおかげでわたしの方が回復しているような。
「立川先輩どんな感じなの?」
『お前みたいな弟が欲しかったんだよ。って今日だけで五回は言われた』
「なんだ、気に入られてる方ね」
『デカいなーって言いながら俺の頭を撫でまわし、笑えと言いながらほっぺたを引っ張り、動きがよかったと褒めつつ後ろから飛びつく』
「ふふっ、おもしろ」
『新手のいじめ』
文句を言っているものの、梅村くんの声は暗くない。上手くやっているのだろう。先輩に絡まれる姿を遠目からでも見てみたい。
『西さん以外の衣装係は生地の下見に行ってたんだっけ?』
「そう。りっちゃんと藤田くんには残ってもらったけど」
『なんで藤田?』
「男子の意見ももらおうと思って。彼の働きは素晴らしかったです」
『……ふぅん』
あれ? 梅村くんと藤田くんって仲良いんだよね? つまりこの返事が意味するのは……
「あ! わたしと梅村くんが同志だってことはバレないように気を付けてるから安心して!」
今のところボロは出していないはずだ。梅村くんには見えていないのに、心配するなと身振り手振りで伝えようとする。
「今日りっちゃんに『前より製図が好きなことへの自信がみなぎってる』って言われたんだけど、梅村くんの名前を出さずに誤魔化せたし」
『西さんの自信と俺って関係あるの?』
「大ありだよ。梅村くんがいてくれるから、わたしは胸を張って製図が好きだって言えるの。梅村くんは、わたしの自信の源」
『……俺、思ってたより西さんに買われてるんだね』
呟きのような話し方だったが、スマホがしっかり声を拾ってくれた。
梅村くんは気付いていなかったのか。わたしの中では文通の頃から偉大な存在なのに。
『西さんはね、俺の元気の源』
「まさかの源返し? それなら責任を持って立川先輩に負わされたダメージを回復させないとだね」
『全回復のためにもう少し電話しててもいい?』
「女子の長電話を甘く見てるね? まだ始まったばっかりだよ」
ではそろそろ、足を――
「うぎゃあ」
『どうしたの?』
「正座してたから足を崩そうとしたんだけど、痺れてて」
痛いような痒いような感覚が襲ってくる。
『寝転がってたんじゃないの?』
「電話するって聞いたら、体が勝手に改まってた」
『そうなんだ。うわ待って俺もやばい』
スマホの向こう側でガサゴソと布が擦れる音がする。もしや梅村くんも……
「正座してたの?」
『……電話って緊張するじゃん』
「あははっ!」
どんな表情なのか見えないのが惜しい。正座の梅村くんが見えなかったのも惜しい。けれど別のものが満たされた。
わたしは笑い転げるようにベッドにダイブし、その後は寝っ転がって通話を続けた。